直線上に配置
高 知 ニ キ
 父親の家業を継いだものの、30年経ったところで自主廃業。タクシーに乗り始めて4年目の私ですが、後部座席で繰り広げられる会話と言うものは、兎に角、開けっぴろげで忌憚無く、なるほどと感心したり、そんな考えもあるのかと驚いたり、短編小説を読み聞かされてるかごとくの毎日です。たぶん、車の中が適当な密室で、運転席の私とは、運賃を介したその場限りだけの気楽な関係というものが、お客たちの会話をそういった「あけすけ」のものにさせるのでしょう。文字どうり甘い話。辛口の話。心が温まった話。人情の冷たさを感じた話。おいおいとお話させてくださいな。
 今回は、無線でお迎えに行ったときの話。誘導でついたお家は大きくて、バターと小麦粉の焼けるいい匂いがしていた。新品の車椅子のおばーさんと、姑とお嫁さんと言うのは、関係を表すためだけの表現であって充分に年の行った二人の女性のお客であった。やっと車椅子から後部座席に移ったおばーさんは、腰がかなり痛そうで、たぶん「骨こっ租症」もあるとすぐ推察できた。介護の老嫁が声を掛ける。「もチョット、こっちむかはったら。」「できひん。」「でもそのままやったらしんどいやろ。」「できひん、ほっといて」この後もこの手の会話が何度か繰り返される。痛いのかもしれないが、兎に角、頑固なババーである。これまでの、この二人の関係が想像される。そして、このおばーさんは、介護され慣れていないことに気付いた。病人と、介護者と言う新らしい関係に、まだ順応できていない新人の病人であることに気がついたのであった。病気だけはある日突然やってきて、突然、病人となるのだ。訓練、修行期間と言うものが無い。そうだとしても、このおばーさん、お嫁さんに甘えることを覚えたら、きっと、いい関係が生まれるのにと思った。そしてそれは、好むと好まざるとに関わらず、遅かれ早かれそうなるものとも思われるのだが。
 ところで、この陰険とも思える雰囲気のふたりが、わが車を降りていく時、私が親切な介護をしたとはいえ、その二人の別々の口がしゃべった、私の労へのねぎらいの言葉は、なんとも上品なものであった。