過日、左京区から京都霊園までの往復の仕事があった。五十歳くらいの薬剤師と彼の母を乗せての往路、花園駅近くの民家の玄関の前にそれは咲いていた。
後部座席で「母さん、あの花はなんていうの?」足が不自由らしい彼の声はとても優しい。
「あれ、何やったかいな。あれは白いけど、薄紫やらいろんな色があるんやったけど。何て言うたかいな。」 年老いた母は半眼になる。
「むくげでございます。」落ち着いた声だ。
「そや、そや、むくげやった。」母は目を見開く。
上品なタクシー運転手は続けて「ハングル語でムーグンファと言ったと思います。韓国の国華でございます。」と、のたまう。
夏に咲く花は少なく、近頃、百日紅(さるすべり)が、庭木として流行しているが、以前から在日の家庭のみならず結構あちこちで見かけた。そして、私は、この歌「ウリナラコ」が歌えるのだ。
こうして優しい親子は、好むと好まざるとに関わらず私の独壇場に上がらされることとなる。
帰路があるとはいえ、洛西までの30分、太閤秀吉から先の戦争までの日本の植民地化政策から、在日における旧朝鮮籍と韓国籍の微妙な関係、ハングル文字の生い立ちから、その為の訪韓日本人のハングル酔い、宮廷料理と両班(ヤンバン)の説明からおいしいキムチの漬け方。
そうそう、肝心な桜の木を強制してムーグンファを切っていった日本の同化政策の話も。そのためには参千里の山河に再びムーグンファの木を植えていくことを誓った「ウリナラコ」(私の国の花)をハングル語で歌わねばならない。「イムヂン河」を歌う時間はあるかしら?
墓参を済ました親子の帰路は穏やかで、車内は落ち着いた雰囲気の中にも話題は多く、長い乗車時間も苦にならずにいていただけたのでしょう。沢山のチップは私の「歌」に対してのものと理解しています。