上輩観をいただくにあたって善導大師は十一の枠組みを提示されている。中輩、下輩の前にも文言の小さな違いはあるがほぼ同じ十一の枠組みを提示されている。この枠組みにそって対応する観経の九品の内容を拾い読む。
ざっと読んでいくと、上上から中中はりっぱなことがたくさんできるほどお迎えがりっぱであるというランクづけのようになっている。中下からは善知識が登場する。だから頑張っていいことをしなければとどうしてもなってしまう。「他生観」をどうしてやぶられるのだろう。経典の中にヒントはおかれているのだろうか。