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ヤギの郵便屋


 俺はヤギだ。
 ただのヤギじゃない。おそらくこの世で一番幸せなヤギだ。
 なぜなら、この2年半ずっと文通していた白ヤギのメイちゃんに思い切って告白したところ、OKの返事が来たからだ!
 思えば短いようで長い2年半だった・・・・。メイちゃんのことは雑誌の文通コーナーで知り、絵画が好きという同じ趣味の彼女に興味が湧いて、俺から手紙を出した。ほどなく返事が返って来て、俺たちの文通が始まった。
 俺はメイちゃんの顔を知らない。でも、手紙の字と文章で彼女を好きになった。ヤギの本能から、食べてしまいたいほど可愛くて綺麗な手紙だった。何と表現すればいいだろう、ほっと和むというか、安心できる雰囲気を彼女は持っていた。それに、彼女とは何かと気が合った。好きな場所、好きな食べ物、好きな歌手・・・・。
 俺は文通を始めて半年を過ぎた頃、自分の気持ちに気が付いた。
 彼女を好きなんだ、と。
 だが、すぐにはその気持ちを文章にできなかった。唐突に告白なんかして、彼女との関係を失いたくはなかったのだ。彼女は俺のことをただの文通相手としか見ていないかもしれないのだ。俺の中の恋愛感情を文章にしてしまって、もし彼女が俺から離れてしまったら・・・・そう考えると、勇気が出なかった。彼女との関係が壊れてしまうのなら、このまま気持ちを伝えないまま手紙のやりとりをしていた方が幸せだ・・・・そう思った。
 だがやはり、気付いてしまった自分の気持ちを止めることはできなかった。月に2回ほどの手紙のやりとりの中で、俺は彼女に恋心をほのめかすような言葉を少しずつ綴った。それでメイちゃんが気付いてくれたら・・・・祈るような思いで俺は手紙を書き続けた。
 いつからか、彼女の方も俺のことはまんざらじゃないと思っている気がしてきた。そんな希望であり願望であった俺の考えも、今では間違いではなかったと思う。
 そして遂に、俺は彼女への想いの丈を手紙に綴った。
 その手紙を出してから、何と時間の進む速度が遅かっただろう。手紙を出した直後から俺はソワソワし、まだ着かないか、まだ読んでくれていないか、まだ返事はくれないのか・・・・。
 返事が届くまでの1週間を俺は何倍にも感じた。そして、それは彼女の「OK」の返事で報われたのだ。
 私もあなたのことが・・・・。
 何と、俺たちは両想いだったのだ!こんなことなら、もっと早く告白しておくんだった!
 何はともあれ、お互い付き合うとなれば顔が見たくなるのは当然だ。彼女の文章や文字、性格などを好きになった俺にとっては顔や見かけなど大した問題ではないが、やはり知っておくに越したことはない。俺は自分の写真を手紙に入れ、彼女にも写真を送ってくれるように書いた。俺の好きなのはメイちゃんの中身だから、とも書いた。そうすればいくら顔に自信がなくても写真を送ってくれるだろう。

「郵便で〜す」
 4日後、手紙が届いた。
「ご苦労さま」
 いつも無愛想に手紙を受け取っていた俺だったが、メイちゃんと文通を始めてから届けてくれる郵便屋さんにもねぎらいの言葉をかけるようになった。
(この中に、メイちゃんの写真が・・・・)
 俺は自分の予想よりもドキドキしていた。当たり前だ、好きな子の顔を初めて見るのだから。そう言えば背の高さとか、体の細さとか、外見の話はしたことがなかった気がする。俺には必要なかったし、彼女も俺の中身を好きになってくれたのだから、そんなことは重要なことではなかったのだろう。
 はやる気持ちを抑えて、俺はメイちゃんからの手紙を開けた。
 いつもの可愛い便箋と、底の方に写真らしきものが入っていた。俺はまず手紙を読むことにした。

 想像していたよりも格好良くてビックリしました。お返しに、私の写真も同封しますね。写真なんてあまり撮らないから、緊張して変な顔になっていないかなぁ。笑わないで下さいね。

 ・・・・笑うもんか。写真が苦手だなんて、可愛いなぁ。
 さて、いよいよご対面だ。俺は封筒を逆さにし、写真を手に取った。
 さぁ、憧れのメイちゃんの・・・・。

(何だ。やっぱり恥ずかしかったのか)
 そこには可愛い白ヤギなんて写っていなかった。メイちゃん流の冗談だろうか、そこにあるのは可愛い白ヤギではなく、黒ブタの写真だった。
 可愛くないだけでなく、白くもなければヤギですらなかった。およそ女の子でもあるまい。こいつの家には鏡がないのか、ニッコリ笑っているつもりの引きつった顔でピースサインをしていた。
(う〜ん、はぐらかされたな)
 どこかに「冗談です」なんてコメントがないかと俺は写真を裏返した。

 メイです。可愛く写ってるかなぁ。

 明日は雨だっけ。夕飯、何を食べようか。そういえば今日のテレビ、待ちに待っていたあの映画があるじゃないか。
 ・・・・しばらく現実逃避していた俺は、時報で現世に戻ってきた。
 ここはどこだ? 俺は・・・・。
 そうだな。これも冗談だ。全く、メイちゃんは冗談は下手みたいだ。こんなジョークに俺が引っ掛かると思っているんだろうか。全く、可愛い子だ。
 ・・・・それに引き換え、この写真に写っているものは可愛くない。ブタがと殺される時はこんな顔なんだろうか。どこからこんな写真を手に入れたんだろう。誰だって写真の被写体には選びたくないだろう。
(・・・・・・・・)
 俺の現実逃避はそこまでだった。そのブタの首に、肉に埋もれるようにかろうじて光っていたネックレスは、俺がこの前メイちゃんに贈ったものだった。

 これは詐欺だ。ヤギではなく、サギだ。俺は騙されていたのだ。こんな生物のために胸をときめかせ、せっせと手紙を書いてきた。メイちゃんのイメージに合うようにと一生懸命選んだネックレスは、黒い肉に挟まれながらも白く輝き、非常に滑稽な姿をさらしていた。
 サギだ。男の純情を弄んだのだ。訴えてやる。絶対に許さない。
 と、勢いに任せて手紙を破った俺だったが・・・・。
 そう言えば、可憐な白ヤギというのは俺の勝手な想像でしかなかった。彼女の文章から想像するイメージは、純白でほっそりとした白ヤギ以外になかったのだ。
 黒いのはいいとしよう。俺は色の黒い子も結構好きだから。問題は、このブタが本当にヤギなのかということだ。これがヤギだとすれば、俺が生まれてからずっと頭に描いていたヤギ像が音を立てて崩れ去る。ヤギであるという誇りが風に煽られて飛んでゆく。
 俺はまだ空しい抵抗だとは思いながらも、タチの悪いジョークだと思いたかった。俺はどうすればいいんだ? この黒い物体に対して返事を出さなければいけないのか?
 手紙には「あなたのイメージと一緒だった? それとも、全然違った?」とあった。天と地ほどの差、というにはあまりにもイメージとはかけ離れている。
 俺は段々と現実逃避さが増していく自分に気が付いた。これは、来なかったことにしよう。見なかったことにによう。そうすれば返事を書く必要はないはずだ。
 ばりばり。
 気が付くと俺は、その手紙も写真も封筒も全て胃の中に収めていた。何しろヤギなのだ。紙を食うのは当たり前だ。だから、これでいいんだ。
 あの写真を食った後、俺は気のせいかもしれないが腹が痛くなった。食中りでも起こしたのだろうか。

 その夜、俺はベッドに入ってもなかなか眠れなかった。
 嘘だった。俺は「彼女の中身を好きになった、外見なんて関係ない」と考えていた。それは大嘘だ。俺は自分の気持ちに酔っていたのかもしれない。メイちゃんを好きだというこの心に。最低だ、俺は。
 だが、外見の良し悪しにも「限度」というものがある。俺が悪いんじゃない、俺の想像を遥かに絶したあいつが悪いんだ。
 しかし、あの手紙を食ってしまってよかったのだろうか?
 手紙を亡き者にしてしまったのは俺の勝手なことで、相手にとっては「手紙を出した」という事実に変わりはない。このまま俺からの返事が来なかったら、あいつは変に思うだろう。郵便事故かと思っていつまでも待っているか、もう1度出しなおすというのならまだ可愛い。・・・・あ、いや可愛くはないか。
 だがもし、返事が来ないのを変に思って、直接ここに来られたらどうする? 住所が分かっているのだから、当然来ることも難しくはないだろう。今の俺ならあいつを見た途端、ショック死するかもしれない。それだけは避けたい。
 段々と手紙を食ってしまったことへの後悔が大きくなってきた。やはり何とか理由を付けて平穏に文通をやめるべきだった。こんなことなら、告白なんて・・・・。
 そうか。俺は告白をしてしまったんだ・・・・。
 いや、告白したからと言って、何も恋人同士になるとは限らないじゃないか!
 ・・・・奴も俺のことが・・・・。
 その夜、俺はついに一睡もすることなく朝の日差を浴びることになった。

 とにかく考える時間が欲しい。気持ちを整理したい。俺は時間稼ぎとして、苦し紛れな方法を思いついた。
 せっかく貰った手紙を食べてしまってごめんなさい。お腹がすいていたので、つい手が出てしまいました。だから、中は全然見ていないのです。どんな内容だったのかな? 写真も入っていたはずなのに、僕は何てことをしたんだろう。お腹が痛くなったのは、その罰なのかもしれないね。
 ・・・・これでよし。奴が同じ文面を書いている内に、こっちは何とか別れ話をでっちあげなければならない。写真は見る前に食べてしまったことにしよう。見てから断れば間違いなく顔で判断したことがバレてしまう。奴の正体を知らないままで別れることにすればいい。だいたい、別れるって言い方自体おかしい。まだ付き合ってないんだからな。

 そんな苦肉の策の手紙を出した2日後の夜、俺のパソコンに見知らぬ相手からのメールが届いた。どうせまた怪しい所からランダムに送られてくる奴だろうと思ったのだが、その方がまだ良かった。そのメールはメイからだった。そう言えば、いつかメールアドレスを手紙に書いたことがあった。今更ながら激しく後悔した。
「手紙を食べちゃったのは怒ってないよ。ヤギなら誰にもあることだよね。お腹壊したそうですが、大丈夫ですか? 私もたまにやっちゃうんだ。あ、これ、ナイショだからね」
 奴なら間違って郵便屋ごと食うかもしれない。奴の正体を知った今、可愛い文章が絵空事のように見えた。それより俺が驚いたのは、奴もやはりヤギだったということだ。
「別の写真を添付で送ります」
 添付の画像ファイルにはこの前の写真と同じ生物が写っていた。なるほど、この前の写真はまだマシな方だったのだ。今回の写真は更に歪んだ笑顔だった。いやこれを笑顔というのは笑顔への冒涜だろう。こんな添付ファイルが付いてくるなら、悪質なウイルスの方がまだマシだと思った。
 気が付けば、俺はそのメールを削除していた。
 しまった、またやってしまった。消したところで何になるというんだ。今度は画像ファイルだから、いくら誤って消したと言っても何度でも送られてくるに違いない。
 俺は「最近パソコンの調子が悪いし、腹の調子もまだ良くないから」と言い訳メールを送った。うちのパソコンを悪者にして、画像が潰れていることにした。
 ほどなく返信メールが来た。こんなに間髪入れずに返信されてくるとは思わなかったので、俺は奴に監視されている気がして恐怖を感じた。今日は家族がみんな出掛けていて、家には俺1人だ。今日ほど1人の夜が怖いと思ったことはなかった。窓の外の暗闇からあいつが顔を出すような気がして、カーテンを勢いよく閉めた。奴の黒い体が闇夜に溶け込んで、目だけが不気味に光る光景を想像して寒気がした。メールは中を見ることなく、恐怖にかられた俺はパソコンの電源を引き抜き、床に叩きつけた。
 ・・・・これでメールを送られてくることはない。
 肩で息をしていた俺は、いきなりの電話の音に心臓が止まりそうなほど驚いた。こんな時間に、誰なんだ!?
「もしもし・・・・」
「あの、夜分遅く失礼します。私、メイという者ですが、ユタカさんはご在宅でしょうか」
 俺は気が遠くなった。メイだ。外見に似合わない可愛い声をしているが、これも奴が俺のような男を騙す手段の1つなのだ。
「ユ、ユタカは具合が悪くて寝込んでいましてねぇ」
 とっさに俺は親父になりすました。
「そうですか・・・・まだお腹の具合がお悪いのですね」
「え? ええ、そうなんですよ。電話にも出れない状態でしてねぇ」
 声を知られていないのが幸いした。
「あの、夜遅くに失礼かとは存じますが、お見舞いに伺ってもよろしいでしょうか」
「えっ、いや、ユタカは寝てますし、そのっ」
「良いお薬を持ってますので、それを届けるだけでもいいんです」
「いやっ、しかしっ、このような時間に娘さんが1人で夜道を歩かれるのは・・・・」
 俺は心にもないことを言った。奴なら誰も襲おうとはしないし、誰もが恐れをなして逃げていくだろう。
「私なら平気です。心配して頂いてありがとうございます」
「うわっ、電話が!」
 俺はたまらず電話機を床に叩きつけた。派手な音がして本体が割れ、破片が飛び散った。これでもうかかってくることもあるまい。
 ・・・・何だ、あいつは。今流行のストーカーか!?
 どうする? 奴が来る。あのままならすぐにでも来そうな勢いだ。
 手紙の中のあいつはおしとやかで、親切で、優しくて、よく気がきいて、女の子っぽくて・・・・。全て嘘だったのか、俺は騙されていたのか。
 どうする、逃げるか? だがどこへ? 逃げ出して、その後はどうする? いつまでも逃げられるはずがない。このまま一生、奴に怯えて暮らすのか? 嫌だ、そんな未来は嫌だ。どうする? 俺が自由になれる道は・・・・。
 ピンポ〜ン。
 ・・・・思ったより早かったな。
 手紙は食った。パソコンは壊した。電話も壊した。後は、あいつ本人がいなくなればいい。
 俺は右手に持った包丁を固く握り締め、玄関に向かった。

 赤黒い血溜まりの上に黒い物体が倒れていた。
 首には俺のプレゼントしたネックレスが光っている。肉に食い込んで苦しそうだ。そりゃそうだ、俺はメイがこんなに太いとは思わなかったんだからな。それを無理に付けやがって・・・・。
 傍らには小さな薬の箱が落ちていた。そういえば俺の腹の具合を心配していたっけ・・・・。
 何やら大きな平たい包みが落ちていて、中が覗いていた。布を捲ってみると、絵画だった。草原の小高い丘に木が1本、風に揺れていた。絵なのに、揺れているように見える不思議な絵だった。さわやかな風の香りを嗅いだ気がした。
 そういえば・・・・この絵の話をしたことがあった。彼女の描いた中で、一番大切な絵だと言っていた。
 いつか、一番大切な人に渡すのが夢なんだ、って・・・・。
 俺はその夢を語った手紙を読んで、そんな彼女を好きになった。
 涙が止まらなかった。

ヤギの郵便屋 了

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