My boom [マイ ブーム] 2
1月17日〜21日青森旅行記 B
朝一番にまたもや44度の矢立温泉に。朝食後、昨日行けなかった川内から脇野沢
九艘泊(くそうどまり)まで案内していただいた。
下北半島はよくマサカリに例えられる。陸奥湾を望む野辺地がマサカリの柄を握った
右手の小指の爪ならむつ市は親指の先あたりになる。刃の先端部分のてっぺんが大間崎、
一番下が脇野沢、その先っぽに九艘泊。マサカリの柄と鉄をつないだ一番シッポの
てっぺんが尻屋崎(今回は行けなかったが、雪に立つ姿が美しい南部藩の軍馬であった
寒立馬〔かんだちめ〕で有名)という事になるだろうか。
先ず始めに大湊にある海上自衛隊の基地に立ち寄った。 海上自衛隊艦船
海岸でアサリを採集中の婦人
率直な感想、「こんなに小さいアサリでおかずになるのかなぁ。」

川内温泉〔スパウッド〕の浴室 脇野沢海釣り公園から見る鯛島

九艘泊ではフノリを採取されていた。
1月20日の午前中の脇野沢までのドライブは
気持ち良いほどの上天気だったが、むつ市内か
ら今日の宿泊地の浅虫温泉までは視界が数十メ
ートルになるほどの大雪だ。宿まで送ってくだ
さった石井さんの帰路(ご自宅のあるむつ市まで
約80キロ)が心配になるほどだった。
宿屋「つばき」玄関 料亭並みの夕食

夕食後津軽三味線を聞く。 露天風呂はアベック用?

部屋 朝食には自家製豆腐が出た。

浅虫駅から特急で青森へバスで空港へ
凡てが順調で10時15分青森空港発のJASに搭乗すべく1時間前に空港に着いた。
12時少し前にはもう伊丹だ。搭乗も定刻に始まった。雪の空港よ、さようならだ。
しかし、しかしである。滑走路まで行きながら引き返したり翼の雪を払いのけたり、よう
やく翼の雪を払いのけたら、滑走路の雪をブルドーザーでよけなければならなかったり
等、等、等。2時間20分にわたってシートベルトをつけたまま航空機内に缶詰状態で
待たされた。この悲しくもおかしな話は、また別の機会にゆっくりお話したい。
この日が私の52回目の誕生日だという事も含めて。人生の旅は、まだつづく…




雪で行けない所はあったが1日半かけて
下北半島を案内していただいた。
むつ市の釜臥山には自衛隊の北方を睨んだ
強大なレーダー基地があり日本海を潜航する
他国の潜水艦も捕捉出来ると聞いた。大湊には海上自衛隊の航空隊もいる。艦船の入港は
大きな経済効果をもたらすとも聞いた。
半島の付け根には石油の備蓄基地や原子力発電所もある。
美しい自然がたくさん残るが、冬の寒さや雪は壮絶だ。尋常ではない。厳しい生活に開発
や経済効果をもたらすもの達は受け入れざるを得ないだろう。ただし厳しい自然がそういった人工的なものを拒否している面もある。
今後ともこの美しい自然と人の営みがバランスを崩すことなく発展する事を願っているのは、私一人ではないだろう。また、その方言とゆったりとした人情に触れる度に訳もなくただ急いでいる自分が恥ずかしく感じられた半島の旅でもあった。
浅虫温泉の開湯は古く天台の慈覚大師がこの地に布教の折に発見されたとか。
元は入浴法から麻蒸の字をあてたが、蒸が火を連想させる事から浅虫の字が使われるようになった。青森市の奥座敷として発展。
私の泊った『宿屋つばき』は棟方志功や太宰治等の文化人がよく泊った『椿館』の姉妹旅館である。料理も美味しく、仲居さんも優しくて掃除も行き届いており気持ちのいい宿だった。
温泉、温泉、温泉、また温泉…の旅、天候にも恵まれて同行の斉藤氏、むつ市の石井御夫妻にも感謝して、あとは飛行機に乗って…。