02ハロー残酷

 

もしもあの時、求めるものが異なっていれば今の私は悪夢にうなされることはなかったのだろうか。
月も沈んでしまった真夜中に空を見上げる。
星が綺麗ですね、なんていつだったか部下が言っていた。あの時私はどう答えたのだろうか。思い出そうとするが記憶の糸はぷつんと途切れている。

「ハル、眠れませんか」

こんな寒い夜に外へ出るのは一人しかいない。彼は片手にブランケットを持ち、もう片方で温かいココアを持って来ている。その両方を私に渡すとアポロは口を開く。

「私は理由を話しましたが、お前がサカキ様を求める理由をまだ聞いていません。
 聞かせてくれますか」

持って来てくれたココアとは大違いで、彼の言葉は苦い。
答える義務もない、と黙っていると鋭い視線が私を捉えた。
彼のそれは、サカキさまにほんの僅か、ほんの僅かだけ似ている。あの人ほど拘束力はないけれど、部下になら十分通用する睨みだ。
彼はサカキさまに全く似ていないのに、それでも私は彼のそれでサカキ様を思い出してしまう。
だから私はアポロが嫌いだ。

「ハル、」

宥めるような声に惑わされぬよう、ココアを飲み込んだ。
コーヒーでも紅茶でもなくココア。それはいつもアポロが私に飲ますのだった。
サカキ様がいた時には飲んだ記憶のないそれは、飲んでいるとサカキ様を忘れることが出来た。ココアには思い出がないから、思い出すものがないからだ。
それがアポロの親切なのか、それとも偶然なのか、私には分からない。けれど、結果として私はこれに救われていた。

「アポロには関係ない」
「そうでしょうか」
「そうよ」
「お前の無茶で私は被害を被っています。
 だから無茶の理由を聞かせて下さい」

私は、無茶なんてしているつもりはなかった。
あれらの行動を無茶と呼ぶならロケット団の質はずいぶと下がったことになる。なんと嘆かわしいことだろう。サカキ様を見つけだすまでに何とかしなければ。

「ハル」

肩を捕まれ、手にしていたカップが落ちる。

「クレセリアを捕獲しても、何も変わりません」

アポロの瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。
なんて澄んだ瞳だろう。この男は私と違って闇に囚われていないのだろうか。私は毎晩怯え、目を閉じることすら出来ないというのに。

「もう、眠りましょう」
「眠れないわ」
「なら、お前が眠るまで側にいます」

腕を引かれ、拒否する力もない私はアポロに従うしかなかった。
月のない空は星の瞬きで美しかった。
星が綺麗ですね、かつて私はサカキ様にそう言った。あの日も今日のように月が既に沈んでしまっていた。サカキ様は私の言葉に空を見上げ、何かおっしゃった。それは。

「美しい星に月は嫉妬しているから隠れているのですよ」
「えっ、」
「前に、お前は尋ねたでしょう。どうして月は先に沈むのか、と」

その答えですよ、アポロは呟くように言った。

 

 

部屋に入り、私はベッドに腰掛けた。アポロが明かりを付けようとするが拒んだ。
まさかアポロがサカキ様と同じ答えを言うなんて思いもよらなかった。あんまりにも突然だったから、私は奥底に仕舞っていた記憶を引っ張り出していた。
サカキ様はいつも私の側で、私が眠るのを見ていた。触れられないことが不安になることもあった。けれど今思えば触れられなくて良かった。もしサカキ様の熱を覚えていたら、私は今以上に苦しんでいただろう。
そう、今以上に。

「お前が眠りまでここにいますよ」

どうしてサカキ様は一人で行ってしまったのだろう。
私も、アポロも貴方をこんなにも想っているというのに。

「アポロ、」
「何ですか」
「寒いの。とても、寒い」

私はこれからもサカキ様を待ち続けるだろう。アポロも、そうだろう。
私は確かにサカキという男を愛していた。それは今でも変わらない。
けれど、私は目の前にいるこの男を求めていた。あの人と似通った、この男を。
アポロは私の手を取ると、そっと包み込んだ。
サカキ様は私に愛を与えてはくれなかった。私もそれを望みはしなかった。でも、本当は渇望していた。あの人の大切な人間になりたかった。

「いいのですか」
「愚問よ」

 

(まるでいで)