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6th Love 「ワンちゃんと保健室」
ゆかりの鞄の中に、淋しくブルブルと震え続けるマジカルレシーバーがあった。ヴィインという音が静かな教室内に響いている。
1年3組の教室は体育の授業中で、教室内には誰もいなかった。ゆかり達のクラスは、他の学年と体育が重なって、普段はプールの時間なのだが今日は体育館でバレーボールをしていた。行動を見張る先生もいないので自習となり、遊び感覚のような授業だった。
「いっくよ〜、こなみちゃん!」
「よぅし、今度こそ!」
試合形式とかルールはお構いなしにボールが乱れ飛ぶ。時にはボール同士が空中でぶつかり合い、予期せぬ方向に飛んでゆく。
「それっ!」
ゆかりの打ったサービスボールがへろへろとネットを越え、こなみが待ち構えているコートへと落ちて行く。
「え〜いっ」
こなみのレシーブしたボールはネットを越えずに引っかかり、床に落ちた。
「あ〜ん、まただぁ。ゆかりん、今度は私のサーブね!」
「ちょっと待ってこなみちゃん、一旦休憩しよ」
転がったボールを拾ってきたゆかりが、胸を押さえながら提案した。
「どうも体力や持久力は若返ってないみたい・・・・」
「ゆかりん、オバさんっぽいよ」
ゆかりとこなみは体育館の壁に寄りかかり、並んで座った。
「だってさ、ゆかりはこなみちゃんの倍、生きてるんだよ」
「でも違和感ないよね」
「ゆかり、中学から成長してないのかも」
ゆかりがこのうさみみ中学に通っていた頃とは、学校も随分と変わっていた。例えばゆかりがいた頃の体育館は取り壊され、この体育館は築2年のピカピカだ。
「そう言えば、ここの体操服はまだブルマーなんだね」
「何でも、最初は短パンにしようっていう予定だったらしいの。それでゆかりんが『時代の流れだねぇ』ってしみじみするはずだったんだけど、聞いた話によるとキャラデザの人に反対されたらしいわ。『ブルマーじゃなきゃ書かない』って言われて、短パンは却下されたって」
「ねぇ、きゃらでざって誰?」
「さぁ、でも校則を変えるぐらいだから、かなり偉い人じゃないかな」
「ふぅん。校長先生くらい?」
ゆかりがいつも体育の時間は見学をしている巳弥を探すと、同じように体育館の壁に背中を付けて腰を下ろしていた。但し、今日は体操服を着ている。
(そう言えば、出雲さんはいつも肌を出してないなぁ。彼女の制服以外の姿は初めて見たよ。こうして見ると彼女、凄く肌が白い。いつも隠しているからなんだろうな)
巳弥はいつものように俯き加減で、誰とも話さずただ座っているだけだった。
(バレーボール、誘ってみようかな?)
そう思ってゆかりが近付いて行こうとした時、巳弥が腰を上げた。後ろを振り返り、体育館の壁に開いている、通風のためにある窓を覗き込んだ。そこからは外が見える。
ふ、っと巳弥の顔が優しくなる。
(何だろ?)
ゆかりはそっと近付いて、巳弥の背中越しに窓を覗いてみた。
犬がいた。巳弥はその犬を見て、微笑んでいた。
「可愛いね」
「・・・・姫宮さん」
「のら犬かな?」
「そうね」
犬は何かを咥えていた。丸い、金色をした玉だった。
(え、あれはまさか・・・・!?)
その時、どこからか声が聞こえた。女の子の声だ。
「いた、おいで!」
ゆかりは更に窓を覗き込んで声の主を見た。この学校の生徒だ。今は授業中なのだが、抜け出してきたのだろうか。
(誰だろう? まさか、ワンちゃんが咥えてるアレを追って来たとか!?)
ゆかりは慌てて体育館の勝手口に向かった。自習なので、怒られる心配はないと思うと気が楽だった。
金色の玉を咥えた犬と女性徒が対峙する。
「おいで、その玉、頂戴」
女生徒は水無池芽瑠だった。彼女は妹の萌瑠から犬が宝玉を咥えて逃げたとの連絡を受け、授業中に抜け出してきたのだった。先ほどまで姉と一緒に犬を追っていたが、途中で見失ったために手分けして探していた。
「いい子だからね・・・・」
芽瑠は姿勢を低くして、ゆっくりと犬に近付いてゆく。犬は芽瑠をじっと見たまま、動かない。その時、背後から足音が聞こえたので、芽瑠はハッと後ろを振り向いた。
「あなたは・・・・」
(昨日の子、確か・・・・ゆかりん!)
「え? あ・・・・水無池、芽瑠」
少し目を離した隙に、仔犬は玉を咥えたままタタタと歩き出した。
「あ、待って!」
芽瑠とゆかりは仔犬の後を追った。仔犬はそれを見て、逃げるように小走りになる。
「あなたが追うから、逃げちゃうでしょ!」
「追わなきゃ逃げちゃうでしょ!」
「あなたに玉は渡しません!」
ゆかりんはそのセリフでやっと、芽瑠の目的が犬の咥えている玉だと確信した。
どちらが先に犬を捕まえるか。格好は制服の芽瑠と体操服のゆかりで走りやすさは見た目にもゆかりが優勢だったが、スカートにも関わらず芽瑠のスピードはゆかりのそれを大きく上回っていた。
(は、速い!)
だが犬も負けてはいない。咥えた玉を落とすことなく、2人の猛追をかわしつつ走り回る。中庭の中をグルグルと走り回っているところを見ると、犬はこの追いかけっこを楽しんでいるのかもしれなかった。
「芽瑠おねーちゃん!」
能天気な声が聞こえたかと思うと、学校の柵を飛び越えて末っ子の萌瑠が着地した。
「も、萌瑠、あなたその格好は!?」
「似合う? ね、可愛い?」
萌瑠は芽瑠の前でターンを決めた。
頭に付いているどでかいリボンはいつものことながら、芽瑠ですら見たことのないメイド服のようなロリータファッションで登場した萌瑠に、ゆかりもボーゼンとなった。しかも、ぷにぷにゆかりんの衣装を真似たかのようなド派手なピンク色だ。
「あ、今日はあの子、派手な格好じゃないんだ」
萌瑠はゆかりを指差して言った。ゆかりにしてみれば「あんたに言われたくない」という心境だろう。他人から見ればどっちもどっちだが。
「あの子の服が可愛かったから、対抗してみたの。ねぇ、可愛い?」
クルリとターンを決める萌瑠。
「そ、そうね・・・・」
曖昧な笑みを浮かべる芽瑠だったが、萌瑠は誉められたと思い、はしゃぎ回った。
「そうだ、宝玉!」
芽瑠とゆかりが萌瑠のファッションに気を取られている内にも、犬は尻尾を振りながら走り回っていた。
「ゆかりっ!」
そこに透子が現れ、犬の前に立ちふさがる格好になった。
「あ、透子! その犬、捕まえて!」
「えっ!? きゃっ!」
足のすぐ脇を走り抜けた犬に驚いた透子は、思わず飛び退いた。
「捕まえて! 犬が宝玉を咥えてる!」
「え〜、犬、怖い」
「可愛いじゃないの! そんなに大きくないでしょ!」
「でも、いや・・・・」
「あ、こなみちゃん、その犬、捕まえて!」
透子は戦力になりそうにないので、ゆかりの後を追ってきたこなみに助けを求めた。
「・・・・あ」
体育館の勝手口から、出雲巳弥が顔を出していた。
ゆかり、透子、芽瑠は普通の制服だが、明らかにおかしい格好をしている萌瑠を見て、どう反応していいか分からない、と言った風の巳弥だった。
(うわ〜、あの子があんな妙な格好してくるから、後でどうやって説明すればいいか困るじゃない!)
「え〜い!」
萌瑠が犬に飛びつく。だが犬はさっと身をかわし、萌瑠は顔を思い切り壁にぶつけた。
「いた〜い、おねーちゃ〜ん!」
顔面を痛打した萌瑠は鼻を押さえつつ芽瑠の所に走って行き、背後に隠れた。
「もう、すばしっこいんだから!」
芽瑠は妹を背中に庇いつつ、犬の姿を目で追う。
「せめて玉を離してくれたらいいのに・・・・」
4人がかりでも玉を奪うことはできなかった。犬は相変わらず、鬼ごっこを楽しむかのように走り回っている。
「こうなったら、魔法で何とかするしかないわ!」
魔法の孫の手をその手に出現させ、構えるゆかり。
「待ってゆかり、こんなところで魔法を使ったら、誰かに見られる・・・・っていうか、出雲巳弥って子が見てるわ!」
透子は小声でゆかりんをたしなめ、孫の手を下ろさせた。
「あ、そ、そうだったね」
「もう、軽率なんだから」
その時、キャインという犬の悲鳴が中庭に響いた。
「・・・・え?」
「ったく、何やってるんだい」
蹴られた犬の口から玉が落ち、犬は壁に体を思い切り打ちつけた。
「犬っころごときに時間を取るんじゃないよ。しかも、また宝玉じゃない」
「宝玉じゃ・・・・ない?」
現れたのは長女の魅瑠だった。走ってきた犬の顎を正面から蹴り上げたので、犬にとってはカウンターパンチを喰らったようなものだった。
「こんな玉に必死になっていたのか、お前たちは」
魅瑠が犬の口から飛び出した玉を踏むと、グニャっとつぶれた。
「宝玉とゴムボールを間違えるなんて。萌瑠だね、宝玉を見付けたって言ったのは」
「だ、だって、金色だったから・・・・」
芽瑠に思い切りしがみつく萌瑠。芽瑠も妹を抱き抱える。
「そのイカれた格好は何だい?」
「か、可愛いよね、萌瑠」
萌瑠は長女に向かってニッコリ微笑んだつもりだったが、頬が引きつっていた。
「ふん・・・・」
魅瑠はそんな末っ子の相手をせずに、蹴り飛ばされて倒れている犬に近付いて行った。
「このくそ犬!」
「あっ、駄目!」
ゆかりんが止める間もなく、犬は再び魅瑠の蹴りを喰らった。
「ひどいよ!」
「ひどい!」
ゆかりと透子が同時に抗議した。だが魅瑠に睨み返され、口をつぐむ。
「わざわざ授業を抜け出して来たんだ。この犬のお陰で無駄な時間を使ってしまったよ、全く」
更に息も絶え絶えの犬に歩み寄る魅瑠。その時、魅瑠の前に飛び出した者がいた。
「だめっ!」
「出雲さん!?」
出雲巳弥が犬を庇って上に覆い被さったのだった。
「何だい、お前は」
「出雲さん、逃げて!」
ゆかりが「魔法の孫の手」を出して構えた。
「ゆかり、駄目だよ!」
透子がゆかりの孫の手を掴んで止めた。
「だって、出雲さんが危ないよ!」
「どうやって彼女に説明するのよ! あたしたちは魔法少女ですって言うつもり? 噂が広まったら、あたしたちここにいられなくなるんだよ!」
「出雲さんはそんな、口の軽い子じゃないし・・・・」
「あぁもう、説得力ゼロ!」
「私は正義ヅラしてる奴が大嫌いなんだよ! 犬ごときのために!」
魅瑠が巳弥に対して蹴りを放とうとしたその時、魅瑠の体を無数の輝く星が包んだ。
「こ、これは!」
ゆかりの放った「スゥイートフェアリー・マジカルトゥインクルスター」が魅瑠の全身に炸裂し、弾けた。思わず膝を付いた魅瑠は、眩しさに顔を背ける。
「ううっ、眩しい! 痛い! くそっ!」
「効いてる、やはりダークサイドの人は光に弱いんだ!」
「ダ、ダークサイドだと!? 貴様、どうしてそれを!」
目を腕で庇いつつ、魅瑠が立ち上がった。
「姉さん、ひとまず逃げましょう!」
「逃げるだって? こんな奴らに背を向けるっていうのかい、芽瑠」
「ここでは不利だと思います。陽も当たってきたことだし・・・・」
「ちっ、覚えていろ!」
魅瑠の芸のない定番の捨てセリフを残して、三姉妹は学校のフェンスを飛び越えて消えた。相変わらずの恐るべきジャンプ力である。
「出雲さん! ワンちゃんは大丈夫!?」
ゆかりは倒れている巳弥に駆け寄った。
犬は無事だ。だが、巳弥の様子がおかしかった。息が荒く、意識も朦朧としているようだ。
「出雲さん? 出雲さん!」
いつものように看護師の先生が不在の保健室。意識のない巳弥を運んで来たゆかり、透子、そしてこなみは症状が分からないので、とりあえず巳弥をベッドに寝かせた。巳弥の普段は白い肌が、日焼けをしたように赤くなっていた。
「ねぇ、出雲さんってあの時、あの人に殴られたり蹴られたりした?」
「ううん、見てる限りでは何もされずに済んだよ。風邪とかかな?」
透子が巳弥の額に手を当ててみる。少し熱い。
「そういえば、出雲さんって光に弱いんだったよね。だから体育はいつも見学」
「そうだけど・・・・まさか、透子」
「そのまさかよ。ダークサイド・・・・」
「待ってよ。それならどうしてあの人からワンちゃんを守ったりするの?」
「作戦、かも。私たちに近付くための」
「透子!」
透子を睨みつけるゆかり。
「彼女がゆかりたちを騙そうとしてるってこと?」
「その可能性もあるってことよ。現に、日向に出て倒れたわけだし、ただ日光に弱いっていうだけじゃこんな風にならないわ」
「こんなになってるんだよ? ここまでしてゆかりたちを騙す理由って何?」
「もちろん、宝玉でしょ。それじゃ聞くけどゆかり、出雲さんのことをこれっぽっちも怪しくないって言える?」
「・・・・それは・・・・」
押し黙るゆかり。ゆかり自身もまだ巳弥については何も知らないと言っていい状況で、彼女を完全に信じることなど不可能だった。いや、ゆかり自身も疑っていると言っていい。しかし何故か、ゆかりは巳弥を信じたかった。
「あたしたちに取り入っておいて、宝玉を手に入れた途端に寝返るとか、あたしたちが邪魔だから隙を見て消しておくとか・・・・色々と理由はあるわ」
「そんな子じゃないよ! それにあの三姉妹だって、悪い人たちだと決ったわけじゃないでしょ? ゆかりたちみたいに、探し物を頼まれただけかも。そりゃあ、ワンちゃんに酷いことしたのは許せないけど・・・・ゆかりも殴られたことあるし。それだって一生懸命探してた宝玉がやっと見付かったと思ったら間違いで、ちょっとムシャクシャしたっていうか・・・・」
「ゆかり、その根拠はどこから来るわけ? ゆかりの話を聞いてると、世の中に悪い人なんていないみたいじゃない」
「そんなこと言ってないでしょ、透子こそ疑ってばかりじゃない!」
「まず疑ってかからないと、危険なのよ!」
「そんなだから透子、友達できないんだよ!」
(あ・・・・)
ゆかりは口を噤んだが、既に遅かった。
透子はゆかりを見つめていた視線を逸らした。
「ゆ、ゆかりん・・・・」
オドオドするこなみ。
「あの、透子・・・・」
「ゆかりはそれでいいよ。でもあたしは疑う。信じていた人に裏切られるほど、悲しいものはないから」
無言でガラガラと保健室のドアを開け、透子は出て行った。
「ゆかりん、いいの・・・・?」
「今追いかけても、きっと喧嘩になるだけだと思う・・・・」
いずれにしろ、どちらが正しくてどちらが間違っているのかがはっきりしない今の段階では、ゆかりも透子も自分の意見をぶつけることしかできなかった。
再びドアが開いた。
「透子?」
と、ゆかりは慌てて振り返ったのだが・・・・。
「え?」
真っ白な白衣に身を包んだ、スラリとしたスレンダーな女性が入って来た。
「あら、賑やかね。私の留守中にどうかしたのかしら?」
(留守中にって、いつもいないじゃん!)
心の中で突っ込むゆかり。
この女性は保健室の主、保健婦の井ノ坂桐子、24歳。美人なために男子生徒に人気があるらしいが、男子が桐子目当てで保健室に来てもほとんど会えないという不思議な先生だ。(単なる職務怠慢か?)
「あら、ベッドでお休みなのはお得意様の出雲さんじゃない」
「そうなんですけど、いつもとは違うんです」
「貧血じゃないとしたら熱射病かしら」
「えっと、多分そんな感じだと思います。とにかく、見て下さい」
こなみは桐子の腕を掴んでベッドに急がせた。
「みんな体操服ってことは、体育の授業だったのね。どのくらい外にいたの?」
「えっと・・・・」
「1〜2分かな」
ゆかりとこなみがお互いに向き合って確認した。
「まさか、そんなに短時間で・・・・とりあえず冷やしましょう」
桐子は保健室に備え付けの冷蔵庫から予め冷やしてあったタオルを出してきた。その際に冷蔵庫の中にアルコール類らしきビンを見つけたゆかりだったが、あえて何も言わなかった。
「そう言えば、出雲さんが助けたワンちゃんは?」
「出雲さんが倒れたから慌てちゃって・・・・どこ行ったんだろう」
チャイムが鳴った。授業の終わりを告げるチャイムだ。
「さぁあなたたち、出雲さんは私に任せて、早く着替えてきなさい。お昼休み、なくなっちゃうわよ」
(そう言えば、もうお昼だったっけ)
体育の授業で着替える時には、体育館の更衣室を利用する。更衣室の鍵を開けるのは体育委員の仕事だが、着替えの遅い生徒は最後に鍵を閉めて出なくてはならない。これが意外と面倒で、特に終わればすぐ昼休みという4時間目はランチタイムが遅れる為、生徒はみんな必死で素早く着替えてしまうのだった。
「あ〜あ、鍵係、決定かも」
「お昼休み、透子ちゃん来るよね?」
こなみが心配そうに言った。
7th Love へ続く
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