袖振り合うも多生の縁
表題の諺(ことわざ)を「袖擦れ合うも多少の縁」というように覚えている人が
案外、多いかもしれません。
もっとも表題の「振り合う」とは、覚え間違いの「擦れ合う」と同じ意味ですから
そう大きな問題はなさそうです。
問題は2つ目のの傍線部です。
「多少」というのは、少しと言う意味ですが、これは明らかに間違いですが
「他生」と言う誤用もあり、正しい漢字の「多生」とは混同しがちでしかも意味をしっかり
理解するのは多少難しい。
他生の縁: 前世、来世。 今世以外からの縁を言うが俗用です。
多生の縁: 生き物は輪廻転生(りんねてんしょう)して多くの「生」を生きますが
その多くの「生」を経る間に結ばれる深い「縁(えにし)」。
しかし、以上の事を知っていようがいまいが
昼からある得意先との商談にも、夕飯のお惣菜つくりにも、明日の数学の中間テストにも
何の影響も無いように思われるがどうだろうか。
それを承知であなたに議論をふっかけようという訳です。
付き合って下さるでしょう。
「袖振り合うも多生の縁」と言うではないですか。
ハンバーガーショップ等の『ハンバーガー』はお好きですか?
私は「おやつ」としては食べますが、食事としてはなかなか胃袋が承知しません。
家に帰ってもう一度「お茶漬け」を食べたりします。
この「ハンバーガー」というものは「ハンバーグ」をパンにはさんだものと承知していますが
このミンチ肉を固めて焼いた食品は、ドイツの都市ハンブルグで発祥、発展、世界に発信
(ソーセージでは、フランクフルトが有名ですが)されたものですよね。
だからこの食品を英語読みでハンバーグ、
パンにはさんで「ハンバーガー」と呼ぶのは何の問題もありません。
ところが、このパンからハンバーグを抜いて「照り焼肉」をはさんで
「照り焼きバーガー」と言うのはどうでしょうか。
まるで「バーガー」という言葉に、何かをはさむという意味があるみたいです。
このネーミングはあまりにも考え浅く滑稽で、
日本人が英語圏でも使えると誤解しそうで、実は心配しています。
高名な作家や、大きな韓国レストランが堂々と『チゲ鍋』などと表記しているのにも
驚かされます。
チゲとは、ハングル語で鍋を意味しており、「なべ鍋」とは如何にも情けない。
たぶん、あのピメンテの入った辛いチリソースのチリのイメージが
「チゲ」とごちゃ混ぜになったものと想像しています。
テレビ番組の「どっちの料理ショー」や一部の食堂で気になるのは
「とり南蛮(なんばん)」や「カレー南蛮」という表記。
あるいは、油で揚げた魚を甘酢に浸けただけの「魚の南蛮づけ」。
南蛮とは、南蛮渡来の唐辛子(鷹のツメ)を意味しており
前者の「とり南蛮」や「カレー南蛮」の南蛮は、難波(なんば)の間違いであります。
「難波」とは、ご承知の大阪の[ミナミ]の事で
昔は、「葱(ねぎ)」の一大集散地であったから
品質のよいネギの代名詞として難波と呼ばれてきました。
後者の場合の「魚の南蛮づけ」では、
調味液に必ず唐辛子が入っている必要があるのに入っておらず
油で揚げて甘酢に浸けたものを「南蛮つけ」だと誤解しているものと思われます。
覚え間違いや、大胆な誤用がまかり通っていることがたくさんあり
他人のそれを発見したときは楽しいものですが
自分が長い間「こうだ」と思い込んでいたことが
実は間違いであったと気付いた時には
耳のうしろまでまっ赤なるほど恥ずかしいものです。
もっとも、誤用や、言い間違いから定着した言葉も多くあり
「赤信号 みんなで渡れば怖くない」ということかもしれませんが。
「天衣無縫」に生きてこその人生かも…。
02/06/25
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注: 自由奔放に生きることを「天衣無縫」というのは間違い。
天女(人)の衣には縫い目が無く、転じて文芸作品や人柄などが
完全な事を意味する。
「天真爛漫(らんまん)」の誤用であった。
一部辞書では、この誤用も容認していますが
はっきり間違いであります。