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 自分たちの間にあったのは、恐らく必然でも運命でも偶然ですらなく、
 ただ惰性でしかなかったのだろう。




++ 有限カタルシス 04 ++





 ―――体温、が。


 白色人種である自分と、黄色人種である彼(とは言え、彼の色の白さは種類こそ違うものの滑らかな白さを誇っている)とは、平均的な体温からして違う。アレンが触れる神田の身体はいつでも熱を忘れ去ったかのようにひんやりとしており、情欲に熱が上がることでようやく生者の雰囲気を纏いつかせた。
「…は・ぁ」
 呼気が熱い。アレンよりもずっと体温の低い彼は、もっと激しい熱を感じているのだろうか。
「……神田…どうして、君は」
「どうし、て?」
 ひた、と反芻するかのように重ねられた言葉。他愛ない言葉遊びに興じるような関係ではないことなど、2人とも知っている。
「僕に・抱かれるの…」
「―――ははっ」
 ひとたび武器を持たせれば、冷酷なまでに使命に徹する少年が笑う。
「お前がいたからだろう?」
 当たり前のような呟きの後、伸ばされる腕を振り払う術をアレンは知らない。


 それはいつかの夜だった。
 そして幾度も重ねられた夜だった。


 深夜、唐突に部屋を訪れるようになった同僚の気配に、アレンはいつから慣れたのだろうと思う。最初は何もかもが相手のペースで進み、気がつけば裸体を晒しあって獣のように戯れていた。若い身体の叫びが落ち着き、まどろみかける僅かの間に、アレンはかつて見かけた相手の稀有な表情を再び見つけたような気がしていた。
 あの、何もかもを削ぎ落とした感情の塊のような無表情。
 それは確かに自分が彼に最初の興味を抱いた瞬間でもあったのだ。ただ傲慢で冷徹なだけの人間ではないと知らしめるに、十分すぎる程の冷めきった灼熱のような表情を、彼、は―――
 ふらりと気まぐれに立ち寄る彼を、これまたふらりとベッドに引きずり込むようになった。当たり前のように訪れる彼。当たり前のように伸ばしてしまう腕。時折自分は何をしているのだろうという疑問が脳裏を掠めることもあったが、半瞬も経たずに掻き消えてしまう。それ程に彼のもたらす時間は魅力的で、そしてアレンは若かった。
 ―――溺れるように、とはよく言ったものだ。


「…ン」
 小さく啄ばむようなキスを降らせていく。くすぐったいのか、堪える顔で神田はぐずぐずと身を捩った。子どもが駄々をこねるようだとつい微笑んだのが伝わってしまったのか、きりと鋭い目で睨み上げられる。
 ごめん、判ってるから、と声には出さずにアレンは唇の動きだけで謝罪した。彼との戯れはそれこそ児戯のように始まったが、いつのまにか不文律となっている約束事が幾つかあった。それに触れてしまいそうな空気が落ちる度に、警告するかのように突き刺さる彼の視線。


 口付けの痕にしろ、指で圧迫した痕にしろ、神田は夜を思わせる痕跡を身体に残すことを徹底的に嫌った。いつかの夜、歯止めの利かなくなったアレンが目の前のきめ細かな首筋に歯を立てた瞬間に、彼は不埒者を寝台から蹴り落とした。その時の神田の凶悪なまでの眼光に、どうやら地雷を踏んでしまったらしいと判断したアレンは必死で謝り倒し、二度目はないという許しを得た経緯がある。思い返せばやや情けない気もするが、それ程に自分にとって彼との逢瀬が捨て難いものとなっていたのだ。
 首筋に鼻先を埋める。まるで飼い犬が匂いを嗅ぐように突っ込むと、髪が擦れるのかくすくすと小さな笑いが洩れた。小刻みに揺れる形の良い耳を軽く咥えてやると、反射的に彼の身体が竦んだ。痕がつけられないならせめてこれくらいの意地悪はいいだろう、と丹念に舐ると堪えきれなかったか、大きくのけぞり細い咽喉元が露になった。まなじりから細く涙が伝う。それらも全て舐めとってやりながら、彼の身体を包む衣服を引き剥がす手間すら惜しんで手だけを潜り込ませた。着衣のままで事に及ぶなど、我ながら余裕のないことだ。しかし。


 先ほど彼の肌に鼻を寄せた時、ふわりと吸い込んだのは石鹸とハーブの匂いだった。
 そして、それはいつもアレンの寝台に沈む彼がまとわせているものだった。


「…挿れるよ」
「ンぅ」
 柔らかなクッションに2人して沈んでいく。広がる黒髪は夢へと誘ってくれそうだ。しゃらりしゃらりとしなやかな手触りは、つい数10分前に湯を浴びたことを知らせてくれる。
 何を、望んでいるのだろう。目の前にいる人は。わざわざ、湯を浴びて。身支度を整えてアレンの元へとやってくる。彼が肌身離さず持っている筈の愛刀ですら、この室内でアレンが目にしたことはない。アレンに逢う為に髪を梳き肌を洗い、大切な相棒ですら置いてわざわざ来てくれているのかと、勘違いすることは容易いが、それが答えではないのだろう。その自惚れを口にした瞬間、神田はあっさりとアレンを見限るだろうという予感すらあった。
 だからこそ、余計に判らない。
「…ァ・…っは、んァっ・」
「……っ」
 柔々とした生暖かい人肌に包み込まれて、快楽を感じながらもこのまま眠りに落ちてしまいたい衝動に駆られる。きっと素晴らしく恍惚とした夢に浸れることだろう。彼の吐息を全て飲み込むように喰らう。羽毛の海に沈みすぎた体勢は十分な呼吸をするには少し苦しくて、それがまた倒錯的な快楽を呼んだ。
「神田…」
 吐き出した熱は彼の中。しとどに蕩けてやがて白いシーツへと染み込んでゆく。荒い息をお互いゆっくり整えて、そして彼の額に浮かんだ汗や涙の筋を拭うようにキスをした。
「神田」
 アレンの囁きに、掠れた声で呆れた声で、呟きが返される。
「―――…情け深い…男だ」
 それはどういう意味ですか単に肉体関係を持ったからという理由で僕が君を気にかけているという解釈をしているのですかでもそれが鬱陶しいならばどうして君は結局今夜も僕の元へやって来るのですか必要なことを何も告げない都合の良さに溺れているのはお互い様でしょう?
 脳裏に渦巻く汚いエゴを振り切るように、眼前の人物を抱きしめた。いっそ抱き殺してしまえたら楽であったのに、人間とは存外丈夫にできている生き物なのだ。悲しいくらいに腕の中の存在はリアルに伝わってくる。冷静な彼の瞳が自分の肩越しに何を見つめているかを知りたくなくて、アレンは無駄だと知りながら彼を抱く腕の力を思いきり強めた。
 そうしたなら余計に、彼と自分との目線が交わらなくなると判っていても。


 何も言わずに、何も訊かずに。ただ身体を重ねて熱を交わして残るのは欲の残滓のみ。


 結局はそれだけ。


有限タル



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