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※神田さん女の子設定です。苦手な方はバックプリーズ。






 そう、例えばこんな時に。
 君が僕とは違う生き物なのだと、思い知らされる。



++ アテナの左腕 ++



 真っ白のシーツには、漆黒の髪。
 鮮烈過ぎる相反のコントラストは、痛いほどに僕を惹きつけて止まない。


 ばふ、と心地よいベッドに勢いつけて倒れこむと、その寝具の持ち主の物だろうか、仄かな残り香がアレンを包み込んだ。
 思わずその持ち主に抱きしめられているかの錯覚に陥って、アレンはやや口元をにやけさせつつもシーツの滑らかさを楽しむ。
 まるでシーツに頬ずりしているようなある種情けない姿を晒している彼に、頭上から呆れた声が降ってきた。
「…何勝手に人のベッドに寝てやがる」
 その声の持ち主を確認すらせずに、アレンはひらひらと相手に手を振った。
「ちょっとだけ、勘弁して下さいよ神田。僕、今かなり疲れてんです。ほらだって任務帰りだから」
「それは俺も同じだろーが」
 当たり前だ。
 今ベッドを独占しているアレンと、その本来の持ち主である神田は同じ任務につき、そして任務達成を掲げて帰還したのだから。
 幸いにも死者は出ず、アレンと神田の両エクソシストは比較的短期間でこの黒の教団内、自室へと帰って来ることができた。
 幾ら滞りなく終ったからと言って、疲れていないわけではない。任務は何時だって命がけだ。先ほど専属看護師に巻きつけて貰った包帯と貼り付けられた判創膏が、任務終了と共に2人に与えられたものだった。
「うん、ちょっと危なかったですね。ひやっとしました」
「いっそ頭でも殴られてりゃ、まともになれたかもな」
 やだな、僕はいつだって真面目ですよ、と多少ズレた、もしくはズラした返事をしたアレンは、半日前にはアクマの凶手に鼻先から抉り取られそうになったばかりだった。あわや凹凸のない顔になりかけた少年は、改めて己の顔面を撫でさすり、そしてごろんごろんと転がってベッドに埃を立たせまくる。
「和むのはお前の部屋で勝手にやれ…」
 神田は帰って来て即行でシャワーを浴び、身体を癒す気でいたし、それを実行しようとタオルを手にしたところまでは良かった。
 しかしそこに割り入ったのは、こんこんこん、と腹立たしいほどにリズミカルなノックの音。
 無視するのは容易だが、それをしたが最後、奴は何をするか判らない。
 数え切れない程の前例に、神田は渋面で扉を開け、そして悲しい事に予想通りの相手を認めた。


 ―――やっぱり扉を防音にしなくては。
 ついでに、魔除けの札でも貼れば効力はないだろうか、と。


 今、自分の寝具を我が物顔で楽しむ同僚、アレン=ウォーカーを見て、神田は心の中でささやかに誓ったのだった。
 そしてその白い疫病神が、神田を見上げてにっこりと笑いかける。
「ねぇ神田」
「断る」
「早っ。何も言ってませんよ」
「何かしら言う気だろうが」
 神田の意地悪ー、とでも言いたげに上目遣いで見上げてくるアレンに、心底殴り倒したい衝動が生まれてくる。
 自分はこれほど忍耐強かったのかと、褒め称えてやりたいほどだ。
 しかし神田の拒絶など元から気にしていないのか、アレンは平然と言った。
「ちょっとだけ、えぇちょっとだけですから、労ってくれません?」
「あぁ?」
 予想外の内容に、神田の表情には呆れすら浮かばない。
 ベッドサイドに腰かけた神田の、その腕に寝転びながらアレンはそっと手を伸ばす。
 愛刀を持たせれば極寒の気配をまとうこの誇り高い戦士は、今はその名残すらない。
 鍛えぬかれた、薄く傷の残る指先。
 白く細い、形の良い指に己の指を絡ませると、静かに互いの体温と心拍を伝えた。
「…まだ、生きてます。僕たち」
 目を細め、明確な言葉にはしないままに乗せた稚拙な文章は、それでも神田に届いたらしかった。
「……ふん」


 神に選ばれた希少な存在である自分たちは、それ故に穏やかな生を望めない。赦されない。
 人の終わりを知らない愛情と憎しみの連鎖の中で、確実に何かが磨り減って行く。


(世に真に尊ぶべきものは3つある。信仰と、希望と、愛―――そしてこの中で最も偉大なものは、愛である)


 神の子は言った。神の子は告げた。
 あぁそうだ。それは確かに真実だ。
 人は愛をなくして生きてはいけない。愛に見捨てられ、見放された瞬間、人は己をも掴み損ねる。
 愛情を、糧に。
 そしてだからこそ、神の使徒は存在する。ひたむきな愛が作り出す、一筋の暗闇に入り込んだ絶望を討つために。
 亡くしかけた愛を求めたが故に命を落とした者と、そこまで愛されたが故に永遠の責め苦に陥ることとなった者と。
 2人を、救うために。
 死者に魂の静寂と安寧と救済を。
 様々な形で、任務の合間に触れることとなる人の業に、アレンは引きずり込まれないようにするだけで精一杯だった。
 誰もの気持ちが判ってしまうだけに、紛れもない当事者であった自分を見るようで、アレンは自分を保つことに必死だった。
 任務に出る度に、アクマをその呪われた目で見る度に、その器の持ち主を知る度に。

 ―――じゃりじゃりじゃり、と乾いた砂の音がする。

 自分の心の奥底にある、砂の城が少しずつ削り取られて行っている。
 アレンはその度に城を建て直し、確認し、そしてまだ崩壊しないことに安堵をする。
 生まれ落ち、初めに貰える親の愛を受け取れなかった可哀相なアレン=ウォーカー。
 自分の中に、凶暴とも飢餓とも言える感情があることを、既にアレンは自覚していた。際限なく、求めてしまうだろう。皆に受け入れられる博愛主義を貫きながら、ただ1つを見つけてしまえば、止まらないだろう自分は確かにいるのだ。


 ―――ほら、そこに。


 あの、いつかの幼い少年をふと思い出す。
 母を亡くした親友を、アレンから庇おうとした彼を。
 少年のことを、自分は責めることも咎めることもできない、とアレンは空虚な瞳で呟いた。
 おそらく自分がアクマになることはないだろう。
 だが、アクマの被る、初めの器になる可能性だけは十二分にあった。
 願ってしまうだろう。それが絶望と怒りと嘆きしか生み出さぬと他の誰より理解していても。
 喪うよりは、その相手の記憶に己が例え憎しみで塗り固められていたとしても、存在し続けてくれた方が…と。
 例えばこの、今指先を絡ませている相手が―――


「何を、考えていた?」
「…嫌なタイミングで、聞きますね」
 神田の問いに直接の答えは返さなかったが、おそらく神田は知っていただろう。
 アレンの答えを。
 アレンの苦悩を。
「…労って欲しいのか」
「え?」
 ぽつ、と呟きに近い台詞に、アレンが目を見開いた。
 …ぎし、と少しだけ神田がベッドに座る位置をずらす。ほんの少しだけ、アレンの方へと近づいた。
 何も言わずに仰向けになったアレンを見下ろし、そして口角を僅かに持ち上げる。その挑戦的で挑発的な瞳が、最初にアレンを射止めたのだ。まるで限界まで引き絞った弓の鋭さのような、切れ長のぬばたま。
「……ありがとう」
 アレンはもぞもぞと身動きすると、神田の膝上へと頭を乗せた。
 ほわりと、シーツのそれよりも強い香りが一瞬漂う。
 すぐ上を見上げれば、実に不本意そうかつ不機嫌そうな表情がぶっすりと見下ろしてきている。
 それでも足の重みを、神田は振り払おうとはしなかった。
(―――柔らかい)
 薄っすら微笑んで、アレンは目を細めた。
 柔らかな身体。自分のものとは明らかに、骨格も筋肉のつき方も、まとう匂いすら異なる生き物。
 普段、意図的にまとっているだろう傲慢で薄情な仮面を外せば、とても儚く心地よい肢体がぽつりとあるのだ。


 ―――あぁ、これも母性本能なのかな?


 神田本人に聞かれれば、即座に部屋を蹴り出されそうなことをアレンは考えた。
 彼女は、女性だ。産む性。慈しみ、育む性。
 弱った生き物には慰めを。挫けそうな生き物には励ましを。
 アレンのイメージする「女性性」とはそういうもので、だからこそ、自分はそこまで―――滅多なことでは「女」を表に出さない彼女が戯れにでも膝を空けてくれる程―――情けない表情を晒していたのだろうか。
「…次の任務、何時でしょうか」
「さぁな」
「今度も、無事に終るといいですね」
「保障はない」
「じゃあ、保障して下さいよ」
 きょとん、と判りやすくハテナマークを浮かべた神田に、アレンは悪戯っぽい表情で返した。
「2人ともが怪我せずに帰ってこれたら、膝枕。どーですか?」
「そーかそんなに任務中背後を気にしたいか」
「だっ!? ちょっと神田! 冗談です冗談、ごめんなさい済みませんっ!」
 自信満々に提出された考えに、神田は容赦なくその源に肘をお見舞いした。
 目標物がすぐ膝上にあるので外しようもかわされようもない。
「…ちょっと、神田ぁ。鼻血出たらどーするんですか」
「せめてもの情けにティッシュペーパーくらいはくれてやる」
「じゃなくて!」
 アレンはばっと身を起こすと、神田の肩を掴んでベッドに押しつけた。
 急な横からの圧力に、神田は足をベッドサイドから下ろしつつも枕に頭を預ける、という腰を捻ったいささかバランスの崩れた体勢を余儀なくされる。切り揃えられた黒髪が、シーツの上に美しい弧を描いた。
 すぐ目の前に覆い被さる少年を、突然に押し倒された神田は特に表情も変えずに見上げた。
「…何のつもりだ、へたれ」
「うん、だから労って欲しいな、って」
 神田の雑言を綺麗に無視して、アレンは彼女の顔に影を作りながら微笑んだ。
 互いの睫毛が触れ合いそうな距離で少年が普段の穏やかな顔を消すと、整った作りが紛れもない「男」のものになる。
「……っ」
 ぴく、と反射的に動いた神田の両手首を優しく、しかししっかりと押さえつける。彼が身動きする度にかすかに擦れるリボンタイがくすぐったい、と一瞬状況を忘れて神田は思った。
「神田」
 柔らかに、名を呼ぶ声。
 温厚で柔和で人当たりの良い外側には、貪欲で利己的な愛情が溢れるばかりに詰まっている。
 目の前にいるのは、まるではちきれんばかりに熟した果実のような男なのだ。実に絶妙なバランスで、その存在を保っている。
「愛してます」
 甘く耳元で囁くその声に、思わず神田の力が抜けた。ぞわ、と鳥肌の立つような感覚に、何故か嫌悪はない。
 彼女の抵抗はないらしい、と判断したのか、喜色を湛えたアレンは更に全身で覆い被さり―――そして、彼女の額の真中に、小さなキスを落とした。
 ちゅっ、と可愛らしい音を立てて離れたアレンの唇を、無意識に神田の目線が追う。
「―――あは、冗談ですよ」
 ごめんなさい、吃驚させちゃいました? と虚を突かれた表情を浮かべた彼女の胸元に、アレンは頭を落とした。サラシに巻かれた神田の胸に、甘えるようにもたれかかる。
「…おい…?」
「せっかくの、チャンスではありますけど。凄く疲れてるし、今僕が欲しいのはきっと、気持ち良さは気持ち良さなんでしょうけど、どちらかと言うと温もりなんだろうなって」
 そのまま幼子が母親に抱きつくようにべったりと神田の身体に己の身体を密着させて、満足げな顔でアレンは神田の細い肢体をかき抱いた。
 腕の中にあるのはこれ程までに頼りなげな身体であるのに、どうして包み込まれているような気になるのだろう。
 全てを赦し、受け入れ、癒してくれる、海のようなひと。
 男という生き物はきっと一生、女性には敵わないのだ、とアレンは考えた。
 敵うはずがない。此処にいるのは、漆黒をまとった孤高の戦女神。
「うん、気持ち良いですね。このままじっとしているのっていいと思いません? 甘えさせて、下さい」
 まるで癒そうとするかのように神田の身体のあちこちに刻まれた傷を指先で辿りつつ、少年は呟いた。細めた瞳がまるで、飼い主に撫でられて咽喉を鳴らす猫のようだ。
 戦女神の気まぐれに与える、心身の休息の時。
 うっとりと気だるい空気を堪能していたアレンは、だから気づかなかった。
 大人しくアレンに抱きしめられるがままになっている彼女の瞳が、密やかに憤りを乗せていたことに。
「重い…」
「ちょっとだけ、我慢して下さいよ、お願いします。今だけですから」
「……そうか」
 安心しきった無防備な風情の彼に、神田の手が静かに伸び、そしてゆっくりとアレンの白い髪を梳き、弄ぶ。真っ白の少年と真っ黒の少女の織り成す、刹那的なコントラスト。まるで絵画のような緩やかな空間の中で、アレンは髪を梳かれる心地よさに小さく笑った。
 そしておもむろに彼女のその指先が、彼のリボンタイにかかる。


 ―――ぐぃっ!


「ふぇっ!?」
 突然に強い力で引っ張られ、アレンは思わず跳ね起きた。
 それまでの夢見心地から覚醒して見てみれば、怖いくらいの笑みを湛えた彼女と目が合った。
「…か、神田…?」
「1つ訊くが」
「はぁ」
 いまだ神田にのしかかった姿勢のままで、アレンは間抜けな返事をした。声と同じく間の抜けた表情の彼に、神田はやや上体を起こしながら訊く。
 実に穏やかな彼女の声音が、逆に恐ろしいのは経験故か。
「今に至るまでの、俺たちの状況は?」
「教団任務で、危険な目に」
「どんな目に遭った?」
「死にそうな目に」
「死にそうな目に遭うと、人間の反応は?」
「生存本能が目覚めますね」
「更に俗っぽく言えば?」
「………いやぁぁぁっ! 済みません神田今日ばかりは…っ!」
 悟ると同時にアレンは叫んだ。
 しかし最後まで言わせて貰えすらせずに、みぞおちに膝を入れられ、アレンの反論は止められる。ベッドの足側に情けなく悶絶するアレンの両足を封じるように己の足で挟みつつ、素早く神田がのしかかった。
 しっかりとその右手はリボンタイを握ったままだ。
 ざざざざざ、と顔面から血の気の引く音が部屋中に響き渡るような状況下、アレンは引きつった営業スマイルを迫る彼女へと向けた。
「…あ、あの……神田、さん…?」
「お前、疲れてるんだったな?」
「えぇはい、それはもぅもの凄く!」
 だから無理、絶対無理! と僅かな望みに縋りつき、アレンは力説した。この状況で彼女に付き合えばどうなるか。もう短いとは言えない時間を共に過ごしてきたアレンには、まざまざと未来を見ることができた。
 少なくとも明日中、自分の腰は崩壊する。
 しかし紅を載せなくても十分に魅惑的な彼女の唇は、愉しそうに弧を描くだけだった。
「安心しろ」
 小さく笑みを洩らしながら、神田は己の髪を解いた。
 扇状に美しく広がる漆黒も、アレンの目には恐怖の象徴にしか映らない。
「お前は何もしなくていい。俺が勝手に遊んでやる」
 適当に寝転がっとけ。
「……ひぃっ!」
「さっきまでゆっくり抱かせてやったろうが。返せ」
「高利もいいトコじゃないですか!!」
「喧しい。黙れ。雰囲気がない」
 アレンの我が身を守る発言を一刀両断に切り捨てて、神田は彼のシャツの前を肌蹴た。細身だが綺麗に筋肉の張った身体へするりと繊手を忍ばせつつ、掬い上げるような口づけを仕掛ける。
 アレンが拒めないのを知っているから、余計に性質が悪い。
「……ッ・」
 散々にアレンの口内を弄り尽くし、ようやく2人の顔が離れた頃には細い唾液の糸が伝っていた。
 諦念の表情を見せるアレンに、与えられるは蠱惑の笑み。
「…まだ、夜は長そうだな?」


 ―――女神は人間には容赦ないのだ。 






>>>初アレ神嬢。
某茶会にてお世話になった、嬢賛同者様方に捧げます。
…と言いたかったんですが、結局嬢でも氏でも女王は女王でした(苦笑)

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