話数選択へ戻る
40th Future 「樹海を走る侍」
「ねぇ」
体が揺れる。
背中がひんやりして気持ちがいい。
「ねぇってば」
誰かが俺の肩を持って左右に揺すっている。
(誰だよ、もっと寝かせろ)
「起きてよぅ」
「ん〜、膝枕でカレーうどん喰うのは無理があるだろ・・・・」
「ど、どんな夢を見てるのよっ」
「だからカレーが鼻に入るって・・・・」
春也の手が伸び、ゆかりの胸を捉えた。
「きゃっ!」
「ん? 何だこりゃ・・・・のの美か?」
「どすけべ〜!」
カァン、と春也の顔面に魔法の孫の手が振り下ろされた。
「はぐぅ!」
春也はさすがに顔面を両手で押さえて起き上がった。
「本気で痛い!」
「やっと起きた・・・・」
「いや、鼻が折れるって、マジで! ・・・・あれ、ゆかりん?」
春也は鼻を押さえつつ、目の前にいるゆかりを見詰めた。
「ゆかりんが生きてる・・・・そういえば死にかけだった俺も何ともない・・・・夢か? それともここは既にあの世か?」
「あの世じゃないよ・・・・どこかは分からないけど」
「矢はどうしたんだ!?」
「だから刺さってないんだよ・・・・」
ゆかりは状況が分かっていない春也に、いきさつを説明した。ゆかりが死んだのはお芝居だったこと、空間転移で気を失った春也を孫の手で治療したこと。
「てことは、藤堂院さんは裏切ったわけじゃないのか?」
「透子がゆかりを裏切るわけないじゃん」
「わけないじゃんって言われても、俺はゆかりんと藤堂院さんの関係を詳しく知っているわけじゃないし、可愛い顔して案外、腹黒そうだったし・・・・仕方ないだろ、あの状況は勘違いするぞ」
「まぁ澤崎君が勘違いするくらいじゃないと、鷲路君を騙せないけどね」
「・・・・てことは、さっきの感触はゆかりんの・・・・」
春也は先程、ゆかりの胸を触った方の手を見た。
「馬鹿、鼻血なんか出しちゃって、やらしい!」
「鼻血はゆかりんが殴ったからだろ!」
「ま、それは置いといて・・・・」
「置いとくのかよ」
「澤崎君の空間転移って、行きたい場所をイメージしたりするんだよね?」
「さぁ・・・・何しろ初めて使ったからな」
「初めて!?」
「ましていきなり二人で飛ぶなんて、無謀だよな。下手すりゃ空間の狭間に落ちて死ぬまで彷徨うことになるぞ」
他人事のような口調だった。
「ゆかりをそんな危険な目に合わせたの!?」
「どうせ死に掛けてたから、助かったらラッキーかなって。いやぁ助かって良かったなぁ」
「・・・・ま、結果的にはね」
(一歩間違えれば本当に死んでいたかもしれない)
「で、ここはどこなの?」
「知るかよ、言ったろ、行き先なんかイメージしてないって」
「え」
ゆかりは慌てて立ち上がり、辺りを見回した。木が生い茂っており、どうやらどこかの森の中のようだが、木や山ばかりの景色なので目印になるようなものは見当たらない。
「どこなの、ここ!?」
「空気はあるみたいだな。安心しろ、多分地球だ」
「いやぁ〜!」
ゆかりの叫びで、辺りの木々に集っていた鳥が一斉に飛び立った。
世界は変わって、こちらはエミネント。
兄が指名手配されたと聞き、心配になった澤崎のの美はメビウスロードを管理している「ロード監視塔」へ来ていた。
メビウスロードは異世界へ繋がる道であり、他の世界への干渉は想像が付かないような様々な影響を及ぼすので、極力控えなければならない。局の許可なしで使える者はオブザーバーだけだ。
「お兄さ〜ん」
「の、のの美ちゃん?」
監視カメラとにらめっこをしていた監視員は、カメラに向かって手を振っているのの美を見て立ち上がり、椅子が倒れて大きな音を立てた。
「マズいよなぁ」
監視員のお兄さんはのの美と面識があり、妹のように可愛がっている。特に食べ物を与えると本当に幸せそうに食べるので、よく餌を・・・・もといお菓子を与えたりしていた。だが今日の場合は事情が違う。慌てて監視室を出ると、のの美が手を振っている場所まで走って行った。
「やっほ〜」
扉を開けるとのの美が笑顔で出迎えた。
「やっほ〜じゃないよ、ののちゃん」
「なんで?」
「何でって・・・・分かるだろ、その、君のお兄さんがだね」
「お兄ちゃんは悪いことしないよ! きっと間違いなんだもん。だから、のはお兄ちゃんを助けに行くの! 前みたいにロードを使わせて」
のの美は手を合わせてウインクした。
「勘弁してくれよ、この前は何とかバレなかったけど、さすがにヤバいんだ。メビウスロードを無断で使うのも駄目なのに、指名手配中のお兄さんを捜しに行くなんて・・・・のの美ちゃんも僕も、一緒に捕まっちゃうよ!」
「ふ〜ん」
「わ、分かってくれた?」
「お兄さんこの前、のの為なら何でもするって言ったよ」
「はぐっ」
確かに言った。だがいつも食べているだけで幸せなのの美が、まさかこんな深刻なお願いをしてくるとは想像もしていなかったのだ。
「勘弁してよ、今回だけは絶対に駄目だって。のの美ちゃんだって、死刑になるのは嫌だろ?」
「ロードを使わせてくれたら、チューしてあげるよ」
「えっ? い、いや、駄目だって!」
ちょっと心が動いたお兄さんだったが、理性と危機感がかろうじて勝った。
「じゃあ、のと勝負しよ」
「しょ、勝負? 大食いならやらないよ、負けるから」
「ううん、腕相撲」
そう言いながら、のの美が腕を捲くる。確かに女の子にしては逞しい腕だが、お兄さんは「女の子に負けるはずがない」と思ってOKした。
「負けたら大人しく帰ってね」
「うん」
監視室のテーブルの上で手を組み、腕相撲のセッティングをする。
(ごめんよ、ののちゃん。ここはののちゃんの為にも、手加減はなしだ。お兄さんを助けに行ったら、のの美ちゃんまで捕まってしまうからね)
「のが勝ったら通してね、この前と一緒の場所でいいから」
「いいよ、それじゃレディー・・・・」
互いの手に力が込められる。
「ゴー!」
その瞬間、監視員のお兄さんは己の失敗を悟った。自分の想像を遥かに超えた力が自分の腕にかかったのだ。
「!?」
お兄さんの手の甲がテーブルに着く。
秒殺。
ゆかりは髪を結い直し、元のツインテールに戻した。眼鏡は岸壁で倒れた際に落としてしまっていたが、衣類はまだセーラー服のままだ。森の中ではかなり違和感があった。
「ちょっと飛んでみる」
ゆかりはマジカルフェザーを拡げた。春也の魔力はほとんどなくなっていて、回復までには少し時間がかかりそうだった。
「空からなら、ここがどこか分かるかも」
ゆかりの魔力も春也を治癒したことで残り少なかったが、飛び上がって辺りを見渡すことなら出来そうだ。
「よっ」
木々が茂っていない場所を選び、空に舞い上がる。
「うにゃ〜?」
辺り一面、鬱蒼と茂った森だった。更に高く舞い上がってみる。
(どこのジャングルなんだろ・・・・まさかアマゾンとかじゃないよね)
日本に帰れるか心配になってきたゆかりの目に、見覚えのある山が飛び込んできた。
「あれ・・・・富士山?」
それは真に日本の象徴、富士山だった。
「てことは・・・・」
かの有名な富士の樹海。
「や〜ん」
あまり飛んでいると魔力がなくなるので一旦降りることにする。迷ったら出て来れないと言われている富士の樹海だが、空からなら脱出出来るだろう。だがゆかりには春也を連れて飛ぶだけの魔力は残っていない。
「どうしよう・・・・」
「案外、見えないものだな・・・・」
「え?」
「スカートの中だよ」
「馬鹿っ!」
春也の頭目掛けて振り上げた孫の手だったが、背が足りずカスン、と彼の額に当たった。
「いてっ」
「ずっと見てたの!?」
「いや、落ちないかと心配で・・・・」
「もう、それどころじゃないんだよ」
ゆかりはここが富士の樹海と呼ばれる自殺の名所であると春也に説明した。
「心配していたほど遠くに飛んでいなかったな。魔力さえ元に戻れば脱出は出来るが・・・・取り敢えず動き回らずに魔力を回復させるのが先決か。そうと決まれば」
春也は足元にあった岩に腰をかけた。
「ゆかりんも休めよ」
「う、うん、でも・・・・」
ここがどこかを知ってしまい、不安になるゆかりだった。だが、まだ日本だっただけマシだと思う。外国だとなかなか帰って来れないところだ。
「丁度いいや。ゆかりがどうして追われてるのか、もっとちゃんと話してよ」
「そうだな、時間はたっぷりある」
木々が茂る薄暗い森の中で、ゆかりは春也から事のいきさつを聞いた。
「・・・・要するに、ゆかりがイニシエートに行ったことが悪かったの?」
「だから、ゆかりんは悪くないんだって。ユーキや管理局がおかしいんだよ。イニシエートは悪、その仲間も悪、助けるのも悪、ってな。おまけに俺達の作ったトランスソウルを、イニシエートを助ける為に使ったというのがマズかったってことだ」
「澤崎君も、透子やみんなが悪者にされてるのも、全部ゆかりのせいなんだね」
「だから、ゆかりんは悪く・・・・」
「ゆかりがいなくなれば、みんなが助かるんだよね・・・・」
「おい、ゆかりん。何を考えてる?」
春也は身を乗り出し、俯いたゆかりの顔を覗き込んだ。
「妙なことを考えるなよ。ゆかりんが捕まったら、俺達の今までの苦労はどうなるんだ?」
「やっぱり、苦労してたんだ」
「あ、いや、言い方が悪かった。俺達はゆかりんを助けるためにここまで戦ってきたんだ。それを・・・・」
「ゆかりは、ゆかりのせいで誰かが困ったり、傷付いたりするのを見たくないよ」
「ゆかりん、それはわがままだぞ」
春也は両手でゆかりの肩を掴んだ。
「わがまま?」
「みんな、ゆかりんを助けようと思っているんだ。その気持ちを無視して、みんなを助けるために自分で捕まろうとするなんて、わがままだ」
「だって・・・・」
ゆかりは顔を背ける。
「ゆかり、そんなに価値のある人間じゃない。みんなが必死になって、危険な目に逢ってまで守る価値なんてないよ」
「・・・・殴っていいか、ゆかりん」
春也が拳を作る。
「やだ、痛い」
「人間の価値は自分で決めるものじゃないんだ。かと言って、特定の誰かが決めるものでもない。みんなが決めるものなんだ。自分には価値があるとかないとか、自分自身で決めるのは奢りだぞ、ゆかりん」
「おごり?」
「思いあがりだってことだ。人は自分一人で自分の価値を決められるほど偉くないんだぞ」
「・・・・うん、ゆかりは偉くない」
「ゆかりんに価値がなかったら、何でみんながゆかりを助けようとする? 俺も、藤堂院さんも、出雲さんも、その他大勢だって、お前を失いたくないから戦ってるんじゃないか!」
「・・・・うぅ」
「泣くなよ」
「だってぇ・・・・」
「キスしていいか?」
「やだ」
「ここには助けてくれる人は誰もいないぞ」
春也の、ゆかりの肩を持つ手に力が入る。
「や、ちょっと・・・・!」
ザザザザ。
草木を掻き分ける音が遠くから近付いて来る。
「何だ?」
春也の声が緊張したものに変わる。
「まさか、こんな所まで・・・・」
春也はゆかりから手を離し、立ち上がった。足元にはサラマンダーのサラが姿を現している。ゆかりはトカゲが苦手なので、少し距離を置いた。
「早い・・・・逃げ切れねぇか」
「な、何が来るの?」
「どうやら俺達を追って来たみたいだぜ・・・・」
(どうしてここが分かったんだ? 術者の俺でさえ分からなかった転移の到着地点を)
「ふぅ」
緊張した空気の中、気の抜けそうな声が聞こえた。
「全く、よくこんな森の中に逃げ込んだでござるなぁ」
灰色の着物が見えた。
「トージ!?」
「やっと見付けたでござる、春也殿」
ゆかりは森の中、侍に出会った。
「サムライ・・・・?」
「そちらの御仁が姫宮殿でござるか・・・・心の臓を貫かれたはずのそなたが何ゆえピンピンしているでござるか?」
「・・・・」
ゆかりが返答に窮していると、刀侍はニヤリと笑って頭を下げた。
「いや、失敬。拙者も意地が悪いでござるな」
「えっ?」
「姫宮殿が死んでいないことは分かっていたでござるゆえ・・・・」
「な、何だと!?」
春也が代わりに驚いた。
「エミネントでは人それぞれが魔力を持っているので、同じような魔力も多くサーチは困難でござるが、魔力が普通では存在しないこの世界では、魔力を探ればすぐに感知することが出来るでござるよ」
「そうか・・・・」
春也は、刀侍が「魔力を感じるスペシャリスト」だということを思い出した。かつてスクールで同じクラスだった時、先生の魔力を察知出来る刀侍が色々な場面で活躍したことがある。その能力ゆえに刀侍は「エグゼキューター(執行者)」の地位を与えられている。執行者とは管理局から使命を受け、犯罪者の追跡、捕獲、あるいは処罰までを行う。魔力サーチに長け、追跡能力の高い刀侍は若手のホープだった。
「トージ、まさかお前が派遣されるとはな」
春也は刀侍と距離を保ったまま、日本刀に注意を払っている。刀侍の刀は、鞘に収まった状態からでも攻撃が出来るという噂を聞いたことがあるからだ。
「まさかは拙者も同じでござる。よもや春也殿が犯罪者として追われ、拙者が追う立場になるとは」
刀侍が一歩近付くと、春也が一歩下がる。春也の後ろに位置するゆかりも、同じように退く。刀侍の足の動きを気にしていたゆかりは、彼の履物が草履であることに気付いた。草木が茂り火山岩で覆われた危険な樹海の中を、刀侍は草履でここまで来たのだ。
「トージ、話を聞いてくれないか?」
「断る」
「何でだよ!」
「拙者は命令を遂行するためにここに来たでござる。春也殿の言い分を聞いたところで任務の内容が変わるわけではない、つまり聞くだけ無駄でござろう」
「聞くだけ無駄、か・・・・お前の任務は何だ?」
「春也殿とゆかり殿の捕獲。但し抵抗すれば抹殺も已む無し」
「よく言うぜ・・・・捕まってもいずれ殺されるんだろ」
「殺されるのではない。トランスソウルとなり、人々の役に立つことが出来る。恵神様の御慈悲でござる」
「お前も恵神様の崇拝者か」
「恵神様は崇拝に値するお方だということだ。春也殿は崇めていないのか」
「最近、分からなくなってきた」
「一度悪に染まった者は、多かれ少なかれいずれまた悪行を犯す。その悪の為に罪のない者が迷惑をする、命を落とす。それはあってはならない世の不条理。だから犯罪者は速やかに排除する。さすれば悪の芽は断たれ、善意の人のみが住む世界になる。その素晴らしさが分からないのは、春也殿が悪の側にいるからでござる」
「更生させることは考えない。悔い改めると信じた者が再び犯罪を犯せば、信じた者の罪になる。だからこの世から消す・・・・素晴らしい社会だと思っていたさ、自分が犯罪者として追われる身になるまではな。だがこの一件で、エミネントの判断が本当に全て正しいのかと疑問を抱くようになった」
「それも犯罪者であるがゆえ」
「そう、俺は今まで犯罪者の立場に立って考えた事などなかった。だからエミネントのジャッジメントに疑問など感じなかった。だがジャッジメントの判断は本当に常に正しいのか? ゆかりんが何か悪いことをしたか? その答えを出したいんだ」
「春也殿、正義や悪を個人的に判断すること自体、許されない行為でござる。ジャッジメントの判断は唯一無二。疑問を抱くことは許されない」
刀侍の右手が刀の柄に伸びた。
「サラ、ソウル・ユニゾンだっ!」
「ぴきー!」
サラマンダーのサラの全身が光の中に溶け、春也の上半身を覆う。
「澤崎君!」
「ゆかりん、どこか安全な場所に隠れろ!」
「一緒に逃げようよ! だって澤崎君の魔力はもうほとんど・・・・」
「あいつから逃げるのは不可能だ! 俺が何とかする! 二人共捕まったら終わりなんだぞ!」
「参る」
刀侍が春也に向かって跳躍した。助走も付けずにジャンプした刀侍だが、軽く五メートルを超えていた。それを見た春也とゆかりは、慌てて後方に走る。
「何であの人、あんなに跳ぶの!?」
「トージの草履はソウルアーマー『飛脚』だ」
動物等の魂を用途に応じて実体化する「ソウル・ユニゾン」には、春也や憂喜が行うような攻撃する手段としての「ソウルウエポン」と、咲紅のように防御やサポートを主体とする「ソウルアーマー」の二つに大きく分類される。普通は自分に足りない部分を補うものだが、刀侍は自慢の脚を更に速くするため、スピードやジャンプ力に特化したソウルアーマーを使用している。
逃げても無駄だと悟った春也は、振り向きざまにクリムゾンファイアの右腕を刀侍に向けた。
「ヘルファイアッ!」
だが、刀侍の姿はすでにそこにはない。
「遅いでござる」
春也の目の前に散切り頭が現れたかと思うと、刀を納めた鞘の「突き」が春也の腹にめり込んだ。
「がはっ・・・・」
腹を押さえ、春也は前のめりになる。
「澤崎君!」
「逃げろ・・・・って言ってんだろ、ゆかりん!」
(何故、鞘なんだ・・・・? 真剣なら俺は今頃死んでいたはずだ。殺す気はなく、あくまで捕まえるつもりなのか・・・・?)
だとすれば、まだ勝機はある。刀侍のスピードなら、春也を無視してゆかりを捕らえることは容易いはずだ。ゆかりを人質に取られる前に、刀侍が本気になる前に、何とかしなければならない。
「春也殿、大人しくお縄に付くがいい。その残り少ない魔力で何が出来ようか」
「何が出来るか、か・・・・出来るものならあるぜ」
クリムゾンファイアの口が開いた。
「悪あがき、だ」
41th Future に続く
話数選択へ戻る