歴史上、早い時期に樽の発明があったために
大容量の保存と運搬を可能にし
甕(かめ)文化の中国以上に「日本酒」と言うアルコール飲料を
日本全国に広範囲に普及させ
さらに発展させたとは言うものの
日本人が特別な「ハレ」の日でもないのにお酒を飲む習慣
つまり「晩酌」などと称して日常的(「ケ」の日)に飲酒するようになったのは
歴史的にみればごくごく最近の事である。
 かつては、酒は人を神に近付けてくれる梯(かけはし)の役割を持っていた。
この役割は、人に於いては女性が担った。
昔は、人よりも格段に高みにいる神に近付くためには
女性のヒステリック性(狂気)が必要と考えられていたからだ。
したがって、ヒステリック性の希薄な男性は
飲酒によってハイテンションを取得して神に近付こうとした。
世界の民族を調べれば
これが「酒」であったり
「薬物」であったり
時には激しい「ダンス」であったりした。
薬物はそのまま「ぶっ飛び」の状態にしてくれるし
無心に激しく体をゆするダンスは脳そのものに
「ぶれ」を与えるし
それが長時間に及べばいわゆる「Running high」の状態にもしてくれるからだ。
それゆえに「酒」は、人と神を結びつける行事、特に「お祭」では
収穫祈願であれ、収穫感謝であれ、他の願い事であれ
重要な役割を担ってきた。
現在も「お祭」は酒抜きには成り立たないが
お祭りや祝い事が無くても日本人が日常的に飲むようになったのは
この100年ほどの間で徐々に増えてきたのである。
これは、経済的ゆとりから来ることは論を待たないが、
具体的には原料の「米」の生産量の増大が最大の理由であろう。
歴史上、米の生産量と酒の生産量(消費量)は比例するからだ。
 
 米を材料にするこの酒は、不思議な食品でもある。 
米の持つでんぷん(糖質)をアルコールに変えるのに
微生物である「菌」の力を借りねばならない(発酵) からだ。
この発酵過程を「醸造」というが
古代日本では
この発酵菌である酵母菌が特定できないうちは
無垢の娘達にご飯を口に入れて「噛ませ」ることにより
唾液中の酵素や菌と混ぜて後吐き出して
酒造りをしたからこそ、この字が充てられている。
醸造の醸は醸す(かもす・噛もす)から来ているのです。
無垢の娘達に限ったのは、第一義が神のための酒であったからに他ならない。

 水のよくないと言われるヨーロッパでは
ビールやワインのような比較的アルコール度数の低い醸造酒は
水代わりに飲まれていたらしいが
ゲール語(イギリスの古語)で命の水(ウイスゲン)と呼ばれたウイスキーや
ワインから作るブランディのような
高アルコール度数の蒸留酒は高価で貴族の飲み物であり
大衆にとってはせいぜい「気付け薬」として利用される程度だった。
大衆がアルコール度数の高い酒を飲むようになったのは
ジンやラムのような安価な酒が出現してからであったようだ。
 九州以西に見られる蒸留酒であるところの焼酎類の中に
高アルコール度数の物があることも承知してはいるが
比較的、欧米に比べて日本の「酒」が低アルコール度数であるのには
民族としてのそのDNAが影響しているようだ。
酒を飲んで、アルコールの血中濃度が高くなると
「酔い」は、ほろ酔いから泥酔へと、
ひどくなれば不覚、昏睡と、命を危険にさらすことさえある。
酒を飲んで脳に与える影響は脳細胞を破壊することのほかに
実はこちらの方が怖いのだが
大脳皮質の新皮質層の内側にある
旧皮質層(タブーや禁忌)や核質層(本能)に働きかけて
ひどい言動や行動を起こさせることである。
肉体的には、肝臓がアルコールを解毒しようとして懸命に働くが
アセトアルデヒドを水と二酸化炭素に分解しようとする行為であるが
本来、これには分解酵素が必要であるが
この分解酵素の所有量は、それぞれが生まれつきのDNA
に定められているらしいのである。
WHOの研究機関によると
例えばこの分解酵素を十二分に所有している人
つまりお酒に強い人をD
所有してない人つまり下戸をN
その中間をDNとすると
その人口比は欧米では
D 50% DN 40% N 10%
日本では
D 10% DN 50% N 40%
と言うことらしいのです。
ここで、この数字がいくつかの事を物語るように思われる。
欧米人に比較して日本人は
お酒に強くないと言うこと。
したがって日本人はアルコール中毒(アルコール依存症)者
が少ない。
中毒になる前に、肝臓病などの内臓疾患で倒れるからだ。
また、「酔っ払い」に対しても欧米に比して
日本は寛容であることの理由。
日本人が経験的に飲めないかやや飲める層が多いことを理解しているからだ。
欧米で「酒の上の失敗」が厳しく処断されるのは
飲める人が50%を占めている社会だからだ。
はたまた、アルコール度数が比較的低い15%程度の日本酒が
愛飲されてきた理由でもある。

 アルコールの分解酵素を生まれつきあまり持ち合わせていない
勤勉であらねばならない農耕民族たる日本人が
神に近付くために飲み始めた酒を
「ハレ」の日でもないのに今日も飲もうとしている。
狂気のためか?
妙薬としてか?
それとも惰性か?
酒は百薬の長と言うけれど…

 経済的にそう恵まれていなくても
肴や
酒は
何とか手に入るものだ。
それに付けても不足するのは
気の置けない
気心の知れた飲み友達なのだ。

                
                                        03/04/25
酒は百薬の長
追記: この文章を書いて2週間たった頃
     ある本を読んでいて
     この文のタイトル「酒は百薬の長」は単独の諺(ことわざ)でなく
     対句の片側であったことを知った。

     漢の王莽(おうもう)が下した詔書に曰く
     『夫レ塩ハ食肴之将、酒ハ百薬ノ長』とあり 
     「それ、塩は食肴(しょっこう)の将」の対句だったのです。
     
     あまりに感心しましたので追記しました。       (03/05/14)