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「サンタ娘。」

 もう誰も信じない。

 俺は色とりどりのイルミネーションで華やかに飾り付けられた街並みを横目に家路を急いだ。寒風が俺の顔を叩く。周りはそんな寒さを感じていないかのようなカップルばかりだ。俺は割り算の余りのような気分になった。世の中を2で割った余りだ。まさに割り切れない思いというやつだ。
 冗談のセンスも冴えないし、言っても聞いてくれる人もいない。
 行き交うカップルはみんなお互いのことを信じているのだろう。その中のどれだけが真実で、どれだけが嘘っぱちなんだろうか。今夜だけの、かりそめの関係も少なくないだろう。ただ淋しいから、見栄を張りたいから、自慢したいから、そういう日だから・・・・色々な理由で。
 あまり他人を信じるなよ。信じれば信じるほど、裏切られた時の悲しみが大きくなるんだ。今日ここにいるカップルの、一体何組がその組み合わせのまま幸せになるのだろう。
 ・・・・こんなことを考えている自分が嫌になった。
 賑わう商店街を抜け、駅前を右に折れる。ここから家までは外灯の明かりも減り、人通りが少なくなる。俺が感じる空しさも少しは薄まるだろうか。
 普段からあまり人付き合いのいい方ではないが、今日は特に誰とも関わりたくない。早く帰って、寝てしまおう。明日からのことは、明日考えよう。
 とにかく今夜は早く寝よう。寝付くことが出来れば、の話だが。
 ・・・・ん?
 商店街の明かりが遠くなり、少し暗がりになった空間に、場違いとも思える赤い物体があった。ここは先日、不況からか営業不振で店を閉めた商店の店先だ。その後はまだ引き取り手が現れないのだろう、店先は暗く淋しげだった。そんな場所に、人目を引く真っ赤な物が置かれている。
 よく見ると真っ赤な服を着た人間だった。普段なら奇抜な格好だが、今日は日が日だけに朝からこんなファッションは飽きるほど見ている。俺はもう、見るのも嫌なほどだった。
 そのサンタはいつ雪が降ってもおかしくない寒空の下で、じっとうずくまっていた。いや、体が細かく震えている。寒いので、当然だ。
 こんなところで何をしているんだ? 小柄なので女の子だろう。こんな格好をしているのだから、どこかの店のアルバイトか、駅前でワゴンセールをしているケーキの売り子か。下を向いたままなので、泣いているのかもしれない。バイトでドジを踏んだか、はたまた彼氏に振られたか。
 ・・・・俺には関係ない。他人に関わるのはもうごめんだ。
 寒くて可哀想だ、という思いを振り切るように俺は再び歩き出した。こんな得体の知れない子は、見なかったことにするのが得策だと思った。今の子供は何をするか分からない。下手に関われば命を落としかねないご時世だ。
「あの・・・・」
 体が3センチばかり浮き上がるほど心臓が跳ねた。見なかったことにしようと決めたと同時だったので、何故か怒られた気がした。
 振り返るな。振り返ったら逃げられない。このまま聞こえなかったフリをして歩き出すんだ。早く家に帰って、風呂に入って寝るんだ。
「あの〜・・・・」
 思ったよりも子供のようだ。消えそうな、か細い、しかし可愛い声だった。寒い中、私を放っておいて行ってしまうの? そんなに薄情な人なの? そう言われている気がした。まるで捨てられた仔猫が悲しそうな声で鳴いているような、そんな声に聞こえた。だが、俺はもう人に親切にしないと決めたんだ。優しくしないと決めたんだ。
 たいして長くない後ろ髪を思い切り引かれながら、俺は自宅への1歩を踏み出した。
「すみません、瀬能聖人さんのお宅をご存知ありませんか?」
「えっ!」
 振り返ってしまった。
 他の言葉なら振り返らない自信はあったが、見ず知らずの女の子の口から自分の名前を聞かされれば誰だって振り返るだろう。
「瀬能聖人さんのお宅は・・・・」
 初めてその子の顔を見た。想像していたより若い。おそらく10代前半だろう。黒くて丸い目が俺をじっと見ていた。その助けを求めるような眼差しに少しだけドキッとした俺は、思わず答えてしまった。
「瀬能は僕だけど・・・・」
「あ・・・・」
 大きな目が更に大きくなった。
「あ、あの、一度お伺いしたんです、でも違う人が出てきて、そのっ」
 彼女は寒さでかじかんだ唇で必死に訴えてきた。
 どうやら俺の前のアパートを尋ねたようだ。俺が先週引越したことを知る人間は少ない。知られないように引っ越したのだから。それというのも・・・・。
「捜しました、瀬能聖人さん」
 真っ赤なサンタの衣装を着た女の子が立ち上がった。背は俺の肩までしかなかった。
 俺にはこんな子が尋ねてくる理由が思い当たらない。だが、確かに俺のフルネームを言ったのだから、俺を捜していたのだろう。それなら無視をしては悪い。
「ご住所、変わられたんですね」
「あ、ええ・・・・」
 何となくかしこまる。
「んも〜、局の人、ちゃんと調べてから教えてくれればいいのになぁ・・・・」
 局の人? ひょっとして、郵便局か?
 俺は改めてその女の子のつま先から頭のてっぺんまでを観察した。クリスマスには珍しくない真っ赤なサンタの衣装。頭はスッポリとフードを被っていて、顔と前髪しか見えない。ワンピースのコートの丈は駅前でケーキを売っていた姉ちゃんのように男に媚びているような短さではなく、辛うじて膝が見える程度だ。その下は長めのブーツと黒いストッキングを履いている。手袋はなくて、手だけが白く寒そうに見えた。
 最近の郵便局はこんな格好で配達しているのか。クリスマスだけのサービスだと思うが、こんな子供をアルバイトで雇っているのか。しかもこんな時間まで働かせて・・・・。
 俺の家を捜して、こんなに遅くなったのか。こんな寒空の下、俺のアパートを捜して、行き交う人に尋ねても誰もが知らないと言い、それでも捜し続ける。家には帰りを待つ家族が暖かい食事を用意して待っているんだろう。食後にはケーキ。プレゼントも用意されているはずだ。早く帰りたい、そんな思いとは裏腹に捜し求める家は見付からない。やがて歩きつかれてここに座り込んでしまった・・・・。
 そこまで想像した時、何だか自分が悪いんだと思い始めてしまったので、俺はわざとらしく首を振った。
 どうして俺が罪の意識を感じなければならないんだ? お人よしはもうやめたはずだ。余計な気遣いはもうしたくない。
「郵便物か何か?」
 俺は事務的に届け物だけ受け取ろうと思った。
「いえ、プレゼントです」
 誰からだろう? 俺にクリスマスプレゼントを届けてくれる人なんて、いただろうか?
 思い当たらなかった。
 ひょっとして美智子・・・・もとい辛島さんが、という都合のいい考えも浮かんだが、自分の未練がましさに腹が立った。彼女が今更、俺に何かプレゼントをくれるなんてことは有り得ない。親など論外だし、該当する友人もいない。先月までならいたのだが・・・・。
 俺はいやな事を思い出しそうになって、俺は差出人の推理をやめた。受取れば分かることだ。
「ご苦労様」
 俺はねぎらいの言葉を言って、女の子に手を差し出した。
「・・・・?」
 だがその子は俺の手をじっと見つめていた。
「握手?」
「違う! 郵便物、貰うよ」
「ユービンブツ? 私、そんなの持ってません・・・・」
「持ってない? 郵便じゃないの?」
「はい」
「郵便じゃないとしたら、宅急便?」
「私、ユービンでもタッキュウビンでもありません」
「じゃ・・・・」
「私、サンタです」
 見れば分かる。
「プレゼントを持って来たんです」
「だから、そのプレゼントを・・・・」
 そうか。受け取り印がいるのか。印鑑など携帯していないし、サインをするにも書くものもない。
「君、書くもの持ってる? ボールペンとか」
「いえ、あいにく」
「じゃあ・・・・家も近いことだし、寄ってくれる?」
「はいっ!」
 初めて見た笑顔だった。

 俺は黙ったまま歩くのも悪いと思い、女の子に話し掛けた。
「大変だね、こんな時間まで」
「いえ・・・・大事なお仕事ですから」
「アルバイト?」
「見習いです」
「宅配サービスか何かの?」
「サンタです」
「・・・・」
 なるほど、サンタになりきってプレゼントを配るサービスなんだな。徹底しているわけだ。こう聞かれたらこう答えるように、という応答マニュアルのようなものがあるのだろう。コンビニのレジだって、決まったセリフしか言わない。
「いつから捜してたの?」
「最初にアパートにお伺いしたのは正午過ぎです」
「えぇっ?」
 てことは、6時間以上外を歩き回っていたことになる。今日は朝から寒風が吹いて、体感温度はかなり低かった。
 俺はますます自分が悪い事をした気がしてきた。
「他の郵便もあったんだよね? そっちは終わったの?」
「いえ、私の担当は瀬能聖人さんへのプレゼントだけですから」
 少しだけホッとした。この子がこれからまだ配り終えていない届け物を持って歩かなければならないとなると、胸が痛かった。
「あの・・・・ごめんなさい」
 思いがけず女の子が謝ってきた。俺は謝りこそすれ、謝られる理由はなかった。
「私がもう少し早く伺っていれば、瀬能さんの痛みがもう1つ増えることもなかったのに、本当にごめんなさい」
 意味が分からなかった。痛みって何だ? まさか、たった今俺が感じた罪の意識を「痛み」だと言ったわけではあるまい。・・・・ひょっとして、顔に出てしまったのか?
 聞こうか聞くまいかと考えている間に、ほどなく自分のアパートの前に到着した。俺の部屋は2階にある。足場の狭い鉄製の階段なので、彼女のブーツでは登るのに苦労しそうだった。
「階段、気を付けてね」
「は、はい」
 カン、カンと2つの靴音が響く。俺はさっさと鍵を開けて部屋に入り、印鑑を持って玄関に戻ってきた。
 ところが、印鑑を構えて待っているにも関わらず、彼女はただ俺の手元の印鑑を見つめているだけだった。
「それ、何ですか?」
「印鑑」
「・・・・頂けるのですか?」
「君は『瀬能』か?」
「瀬能さんはあなたで、私はサンタです」
「ならこの印鑑を君にあげても仕方ない。これは瀬能さんが使うものだからな」
「そういうものですか」
「じゃなくて、早くプレゼントとやらと、受取証、出して」
「え、そんなの出せません」
「あん?」
「ないんです」
 そう言われれば、彼女は荷物らしきものは持っていない。サンタのポケットに入っているのなら別だが。
「・・・・ひょっとして、落とした?」
 俺の家をあちこち探し回っている内に、どこかに置き忘れたのか。それは子供とはいえ仕事なのだから、許されるべきことではないだろう。だが彼女は平然とこう言い放った。
「落としてません、最初から持ってないんです」
「・・・・」
 落ち着け、俺。
 一種、怒りのようなものが込み上げてきたが、飲み込んだ。とにかく話を整理しよう。
 このサンタは俺を訪ねてきた。プレゼントがあると言ったのに、持っていないと言う。しかも、最初からなかったらしい。プレゼントがないのに持ってきたとはどういうことだ?
 俺をからかっている? ただそれだけのために、6時間もかけるだろうか。いやいや、それだって本当かどうか怪しいものだ。つまり、俺はガキの暇つぶしに付き合わされたということか? クリスマスなのに誰も遊ぶ人がいないものだから、たまたま通りかかった騙されやすそうな俺に目をつけた・・・・。
「馬鹿にするなっ」
 俺は落ち着いて心の整理をした上で、やっぱり怒ってしまった。
「ええっ」
 驚いた顔で俺を見るサンタ少女。
「出て行けっ、嘘つき」
「そんな、私、嘘なんて」
 初めて明かりのついた場所で彼女の顔をはっきりと見たが、やはり可愛い。
 ・・・・いや、騙されないぞ。これまで何度、見かけで騙されたことか。
「だいたいサンタってのはいい人なんだぞ、お前みたいな奴がサンタを名乗るな! サンタの名が汚れる!」
「だってサンタですもん。・・・・見習いだけど」
 こいつ、あくまでサンタ気分だ。子供まで俺を馬鹿にするのか!
 俺は少女を玄関の外に追いやろうと、彼女の肩を小突いた。
「あ・・・・」
 冷たい。彼女のサンタ服は水分をかなり含んでいた。
 そういえば道が濡れていた。この辺りは昼間に雨か雪が降ったのだろうか。道をさ迷っている内に雨か雪に降られ、こんなに・・・・。こんな格好でいたら、風邪をひいてしまうぞ。
「っくしゅん!」
 女の子は思い切りクシャミをした。
「早く帰って、暖かくして寝ろ」
「でも、お仕事が・・・・」
 まだ言うか。
「俺に渡すものなんてないんだろ!」
「ありませんけど、渡さなきゃ・・・・くしゅん!」
「何わけの分からないこと・・・・」
 カン、カンと階段を登る音がして、隣の部屋のおばさんの姿が見えた。
「こんばんは」
 おばさんは珍しい物を見たかのような目で俺に挨拶した。クリスマスなのだから、サンタはそう珍しくないはずだが・・・・隣の玄関にいるのは珍しいか。
「こんばんは・・・・」
 俺も軽く会釈する。
「こんばんは」
 サンタ娘も会釈する。
 一瞬で色々な考えが俺の頭を巡った。
「あ、この子、親戚の子なんですよ、ほら、何やってるんだ、早く入らないと寒いだろ、さぁさぁ・・・・」

 小さなサンタが電気ストーブの前に座って手をかざしていた。
 確かにあのまま追い出したら、風邪をひいていたかもしれない。服は濡れていたし、顔も白くて唇も色が褪せていた。
 だからと言って、得体の知れない子を部屋に入れて良かったのか? 言動もちょっとおかしいし、どうも郵便や宅配ではないようだ。
 家出か? 家を飛び出してきたものの、行くところがなくて人の良さそうな俺に目をつけて・・・・。大体、さっきのクシャミはタイミングが良すぎるぞ。わざとじゃないか?
「君、その服は脱いだ方がいいよ。冷たいだろ? そのままじゃなかなか乾かないし、体も冷えたままだ」
「でも・・・・」
 少女の頬が赤くなった。ストーブのお陰で、血色はかなり戻って来ている。
「下にセーターとか着てるんだろ?」
 ふるふる、と女の子は首を振った。
「・・・・嘘だろ、滅茶苦茶寒いじゃないか」
「寒いの、慣れてますから」
「そっか、何しろサンタだからな」
 俺は皮肉っぽく言ったのだが、「はい」と真面目な声で返された。
 ピーッ、と風呂場から音が聞こえた。湯が入った合図だ。
「・・・・風呂、入れよ」
「いえ、そんなに親切にして頂いては・・・・」
「いいから」

 俺はタンスを開け、何か着るものを探した。あいつが何者かは別として、人としてあのまま帰すのは気が引ける。
 家出・・・・なんだろうか。何があったかは知らないが、クリスマスに家出なんて不幸な奴だ。あるいは俺以上に、クリスマスのネオンが辛く映っていたのかも。
 ・・・・だが、部屋に入れてしまって良かったのか? 言葉遣いは丁寧だが、何か目的があるんじゃないか?
 例えば服を貸してやるとして、サンタの衣装が乾いたところであれだけ着せて追い出すのはやはり可哀想だ。そのまま帰らせることになるだろう。貸してやる服を返しに来る可能性も低いかもしれない。彼女はまず暖かい風呂にありつき、ここで服をゲットだ。
 次に食事。何も食べてなさそうだから「お腹がすいた」と言うだろう。さっきのクシャミのようにタイミングよく腹を鳴らすかもしれない。これで食欲も満たせる。
 俺はタンスを探っている内に、虫食いで穴が開いているので、捨てようと思っていたセーターを見つけた。これならあげてしまってもいい。言ってしまえばゴミを押し付けるようなものだ。
 俺はそ〜っと脱衣場のドアを開けた。
 どうしてそ〜っとなんだ? 覗いているみたいじゃないか。
 虫食いセーターとジャージのズボンを置き、真っ赤なサンタの衣装を持つ。それは水分を含んで、重かった。
 乾くまで、結構時間がかかりそうだな。

 サンタの衣装をストーブの前に広げ、紅茶の用意をした。
 結局、プレゼントなんてないんだろうな。俺にたかるための嘘だ。
 まさか、不幸な俺の所にサンタがプレゼントとしてあの子を・・・・なんてネタは、ガキに受けそうな漫画の世界だ。
 もっと現実的かつ客観的に考えてみよう。この状況を他の人が見たらどう思うだろう? まるで俺がいたいけな子供を連れ込んでいるように・・・・。
 まさか、俺を誘惑して手を出させ、「知ってます? あなたのしたことは淫行っていうんですよ。警察に捕まりたくなかったら・・・・分かってるでしょ、お金ですよ。お金で解決してあげてもいいんですよぉ・・・・」なんて脅迫するつもりでは?
 結構、可愛いし・・・・。
 有り得る、充分有り得る。あの可愛さと殊勝な態度はそのためにあったのか! くっそう、俺には金なんかないんだぞ! カモるんなら、もっと金持ちのボンボンかエロオヤジにしろ。
「あの・・・・」
 か弱い声がして、俺は振り返った。
「あ・・・・」
 少女が立っていた。サンタのフードに隠れて分からなかったが、髪はストレートで腰まで伸びていた。俺のセーターなので、袖はブカブカで丈も長く、ワンピースのようになっている。ジャージの裾もルーズソックスのようにダブついていた。
「ありがとうございます、暖かかったです」
「そ、そう・・・・」
 さっきまで俺の頭の中に思い描いていた、俺を陥れようとしている少女の姿とは全く異なっていた。この子が、俺を騙そうとしているようにはとても見えない・・・・。
 いや、違う!
 だから俺はこれまでずっと騙され、裏切られてきたんだ。俊介だって、美智子だって、今日の・・・・誰だっけ、名前を覚えてない奴だってそうだ。
「紅茶、飲みな」
 俺はできるだけそっけなくティーカップを差し出し、勧めた。甘い顔をすると付け上がる。ありったけの「迷惑だから早く帰ってくれ」という顔を作った。
「ごめんなさい、私、お渡しする物も分からないのに、親切にして頂いて・・・・」
 きゅるるる。
「あっ」
 少女は慌てて自分の腹を押さえた。
 俺の読み通り、彼女は腹を鳴らした。故意に鳴らすことが可能なのかどうかはこの際どうでもいい。案外、腹の黒い奴は鳴らせるのかもしれない。練習すれば鳴らせるのかも。
「あ、あの、ごめんなさい」
 自分で鳴らしておいて、わざとらしく謝る。
 実は、冷蔵庫にさっき買って来て入れておいたケーキがある。
 クリスマスを1人で祝うための、大事なケーキだ。1人だと3食全てケーキにしても2日はもつほど、でかい。朝御飯はケーキ、昼御飯もケーキ、晩御飯もケーキだ。何なら夜食に食べたっていい。
 ・・・・想像して胸焼けがしてきた。
 とにかくそれだけ大事なケーキなのだ。1人で食うと決めたのだから、ここでご馳走するわけにはいかない。
 きゅるる〜。
「あ・・・・」
 また腹を押さえる。せつない音だった。
 俺は少女に椅子に座るように言い、紅茶を勧めて台所に向かった。他に何かあるだろうと戸棚を開けると、カップ麺が2つあった。
 日付を見る。1つは新しいが、1つは今月初旬に賞味期限が切れている。
 これでいい。

「すみません・・・・」
 また謝られた。
「食べな」
 俺のすすっているカップ麺は新しい。一方、彼女は賞味期限の切れたカップ麺をちびちびと食べていた。
 猫舌らしい。
「おいしい・・・・」
 少女は幸せそうな顔をした。賞味期限の切れたカップ麺でそんな顔をされても困る。
 はふ、はふ。
「・・・・」
 俺が食い終わった時、彼女の方はまだ半分以上残っていた。懸命に熱い麺をすする仕草が可愛かった。
 ・・・・またあやうく騙されるところだった。気を許すな、疑ってかからなければ、また騙される。
「服が乾いたら、帰れよ」
 思い切りつっけんどんに言ってみる。
「でも、プレゼントを・・・・」
 まだ言うか。
「あの、実は言われたんです。『プレゼントはお前が考えろ。但し、物じゃない』って」
「誰に? 窃盗団のボスか、それとも意地悪なママ母か?」
「?」
「いや、何でもない」
「でも私、分からなくて・・・・」
 落ち込みながらも伸びた麺を口にせっせと運ぶ。
「・・・・」
 彼女に貸してやったセーターは俺のものなので、当然大きい。俯いてラーメンをすすると襟元が大きく開いて、胸元が見えそうだった。
 駄目だ、これは奴の手だ。
 誘って淫行、脅してガッポリ大作戦! 近日公開ロードショー、今夜は先行オールナイト上映だ。
「プレゼントはいいから、親も心配しているだろう?」
「・・・・でも、お仕事」
 顔が真剣なだけに、彼女の言動は怖かった。本気で言っているのだとしたら、マジでちょっとおかしい。「夢見る女の子」なら可愛いが、妄想癖があるのだろうか。俺は激しく後悔した。こんな身元の分からない妙な子を部屋に入れるなんて、とことんお人よしだ。
 もし彼女がここで「助けて〜」と叫んだらどうなる? 警察が来て、俺は捕まるだろう。俺の言い分など誰も聞きはしない。誰が見たって俺が悪者で、こいつは被害者だ。世間は「可哀想」と言ってこいつを庇い、同情する。俺は無実のまま前科者となって、決して成功とはいえないまでも平和な今の生活がメチャクチャに・・・・。
 その時、彼女がある1点を見ていることに気付いた。視線の先には清涼飲料か何かにおまけで付いていたクマのような人形があった。ような、と形容したのは、クマだか犬だかパンダだか宇宙生物だか分からないからだ。何しろ、ボディカラーが赤だ。燃える男の真っ赤なボディだ。とりあえずそいつを「血グマ」と命名することにする。英語にするとブラッディ=ベアー、略称は「B・B」だ。
「どうした」
「可愛い・・・・」
 本気で言っているのか? コードネーム「B・B」は、ただのへんてこなプラスチック製のオモチャだぞ。
「欲しいなら、やる」
「え、でも・・・・」
「どうせオマケだ」
 その程度で満足して帰ってくれるとは到底思えないが、元々あまり可愛くないと思っていたので進呈することにした。
「すみません、私、頂いてばかりで・・・・」
 血グマを手に取った女の子は、自分の前に置いてそれを見つめながらラーメンをすすった。ただでさえ遅いのに余計に時間がかかった。食べる早さより麺が伸びる早さの方が勝っている気がした。だとすると、彼女は永遠にカップ麺を食べ終えることができないのではないだろうか。食費が浮いていい食べ方かもしれない。
「ご馳走様でした」
 俺の心配は杞憂に終わり、彼女が箸を置いたのを見て、俺は立ち上がった。
「食い終わったら、帰ってくれ」
「え、でも・・・・」
「何を企んでるか知らないが、俺は金は持ってないんだ、他の奴を当たれ」
「そんな、私の担当は瀬能聖人さんですからっ」
「担当って何だ、金を巻き上げる担当か? お前の所属する組織がどこからか『騙されやすい奴リスト』を入手して、俺の所にお前を派遣したのか? 出てけ!」
 俺はストーブの前に吊ってあったサンタ服を掴んで、彼女に投げつけようとした。
 ひやり。
 表面は温かいものの、中はまだ水分が残っており、冷たく重かった。
「・・・・まだ乾いてないな」
 俺は投げつけるのをやめ、サンタ服を裏返してストーブ前に戻した。
 再び椅子に座る。
「はぁ・・・・」
 大袈裟にため息をついた俺を少女が覗き込む。
「ごめんなさい」
「・・・・俺、本当に金は持ってないんだ」
 俯いたまま、俺は彼女に喋り始めた。どうしてだろう。 どうして俺は思い出すのも嫌な話をこの子に話すんだろう。
 きっと・・・・誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

「3年・・・・いや、4年付き合っていた友達、いや親友と呼んでいい奴がいたんだ」
 社会人になって初めて出来た友人だった。仕事は違うが、俺たちは何となく気が合って、親友と呼べるようにまでなっていた。いた、と過去形になったのは訳がある。
 ある時、そいつがまとまった金額の借金をしていると知った。
 理由は分からない。金遣いが荒い方でもなかったし、ギャンブルなどしない奴だったので、女かもしれない。
 あいつなら信用できると思った俺は、相談を持ちかけられて理由を聞かずに保証人になった。
 3週間前、あいつは姿を消した。取立人は保証人である俺の所に金を返すように言って来た。借金の取立てのおかげで俺は前のアパートを出た。というか、追い出された。それが今日、彼女が探していた俺の元のアパートだ。
 今度は会社にまで取立てがやってきた。迷惑だからやめてくれと言ったが、金を返せの一点張り。当然、返せる金なんかない俺は、会社までクビになった。
「実は君、前々からリストラのリストに入ってたんだよね」
 上司がそう言っていた。自分なりに仕事はきちんとこなしてきたつもりだったのに、そんな言葉を浴びせられたことで、自分は今まで何をやってきたんだろう、と思った。
 新しいアパートの敷金・礼金を払った俺は、金が無かった。
 それまで溜めていたお金は、付き合っていた辛島美智子へのプレゼントでほとんど使ってしまっていた。・・・・いや、付き合っていたと思っていたのは俺だけだった。
「瀬能君、息苦しいんだよね」
 ある日、彼女にそう言われた。
「あたし一筋って感じじゃない? 何をするにもあたしが優先。まずあたしのことを気に掛ける。何かさ、気を遣うっていうか、時に鬱陶しいっていうか。監視されてるみたいでさぁ」
 一途でどこが悪いんだ。好きな人のことばかり考えちゃ駄目なのか。
「もっと気楽に付き合える人がいいの」
 俺は彼女にあれが欲しい、これが欲しいと散々言われて買ってやった。いや、今思えば彼女は俺に1回もねだったことがなかった。欲しいな、と匂わせておいて、俺が買ってあげると「わぁ、これ欲しかったの!」と喜ぶ。俺はそんな彼女を見て「俺は彼女の気持ちが分かる、優しくて思いやりのある男だ」と勝手に自惚れていたのかもしれない。
 あいつは他に付き合っていた男と結婚したと、1週間ほど前、そんな話を聞いた。
 3日前、失業していた俺はこのアパートの家賃を稼ぐためとりあえずコンビニでバイトを始めた。
 事件は今日、起こった。一緒にバイトをしていたもう1人の男が「彼女と約束してるのでちょっとだけ出てきていいですか」と言ってきたので、ちょっとだけなら、と俺は了解した。プレゼントを渡して帰ってくるものだと思っていた。
 2時間経っても彼は帰って来なかった。代わりに「監視カメラの点検」と言って男2人と女1人の3人組が入って来た。1人がカメラを点検している時、女が「気持ちが悪い」とトイレに駆け込んだ。ただ事ではないと思って心配になった俺が付き添っている内にカメラの点検が終わり、3人は帰っていった。
 直後、レジの金がなくなっていることに気付いた時にはもう遅かった。監視カメラは黒く塗られ、犯人の顔は分からない。
 俺は店長に怒られた。後からひょこひょこ帰ってきたもう1人のバイトはお咎めなし。更に俺は犯人とグルではないかとまで警察に疑われた。もう1人のバイトも共犯の疑いで警察に調べられたが、「彼は前から真面目な青年だった」という店長の証言であっさり疑いは晴れた。俺はバイトを始めて3日だったから疑われた。バイトはクビになった。クビにされなくても、もう行く気はなかった。
 人をさんざん疑っておいて、警察はただ俺に「帰っていい」とだけ言った。言われての帰り際、自分にケーキを買った。その後、このサンタ娘に出会ったのだ。
「だから金なんてないんだ」
「・・・・」
 話したことで少しはスッキリするかとも思ったが、淡い希望だった。こんな子供に泣き言を言っている自分が惨めで、余計悲しくなった。
「きっと帰ってきますよ」
「あん?」
「お友達。お金持って、帰ってきます。だって、親友なんでしょ?」
「・・・・」
「辛島さんはきっと瀬能さんに合わない女性だったんですよ。きっとお付き合いを続けても、いつかはそれに気付いたはずです。早く分かって、良かったと思います」
「・・・・」
「今日のことは・・・・ごめんなさい、私がお昼に瀬能さんに会っていれば回避できたかもしれません・・・・」
「・・・・」
「あのぅ」
「お前に何が分かるんだよ! 出て行けよ!」
 溜まりに溜まったものが爆発して、俺は怒鳴ってしまった。怒鳴るなんて、何年ぶりだろう。彼女は悪くないと分かってはいた。勝手に喋ったのは俺だ。
 何のために話した? この子に慰めて欲しかったのか、俺は?
「ごめんなさい」
 彼女の声が震えた。唇を噛み締める。
 その瞳から、涙がこぼれた。
「おい・・・・」
 俺はうろたえた。今まで女の子を泣かしたことなどなかった。
 いや、泣くのも手だ。作戦だ。涙は女の最大の武器だ。
 だが、すすり泣く彼女を見ているとさすがに自分が泣かしたことへの自責の念がこみ上げてくる。
「だいたいだな、サンタが俺1人に時間をかけてていいのか? 他の人にもプレゼントを配らないといけないだろ?」
 なだめるように、あくまで優しく彼女の嘘に乗ってやることにする。情けないが、泣いている女の子には勝てなかった。
「さっきも言ったように、私の担当は瀬能さんだけですから・・・・」
 泣き声で答える。
「そんなことだったら、みんなに配れないぞ」
「毎年、配られる人は決っているんです。サンタだって人数が限られてるし。選ばれなかった人はお母さんやお父さんから貰うんです」
 そうなのか。
「プレゼントを受取るのは子供だろ? 俺は大人だぞ」
「歳は関係ないみたいです。需要のある人になら、歳も仕事も関係ないんです」
 よくもまぁ、こんな作り話をスラスラと言えるものだ。予め用意していたとしか思えない。組織が作成した「にせサンタマニュアル」を読破したのか。
「サンタってのは髭のおじいさんだぞ、普通」
「だから、私は見習いです」
「何歳なんだ?」
「・・・・秘密です」
「家はどこだ?」
「ずっと北の方です」
「まさか、北海道か」
「・・・・秘密です」
「どうやって来た? トナカイが引くソリに乗ってか?」
「・・・・秘密です」
「秘密少女だな。分かった、名前はアッコだな」
「・・・・いいえ」
 付き合いきれない。
 俺はふと名案を思いついた。家出少女なのだから、警察に引き渡す、それが得策だ。だが昼間の1件もあり、警察と関わるのは嫌だった。警官が信用できなかった。
「なぁ、俺へのプレゼントを探してるんだろ?」
「え、ええ」
「一緒に買いに行こうか」
「でも、それが何なのか・・・・」
「だから探すんだろ。ほら、サンタの服も乾いたことだし」
 真っ赤な衣装を少女に渡す。ほとんど乾いていた。
「では、この服をお返ししないと・・・・」
「それはいいから、着て帰れ」
「でも、もうこれ以上頂くわけには・・・・」
 頂いて帰るつもりだったんだろう、無理に申し訳なさそうな顔をするな。
「寒いからな。着て帰れ」
 どうせ虫食いだ。捨てようと思っていた物だ。
「・・・・すみません」
 謝られたのは、これで何度だろう。

 俺は形だけ出掛ける格好で、彼女と一緒に部屋を出て、計画に移った。
「あっ!」
 自分でもちょっとわざとらしかった。
「どうしたんですか?」
「忘れ物をした。先に行っててくれ」
「いえ、待ってますから」
「すぐに追いつくから。もし俺が追いつかなかったら、さっき出逢った駅前のベンチで待っててくれ。いいか、駅前のベンチだ」
「・・・・はい」
 サンタ娘は俺の言葉を真に受けて歩いて行った。俺はそれを確認し、部屋に戻って鍵を掛け、息を吐き出した。
 さて、と。後は警察に電話して終わりだ。
 110番に初めて電話した。
「あ、すみません、***駅前に家出らしい女の子がいるんですよ、補導して下さい。服装は真っ赤な、サンタみたいな服を着ています」
 名前を聞かれたが、そのまま切った。
 これでいい。後は警察のやっかいになれば万事解決だ。これで俺の平和な夜が戻る。戻って来ても絶対にドアを開けない。

 30分後、電話が鳴った。警察からだった。
 「家出少女なんて、いませんでしたよ」と言われた。警察は、名乗らなくても町内なら逆探知ですぐに掛けた相手が分かるらしい。
「・・・・逃げたのか」
 家出少女だから、警察の姿を見て逃げたんだろう。今頃は家に帰っているかもな。
 テレビの前に寝そべり、たいして面白くないバラエティを見る。あの子は家に入れて貰えただろうか。父親が怒って、入れて貰えなくて、寒い思いをしていないだろうか。いやいや、まさかこんな寒い夜に締め出すなんてこと、人としてできるわけがない。
 ・・・・俺、締め出したな。自分で自分が人であることを否定してどうする。
 テレビでは有名なタレントが喋って、客席やスタッフが笑っているが、俺は笑えない。
 そうこうしている内に、彼女が出て行って2時間近く経った。
 カーテンを開けると、雪が降ってきていた。
 無事に帰ったかな、と少し心配になる。行き倒れになっていたら、後味が悪い。朝刊に「サンタ少女、凍死」という見出しが出るのは嫌だ。そうなれば、セーターの持ち主である俺が疑われる可能性もある。
 ・・・・全く、警察なんて役に立たない。コンビニの時のように俺を疑ったりする暇があったら、女の子の1人くらい捕まえろ。
 このままでは寝つきが悪くなると思い、俺はコートを着て駅前に向かった。
 ・・・・何やってんだ、俺。

 駅前は相変わらずクリスマス・ネオンで賑わっていた。
 また嫌な所に来た。視覚と聴覚から俺が1人と実感してしまう場所。
 見上げると、ライトグレーの空から雪がはらはらと舞い落ちてくる。
 歩きながらも俺の頭には雪が降り積もってゆく。この寒さだ、あいつはとっくに自分の家に帰っている。帰っていて欲しかった。
 だが、彼女はそこにいた。
 アツアツのカップルすら寒くて座っていない、雪化粧された駅前のベンチ。
 せっかく乾いたサンタの衣装が白くなる程に積もった雪。
 信じられなかった。
「お前、何してるんだよ」
「え・・・・」
 ゆっくり顔を上げる。
「遅かったですね、瀬能・・・・聖人さん」
「遅いって・・・・」
 時計を見た。2時間10分過ぎている。
「どうして待っていられる?」
 普通、嘘だと気付くだろう。そのまま帰ってしまうか、俺のアパートに引き返してくるだろう。言われたままベンチに座ってなくても、その辺の店に入れば暖かいだろう。
 どうしてここにいるんだよ、お前。
「約束じゃないですか。ここで待ってるって」
 にっこり微笑むサンタ。
「それにこの頂いたセーター、とても温かかったので、平気でした」
 拳までセーターの袖の中に入れたまま、手を振る。それは虫食いの、捨てるつもりだったセーターだ。いわばゴミだ。
「お腹も一杯だったから、温かかったです。おいしかったです」
 それは、賞味期限の切れたカップ麺だ。それも本来は捨てる予定のものだ。俺は自分だけ新しいカップ麺を食ったんだ。
「この子も一緒だったから、淋しくなかったですよ」
 それは、俺にとってはどうでもいいただのオマケだ。これもまた捨てようと思っていた、クマかどうか妖しいほど可愛くないマスコットだ。
 なのになぜ、そんなに笑っていられるんだ。
 ふと彼女のサンタ服を見ると、あちこちが黒く汚れていた。
「どうした? 泥だらけじゃないか」
「ちょっと転んじゃって・・・・大した事ないです」
「おい、手、見せてみろ」
 隠そうとした彼女の手を無理矢理広げさせると、手のひらに赤い擦り傷があった。白い手のひらに、それはあまりにも痛々しかった。
「ここで瀬能さんを待っていたら、警察の人が2人、家出少女について聞き込みをしてたんです。間違えられたら嫌だと思って必死で逃げたんですけど、途中で転んじゃって。でも、大丈夫ですから」
 俺が通報したせいで、彼女は怪我をした。俺をここで待つために、警官から逃げたからだ。この怪我はまぎれもなく俺のせいだ。
 俺はずっと裏切られてきた。
 他人なんて、信じられないと思った。信じれば裏切られた時に辛いから。信じれば信じるほど、辛さは増していくから。そんな辛さをもう味わいたくなかった。そんな辛さから逃げていた。
 そんな俺は、どれだけこの子に嘘をついた? 疑った? 裏切った?
「ど、どうしたんですか、瀬能さん!」
「・・・・えっ」
 涙が出ていた。悔しかった。
 それは、騙された時の涙よりも辛かった。こんな涙は・・・・初めてかもしれない。
「瀬能さん・・・・」
 サンタ少女はそんな俺を見て対応に困っていた。
「なぁ・・・・時間あるか」
 俺はすぐに冷たくなった涙を指で拭った。
「え?」
「帰って、怪我の手当てをしよう。そして、ケーキ食べないか」
「でも、プレゼント・・・・」
「そんなの、いいよ」
「でも本当に私、瀬能さんに貰ってばかりで・・・・」
「食ってくれ。1人じゃ食べきれないケーキなんだ。食べてくれると、助かる。」
 1人では持て余すケーキ。1人で食べるより、2人で食べた方が美味いに決っている。俺はなぜあの時「勿体無い」と思ったんだろう。どうしてこの子と一緒に食べようと思わなかったんだろう。
「では、頂きます」
 そんな俺の心を癒すかのように、サンタは嬉しそうに微笑んだ。

 帰り道。
「どうしよう・・・・」
 彼女は困っていた。クリスマスが終わるまで、あと2時間足らず。まだ俺へのプレゼントは分からないままだった。
「じゃあ、こうしよう。一緒にケーキを食べてくれることが俺へのプレゼントだ」
「でも、それは私の本当の使命じゃないんです」
 彼女は「使命」という大層な単語を持ち出した。いつしか俺はこの子が何者でもかまわない、この子が探している「俺へのプレゼント」を見つけてやりたい、そんな気分になっていた。
「あっ」
 小さな叫び声が聞こえたので振り向くと、道路脇にある小さな川を覗き込んでいた。
「どうした?」
「落ちちゃった・・・・」
 俺も一緒に川を覗き込んだ。あのクマのマスコット(血グマ)が、遠い外灯の明りに照らされた薄暗い川辺に落ちていた。幸い、水には浸かっていないようだ。
「どうしよう・・・・」
「仕方ないよ。元々オマケに付いていた安物のオモチャだ」
「でも、せっかく頂いたのに・・・・」
「よせっ」
 川の縁を降りようとする少女の腕を掴んだ。それは折れそうなほど細かった。思わず思い切り掴んでしまったが、痛くなかっただろうか。
「私、取りに行きます」
「いいって、あんなの。またジュースを買ったら付いてくるから」
「あの子は、聖人さんから貰ったあの子は、あの子しかいないんです。同じ格好の子を買っても、それは別の子なんです!」
 必死の瞳が俺に訴えてくる。あんな不細工な奴を「あの子」と呼んでくれた。俺はまた同じ物を買えばいいと思った自分が、何だかとても薄情な奴に思えてきた。
 不細工だから、安物だから見捨ててもいいのか? 綺麗で可愛くて高価なものだったら俺は拾いに行くのか?
「待ってろよ」
 俺は足元が滑らないか確認をしながら、少し川の縁を踏んでみた。雑草が茂り、コートの裾を濡らす。俺は少しためらった後、コートを脱いだ。やはり寒かったが、コートのままだと上手く足が動かず、クマを取りに行けそうになかった。
「瀬能さん・・・・」
「そのコート、財布が入ってるからな。今の俺の全財産だ、落とすなよ」
「は、はい」
 足を滑らせないように、1歩ずつ土を踏みしめてゆく。 斜面になっていて、おまけに水分を含んでいるので気を緩めれば足を滑らせてしまうだろう。
 あいつの目的が金なら、このまま財布を持って逃げるはずだ。俺はこんな状態だから、すぐに上がれない。女の子の足でも逃げきれるだろう。
 だけど、あの子は待っていてくれる。俺が血グマを拾って来るまで待っていてくれる。  人を信じるって、こんなに気持ち良かったのか。あの子を疑っていた時の重苦しさが一度に晴れた気がした。大袈裟だが、誇らしくさえあった。
 クマに手が届いた。

「ありがとうございます」
 やはり彼女は待っていてくれた。
 再び血グマが彼女の手に戻った。「もう落としたりしません」と言ってくれた。
 ますます本降りになってきた雪の中を歩き、俺たちはアパートの前に戻ってきた。
「プレゼントって何でしょう・・・・」
 そうやってまだ悩んでいる彼女に、俺はこう言った。
「プレゼントなら、もう貰ったよ」
「え?」
「貰った。俺がなくした、大切なもの」
「私、何も渡してません。私、瀬能さんに何も・・・・」
 きっと、この子はサンタなんだろう。
「人を信じる心」
「・・・・」
「素敵なプレゼントだ」
「あ・・・・だから、目に見えないもの・・・・」
 この子はプレゼントが何なのか知らなかった。きっとそれは、俺自身が見つけなければ意味がなかったから。俺が自分で大切なものを取り戻すために、この子はプレゼントが何かを知らないまま俺の所にやってきたんだろう。
「あの・・・・瀬能さん」
「ん?」
 気のせいか、彼女の声に淋しさが混じった。
「目を閉じて下さい」
「えっ?」
「お願いします」
 彼女の真剣な表情に、俺は素直に目を閉じた。こういう場面で「目を閉じて下さい」と言われ、俺は少し期待した。
「サンタは・・・・」
 期待と違い、彼女の淋しげな声が聞こえた。
「サンタはプレゼントを渡すと、サヨナラしなければならないのです」
「えっ」
「目を開けないで! ・・・・プレゼントの見返りを受けてはいけないからだそうです」
「見返り・・・・」
「私、先にたくさん貰っちゃいましたけど」
 照れ笑いをしながらも彼女の言葉は震えていた。
「だから、さよならです」
「待って、まだケーキが・・・・」
「・・・・メリー・クリスマス」
「待って!」
 傷の手当て、しなきゃ駄目だろう。
 1人じゃケーキ、食いきれないぞ。俺の胃が悪くなったら、お前のせいだからな。
 何だよ、結局俺はずっと君を疑っていただけだったじゃないか。やっと信じるって決めたのに、それなのに帰ってしまうのかよ!
 目を開けないで、と彼女は言った。だが、こんな別れは嫌だ!
 俺は思い切って目を開けた。
「・・・・」
 そこには、白い雪がスローモーションのようにただ降り続いているだけだった。
 ・・・・というシーンを想像したのだが、俺が見たのはサンタの格好をした女の子がトテトテと一生懸命に駆けてゆく姿だった。足取りもたどたどしく、少しずつ小さくなってゆく女の子の姿を俺はただ見送るしかなかった。スウっと消えてしまったり、トナカイがいきなり現れたりしなかった所が、妙に現実的だった。ひょっとしたら、見習いはソリに乗せて貰えないのだろうか。
 俺は彼女の名前を呼ぼうとしたが、名前を聞いていなかった。いや、たとえ聞いても彼女は「サンタです」と答えただろう。だから、俺は灰色の空に向かってこう言った。
「メリー・クリスマス」

「・・・・あれ?」
 俺は部屋に戻ってからコートのポケットを探ったが、財布がどこにもない。4つあるポケットを全て探してみたが、入っていなかった。
 落としたのか。
 きっとあの川辺で脱いだり着たりしている時に落としたんだろう。あれがなくなったら、明日から生活ができなくなる。もし誰かに拾われて、そのまま持って帰られたりしたら大変だ。あまり貯金はないがキャッシュカード、免許証、色々な会員証が入っている。
 俺は再び靴を履き、財布を落としたであろう場所に早足で引き返した。途中で落とした可能性もあるので、暗い道を注意しながら早足で歩いて行く。
 雪はまだ、当分やみそうになかった。

サンタ娘。END

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