毒は、毒をもって制す。
かつて、プロ野球の選手で、毒島(ぶすじま)という姓の人がいたことを
記憶している人もいると思われますが、どうでしょうか?
毒という字を『ぶす』と読ますのは、あの神経を麻痺させる
猛毒の鳥兜(トリカブト)からきているものと思われます。
この草花の根が猛毒を持っておりますが、漢方では、ほんの少量を用いて
「神経痛」の治療の際に鎮痛剤として使われたりしますが
これを附子(ぶし・ぶす)などと呼んだことから
毒=トリカブト=附子=ぶす となったと想像しています。
この鎮痛剤、まさに、毒(病)は毒(薬)をもって制すですね。
ずばり、この『毒(ぶす)』 というタイトルの
狂言があることを御存知の方も多いと思われますが
同じコンセプトで書かれた「一休さん」の話の方が
さらに有名ですよね。
お出かけの和尚さんが、壷に入った大好物の水あめが心配で
「あれは毒です」と言ってお寺を出た後
小僧の一人が、和尚が寵愛している大切な盆栽を壊す。
泣く朋輩の小僧さんを慰めるべく
一休以下、小僧みんなであの壷に入った
美味しい水あめを残すことなく、みな食べてしまう。
寺に帰って、大切なもの二つを失った事を知った
和尚の怒りの前での
一休の抗弁がとんちが利いている。
「和尚様が、大切にされている大事な盆栽を壊してしまい
みんなで死んでお詫びする以外道はないと思い
壷に入ったあの毒をみんなで舐めましたが
少量では死にきれずみんなで凡てを舐め尽くしましたが
こうして死なずにおります。お許しください。」
美味しいものを独占しようとした和尚は一休に
一本とられました。
これもまた、別の意味で
毒(和尚)は毒(一休のとんち)をもって制すという事になります。
亡くなった桂枝雀さんの落語(お菊の怪談話)のマクラに
「幽霊はもう、美人と相場が決まっておりまして
夏になりますというと、あちこちに出没いたします
幽霊やみな美しいおんなの方が多いようでして。
その点、不細工(ぶさいく)なおんなの幽霊はございませんで
もしあったとしてもそれは、『お化け』と言うんやそうでして…」
幽霊といえば、四谷怪談のお岩さんを思い出しますが
元赤穂藩士の浪人、民谷伊右衛門は
新しい仕官の口と新嫁を世話するという話に目がくらみ
邪魔になった妻身重の岩に
少しずつ 毒(トリカブト)を飲ませます。
そうとは知らない病床の岩はけなげにも飲みつづけます。
やがて、恐ろしい顔になった岩が
鏡の前で髪を梳く場面は
髪の毛がばさっと抜け落ちて
いやが上にも盛り上がる怪談話のクライマックスです。
ブスというのは「ぶすな顔の女の人」の短略形ですが
ぶすっとしてお話をしないからそう呼ぶのではなく
毒(ぶす・トリカブト)を飲んだ顔が
幽霊のお岩さんみたいになるので「毒(附子)顔」から来ています。
(注: 女性にとっても、その顔は人間を形成している一要素に過ぎないと
フェミニストの私は考えており、「ブス」などという美醜の問題は
極めて主観的な問題であり、ここで取り上げるべきでなかったと
深く反省しています。
美しいと思っている人は、そう問題にはしないだろうから
気にしなくても良いだろうが
ブスだと思っている人はきっとお怒りになっているに違いない。
直接、おひとり、おひとりに謝罪しに行きたいのは山々だが
それでは、私の主観がもろに出てしまうのでどうしたらよいだろうか。)
韓国では今も、お嫁入り道具として銀の食器が持っていかれるのだろうか?
李王朝のころ、政略結婚などでは「嫁」がセッティングしたテーブルや
政敵の放った暗殺者が仕組んだ食卓で
もしも食器に毒が塗ってあったりしても
銀の食器なら、その部分が曇ってすぐに見破る事ができるらしい。
風習として、かつての意味無く今も続いているかもしれないのですが。
古代インドでは「孔雀王」と呼ばれ
神格化されるまでに尊ばれた孔雀は
その羽根を開いた華麗さとは裏腹に
噛まれれば人間はすぐに死んでしまうほどの猛毒を持つ
毒蛇(コブラ?)をえさとして食べ、その毒にやられる事も無いため
様ざまな神に化身して今日に伝わっています。
近頃の私の頭は、毒が回ってきて
集中力が途切れ、思考中の問題を忘れたり
思考が分散したり、ひどいもんです。
そのことでいらいらしたりする事もあり
毒(頭がパー)は毒(酒)を持って制する事に
一生懸命です。
02/07/01