「アポロさま、見てください」
窓に近寄り彼女ははしゃいだ声を上げた。
いつもなら寒い寒いと言って窓には近寄らないというのに、どうしたものか。
書類から顔を上げ、彼女の方を見るとしごく嬉しそうな顔をしている。
何があるのだ、と彼女が見ていた方を見ると白の景色が見えた。ああ、なるほど。
「雪ですよ、雪!」
ハルはニコニコと笑っている。
寒さが苦手で冬が嫌いと言っていた割には雪は好きなのか。
雪なんぞ、寒さの象徴だというのに、どうしてそれは笑って許せるのだろうか。
「初雪ですよ、初雪!」
目をきらきらと輝かせ、子供のように喜ぶハルは今にも窓を開けて飛び出しそうだった。
案の定、雪に喜ぶハルは窓を開け、その寒さにちっとも可愛いらしくない悲鳴もとい奇声を発して窓から飛び退いた。
その直後には寒い寒い、といつもの文句を連呼し始めた。
「寒いならお前が開けた窓を閉めなさい」
いくら今年初めての雪であっても雪は雪だ。
見飽きたそれに興味は薄れ、それよりも書類を片す方に注意が向いた。
しかし。
ハルはそんな私の腕を引っ張って仕事の邪魔をする。
「アポロさま、閉めて下さい!」
「お前が開けたのでしょうが」
「寒くて近寄れません!」
「威張るところではありませんよ」
「だって!」
ハルは泣きそうな顔で駄々をこねる。
もしこれがハルでなければ厳重に処罰するのだが、惚れてしまったがために処罰なんぞ出来なくなっている。それどころか彼女のこんな姿を愛おしいとすら思っている。
平然を装い、愛すべきハルを抱きしめたい衝動を必死で押さえ込む。そして腕を振り払ってじろりと睨み付ける。彼女には全く効果はないのは百も承知だったが。
「自分で閉めて下さい」
「うー、酷いです」
頬を膨らませ腕を組んで不満を全身を使って表現されるが無視をした。
窓ぐらい、流石に自分で閉めさせねばならない。
何でもやってしまうとロケット団幹部としての威厳がなくなってしまう。
しばらくすると彼女も諦めたのだろう、嫌々ながら窓の側まで歩み寄り、瞬きするより早く窓を閉めた。
しかし彼女はそこから動かない。窓の外に見える何かをじっと見つめている。
何が気になったか知らないが、これで仕事ははかどるだろう。
と思ったのも束の間だった。
ハルは再び目を輝かせて一目散に部屋を飛び出して行ったのだ。
上司の前で堂々とサボタージュする部下に、ため息すら出なかった。それがハルという女なのだ。
「……仕方がない」
仕事はしばらく中断だ。
コートを羽織るとハルの後を追い掛けた。
「あっ、アポロさまも作りますか?」
悪意のかけらもない笑みに、言葉はまるで出てこなかった。
指先や鼻を真っ赤にさせながらも楽しそうに小さな雪だるまを作る彼女は、その隣にいる同僚が固まって動かないことに気付いていない。それどころか一人でベラベラと雪の楽しさについて語りはじめた。
私の視線に堪えられなくなった者たちがそろりそろりと後退りしている。それでも全く気付かないハルは私に駆け寄り、私の手に手の平サイズの雪だるまを乗せた。
「冷蔵庫の中ならきっと溶けませんよ」
「そうですね」
憐れな同僚たちは今にも倒れてしまいそうな程震えている。
仕方がない、そっと視線を外してやると果たして脱兎のごとく逃げ出した。
「それよりも、指が冷たくなってますよ」
「雪は、そういうものですから!」
何度も何度も冬は嫌いだと言っていた彼女の言葉とは信じがたい言葉だった。
ああ、彼女は思っていたよりも馬鹿なのかもしれない。
ハルは寒さも忘れて白の景色に足跡を残す。楽しそうに笑い、嬉しそうに微笑む。
「ハル、」
「何ですか、アポロさま」
「冷えますよ」
「じゃあアポロさまのヘルガーで暖めて下さいよ」
「おや、私では不満と?」
手の平に乗せた雪だるまが拡がる白の中に溶け込む。
刹那、私の手は彼女のそれを握り、一つの空気を共有するまで近寄っていた。
「さぁ、部屋に戻りますよ」
「も、もう少しだけ……」
「駄目です」
「でも」
「今は仕事が先です。雪なら、シンオウに見に行けばいい」
よかれと思って提案してやった。もっと彼女の笑顔を見たいがための言葉だった。
ところが。
「シンオウなんて寒いだけですよ!」
「は、」
「私は!」
顔が赤いのは寒さ故なのか。ハルの鼻は勿論、頬も紅潮している。
「アポロさんと仕事中に雪を見るのがいいんです!」
口角が上がり、気づいた時には愛おしい彼女を強く抱きしめてした。
白の微笑み
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