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とうぞくおおかみのイチ



 月の出ていない夜道を、五匹の狼が歩いていました。
 五匹は同じように目付きが悪くて、牙も爪も鋭く、山道で出会う誰しもが怖がって道を譲る、又は逃げ出してしまうような風体でした。
 先頭を歩く、片目の「ボス」が立ち止まりました。
「見ろ、村があるぞ」
 山道を抜けると、そこには山間の村がありました。既に日が暮れて随分と時間が経っているので、どの家にも明かりは灯っていません。
「丁度いい。あの村を狙うぞ」
 五匹の狼は皆、お腹が空いていました。持っている食料の残りが少なくなり、少しずつ食べ物を分け合いながらここまで歩いて来たのです。その食料も、何日か前に通り掛った村から盗んで来たものでした。
 狼たちは盗賊だったのです。


 狼たちは村を見下ろせる丘の上に座り、作戦を話し合いました。村の家から盗みを働く為の作戦です。
 相手は人間です。狼たちがどれだけ凶暴でも、銃で撃たれてしまってはひとたまりもありません。一番良い方法は、人間に見付からずに食料や金品を盗み出す事です。
 村には家が少ないので、狼たちは村を見て回り、それぞれ狙う家を決める事にしました。もちろん狙うのは、なるべく立派な家です。大きな家の方が食料も金品もたくさんあるからです。
 五匹の狼たちは、寝静まった村に忍び込み、お金持ちの家を探しました。
「いいか、人間に見付かるとやっかいだ。盗みに入るのは人間が家を留守にした時だ。畑仕事などで人間がいなくなる家を狙うんだ」
 狼たちは銃を持っていない人間なら怖くありません。ですが、やはり見付からないに越した事はありません。人間は助けを呼ぶからです。
 狼たちはその夜、それぞれ狙う家を決め、丘に戻ってきました。
「おい、どうだった?」
「いい家があったぞ」
「こっちもだ」
 後は明日、その家が留守になるかどうかを見張らなければなりません。狼たちはお腹一杯にごちそうを食べる夢を見ながら眠りにつきました。


 夜が明けました。
 狼の「イチ」は起き上がり、早速狙いをつけた家の見張りに出かけました。他の四匹も同じく、それぞれの目的の家に向かいました。
 イチは慎重に、草むらや木のかげに隠れながら村に近付いていきました。姿が見えない夜と違って、太陽が昇ると見付かる危険性が高くなるので、より注意が必要です。
 イチが周りに気を配りながら畑に足を踏み入れたその時です。
「!」
 左足に鋭い痛みが走りました。
「痛い!」
 イチは思わず声を出してしまい、慌てて口を塞ぎました。
 イチの左足は、人間が仕掛けた鋭い刃の付いたワナに挟まれていました。
(痛ぇ・・・・ドジったぜ)
 ワナは深くイチの足に食い込み、外そうとしても外れません。足を動かすたび、力を入れるたびに激しい痛みが襲ってきます。
(誰か助けに来てくれないかな・・・・)
 辺りを見渡しますが、仲間の狼たちはそれぞれ村のあちこちに散らばっていて、近くには誰もいません。
 けがをした足からは、血がどんどん流れていきます。
(くそ、人間め・・・・よくも俺様をこんな目に!)
 イチは自分が盗みを働こうとしている事を棚に上げ、ワナを仕掛けた人間に対して文句を言いました。
 このままではいつか人間に捕まるか、空腹で死んでしまいます。
(助けてくれ・・・・)
「わっ!」
「!」
 突然人間の声が聞こえ、イチは慌てて逃げ出そうとしました。その拍子にまたワナが足に食い込み、イチは悲鳴を上げました。
 目の前に現れた人間は、子供でした。
「・・・・」
 子供は目を丸くしてイチを見ています。
(何だ、子供か・・・・)
 イチは目の前の人間が小さな女の子だと分かり、少し安心しました。女の子なら力も弱く、怖くありません。食べてしまえばいいのです。ですがその子供が大人を呼んで来ると、イチは殺されてしまいます。
(ちょうど腹が減ってたんだ、逃げられる前に喰ってやる)
 イチが女の子に飛び掛ろうとした、その時です。
「ちょっと待ってね」
 女の子はイチがかかったワナに手を伸ばしました。イチは慌てて逃げようとしましたが、足が痛くてまた叫びました。
「じっとして、取ってあげる」
「なに?」
「えっと、確かここを・・・・」
 女の子は力が弱く、ワナを外す留め金を動かせない様子でした。
「よぉし」
 女の子は立ち上がると、そのワナの留め金を思い切り蹴りました。
「ぎゃああっ!」
 激痛に襲われ、イチは足を押さえて転げまわりました。
「何するんだ、このガキ!」
「取れたよ」
「あ?」
 イチの左足から、ワナが外れていました。
「足、出して」
 イチは足を引っ込めようとしましたが、女の子には自分を捕まえるつもりはないのだと思い、大人しくすることにしました。
「すごい、痛そう」
「お前たちが仕掛けたんだろう」
「これはウサギを取るものなの。ごめんね」
 女の子は腰にぶら下げていた水筒の口を開けると、イチの傷口に水をかけました。
「いててて、殺される!」
「きれいにしないと、もっとひどくなるよ。包帯とか、布とかある?」
「あるわけがないだろう」
 イチは狼なので、着物は着ていません。
「う〜ん、それじゃあ」
 女の子は胸元から白くてきれいなハンカチを取り出すと、イチの傷口に当て、縛り付けました。
 みるみる内に、真っ白なハンカチが赤く染まっていきます。
「おい、そんなきれいなハンカチを・・・・」
「これでバイ菌が入らないよ。帰ってから、ちゃんとお薬を付けて包帯を巻いてね」
「・・・・何が欲しいんだ」
「え?」
「何か目的があるんだろ。金か? 金ならないぞ」
「何もいらないけど・・・・」
「嘘だ。何か目的があるんだ。でないと、お前が俺の傷の手当をする理由がない」
「けがしてたからだよ」
「だから、お前が俺を手当して、何の得があるっていうんだ?」
「ないよ、そんなの」
「嘘だ、何の得もしないのに俺を助けるはずがない。分かった、俺を食べる気だな? けがをした俺を連れて帰るのは大変だから、俺を歩けるようにしたんだな?」
「変な狼さん。あっ!」
 女の子はあわてて立ち上がりました。
「な、何だ!」
「お母さんが待ってるの、じゃあね、バイバイ」
 女の子はイチに向かって手を振りました。
「おい、バイバイって・・・・」
 女の子が走っていきます。やがてその姿は遠ざかり、見えなくなりました。
 イチは足に巻かれたハンカチを見つめました。
「こんなに汚れちまった。もう返せって言われても無理だからな!」


 イチはけがをした足で、盗みに入ると決めた家にひょこひょことやってきました。痛みは女の子のおかげでかなり和らいでいます。
 狼は、女の子がどうして自分を助けたのか、どれだけ考えてもその理由が分かりませんでした。
 その家には誰もいないようです。おそらく仕事に出かけているのでしょう。家族のみんなが働きに出る家は珍しくなく、小さな子供でさえも畑仕事を手伝っている家も多かったのです。
 狼はいつものように、家の戸にかかっている鍵を外そうとしました。ところが、戸に鍵は付いているものの、戸は引けばガラガラと開いたのです。
(誰かいるのか?)
 イチは耳を澄ませました。
 家の中からは何の音も聞こえてきません。イチはそっと家の中に入ってみることにしました。注意深く家の中を見て回りましたが、その家には誰もいませんでした。
(鍵をかけ忘れたんだ、馬鹿な人間だ。これでは盗みに入られても文句は言えないな)
 イチはタンスの引き出しを開け、そこに入っていた財布を取り出しました。他の場所も色々と探し回りましたが、お金はそれだけでした。
(大きな家なのに、たいした物はなかったな)
 さっさと帰ろうと思ったイチの目に、木彫りの人形が映りました。
 ただの安っぽい木の人形です。イチはどうしてその人形が気になったのか分からずに見ていましたが、しばらくして気付きました。
(さっきの子供に似ているんだ)
 似ていると言っても、笑った時の目の形だけでした。ですがイチは何故かその人形が気になって、財布と一緒に持ち去りました。
(もしかしたら金になるかもしれない。売れないものだったら、捨てればいいさ)


 丘の上には、五匹の狼がそれぞれ村の家から盗んで来たものが集められていました。
「なかなかいい村だ」
「どの家も鍵がかかってないぞ」
「こんな楽な盗みはない。明日も残りの家に入って、全部盗んでやろう」
 この村の家は、一つも鍵がかかっていませんでした。狼たちは明日もこの村で盗みを働き、盗めるだけ盗んでいこうと決めました。


 次の朝、イチは再び村に向かいました。
 途中の道で、とても大きな荷物を持っている子供がいたので、イチはさっと草むらに隠れました。
(おや、あいつは・・・・)
 大きな袋を背負ってフラフラと歩いているのは、イチの足にハンカチを巻いてくれた女の子でした。
(働きに行くのか。あの荷物を町に売りに行くのかな。おや?)
 女の子は泣いているようでした。
(そうか、荷物が重いんだな)
 イチは女の子が重い荷物を背負って歩いているので、つらくて泣いているのだと思いました。
 イチは自分の左足に巻かれているハンカチを見ました。
(ま、ちょっと手伝ってやってもいいか)
「よう」
「・・・・あ、昨日の」
 イチが草むらから姿を現すと、女の子が顔を上げました。その頬は涙で濡れています。
「足はもう痛くないの?」
「あ、ああ、たいしたことはない」
「良かった」
「ところで、どうして泣いてるんだ? 荷物、持ってやろうか?」
「いいよ」
「心配するな、盗ったりしないから」
「そんなこと、心配しないよ。狼さんがそんな悪いこと、するわけないもん」
「そ、そうか」
 狼は少しドキッとしました。
「狼さんは足が痛いのに、荷物を持ってもらうなんてできないよ」
「それ、町に売りに行くのか? いつもそんな大きな荷物を持って行くのか?」
「ううん、今日は特別。たくさん売らなきゃいけないから」
「貧乏なのか?」
「昨日ね、泥棒に入られてお財布を盗まれちゃったの」
「え・・・・」
 イチは驚きました。女の子の家に泥棒に入ったのは、間違いなくイチの仲間の狼でしょう。
「お母さんに綺麗な着物を買ってあげるって、約束してたのに。ずっとずっと、使わずに貯めてたのに・・・・」
「そ、そいつは災難だったな。でも鍵をかけてないのが悪いんだぜ?」
 イチは余計な事を言ってしまい、慌てて口を閉じました。
「でも、この村には人のものを盗む人なんていないよ。だから鍵なんてかける必要なんてないんだよ」
「この村の人間はそうでも、他のところから盗みに来るかもしれないぞ」
 また余計な事を言ってしまうイチでした。
「でも、鍵がかかってなくても盗まない人は盗まないよ」
「それは、まぁ、そうなんだが・・・・」
「鍵をかけるってことは、人を信じてないってことだよ」
「他人を簡単に信じる方がおかしいんだぞ」
「違うよ、信じない方がぜったいに変だもん」
「分かったから、泣くな」
 女の子がまた泣き出したので、イチは困ってしまいました。
「だからね、いつもよりたくさんお金をかせがないと駄目なの」
「それでそんな大きな荷物を持っているのか。お金を盗まれたから泣いていたんだな」
「泣いてるのは、お金を盗られたからでも荷物が重いからでもないの」
「じゃあ何だ?」
「お人形・・・・」
「人形?」
「大事なお人形も、なくなっちゃったの。おばあちゃんにもらった、お人形」
「・・・・」
(俺だ)
 イチは自分が昨日、盗みに入ったときに持って来た人形を思い浮かべました。
(何てことだ。俺が昨日、財布と人形を盗んだのは、この子の家だったんだ)
「に、人形ならまた、おばあちゃんに作ってもらえよ」
「だっておばあちゃん、もういないもん・・・・」
「・・・・」


 イチは必死で丘の上にかけ戻りました。
(あの人形は、あの子がおばあちゃんに作ってもらったものだったんだ。だからあの子と目が似ていたんだ。俺が財布を盗んだせいで、あの子はお金を稼がなきゃならなくなって、あんな大きな荷物を背負って・・・・。恩をあだで返すとは、まさにこのことだ)
 イチはほら穴の中にある袋を取り出しました。その袋は、仲間の狼が村で盗んで来たものを集めて入れておくための袋です。イチはその中から自分が盗んで来た財布と人形を取り出し、また袋を元通りに置いておきました。
 イチは村にかけ戻り、女の子の家に財布と人形を戻しておきました。


 その夜のことです。
「おい、足りないぞ」
 盗品の袋を開け、中身を確認していたボスが叫びました。
「誰だ、持ち出したのは。昨日確かにあった財布と人形がないぞ」
 盗んで来たものはたくさんあるから気付かれないだろうと思っていたイチは、震え上がりました。ボスは全ての盗品を覚えていたのです。
「誰だ、正直に言え。取り出したのは誰だ?」
 イチは正直に言えばひどい目に合うと思い、黙っていることにしました。ところが仲間の「チビ」がこう言ったのです。
「そう言えばイチが、慌ててこの丘から走って降りて来るのを見たぞ」
「何だと、イチが?」
 仲間の狼が、いっせいにイチの顔を見ました。
 こうなっては仕方ありません。イチは正直に話すことにしました。
 村の女の子に助けられたこと。自分が盗んだのは、その子の家の財布と人形だったこと、人形は女の子がおばあちゃんに作ってもらった、大事なものだということ。イチはありのままを、一生懸命に仲間に話しました。
「嘘だ」
 話を聞き終わったボスが言いました。
「人間が俺達を助けるはずがない。人間は俺達を見ると銃を向けるか、驚いて腰を抜かすか、逃げ出すんだ」
「そうだ、俺達を怖がらない人間なんていない」
 別の仲間の狼もそう言いました。
「盗んだものはみんなで分けるのが決まりだ。お前は分け前を増やしたいから、こっそり抜き出して自分のものにしたんだ、そうに違いない」
「違うんだ、本当なんだ」
 イチは仲間の前で必死に頭を下げました。
「あの子はきれいなハンカチを俺に巻いてくれたんだ、なのに俺のせいでもっと仕事をしなきゃならなくなって・・・・あれはあの子が何年もかかってためたお金なんだ、働きもしない俺達が簡単に盗んでいいお金じゃないんだ。あの人形だって、おばあちゃんが心を込めて、あの子のために作ったんだ、だから返さなきゃだめなんだ!」
「うるさい、嘘つきイチめ」
 イチは蹴られました。
「俺達を見て逃げない子供なんて、いるものか」
 イチは殴られました。
「俺たちは盗っ人だ、盗んだものを返す盗っ人がどこにいる」
 イチは仲間の四匹に蹴られ、殴られ、踏まれ、体中が痛くて動けなくなってしまいました。
「お前なんか仲間じゃない。分け前はやらないからな」
 四匹の狼は、盗品の袋を持って立ち去って行きました。
「良かった・・・・」
 イチは小さな声でつぶやきました。
「俺、もうあいつらの仲間じゃないんだな」


「狼さん!」
 女の子の声が聞こえましたが、イチは目が痛くて開けることができません。
「大丈夫? 凄いけがだよ!」
(放っといてくれ。俺はお前にひどいことをしたんだ)
 イチの言葉は声になりませんでした。
「狼さん、お金、戻って来たんだ。お人形さんも、戻って来たの」
「そうか・・・・」
「きっと誰かがちょっと借りていただけなんだね、だから返しに来たんだよね。盗られたなんて言っちゃったけど、人を疑ったらだめだよね。あたし、悪い子だよね」
「お前は悪い子じゃないんだ・・・・」
 イチの目から涙がこぼれました。
「痛いの? 待ってて、手当してあげる」
「無理だ。体中にけがをしてるんだぞ。ハンカチがいくつあっても足りない」
(元はと言えば、お前が俺にハンカチなんか巻くから、こんなことになったんだぞ)
「よいしょ」
 女の子は背負っていた袋を地面に降ろし、包みを開きました。
 中には真っ白なハンカチがたくさん入っていました。
「うち、ハンカチ屋なの」
「・・・・」
「だから心配しないで」
「それ、売り物じゃないのか」
「うん、でもまた作るから」
 そう言って女の子はせっせと狼の傷口にハンカチを巻いていきました。
 イチは思いました。
 けがが治ったら真面目に働いて、この子に巻いてもらった分のハンカチ代を払おう。


おわり

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