第4回観経疏の会
2009年4月29日
偈文
今逢釈迦仏 末法之遺跡 弥陀本誓願 極楽之要門 定散等廻向 速證無生身
今釈迦仏の末法の遺跡(ゆいせき)弥陀の本誓願 極楽の要門に逢えり 定散等しく廻向して
速やかに無生身を証せん
末法
言教のみありて行証なし(12/192.59)戒定慧なし(12/192.36)
遺跡
遺(漢字源)
)
1.置き忘れる(忘)2.後に残す 捨てる 取りこぼす(残) 3.送る、与えてくれる(贈)
解字:物を残して立ち去り、そのものがむっくりと目立つことを表す。
末法の遺跡とは、正法像法の時代には忘れられ捨てられていたものが、末法の世になって目立つ。釈尊が末法の世に残しておいてくださった教えが時が来て目立つ。
逢う
(・先生の言葉が今になってうなづける。こちらが深まらなければ逢えない・遇もあうだが違うのか)
逢(漢字源)
両方から近づいて一点で出会う。
解字:峠の頂点で出会う。
善導が逢った末法の遺跡とは
弥陀本誓願 極楽之要門
本(漢字源)
もと、はじめ1.太い木の根、転じて物事の中心 2.物事のおこりはじめ 3.もとの本当の4.もともと
参照:
教行信証(化身土)12/160(2)10阿弥陀如来本発誓願普く諸有海を化す。既にして悲願有す(至心廻向の願)
(・極楽の要門とは何?)
極楽
出典は阿弥陀経(3/2)是より西方 十万億の仏土を過ぎて世界あり。名づけて極楽といふ。其の土に仏有す。阿弥陀と号す。・・・其の国の衆生、衆の苦有ること無く但諸の楽を受く故に極楽と名く
要門
要
(漢字源)
よう、かなめ
1.要点の要、肝心要の意、大切な
2.待つ、しむける、そうなるようにしむけて待ち受ける
3.必要とする、しなくてはならない
善導の文より
(玄義分)然るに娑婆の化主、其の請に因るが故に、即ち広く浄土之要門を開き、安楽の能人別意弘願を顕彰す。其の要門即ち此の観経の定散二門是なり(12/166)
(けれども釈迦はイダイケの要請があったから、広く浄土の要門を開いて、如来は別意の願を明らかにだされた。その要門とは観経の定散二門である)
この善導の言葉によれば浄土の要門とは観経の定散の教えである
(・極楽の要門ではないがご本人が浄土の要門と本文で使っていらっしゃるから同じものだろう)
参照:
教行信証化身土巻(12/172)此の願(第19願)之行信に依りて浄土之要門・方便権化を顕開す
弥陀の誓願と浄土の要門の関係がこのようにおさえられている。観経の定散二門教えの根拠に弥陀の本願があると見出されたから、この教えは浄土の要門となった。
定散等廻向 速證無生身
(・定散とは何か?・回向とは何か?・定散が回向するのか、定散に回向するのか、定散を回向するのか・等はなぜついているのか・要門で速やかにさとりが開けるものか?)
定散
(12/166上の善導の玄義分の続き)定は即ち慮を息めて以って心を凝らし、散は即ち悪を廃して以って善を修す
回向
A大乗義章(遠慧)1.衆生回向(衆生に回向する)2.菩提回向(菩提にむけて) 3.実際回向
(教行信証教巻講義1(細川巌師)p104参照)
B曇鶯の回向1.往相とは己が功徳を以って一切衆生に廻施して、作願して共に彼の阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり(12/19)2.還想とは彼の浄土に生じ已りてしゃまたびばしゃな方便力成就することを得て、生死の稠林に廻入し、一切衆生を教化して、共に仏道に向はしむるなり(12/122)
定散回向
親鸞は往相の回向(12/6)還相の回向(12/122)とノをつけているが、17願を往相回向の願と名づけている(12/6)Aでは「*回向」の*は回向する目的になっているからこれで考えると定散の機に向かっての回向という意味になる。Bでは往相は回向の内容の説明だからこれで考えれば回向の内容が定散となる。
善導自身の文を見ると上の玄義分の続きに(12/166)
此の二行を廻して往生を求願するなり
廻してを回向と考えると定散の回向とは定の行と散の行を行って回向してとなる
しかし漢文では動詞の上に来ているのは主語ではないだろうか。そうであれば定機散機が回向することになる12/171のはんじゅさんの引文「定散ともに廻して宝国に入れ」はこちらに近いのではないか。
定機散機への回向、定散二門の回向、定機散機が行う回向どれもいえそうである。
(・次回までに参考書にあたることとする・)(第4回観経疏の会終了)