松尾武清君を偲ぶ
幼稚園からの幼友達を1998年病気で失った。彼を偲びこページを作成した。

尾瀬ハイキングのときの松尾君のスケッチの一部
1.思い出の写真
幼稚園の友達と左端が松尾君、右から2人目が私。 松尾君の自宅で自作の模型電車で遊ぶ。 1956年。中学2年。自宅の玄関先で写す。 中学校では卓球部でいっしょであった。
中学3年卒業時。生徒会のメンバーとともに。 高校一年の春。二人で自転車で生石山に登る。 大学1年、京都に来た松尾君と有本君3人で三千院へ 大学1年の夏。西中の生徒会の仲間で尾瀬、日光へ。
1970年11月私の結婚式にて 1989年8月14日同期会にて マリナシティゴンドワナでの西浜中学校の同窓会。 1997年8月17日松尾君の雲雀ヶ丘の新宅。これが最後。
2.インターネットに残る彼の足跡     「松尾武清」で2002年6月17日に検索した結果
  大阪大学の教授であった彼は、高分子量物質の質量分析が専門であるが、最近では宇宙で使う質量分析装置の開発に意欲的に取り組んでいた。
Poster '96 MS       http://matsuo.phys.wani.osaka-u.ac.jp/toyodam/IonTrap/96MassOHP/
RFイオントラップを用いた分子イオンの光解離の研究
Study on Photodissociation of Molecular Ions by Using RF Ion Trap ○豊田岐聡,木村正広,松尾武清
OHP 1995年物理学会  http://matsuo.phys.wani.osaka-u.ac.jp/toyodam/IonTrap/95autPhysOHP/
イオントラップを用いた色素分子の光解離    ○豊田岐聡,木村正広,松尾武清
OYO BUTURI, Vol.49, No.5 (1980)    http://www.jsap.or.jp/ap/1980/ob4905/cont4905.html
解説 “インコヒーレント−コヒーレント”光画像変換素子とその応用    (西原 浩) 
三次元屈折率分布の測定 (岩田 耕一) 、高分子量物質の質量分析(松田 久,松尾 武清,交久瀬五雄) 
00159 櫻井 達   http://www.jaist.ac.jp/~sinkou/1997/gyo/00159gyo.html
4)伊藤 啓行,市原 敏雄,交久瀬 五雄,櫻井 達,松尾 武清,松田 久:「二価に帯電した水銀クラスターの観察」:1996年度質量分析連合討論会,(April1996)
一般講演(2-O2-07〜2-O2-11) http://www.sanken.osaka-u.ac.jp/labs/mac/ms99/proj/p2o27_11.html
2-O2-08 ロゼッタミッション搭載計画中の飛行時間型質量分析計のラボラトリーモデルの開発 (阪大院理・マックスプランク研) ○石原盛男・豊田岐聡・伊藤啓行・山口真一・交久瀬五雄・松尾武清・R.Roll・H. Rosenbauer
DOCTOR'S DEGREES     http://baloo.cc.uec.ac.jp/limedio/rap/1996/dplist_1996_12.html
フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析の精度と定量性の向上に関する研究
○井上雅夫 教授・大谷俊介 教授・大橋 守 教授・松澤通生 教授・松尾武清 教授(大阪大学) 
http://www.kanazawa-med.ac.jp/~mri-hg/926.htm
● 質量分析法による変異βグロビンβ43 Glu-Glnの同定    金子理奈1,松尾武清1,和田芳直 2
年会長 挨拶   http://www.kanazawa-med.ac.jp/~mri-hg/chairman-m.html
シンポジウムも3つのテーマを採り上げ、初日に蛋白質やDNAなどの高分子化合物の構造解析の医学応用をテーマに和田芳直先生、松尾武清先生に、2日目午後には免疫疾患、腎疾患、糖尿病、老化あるいは妊娠糖尿病などの疾患解明、疾病の予防、早期診断、モニタリングなど医療に直結したテーマで前田憲志先生、芳野信先生にそれぞれ、企画から司会までをお願いしました。
http://www.kek.jp/jps96a/15.html
8 イオントラップを用いたローダミンイオンの準安定励起状態の寿命測定 阪大理 豊田岐聡,木村正広,松尾武清 
日本惑星科学会秋季講演会プログラム   http://harbor.scitec.kobe-u.ac.jp/~kamei/JSPS/program.html
11:24 925 多重周回タイプ飛行時間型質量分析計のラボラトリーモデルの製作  松尾武清、石原盛男、○豊田岐聡、伊藤啓行、山口真一(阪大・理・物理)、交久瀬五雄(阪大・理・宇宙地球科学)、R. Roll、H. Rosenbauer(MPIA)
http://www.gfd-dennou.org/arch/shosuke/jspsweb/newsletter/81.jis
11:24 925 Construction of a laboratory model multi-turn TOF/MS forCOSAC project of Rosetta mission 
多重周回タイプ飛行時間型質量分析計のラボラトリーモデルの製作  松尾武清、石原盛男、○豊田岐聡、伊藤啓行、山口真一、交久瀬五雄(阪大・理・物理)、R.Roll、H.Rosenbauer(MPIA)
Mass Spectrometry Conference, 1997   http://www.nara-wu.ac.jp/rigaku/mass/program-jp.html
1-P-11 ES-MSによるルテニウム(II)重水素化ジアミン錯体の光脱水素酸化反応の解析
     (阪大工・阪大理)○松田文和・松林玄悦・松尾武清・荒川隆一
1-P-16 ESI-MS法によるキラルクラウンエーテルホスト-キラルゲスト
     コンプレクセーションの評価(2) (阪大産研・阪女大・阪大工・阪大理)○高井嘉雄・山岡寛史・堀口宏伸・
                   荒川隆一・松林玄悦・松尾武清・澤田正實
10月5日 A 会場    http://www.apchem.nagoya-u.ac.jp/butsu3/Program3a.html
IIIA313 ESI-MSによるクラウン化マラカイトグリーンの金属イオン錯形成光制御の直接検証 
(阪大院工・阪大院理)○荒川隆一・松林玄悦・木村恵一・横山正明・松尾武清 
研究業績調書その1  http://www.sci.osaka-cu.ac.jp/~doe/publist.htm 
30 On-line Electrospray Mass Analysis of Photoallylation Reactions of Dicyanobenzenes by Allylic Silanes via Photoinduced Electron Transfer  共著 平成 9年  Int. J. Mass Spectrom. Ion Proc., 160 (1997) P.371〜P.376.
アリルシランによるジシアノベンゼンの光励起電子移動によるアリル化反応の反応中間体や生成物をエレクトロスプレーマススペクトル法によってオンラインで分析し、反応メカニズムを解析した。実験指導、考察等を担当
荒川隆一、Lu Jian、水野、井上、土江秀和、松尾武清
田中さん、授賞対象論文は独グループと1カ月違い 

2人の日本人がノーベル賞を受賞したことを記念して、日本科学技術振興財団は12日、「緊急講演会」を東京都内で開いた。化学賞に決まった島津製作所の田中耕一さんの授賞対象となった論文は、それを改良した独グループの論文より投稿がむしろ1カ月遅かったこと、しかし、独グループが自分たちの業績は田中さんの発明に基づくことをフェアに引用していたことなどが紹介された。
 田中さんの業績が世に出るまでの経緯を、明石知子(さとこ)・横浜市立大助教授が説明した。「MALDI法」は、独ミュンスター大のフランツ・ヒーレンカンプ教授らが命名。その論文は、米誌「アナリティカル・ケミストリー」に88年5月に投稿された。田中さんの発明を基に改良し、精度が上がり、使いやすくなった。欧米メーカーが開発に乗り出し、世界中に普及した。

 この業績で、同教授らは97年に米質量分析学会賞を受賞。「すべてヒーレンカンプ教授らの業績と思っていた研究者も多い」と明石さん。

 しかし、同教授らは論文の中で、原理は田中さんの発見によることを引用していた。田中さんが、87年の日中連合質量分析討論会(兵庫県宝塚市)で発表した際の英語の要旨集から、原理を知ったためだ。

 田中さんは、討論会に参加していた故・松尾武清・大阪大助教授(当時)に「とにかく1週間以内に英語で論文を書くよう勧められた」という。

 だが、田中さんたちが論文を、松尾助教授が編集に加わっていた別の米専門誌に投稿したのは88年6月6日。独グループの方が投稿は先だった。

 田中さんらの研究を明記した独グループの姿勢は、オリジナリティーを尊重する研究者の倫理に添うものだった。田中さんは、同教授らがノーベル賞の共同受賞者に選ばれなかったことを「残念」と話す。 (21:44)

ノーベル賞:専門誌受理はタッチの差 田中さんの論文

 ノーベル化学賞に決まった島津製作所の田中耕一さん(43)の受賞対象となった、たんぱく質の新しい質量分析法の論文が専門誌に受理されたのは、同様の内容を執筆した独ミュンスター大のフランツ・ヒレンカンプ教授らの論文より、わずか1カ月早いだけだったことが分かった。12日、東京都内で開かれた講演会でこのエピソードを紹介した明石知子・横浜市立大助教授(生体超分子システム科学)は「発表された研究内容から、国際的に著名なヒレンカンプ教授が受賞したと思った。しかし、ノーベル賞は誰が最初に発見したかにこだわる。審査は厳しいが、研究者に希望を与える」と語った。

 田中さんの論文は88年6月6日、質量分析の専門誌に受理された。「提出と同時に受理が認められた。編集責任者の一人だった松尾武清・大阪大教授(故人)の後押しがあったため」と明石さんは説明する。

 一方、ヒレンカンプ教授らの論文は別の専門誌に、田中さんより早い同年5月16日に提出されたが、受理は約1カ月遅い7月5日と、ほぼ前後する関係だった。

 ただ、田中さんは85年にこの研究成果を達成していた。化学賞を選ぶスウェーデン王立アカデミーも授賞理由で、田中さんが87年に日本国内で発表した内容を引用しており、厳しい審査で、田中さんの研究が「世界で最初だった」と認定したとみられる。 【田中泰義】

[毎日新聞10月12日] ( 2002-10-12-20:20 )