蝶々

作/直美




電車の窓の外には漆黒のカーテンが下ろされて、街の灯りが織り込まれた模様のように時折きらめく。

単調な揺れの中でどこか知らない場所へ運ばれて行くような気がした。

誰もが俯きかげんで叫べない叫びに悶々としているようにも見える。

気味の悪い静けさが私の心を騒がす。


突然こちらを真っ直ぐ見つめる目にぶつかった。




私を見つめている!




たじろぐことなく見据えてくる視線の強さに威圧されてしまい、瞬間目をそらした。

もう一度窓の中のその目を見たとき、それは私を見ているのではなく闇の中を見つめていることに気づいた。



私の座席から右4つ分離れた場所に腰掛けている美しい女。

その顔が電車の窓ガラスに映り込んでいた。

横を向いて実物を確認した。


柔らかな白のスプリングコートを羽織り、膝をきちんと揃えて真っ直ぐに前を向いている。

肩までの髪にはゆるくウェーブがかかり華やかさを醸し出していた。

横顔の顎のラインがくっきりと贅肉のない知的な印象を与えている。

腿の上に置いた小ぶりの鞄に白い手を添えている。

桜色に塗られた爪が品よく思われた。




薬指に光る指輪を見た。

人妻・・・。

女の頭上の網棚にボストンバックが置かれていた。

旅行からの帰りか・・・。

美しい女というものは、妙に想像を高めてくれる。




売れない物書きの私は、大学を出てからしばらくは好き勝手なことを許されていた。

親父が倒れてからは生きていく上での責任が私に覆い被さってきて、もうそんな自由の時は失せてしまった。

家業を継ぐために実家に戻る。

妻をめとり家族を増やし、老親に孝行しながら、残りの・・・遥かに長い残りの「時」を食い潰してゆくのだ。




前方の窓に目をやった。

女は相変わらず暗闇を引き裂く強い眼差しで前を見つめ続けている。

あの目には映るものは何も見えてはいない。

ただ心の奥深くを覗き込んでいるにすぎない。


ふっと女の顔が歪んだ。ほんの少しだが、変化が見えた。




泣いている!




再び実体を盗み見した。

声を漏らさず、静かな涙だけが黒く濃い睫を濡らしていた。



物書きの性が疼く。

女の生い立ちから、これから向かう道のりを想い描いた。

幾つもの生き様を想い描いては消し、すぐさま別の人生を女に与えていた。

この女は今は私の持ち駒となり、自由自在に幾つもの人生を演じさせていた。




あの涙は・・・


後悔の涙か?


絶望の涙か?


懺悔の涙か? 


生きるのか? 


死ぬのか?




それとももっとも残酷な生き方・・・




                      死んだように生きるのか?


                      死んだように生きるのか?


                     死んだように生きるのか?






目を閉じて、果てしなく妄想の海へ潜り込んでいた。



ガタン!!! 

電車が揺れ戻り駅へ止まった。



目を開けた。


女が私の座席の前に突っ立っていた。

ボストンバックを提げて私を見下ろしている。

正面の顔はことさら美しく、輝いて見えた。

女はすでに泣いてはいなかった。

微かに笑みさえこぼしていた。

整った形の赤い唇が動き、突然言葉を発した。




「わたくしは あなたのために 泣いていたのです」




私は驚愕のために目を見開いた。


耳を疑った。




この女は今何と言った?!




電車から滑るように降り去った女の姿を、窓越しを振り返ってホーム内に探した。

確かに降りたはずの人影を空っぽのホームに見つけることができなかった。





夜のホームに真っ白の蝶々がゆらりと浮かんでいた。



時空の波間を愉しむように高く、低く、ゆっくり...ゆっくり...跳んでいる。






私はこの次の駅で電車を降りようと決めた。




《おわり》





comment


電車の中でいろいろ想像するのが好きです


偶然に出逢った人の中に、忘れられない人も多いです


悠久の時のわずかな春を生きるように


人は

生きているように思います




2001年4月春の夜





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