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 一息つく為に茶でも飲もうと、開けた扉の奥には見知らぬ四角い缶が居座っていた。


 ++ 占領地に旗を ++


 大広間。
 集会場兼茶飲み場兼食堂兼コミュニティルームであるこの場所は、本部メンバーのお決まりの場所だ。誰かを捜したければ私室か大広間に行けば7割方発見できる。各々の職場で捕まる率が3割弱というのは少し問題があるのかもしれなかったが。
 そんな、絶えず雑然とした空気を綺麗に分断して、突き進む人物が約1名。
 言葉も感情も好きこのんで表に出さない自分がどう思われているかなど、承知はしているが興味などない。ひそひそと耳障りな囁きも何もかも黙殺して、素晴らしい光沢を放つ髪をなびかせつつ、神田は辺りにいつも以上に胡乱な目つきと仏頂面を晒していた。
「あれ、こんばんは神田。何食べるんです?」
 にこやかに、背後からかけられたテノール。
 振り返れば、チーズハンバーグとコーンポタージュとマッシュポテトにクリームソースのフィットチーネ、海老ドリアにシーザーサラダ、平目のムニエルに夏野菜のゼリー固めにベーグル、ガーリックブレッド、更には食後のデザートのつもりかチョコミントジェラードに醤油煎餅、ブラックタピオカミルクティと、相変わらず国籍も胃の容量も己の体積すらも無視して皿を並べる非常識な大喰らいの姿があった。それぞれの皿の量が常人の1.4倍近くあるという事実を、神田は自分の精神衛生のため見なかったことにする。
「…」
 しかし繰り広げられるその光景と匂いだけで、小食な神田は吐き気を覚えてしまう。
「どーしました神田? あ、お腹空いたんですね」
「ば…っ、おい、アレは何だ……!?」
 は、と用件を思い出し、神田はのほほんとフォークを手にしたアレンへと詰め寄った。
「はい?」
「とぼけるな! 俺の部屋の…!」
 そこまで叫びかけ、ようやく神田は落ち着きを取り戻した。今すぐがくがくと襟首を揺さぶってやりたい気持ちを何とか自制する。周囲に他人が溢れ返っているこの場所で、自分がこの新人を自室に入れているという事実だけは知られたくない。
「…んー」
 少し考え込む風情のアレンは、1人納得したように頷いた。
「よし、それじゃちょっと出ましょう」
 ぐいと有無を言わさず神田の腕を掴み、アレンはつかつかと足早に大食堂から出て行こうとする。焦ったように、彼を気に入っている料理長が身を乗り出した。
「ちょ、ちょっとアレンちゃん!?」
「ごめんなさいジェリーさん、後でまた来ますから!」


 アレンが神田を引っ張っていった先は、アレン本人の自室ではなく神田の部屋であった。一瞬の躊躇もなく部屋へと辿り着いた、この馬鹿みたいにだだっ広い迷宮めいた本部内で、他人の私室を完璧に把握している新人には既に呆れるより他はない。この白髪の少年を把握しようという殊勝さなど、神田はとうの昔に薄紙に包んでくずかごへと捨てていた。何せある日は気づけば扉の前に、またある夜は窓の外に張り付き、何時の間にか神田の半径2メートル以内を己の居場所と断言する阿呆なのだから。いっそ、あの時本当に窓から叩き落として地上数100メートル自然落下を味合わせてやれば良かったかもしれない…。
「お邪魔しまーす。相変わらず、殺風景な部屋ですねぇ」
「…やかましい。って勝手にお前…!!」
 すっかり我が物顔でベッドへと腰かけるアレンに、さらに脳の血管がまとめて2、3本ほど切れそうになる。
「あれは何だ…?」
「あれって何ですか?」
 ことりと可愛らしく小首を傾げる少年は苛立ちを順調に生産してくれた。
「これだこれ!」
 がっと鷲掴み、少年の眼前にそれを突きつけてやった。何の変哲もない、四角い紅茶葉の缶だ。缶には何の罪もない。ぎっしりとリーフの詰まった缶のど真ん中に、油性マジックででかでかとアレン=ウォーカーvと大書きされているのを除けば。
「紅茶です。リーフですね」
「そんな事は見れば判る!」
 また名前の末尾に、ハートマークがしっかり書き込まれているのが更に頭に来る。
「えぇと、ちなみにアッサム、ダージリン、キーマンなどのブレンドでミルクをたっぷり注ぐのが朝にはまた格別な」
「そんな事を聞いてる訳でもないっ!」
 俺の部屋の、俺の戸棚に、勝手に私物を置き去るな!!
「えぇー…」
「えーじゃない!」
「いいですか、神田」
 何故だか偉そうに、アレンはちっちっと指を振る。
「効率の問題ですよ。僕と神田の部屋は、それはもう思わず部屋割りを決めて下さった方をうっかり闇討ちしたくなるくらいには離れてるじゃないですか。でも僕としては朝の目覚めには気持ちよく美味しいブレックファストティーを頂きたい訳なんですよ。といっても、師匠が大してお金もないくせにコーヒー党で僕も少し影響受けてるんですがアレって高いですよねー。ともかくとして、僕としてはいちいち朝僕の部屋か食堂に行く前に、ここに茶器一式置いた方が手間がかからなくて良い・と」
「黙れ。…待て……一式…?」
 嫌な予感に突き動かされ、改めて探せばあるわあるわ。ティーポット、ティーカップ、ティースプーン、ティーキャディー…気遣いか好意なのかは知らないが、しっかり2人分の茶器が用意してあるのは既に嫌がらせだと神田は思う。
「…何っつー事をしやがるこのボケっ! ここはお前の私有地か―――っ!?」
「私有地…うん、私有地ね私有地……何か良いよねそういうの。そう思わない?」
「……良い訳、あるか」
 唐突に何の脈絡もなく素の言葉遣いになるアレンが、神田は苦手だ。そしてその事をアレン自身も知っているのが更に癪に障る。それまでまといつかせていた好青年の空気をいともあっさりと捨て去ることのできるのだと、初めて知ったのはいつだったか。
 ベッドに腰かけたまま、目の前で憤っている神田の腕を掴むと、アレンはゆっくりと引き寄せた。大人しく引き寄せられ、その腕が誘うままにベッドへと膝立ちになる。
「…こうやって。ひとつひとつ、人の場所に僕の物が増えていく。それがとっても、良いと思うんです。ここは神田の場所だよ。神田の部屋だ。君だけの空間君だけの場所君の許す物だけで作られた世界。そこに僕の物が置いてあるのはとても……気分が良いんです」
 ささやかな憧れなんでしょうね、とアレンは苦笑した。
「勝手なことを…」
「えぇ、勝手ですね。だから、君は何も気にしなくていいんです」
 一方的に想って一方的に告げて一方的に贈って。
 何が返ってくると期待も予想も心配もしないからこそ、酷く楽に子供じみた満足感に浸れるのだ。独りよがりの所有感。
 神田の身体から少しばかり力が抜けたのを感じたか、嬉しそうな笑顔を浮かべたアレンは彼の背に深く手を回した。
「…っ・」
 神田の後頭部に手を回しぐいと引き下ろすと、取り立てて抵抗もなくあっさりと彼の唇が下りて来た。身長差故、腰かけたアレンと膝立ちの神田とではかなりの無理な体勢になりつつも、構わずに相手の舌を絡め取ることに専念する。必死で上体を伸ばしてキスをしかけていることを悟ったか、神田はどうやら少し唇を歪めたようだった。報復に、息もつかせぬほどのものを与えてやる。
「…ふぅ…っ、ぅ・ん…」
 時折条件反射だろうか、びくっと逃げを打とうとする肢体をぎゅうと押さえ込む。何せ彼の細身の腰がすぐ目の前にあるのだから簡単なものだ。ふと思い出せば1週間ぶりに触れる身体。先ほどまで不機嫌最高潮だった神田の様子も今は少し凪になっていて、アレンとしては血気盛んな若者らしく(…今日はいける、2回くらい!!)と妙に具体的な願望を描いてしまうのは仕方ないと言いたい。
 さも自然であるかのように、神田の腰や首に腕を絡ませたままアレンは仰向けに寝そべった。引っ張られた神田はアレンに覆い被さるように、ベッドの上へと倒れこむ。
「…寝てれば、身長差なんて意味ないですよね」
 にこ、とこれからの時間を明確に定義づける台詞を口にしながら、アレンはゆっくりと引き倒した神田と自分の位置を入れ替えようと身を起こした。しかし、一瞬身体を浮かせたのが間違いだったのか。
 ―――げし。
「だっ!?」
 容赦ない神田の蹴りがみぞおちに入り、アレンは半ば吹き飛ぶ勢いでベッドから半回転するように叩き落とされた。真白いシャツには彼の靴の跡がくっきりはっきりついている。
「ちょ、え、さっきの今でそうきますか!?」
 先ほどまで彼からも口付けに応える素振りを見せ、艶やかな漆黒で自分を見下ろしていたのは何だったのか。
 部屋の主はベッドの上で足を組み、地べたに這った同僚を眺めやった。
「……ばぁか」
 そうやって辛辣な言葉を吐く時の彼にまで、見惚れてしまうようになった自分の盲目さと来たらどうだろう。神田は薄く笑って、ひとつに束ねた艶やかな黒髪をばさりと解く。『夜』を思わせる風情で、挑発するように彼は言った。


「空腹でへこたれているお前がこの俺の相手をしきろうだなど、良い度胸じゃないか」
 出直して来い。


 それはつまり、裏を返せば。
「…っっ」


 既に大半の人間が食事を終え、閑散とした大食堂の一角にて。
 蠱惑的に微笑んで誘うような台詞を口にした同僚の映像を脳内エンドレスリピートしながら、周囲の人間に不審がられているのも意に介さず、やに下がった顔で大量の夕食を平らげる奇妙な新人の姿が目撃された。 






>>>たまには短く軽く明るいアレ神を(笑)
しかし話の明度が増すごとに、アレンのモヤシ度が上昇する気がするのは何故なのか。
大体うちの神田はモヤシ如きにサービスしすぎだと思います(待て)

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