本誌も今回をもって第5回となりました。
この間、発行人のミドルネームのいわれに関するご質問が多数あり、
この際きちっとした形でお答えすべきと思い、
私事に関する事ながら本誌に掲載させていただく事と相成りました。
亀岡盆地にある「大本教」をモデルにした小説[邪宗門]に代表される
小説家、故高橋和己氏は、京大中国文学科の助教授でもありましたが、
その著「六朝(りくちょう)美文論」中でこう書いています。
詩を読む態度としては、作者がその詩をとうして思われたがっているように鑑賞するのが正しく、
懐疑の目を向けたり否定的に読んだりすることは作品に対する冒涜であると。
読み手は、いつもこのことを忘れてはいけないようです。
そういった鑑賞態度と、詩であれ小説であれ、
あるいはこの三文誌であれ
作品の[質]そのものの評価は、別の問題であり
「文人は、しばしば虚談をなす。」ということも事実であリます。
最も多い質問は、発行人が刺激的食品をコーヒーを含めて口にしないこと、
黒色の服を好むこと、
穏健な性格等から推察してモルモン教徒であり、
ミドルネームはクリスチャンネームではないかという事ですが、そうではありません。
次に多い質問は、
発行人の顔が堀が深く日本人離れしていることから、
ハーフまたはクゥオータ―ではないかと言う事ですが、
これも信じてもらえないかもしれませんが純粋の日本人なのです。
これは少数の人からの指摘でしたが
[ナイトクラブで歌っているのを見た]というのがありました。
若気の至りでレコード歌手を目指したものの、
デビューできずにナイトクラブで日銭稼ぎに
この名前でラテンナンバーを歌っていたというものですが、
カラオケ屋での発行人の姿を目撃者の記憶がどこかで混線したものと思われます。
ジェームス三木じゃあるまいし。
メールではアルファベットを使用していますが、
失礼極まリない質問もありました。
「綴りおうてんのか?」
これにはどきどきしましたが、
基本的には名前の場合、綴りは何でもありだということで居直っています。
さて、本論の正解ですが
「言わぬが花」ということもあり折をみてのこととさせていただきます。
次回では、いよいよ平安中期の陰陽師(オンミョウジ)「阿部晴明(あべのせいめい)」
について語ります。
ご期待ください。