はじめに

 
 

「私の好きな木」は、今から13年ほど前に京都市内の中学校で理科の教師を中心に始められた活動です。しかし、活動内容や生徒のようすを見聞きするにつれ、生徒はもちろん指導者にとっても教科を越えた活動であることがわかってきました。ほぼ全員の生徒が樹木の地上部だけを描く中で、画用紙半分に力強い地下部を表現したという目に障害をもった生徒や、ぽつりと「(むりやり)公園に植えられた木はかわいそう」とつぶやいた生徒の話などに、生徒の心の奥底をかいま見た気がしてある種のショックを受けました。また、教科の中では発揮できないような生徒の力を認識し、あるいは引き出すことのできる活動であることもわかってきました。

木はひとたび根をおろすとその場で一生を過ごします。通常私たちよりも長生きをします。5年後、10年後、愛着を持った木に会いに来ることができます。木の気持ちになったり、木を詩や音楽で表現したりすることもできます。葉や幹、あるいは花や実の使用法を学ぶこともできます。子どもたちの年齢や感性に応じた接し方ができます。

新年度から、小・中学校では一斉に総合的な学習の時間が導入されますが、この「私の好きな木」の活動には、総合的な学習の時間が目指す部分と共有できる多くの要素が含まれています。

「私の好きな木」が多くの学校や地域で実践されることで、子どもたちの未来にとって有意義な活動となることを願っています。

 

京都総合学習研究会 代表 坂東 忠司

(2002年3月31日発行「私の好きな木」冊子より抜粋)

 

情報化社会と呼ばれている現代、私たちの周りにはありとあらゆる情報が渦巻いて存在しています。
正確さや信頼性の度合いはさまざまですが、刻々と進化する世界中の情報を居ながらにして、リアルタイムにかき集めることができるようになりました。

しかし、その一方で、生きていく上での基本的な部分、すなわち基礎学力、社会性、気力の低下などが大きな問題となっています。自分の周りに存在するさまざまな事象に気づき、自分の目で確認し、そこから得られた情報を自分のものとして言葉や文章で表現することは重要なことです。私たちの毎日は、息を整える余裕もなくいつも駆け足で過ぎていきます。子どもたちも同じです。今の私たちにまず必要なものは、ゆっくり立ち止まって周りを見回し、考え、また次を目指すという心の余裕とメリハリではないでしょうか。

そんな思いの中で出会った活動が「私の好きな木」です