忘れもの
作/直美
今晩も地下鉄の改札を出たところに、その男の人は立っていた。
年の瀬も押し迫り、冷え込んだ夜だ。足早に立ち去る通行人は、誰ひとり気にもとめていない。
昨日、一昨日とまったく同じように、その人はぼくの顔を見つけてかけよってきた。
「あなたの忘れものではありませんか?」
まっすぐに見つめる目は、青く澄んでいる。
「いいえ、違いますよ。一昨日からずっとそう言っているではないですか。ぼくのも
のではありませんよ」
「そうですか? へんですねえ、確かにあなたのお忘れになったものなんですがねえ」
不服そうにしながら、なおもくいさがってくる。
ぼくはいいかげん、腹が立ってきた。
(いったいなんだってこうもぼくに、かかわりあってくるのだろう)
その人の手の中にあるものは、うす汚れた布にくるまれていた。
ビー玉くらいの小さな透明のガラス玉だった。
この玉をぼくが受けとるまでは、毎晩こうして駅の改札で待ち伏せているのだろうか。
そんなことはごめんだ。受けとれば納得して消えてくれるだろう。
「ぼくにはそれが、ぼくのものだという記憶がないのですよ。それでも・・・と言うの
なら、いただきましょう」
「そうですか! よかった...持ち主のもとへ戻った。」
その人は口元をほころばせながら、ぼくの手のひらへそっと玉を置いた。
ガラス玉は見た目より重たく冷たかった。
地下鉄からバスに乗り、ぼくの暮らすアパートへ帰る。
この時間にはめずらしく、乗客は他に誰もいなかった。静かにドアが閉まり、バスが動き出す。
今日一日の仕事の疲れから、揺れるバスが心地よくウトウトしてきた。
足下の暖房は冬の寒さをいっぺんにとかしてくれる。降りるべき停留所は八つ先で、
まだ時間がかかる。コートのポケットには、さっき半ば強引に手渡されたガラス玉がおさまっている。
ポケットの中で玉をさすりながら、少し目を閉じた・・・。
「お客さん終点ですよ」
ぼくはおどろいて目をあけた。
(しまった!なんてことだ。うっかり眠ってしまったようだ)
とにかくいったん降りて、バスを乗りかえてもどらねばならない。
ぼくがあわてて定期券を運転手に見せると、けげんな顔で呼び止められた。
「お客さんそれは何ですか?」
「やっ。これはバスが違ったのかな。現金で払うよ」
ぼくは小銭入れをポケットの中にさがした。あせっていたので、さっき押し込んだガラスの玉をうっかりつかんで出してしまった。
ところが運転手はその玉を見とめると、にこやかな顔で言った。
「ご乗車ありがとうございました。お気をつけてお戻りくださいませ」
あっけにとられるぼくを残して、バスは闇にとけて走り去った。
ガラス玉を見せただけで、バス賃の代わりだなんて奇妙なことだ。
手のひらで握りしめると、ぼくの体温のぬくもりで玉はあたたかくなっていた。
ここが終点だとすると、となりの市までやってきたことになる。しかし何度か立ちよったことのある、見慣れた風景はそこにはなかった。見知らぬ所だ。いや、でも待てよ。ここは知っているぞ。覚えがある。
(ああ、そうだ・・・ふるさとの村に似ている。とうの昔、ダムの底に沈んだはずの村に・・・)
バスを乗り違えたおかげで見つけた街。
こんな所が近くにあったなんて、うかつなものだ。なんという街だろうか。
少しあたりを歩いてみよう。
バス停から少し歩くと、駅前の繁華街へと続く。ひときわ明るい場所を目指して歩いた。
周りの古びた建物のせいか、懐かしい想いが胸の深い所からわきあがってくる。
きゅんとしめつけられた感じが、忘れかけたたいせつなものを呼び覚ます。
ぼくはうしろからコートのすそをひっぱられて振り向いた。
「待っていたよ」
小さな人が、満面の笑みで握手をもとめてきた。握手をこばむのは失礼かと思い、ためらいながらもおずおずと手を差しだすと、クスクスと笑いだした。
「もっと、用心せねばいけないね。わたしが何者かを見きわめないといけない」
そうなのだ。ぼくの欠点。すぐに流されて信じてしまう。
ちぇっ、なんて意地悪いやつだ。それにしても、どこかで見た顔だ。この青く澄んだ目。
そうだ、駅の改札で待ち伏せしていたやつそっくりだ。
ぼくは握手しようと出した右手を、引っこめるとポケットに突っ込んだ。カチッとかわいた音がして、指の先が玉にふれた。
手のひらでにぎると、玉はさっきより熱をもっている。
そうっと取り出してみると、ピカピカてんめつしていた。
「玉のみちびきだ。その玉はあんたの夢をさがしだす道しるべとなる」
小さいやつは、えらそうに胸をそらして言い放った。
「夢をさがす?」
「なーに、恥じることはないって。あんたのように夢を見失った者はごまんといるのさ。日常にうもれて昔の夢を置き去りにしてしまった者がね。さあ、さがしに行こうぜ!」
その声でぼくの中の何かがはじけた。
駅前の商店街は、通りをアーチでおおっている。百メートルほど歩けば通りを抜けてしまい、その先は不気味な暗闇でおおわれていた。通りには人の気配がなく、静まりかえっている。
「ふぉふぉふぉ。今年最後のお客さんだよ」
突然かん高い声がして、三人のおばあさんが笑いあっていた。
「あたしらは、三人姉妹の過去・現在・未来」
「そう。別々に見えるだろうけれども、同じ」
「未来は現在になり、現在は過去になる」
三人は通りのはずれの暗闇を背後にして、口々に勝手にしゃべった。
「時はひとつ。遠く過ぎ去った過去は、誰も知らぬこと」
「時はひとつ。遠い未来も誰も知らぬこと」
「ひとつのものだ。ひとつのものだ。ひとつのものだ」
「見失えば、さがしだせばよい」
暗闇におおわれた街を、玉の光が行くべき道を指し示した。
歩き、立ち止まっては、玉を目の前にかざして、光の道を見つけだす。そうしてひたすら歩き続けた。
おとなになり日常の生活を続けるうちに、心の奥底に沈み込めた夢。
ぼくの記憶の水面がさざめき立った。
ダムの底に沈んだふるさとが、目の前にあらわれた。
放課後の校庭ー。
ぼくは地面に絵を描いている。
子どもの頃、絵を描くことが好きだった・・・。
棒きれを土に押し立てて、深い線を描く。
大きな大きな絵は、画用紙におさまりきらないので地面に描くことにしたのだ。
両親に兄弟と祖父母、友だちや先生。ぼくにかかわるすべての人を描こうとした。
人だけではない、イヌやネコ、トリやムシ、山や川、海やさかな、花や樹木・・・まわりに生きるすべてのものたちを、限りない愛情をもって描こうとしていた。
いや、幼いぼくには愛情などという感情はわからなかったであろう。
だた、とてもたいせつなものとして受けとめていた。
日が暮れて闇がすべてをおおい尽くす瞬間まで、描き続けていた。
そして祖父母の死、両親の離婚、沈んだふるさと・・・。
ぼくのたいせつなものが、ひとつまたひとつと消えていった。
地面にきざみ込んだぼくの絵は、深い水の中でうすれていく。
青い悲しみの色があふれて、息がつまりそうだ。
もがきながら...苦しみながらも、目を大きく見開いた。
深い青い悲しみの向こう側に、光が見えた。
ぼくは・・・失ったものを集め直そう。
あの頃校庭に描いたように、たいせつなものを描き出そうー。
「想い出せたのかい?何をやりたかったのか」
小さいやつは鼻をふふんと鳴らしながら、胸をそらしてぼくを見上げていた。
「ああ、どうしてこんなたいせつなことを忘れていたのだろう」
ぼくはガラス玉がいちだんと熱を帯びているのを感じた。
手のひらへ乗せて見つめると、突然パチンとはじけて飛んだ。
「あんたの見つけた夢が、ほんものだという証さ。玉が教えてくれた」
小さいやつは楽しそうに声をあげて笑った。
「ぼくは絵描きになりたかったんだよ」
「そうだね。きっと、そうだろうともさ」
やつはそっと、小さな右手を差しだしてきた。
ぼくは、ためらわずに強くにぎり返した。
ガタンとバスが大きく揺れた。赤信号で停車したようだ。降りる停留所はあとひとつ先。
ぼくは眠ってしまっていた。何か夢をみていたような気がするが、ぼんやりとしていた。
コートのポケットをさぐると玉が見あたらない。今の衝撃で転がり出たのだろうか。
座席の周囲を見わたすが見つからなかった。
(まあ、いいか。行くべきところへと戻ったのさ)
夢から覚め、気持ちよく大きくのびをした。
青く冷たい夜空の彼方に、きらめく星たち・・・
月は銀色の粉をまきながら、夢の続きを唄っている。
(また、絵を描いてみようか)
もたれかかっていた窓の外を見上げながらつぶやいた。
夜空は吸い込まれそうなほど、深い色をしている。
三日月は笑った口の形をして、白く光輝いていた。
《おわり》
comment
私はよく夢をみます。現実的だったり、荒唐無稽だったり。
夢のなかに、なにか大切なメッセージが含まれているとしたら...
でも、たいがいは目覚めると忘れてしまっています。
子どもの頃の将来の夢...これも忘れてしまっていました。
ほんの小さなきっかけで
呼び覚まされた夢を
私はこんどこそ
見失わない