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29th Love 「魅瑠のハートブレイク」
(ここは・・・・)
紅嵐が目を覚ますと、そこは暗い病室の中だった。昼間でも薄暗いイニシエートなので、カーテンを引かれている病室はなお暗い。
「先生、気が付きましたか!?」
右肩の辺りから声が聞こえ、自分の顔を覗き込む魅瑠の顔が見えた。魅瑠は丸一日、紅嵐に付き添っていたことになる。目の下に隈が出来ていたが、紅嵐には暗がりで見えなかった。みっともない顔なので、暗くて良かったと魅瑠は思った。
「魅瑠?」
「先生・・・・」
約3ヶ月振りの、正式な対面だった。
「魅瑠が運んでくれたのですか」
「は、はい」
紅嵐は腕を動かそうとしたが、動かないように何かで固められていた。
「うっ・・・・」
「駄目です先生、腕が折れていたので手術したばかりなんですよ!」
「そうだ・・・・!」
急に紅嵐が思い出したように辺りを見回す。
「な、何か?」
「宝玉は!? 宝玉はどこです!?」
「宝玉なら研究所に3つ、揃ってますよ」
魅瑠は嬉しそうに言った。自分が宝玉を持ち帰ったことを知れば、誉めてくれると思ったのだ。
「ということは『陽の玉』も雨龍たちが持って来たのだな」
「ええ」
「それで、どうした? 力は出現させたのか?」
「いえ、それは先生の意識が戻ってからと、みんな待っていますよ」
「そうか。『無の玉』は・・・・ペンダントの形のままか?」
「え? ペンダント?」
「そう。小さいペンダントの形をしていたはずです」
「いえ、私たちが見た時は既に普通の玉の形でしたよ?」
「元に戻ったのか・・・・お前があの男のポケットから出したのですね、その時は既に球体だったのですか」
「あの男・・・・?」
「魅瑠も知っているでしょう、教師の露里という男です」
魅瑠は名前を聞いて、確かゆかりんの好きな先生の名だと思い当たった。確かに魅瑠が宝玉を手に入れた時、あの場に露里はいた。気絶していたはずだが、あの男のポケットに宝玉が入っていたのだろうか、とあの時の状況を思い出してみる。確か自分はゆかりんや露里を人質に取り、とこたんから宝玉を奪った。
「あの、とこたんという子から奪いましたが」
「そうか、私が気を失っている時に、あいつらが宝玉を持ち去ろうとしたというわけですか。それを駆けつけた魅瑠が奪ってきた、と」
「先生が気絶・・・・?」
魅瑠の記憶では、彼女が姫宮家で宝玉を手に入れた時、紅嵐はいなかったはずだ。実際は、確かにカラスの体を借りた紅嵐は姫宮家の台所で倒れていたのだが。
2人にとっては何となく話が合わない。
「あなたが駆けつけた時、ヤマタノオロチがいたでしょう?」
「ヤマタノオロチ? ・・・・ミズチ様のことですか?」
「違う、出雲巳弥だ」
「・・・・?」
魅瑠の記憶では、出雲巳弥は普通の女の子だった。それが何故、ヤマタノオロチ? 魅瑠は全く話が見えてこなかった。魅瑠は倒れている紅嵐しか見えていなかったので、その場に巳弥がいたかどうかは覚えていない。
「元の姿に戻っていたのか・・・・」
あんな大きいものを魅瑠が見逃すはずはない。おそらく自分が気を失った後に巳弥は元の人間の姿に戻ったのだろうと紅嵐は思った。
「でも先生、どうしてあんな場所で? ゲートを通って帰ろうとした時に襲われたんですか?」
「奴等が宝玉を取り返しに来たのです」
「あぁ、それでゲートを・・・・」
魅瑠はゆかり達が「無の玉」を取り返すべく、ゲートを利用してこのイニシエートに来ようとしていたのだと解釈した。
「それにしても、魅瑠」
紅嵐の口調が改まった。
「は、はい」
魅瑠は「誉めてもらえる」と期待した。
「この3ヶ月、何をしていたのですか?」
「え・・・・何って、宝玉を・・・・」
「見付けたのはいいが、自分たちの力では手に入れることが出来なかった」
「・・・・え?」
「結局、私が直接来なければならなくなった。迅雷もそうだ。揃いも揃って、何をしていたのですか」
魅瑠は紅嵐の言っている意味が分からなかった。宝玉を手に入れて来たのに、何故自分は怒られているのだろう?
「ちょっと待って下さい、私は宝玉をちゃんと・・・・」
「私が奪った物を運んだだけではないですか。藤堂院透子から奪ってきたのでしょう?」
「・・・・?」
まだ魅瑠には話が見えない。そろそろ紅嵐も話が噛み合わないのでおかしいと気付き出した。
「魅瑠、その宝玉というのは私をここに連れてきてくれた時に、一緒に持って来たのですよね?」
「え? いいえ」
「・・・・いつです? あなたが宝玉を持って来たというのは」
「えっと、一昨日になるのかな? ここに持って来たのは昨日ですけど」
「・・・・では私が倒れていた場所にあった宝玉は・・・・」
「え? まだ他に宝玉があったのですか?」
「馬鹿者、私が持って来た方が本物の宝玉です! あの場所に倒れていた露里という教師のポケットに入っていたんです!」
「・・・・えぇ? それじゃ、私たちが持って来た宝玉は・・・・」
「勘違いか、偽物ですね。私が手に入れた無の玉は確かに本物でした」
「そ、そんな・・・・」
紅嵐に誉めて貰おう、喜んで貰おうと思っていた魅瑠は、幸せの頂上から一気に転げ落ちた。
「偽の宝玉を掴まされ、目の前で宝玉を奪われるとは・・・・」
紅嵐の失望した口調が、更に追い討ちをかけた。
「もう少し頭がいいと思っていましたが」
「そ、その、あの、先生・・・・私たち、凄く頑張ったんですよ、でも邪魔が入ったり、上手くいかなくて・・・・」
「この世は結果が全てなのですよ、魅瑠」
「え・・・・」
「頑張ったというのは他人には見えない。例え頑張らなくても、結果さえよければ評価されるのです」
「そんな・・・・」
「魅瑠、もっと上手に生きなさい」
その言葉に、ため息が混じった。
「失礼します」
芽瑠は紅嵐が呼んでいるからと連絡を受け、彼の病室に1人で来た。1人で来るようにとは紅嵐の希望だ。
(どうして私1人なんだろう?)
芽瑠は、姉の魅瑠が心配だった。なにしろ、紅嵐が意識を取り戻したというのにその顔は思い切り落ち込んでおり、徹夜したこともあるが、こっそり泣いていたのではないかと思えるほど目が真っ赤だった。それから魅瑠は、1人でどこかに行ってしまった。
(大丈夫かなぁ、魅瑠姉さん)
姉の心配をしつつ、芽瑠は紅嵐の寝ているベッドの脇にある椅子に座った。
「御用ですか、先生」
「あぁ、芽瑠。わざわざすみませんね」
「いえ、それで、何か? ・・・・姉さんのことですか?」
「それもあります。早く『無の玉』を取り返しに行かなければね」
「でも先生のお体が回復されてからでないと」
「腕が使えなくとも、戦えますよ」
「無茶です、宝玉はこちらに2つあるのですから、焦る必要はないと思います」
「・・・・そうですね、確かに芽瑠の言う通りだ。どうも私は宝玉のことになると思慮が浅くなる」
紅嵐は少し気を落ち着かせ、浮かせていた頭を枕に沈めた。
「実は、芽瑠に聞きたいことがあるのですが」
「先生にお分かりにならないものが、私に分かるわけありません」
「そんなことはない。芽瑠は優秀ですからね、魅瑠と違って」
「・・・・」
姉を悪く言う紅嵐に少しむかついた芽瑠だったが、何とか表情には出さずに済んだ。
「聞きたいのは、女心です」
「・・・・えっ?」
芽瑠は思わず間の抜けた応えを返してしまった。紅嵐の口からよもやそんな単語を聞くとは思っていなかったからだ。
「どうも困った性格でね。分からないことがあると寝られないのですよ。いいですか、質問しても」
「はい・・・・」
「芽瑠は好意を持っている相手と口付けをした時、嬉しいですか」
「は、はぁ?」
またも力妙な受け応えをしてしまう。
「どうですか」
「そ、それはもちろん、嬉しい・・・・と思います」
「そうでしょう? では、その口付けが相手の意思ではないとしたら?」
「・・・・無理矢理させられたってことですか?」
「ええ、そうです」
「それは・・・・嬉しくないです」
「好きな相手と口付けをしたのにですか?」
「えっと・・・・」
芽瑠は何と説明していいのか、少し頭を整理することにした。大体、紅嵐が自分に対してする質問ではないと思う。何故そんなことを聞くのだろう?芽瑠には不思議だった。
「具体的に言いましょう。私は露里という教師の体に入り、姫宮ゆかりと口付けをしました」
「・・・・えぇ〜っ? ど、どうしてですか?」
「彼女が望んでいたので、ちょっとしたサービス精神でね」
「それで・・・・」
「それが私の意思だと知った彼女は怒りました。泣きました。私にはその行動が理解出来ないのです」
本気で悩んでいる紅嵐に、芽瑠は何とか分かるように説明しようと努力した。
「・・・・心、かな」
「心?」
「心の篭もっていないキ、キスなんて、ただ唇と唇が触れただけのことなんです」
「物理的ではなく、精神的なものだと?」
「ええ。その時の気持ちが大事なのだと思います」
「ふむ・・・・」
「唇が触れ合う行為よりも、心が通じているということが嬉しいんだと思います」
「なるほど・・・・専門分野以外のことは難しいな。これは精神科の分野になるのかな?」
芽瑠には、そんな問題に真面目に悩んで真面目に質問して、真面目に納得している紅嵐が何となくおかしかった。
(あれ、ということは、ゆかりんとキスしたのは紅嵐先生ってことにならない? でも、まぁ、心が通っていないんだから、成立しないか)
その時芽瑠は、ガタッと病室の外の廊下から物音が聞こえた気がした。
(誰かいる?)
「芽瑠」
紅嵐に呼びかけられ、芽瑠は廊下から意識を病室に戻した。
「は、はい」
「期待していますよ、あなたには」
「はい、ありがとうございます」
「芽瑠1人ならあるいは、宝玉を手に入れていたかもしれませんね・・・・」
「えっ?」
「いえ、何でもありません」
廊下で紅嵐と芽瑠のやり取りを立ち聞きしていた魅瑠は、いたたまれなくなって屋上に駆け上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・」
夜のイニシエートは、地上とあまり大差ない。ただ、やはり文明の発達の違いで、地上のような看板やネオンなどの明るさはどこにも見られなかった。住宅の明りがポツポツと浮かんでいる。
(紅嵐先生が、あのゆかりんと・・・・体は違うにしろ、先生がゆかりんに対してキスをしたのは事実・・・・)
魅瑠はガン、と鉄製の手すりを拳で殴った。痛かった。
(先生は・・・・何も分かっていない。女心を、私の気持ちを・・・・)
(それに、私より芽瑠に期待をしている・・・・仕方ないことだろう、芽瑠は優秀なんだから。でも、芽瑠より私の方が、先生のことを好きなのに・・・・)
瀕死の紅嵐をここまで運び、徹夜で付き添っていた魅瑠に、紅嵐は感謝の言葉すら掛けなかった。それどころか、宝玉を手に入れられなかったことで無能扱いされ「先生に認めて貰おう計画」が脆くも崩れ去った。
(こうなったら・・・・意地でも認めさせてやる。上手に生きる? そんなこと言われても、どうしていいか分からない。私は私のやり方で、先生に認めて貰うんだ)
紅嵐は、まだギブスの取れていない両腕を使って、ベッドから降り立った。
(こんな所で、寝ていられるものですか)
三宝玉が揃う、その目前まで来ているのだ。紅嵐はその事を考えると、じっと寝ていることなど出来なかった。幸いにも脚は無事だったので、歩くことには不自由しなかった。だが腕に巻かれたギブスが、邪魔であり格好悪くもあった。
(取ってしまいましょうか?)
「先生!」
病室を抜け出し、廊下を歩いていた紅嵐を芽瑠が見付けた。
「どこへ行くんですか、先生!」
「決っています。無の玉を取り返しに行くのです」
「その体では無理です!」
「無理ではありません。腕がなくとも風は使えます」
そんなやり取りをしている紅嵐と芽瑠の前に、2人の体格の良い男が現れた。
「紅嵐先生ですね」
「誰ですか、あなたたちは」
「我々はミズチ様の使者だ。一緒に来て貰おうか」
(ミズチ様だと?)
紅嵐は2人の男を交互に観察した。スーツの上からでも良く鍛え上げられた体であろうことが分かる。まともにやりあえば、今の自分に勝ち目は無い。
「理由は?」
「来れば分かる」
「断ると言えば、どうなりますか」
「貴様、学者の分際で我らイニシエートの王なるミズチ様に逆らうと言うのか?」
ガシ、と紅嵐の肩を男の手が掴んだ。
「やめて下さい、先生は怪我人なんです!」
止めに入った芽瑠を、もう1人の男が突き飛ばした。その勢いで、廊下に倒れ込む芽瑠。
「お前たち、いい加減にしろ」
紅嵐の口調が変わった。
「勘違いしているようだが、イニシエートの王はミズチ様であって、お前たちではない。私を愚弄したり女子を突き飛ばしていいと思っているのか、犬め」
窓も開いていない病院の廊下に、風が舞った。
「先生、何もあそこまで・・・・」
ミズチ様の使者と名乗った2人組が、病院の廊下に体中を切り裂かれて倒れていた。紅嵐は芽瑠と共にそこを脱出し、紅嵐の研究所に向かっていた。
「病院ですから、あの人たちもすぐに治療を受けられるでしょう」
「どこへ行くんですか?」
「私の研究所へ。『陽の玉』『陰の玉』を別の場所に移動させます。既にミズチ様の手が回っている可能性があります」
「どうしてですか?」
「ミズチ様が狙っているからですよ。宝玉の力を」
「・・・・先生、前から確かめたいことがありました」
「何ですか、芽瑠」
「先生は、宝玉の力をどのように使われるおつもりですか」
しばし黙る紅嵐。
「芽瑠、あなたは何を心配しているのですか?」
「先生の思った通りのことです」
「フム」
紅嵐の口が笑った。
「私は純粋に研究したいだけですよ、どんな力があるのかを。伝説は本当なのかを」
「・・・・怖いんです」
「怖い?」
「もし、先生にも制御出来ない、抑えきれないほどの力が・・・・とんでもない力が解放されてしまったら、この世界はどうなってしまうんだろうって・・・・」
「そうなったら、滅びればいい・・・・」
「え?」
「いえ、何でもありません。独り言です」
「・・・・」
聞き返した芽瑠だったが、本当ははっきりと紅嵐の言ったことを聞き取れていた。
(そうなったら、滅びればいい・・・・)
本当に怖いのは宝玉ではなく、紅嵐自身ではないのか。芽瑠はこの時、そうはっきりと感じた。何とかして三宝玉を紅嵐の手に渡らないようにしなければ、このイニシエートだけでなく、他の世界も危険なのではないだろうか・・・・。
「急ぎましょう。怪我人の私の所にもあれほどの男達が来たのですから、研究所の方が危険です。宝玉は、雨龍たちが?」
「ええ、風刃さんはトゥラビアでの戦いで負傷して、入院中ですが・・・・」
「トゥラビアで? 風刃ほどの男があのトゥラビアン相手に怪我をするとは思えませんが」
「・・・・」
芽瑠は、風刃がゆかりん達と戦ったことを紅嵐に言っていいのかどうか、ためらった。現在、風刃は雨龍に続いて紅嵐の弟子No.2に位置しており、一目置かれた存在である。そんな彼を傷付けられ、紅嵐は怒っているだろう。怪我をさせた相手がゆかりん達だと知れば、紅嵐の怒りは当然ゆかりん達に向く。これから「無の玉」を取り返しに行こうとしている紅嵐がそのことを知れば、ただ宝玉を取り返すだけでは済まず、彼女たちに報復しようとするだろう。どちらにせよ、風刃から話しを聞けば事実が分かってしまうのだが・・・・。
(あ・・・・)
そこまで考えて、芽瑠は見当違いなことを考えているのに気付いた。紅嵐は彼女たちにやられたのだ。当然、報復するに決まっている。他人のためでなく、自分自身の名誉のために。小娘にやられっぱなしでは、プライドに傷が付いているだろう。
(ん〜、でも、あの怪我が彼女達の仕業にはどうしても思えないのよね。だって彼女たちには、わざわざあんな風に先生を締め上げるような攻撃をする必要がないもの。だとすると、先生をあんな目に遭わせたのは一体・・・・?)
芽瑠は「誰にやられたのか」を聞こうと思って、やめた。紅嵐は負けることが嫌いで、決して負けたことを認めたくない性格であることを芽瑠は知っている。今ここで敗北したという事実を蒸し返すことは、彼にとって屈辱でしかない。今の紅嵐を刺激するのは得策ではないと芽瑠は思った。
「急ぎますよ」
それどころではないと思ったのだろう、紅嵐は芽瑠を抱きかかえて飛んだ。
「きゃ・・・・」
「掴まっていなさい」
芽瑠は話題が逸れたのでホッとした。
「・・・・風刃君は降格ですね」
風に乗って、紅嵐の小さな呟きが聞こえてきた。
30th Love へ続く
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