04ハロー、か弱き勇者
「………は、負けた?」
それは廊下で交わされた部下の下らない会話から聞こえたものだった。
私はぎょっとして会話の主を凝視した。彼はあのランスの部下であり、あの下らない任務に参加していた。
「今の話、本当?」
「えっ、あ、あの……」
怯える部下に何とか話を聞き出そうと努めてにこやかに話しかける。
実際、僅かに心地良かった。あの鼻につく男が任務に失敗したのだから。
だが一方で嫌な予感もしていた。
世界には果てなんぞない。丸く繋がっている世界に果てはない。なのに世界の果てですらいないであろう愚か者は3年前に現れた。しかし、現れた時は誰も気に留めなかった。貧弱な部下が偶然負けたとしか考えなかった。
もしかしたら再びあの愚か者が私たちの邪魔をしに来たのでは、じわりと嫌な汗を感じずにはいられなかった。
「ランスが、子供に負けたって、本当なの……?」
返事を聞いた瞬間、私は走り出していた。
嫌な予感なんて可愛いものではない。本能が危機を伝えている。
このままではロケット団復活は夢と消えてしまう。
世界の果てなんてないというのに、どうして愚か者は現れてしまうのだろう。
ウバメの森に着くと静かに子供の姿を探した。まだこの森にいると踏んでいたが、果たして子供はすぐに見つかった。
マグマラシを連れて歩く少年だった。
危険分子はたとえ子供であろうと廃除するのが鉄則だ。私は少年の前に立ち塞がった。
「わっ、びっくりした」
まだあどけなさの残る子供だった。
こんな子供にランスが負けたというのか。油断したにしても愚かすぎるではないか。
「ロケット団に盾突くとどうなるか、教えてあげる」
まるで下っ端の台詞に自分でも嫌気がさした。しかし貧弱な正義の味方には調度良い言葉だろう。
少年は子供の瞳からトレーナーの瞳に変わり、私を睨む。けれどそれは大人には、サカキ様の睨みを知る私には通用しない。
ボールを投げ、ダーテングが飛び出す。有能なポケモンは相性の壁を乗り越えて勝利を収めるだろう。
余裕の笑みを浮かべて少年のマグマラシを見た。憐れなマグマラシはダーテングに気圧されてひどく怯えていた。
そのチャンスを逃すトレーナーはいない。
素早く指示を出してマグマラシを戦闘不能にし、逃げ腰の少年の肩を掴んだ。
「これ以上傷付きたくないなら、私たちの前に二度と現れるな」
その時、私は安堵していた。
3年前に現れた愚か者は今や勇者として讃えられている。彼を初めて見た時、私はあの鋭い瞳に一瞬ではあるが怯えてしまった。
今思えば、あの時既に気付いていたのかもしれない。今に続く悪夢の始まりを。
ところが、今目の前にいる小さな子供からはあの時の鋭利さを微塵も感じなかった。
つまり、この少年は世界の果てから現れた愚か者ではないのだ。私は安堵していた。
「……ロケット団の脅しなんか、」
空気が変わるのを感じた。
嫌な汗が伝う。
はっとして目の前の瞳を見ると、あの鋭い眼差しがこちらを睨んでいた。
「ロケット団の脅しなんかに、負けるもんか!」
こんな子供の睨みなんて、何ともないはずだった。
けれど、あの瞳は違った。
私は体の震えを何とかして隠し、ダーテングをボールへ戻した。
今ここで完全に芽を潰すしかない。このまま放置していたら悪夢が再び現実として私たちを襲ってしまう。
頭では分かっていた。
にも関わらず、私は動けなかった。
恐ろしかったのだ、過去を繰り返すことが。
私は逃げるように踵を返す。
悔しさと不甲斐なさに腹を立て、血が滲むほど強く唇を噛んでいた。
「どこへ行っていたのですか」
「……アポロには関係ないわ」
「お前の行動が私に全くの無関係とは思えませんが」
「関係、ないわ……」
アポロが探るような瞳を向ける。
言えるはずがなかった。ランスを倒したあの少年が、3年前のあの餓鬼と同じかもしれないなんて。
冷たい手が私の手を握る。
「ハル、お前は何に怯えている……?」
(恐ろしいのは記憶で、)
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