〜 南丹市でのバスケットボールの主な歩み 〜

■ 昭和30〜50年代
 南丹市でのバスケットボール競技の歴史は、旧園部中学校、園部高等学校のバスケットボール部活動を中心に、盛んに続けられてきました。

 昭和30年代からは、故「湯浅晴三」先生ら、熱心な先生方を指導者としてバスケットボールの強化が進められ、多くのバスケットボール愛好者が誕生しました。
 南丹地域を中心に、京都府内でもプレーヤー、または指導者や関係者として活躍をしています。

 昭和40年代の後半から昭和50年代にかけては、園部高等学校では女子バスケットボール部が、京都府大会において優勝はおしくも逃したものの、準優勝をはじめ、常にベスト4の位置を占め、京都府内では強豪としての地位を確立しました。
 また、近畿大会への出場はもちろん、京都府代表選手として国民体育大会への選手出場など活躍をしてきたところです。

 男子部においても、活発な部活動が続けられ、男子、女子ともに、日本体育大学、京都産業大学、中京大学をはじめとしたインターカレッジでのバスケット活動、また、三菱電機など旧日本リーグなど女子実業団チームでのバスケット活動にも多くの卒業生を排出してきました。  
   
  そのような状況の中で、昭和58年には、地域競技力の向上を図るため、児童期からのバスケットボールの普及を進め、園部地域でミニバスケットボール教室が開催されるようになりました。
■ 昭和60年代以降

 昭和62年には園部ミニバスケットボールクラブが誕生。
 多くの子供達が参加し、当時から活発に活動をしていた亀岡市のクラブや京都府内のチーム、また大阪府内との交流ゲームなどが行われるようになりました。
 京都府大会でも上位成績を残すようになるとともに、近畿大会や全国大会にも出場し、実績を上げるようになりました。
 また、多くの卒業生たちが高校や大学、一般や実業団チームなどでも活躍をするようになりました。
 現在では、ミニバスケットボールの卒業生たちが、指導者として地域の子供達にバスケットボールを指導し、継続した活動が続けられている状況になっています。

 八木地域でもミニバスケットボールの活動が盛んに行なわれるとともに、日吉、川辺など様々な地域でミニバスケットボールクラブが誕生し、子どもたちの健全育成とバスケットボール競技の普及、促進が図られているところです。

■ 地域での活動

  地域でのバスケットボール活動としては、園部高校の卒業生らを中心に一般男子チーム「DAX(ダックス)」が昭和46年に結成され、京都リーグ、亀岡リーグで活動を続けるとともに、メンバー達が地域でのミニバスケットボールの普及、指導にも取り組んでいます。

 昭和63年の第43回国民体育大会京都大会では、亀岡市とともに八木町がバスケットボール会場となったことを受け、地域での実行委員会体制が確立されるとともに、フィリピンからチームを招き国際交流試合を開催するなど、地域でのバスケットボールに対しての意識の高揚に向けて、各種の取り組みが進められました。
 そして、八木地域においては「八木町バスケットボール協会」が設立をされ、現在も多くの関係者の協力により活動が続けられてきているところです。

 現在では、一般女子のクラブチームも結成され、「クローバ−」が京都リーグへの参加や近畿大会への出場など、活発な活動の中にも楽しさのある活動が続けられています。

  あわせて、京都府民総合体育大会バスケットボール競技にも、毎年、南丹市チームとして男女とも出場しており、ベスト4に入るなどの好成績も残しています。

 その他にも、南丹市内にある明治国際医療大学、京都建築大学校、京都医療科学大学などの学生により一般男子チームが結成されるなど、新たなバスケット活動が活発に行なわれています。

■ 南丹市誕生後

  南丹市誕生後、これまで行われてきた旧町単位での活動を中心に、南丹市全域を網羅したバスケットボールの地域競技人口の増加、普及、そして競技力の向上を目指し、新しく「南丹市バスケットボール協会」を設立しました。

 協会では、地域や世代を超えて愛好家の輪を広げ、交流の場を築くとともに、バスケットボール競技を通じて地域の体育スポーツの普及、振興、交流と、競技力の向上に努めていきたいと考えています。

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