松山ユースホステルに宿泊。ユースに泊まるのは約30年ぶり。昔と変わったところは狭いけど個室完備。
変わっていないところは、こだわりの館長が仕切っているところかな。安いので本当にありがたい宿です。
昨晩は奄美の徳さんと、もう一人、若い男性のお遍路さんと一緒に夕食。遍路のはなしで盛り上がりました。
徳さんと朝の早い内に歩くことになりユースを5時に出発。遍路地図の乙コースを歩くことにしました。
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7時25分 ポンジュース前を通過。昔はよく飲んだけど最近はライバルが多いのかな。
そう言えば高知のスーパーで「ゆずしぼり」とか 「ごっくん馬路村ゆずジュース」を買って飲みました。
遍路中、スポーツドリンクばかり飲んでいると、無性に柑橘系のジュースが欲しくなることがあります。
8時30分 太山寺一の門。徳さんと話しをしながら歩いたのでチョット時間がかかりました。
8時55分 山門着。それにしても広い。名前の通り山全体が境内のようです。ミツバチが集まっているようで
通行止めになってました。
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境内に入ってビックリ。本堂の立派さに圧倒されました。
お参り後境内を散策していると、左腕が折れた観音様を発見。松山沖地震で倒れたそうで、そのおかげで
被害が少なかったそうです。奥院経ヶ森には新しい観音様が松山沖を見守っているそうです。
下山中に徳さんの知り合いのお遍路さんとすれ違い挨拶。彼女は仙台から来たそうで看護師さんとのこと。
当初は太山寺から山越えする計画でしたが、徳さんと近道コースを歩き、10時25分 円明寺着。
町中の小さな札所でした。
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仁王門では必ず仁王さんの写真を撮っているのですが、何となくひょうきんな感じなので載せてみました。
それほど広くない境内の真ん中に小さな門があったり、マリア像があったりと賑やかな札所です。
大師堂の横に弘法大師1150年御遠忌の碑を発見。初めて高野山に行った時のことを思い出しました。
昭和59年 季節は忘れましたが、天気が良かったことを覚えています。山上は参拝者や観光客であふれ、
空海さんの偉大さを感じました。弘法大師空海の足跡を辿る旅はまだまだ続きます。
休んでいると、先ほどの看護師さんと再会。大師堂で控え目にお経を唱えている姿が印象的でした。
徳さんと看護師さんは和気から列車を使うとのことで、ここで別れて先まで歩くことにしました。
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市街地を抜けて瀬戸内海沿いの道をひたすら歩きます。海岸沿いを歩くのは足摺岬以来なので半年ぶり。
右側にJRの線路があり、ちょうど1両編成の列車が通過しました。徳さんは間に合ったかな。
13時20分 伊予北条着。時間的に次の駅まで歩くのは無理なので今日はここまで。
特急が停車するので区切るのには都合がよいかな。待合室で白衣を脱ぎました。
時間があったので、JR松山駅から伊予電松山市駅までオマケの歩き。約30分かかりました。
それにしても、歩道に自転車が多いこと。大阪なら放置自転車ですぐに撤去だろうなと思ったら、
歩道が駐輪場所になっているようです。正岡子規誕生の地も自転車が占拠していました。
久万高原からの峠越えは雨に降られましたが、その後は天候にも恵まれ、楽しい同行者と出合、一緒に
松山を駆け抜けました。
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