森の声
作/直美
太古のむかしから、緑のふかい森は「神の森」とあがめられてきました。
どんな森にもご神木はそんざいしておりましたが、人間がはいりこみ自然のおきてがくずれはじめると、森の精とともに神はすがたをおかくしになりました。
まだ人の立ちいらない森に、ふしぎな森の精がたったひとりだけ、残っておりました。
森の精には、すがたがありません。
目に見える形はありませんが、森をわたる風にのり木々のこずえをゆらして遊んだりしています。
時には雨のしずくの上をうまいぐあいにとびはねているようです。
自分のすがたはありませんが、なりたい形にへんげするふしぎな力がありました。
ある時は小鳥になって森の上をとびまわり、きれいな声でさえずります。
泳ぎたくなれば、森を流れる川のせせらぎに身をゆだねた魚に変わりました。
中でも一番きもちのよいものは、森の大気になることでした。
森にすむ動物たちの命のいぶきや、多くの木々のはきだすエネルギーは森の精のからだをやわらかくつつみこんで、森の中にただよいうかんでおりました。
森の大気になった時、森の精はしずかに歌をうたいます。
それは声のない歌でした。
目をとじて、じっと耳をかたむけていると、心のおくふかいところにひぴいてくる歌なのです。
この歌がきこえたものは、傷ついたところをいやすことができました。
からだについた傷でも、悲しみで心についた傷でも、森の歌を聞くことができれば自然になおってゆきました。
森の精は、そうしていくつもの時代をすごしてきました。
長い、長い年月を・・・・・
そのうち、森のすぐ近くにまで人間は、里をつくり暮らしはじめるようになりました。
田畑をたがやし、かちくを飼い小さな集落はしだいに大きくなってゆき、大地の恵みにかんしゃのまつりをささげておりました。
豊かに実った田畑はそれはみごとなものですが、けっしてほんものの自然ではないのです。
人間が自分たちにつごうのいい植物だけを、育ていつくしんでいるのです。
風にはこばれてきた草は、芽がでたとたんにちぎられて、すてられてしまうのです。
村のはずれの森にちかいところに、アニマとオトマという兄弟が、病気で長いあいだ寝こんでいる母親と暮らしておりました。
村の中でもいちばん貧しい、気のどくな親子でありました。
収穫をおえた里には、つめたい風がふきはじめ冬のおとずれを告げています。
寒い夜、母のいのちのともしびが、消えゆこうとしておりました。
小さいオトマは母にしがみつき泣きさけんでおります。
「いやじゃ、いやじゃ。おらたちをおいていっては、だめじゃ」
少し大きいアニマはオトマのふるえる肩をだきしめて、耳もとにささやきました。
「無理を言ってはいかん。見ろ、母じゃが泣いておろう。しずかにゆかせてやろう。いってもいいと許してあげよう。安らかに旅たてるようにな」
「母じゃ。オトマはおらが守ります。兄弟なかよくがんばります。もう楽になっていいのですよ」
その声は母の心にとどき、悲しげな表情は安らかになり、母はしずかにさいごの息をはきました。
いちじんの風が立ちました。
森の精がひそかに、事のなりゆきを見守っていたのです。
「わたしは、しばらくこの兄弟をみていよう」
身寄りのない貧しい兄弟には、冬はきびしくおそいかかってきます。
その日の食べ物を手にいれるために、水くみの手伝いやまきわりなど幼い兄弟にできるあらゆる仕事を、村中走りまわってやりました。
わずかばかりの野菜、川でやっと捕らえた魚など、ふたりはけんめいに生きるために必要な糧をつかみとっておりました。
くたくたに疲れたからだを引きずっての帰り道、村のはずれのやぶ近くで妙な音が聞こえました。
ふたりは顔を見あわせて、お互いうなずくと音のする方に近寄ってみました。
一匹のきつねが村人のしかけたわなに苦しんでいるではありませんか。
よく見ると少しはなれた所に、こどもぎつねが二匹しんぱいそうにこっちをみつめております。
二匹の兄弟ぎつねは、まるで自分たち兄弟のすがたのようで、ふたりはためらわずにわなをこわして親ぎつねを逃がしてやりました。
親子はさっと寄りそって、こっちをちらっと見やってから、森の方へもどってゆきました。
アニマとオトマはほっとしたのもつかの間、このことが村人にわかるとどんな仕打ちがまっているのか空恐ろしさがこみあげてその晩はいっすいもすることができませんでした。
強い寒い風がすすり泣いているように聞こえます。
「アニマ、誰かが泣いているよ」
「なあに、もがりぶえだよ。ヒュウ・ヒュウとうまいぐあいに、風はふえをふくものさ」
おびえるオトマに明るく答えたものの、夜が明けて事がろけんする恐さに、アニマ自身が泣きたいきもちでおりました。
わながこわされたあたりには、幼い兄弟の足あとが残されており、村人たちはみんな怒りはじめました。
「なんていたずらをしやがるガキどもじゃ。このままにしておくとしめしがつかねえことになる。しばらくのあいだ、あんふたりはハチブにするだ」
この時期のハチブは兄弟にとって生き死にのもんだいでした。
村人ぜんぶがだれもあいてにしてくれないことは、その日の食べ物が手にはいらないということになります。
小さいオトマはがまんできずに、ほんの少しならもらってもかまわないだろうと、こっそりよその納屋へしのびこみました。
飼い犬がほえまくり、村人がオトマを見つけてしまいました。
盗みはこの村では重い罪で、村からのついほうが罰というおきてがありました。
ハチブの上に重い罪をかさねてしまい、だれもかばうものなどおりません。オトマは小突きまわされて、からだ中あざだらけでアニマのもとへと連れてこられました。
すべてを了解したアニマはオトマを背負い、もはややさしさを失ってしまった村を逃げるように立ち去りました。
もうすぐ雪が降るかという季節に、すむ家を追われてけが人を背負い、行くところなどどこにもありません。
足は怒りにみちた村から、暗く深い森へむかっていました。
やさしさをなくし、あわれみをわすれ、怒りに我を見うしなった人間というものは、まさしく鬼というのにふさわしいすがたでありました。
人間の恐ろしさをじゅうぶんに知り、身も心もずたずたに傷ついて、ふたりは森の奥にある大きな木の下へたおれこみました。
どのくらいの時間ねむっていたのでしょうか。心地よい子守歌がしていたようにおもえました。
アニマのぜつぼうも、オトマのからだ中のあざも、薄らいでいました。
森の精の歌がふたりをいやしてくれたのです。
あれほどぶきみにおもえた森は、慈愛にみちたやさしさでふたりをつつみこみました。
「アニマ、ごめんよ。おらが盗みにはいったばかりに村を追われてしまって・・・」
なみだ目であやまるオトマを強くだきしめて、アニマはつぶやきました。
「このまま、森で暮らしてゆこう」
森の精は大きくうでをひろげて、見えないすがたのままふたりをつつみこみ、寒さから守ってくれました。
森で暮らしてゆくうちに、ふたりにもふしぎな力で守られていることが、わかりはじめました。それが何であれ、人間よりも信頼できるという安らぎがありました。
森の子としていく歳がすぎて、ふたりともりりしい若者に育ちました。
きびしさとやさしさの自然のおきてを学び、人の子と森の子のふたつの心を持った若者となりました。
ある年、村人たちは森を焼きかいたくしようと計画をたてました。もっと土地があればいくらでも田畑をつくれると考えたのです。
森をこわせば自然のじゅんかんが乱れて、結局は自分たちが苦しむことになることを、わかるものがだれひとりとしていないのです。
森のはしに火がつけられました。
メラメラといやな音をたてて生き物のように炎は舞い上がりました。アニマもオトマも手のうちようがありませんでした。
その時、おどろくほどの大風が森から村にむかってふきました。
炎の触手は村へとうつりはじめました。
村人たちはあわてふためきました。自分たちのつけた火がよもや村をおそうなど予想もしていなかったのです。
炎は森の怒りとへんげし、恐ろしい魔物となっておりました。
この力が何であるかを知っているアニマとオトマは、森の精にねがいました。
「待ってください。おねがいです。村人の罪をゆるしてください。人の罪は人の子であるおらたちのいのちをさしあげることで、つぐないますから」
心からの祈りでした。
みずからのからだを炎の中に投じようとしたその時、ふたりより先に大雨がものすごいいきおいで降りそそぎ炎の怒りをしずめました。
「アニマとオトマよ。
おまえたちは、森の中でほんとうの愛というものを学んでいたのだな。
わたしは、人間もこのいだいな自然の一部なのだということをわすれてしまっていたようだ。
自然をこわすことは、だれであろうとも許されるものではない。
わたしももう神のもとへゆくとしよう。
こののちは、森の子と人の子とふたつの心を持ったおまえたちが、この森をまもり育ててゆくことになろう」
森の精は大風と大雨をいちどきにおこしたため力がつきてしまわれたのでした。
神のもとで、アニマとオトマの森の心が、この先ずっと人の心に残って、うけつがれていることを信じて見守っておられるのです。
《おわり》
comment
『アニマ』という語には
ラテン語の『生命・魂』という意があります。
自然を考えたときに思い浮かぶのは
自然環境と
人間との共存。
そして・・・生命の尊厳。
わたしの書き続けたい世界が
この作品の中にあります
(神戸新聞文芸・児童文学部門入選作)