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タイトル


 26th Revenge 「ナナと貴美愛」


 貴美愛はふと、卯佐美西総合病院の前で立ち止まった。
 ここに来たかったわけではない。ただ、たまたま通り掛っただけだった。
(あの医師も事故で・・・・)
 少し離れた事故現場の道路にはまだロープが張られ、警察官が数名立っていた。
 崎谷と同じように、あの医師も幻影を見続けたのだろうか。自分が「デッドリー・ナイトメア」を失敗したおかげで。
 死は全てを無にする。その人間が犯した罪も、何もかも。
 だから簡単に死んでしまっては罪を自覚出来ないのだ。
 貴美愛がたたずんでいると、通用門から親子連れが現れた。
「あっ、お姉ちゃん」
「!」
 声を掛けられ、貴美愛は慌てた。この病院に入院している、妹の柚梨と同じ心臓病を患っている女の子だ。
 母親は貴美愛を見て、会釈をした。貴美愛もそれに倣って返す。
「お姉ちゃん、あのね、あたし、手術出来なくなったの」
「えっ?」
「明日、手術の予定だったのに。柚梨ちゃんみたいに、元気になれるはずだったのに」
「・・・・」
 貴美愛が何も言わないでいると、母親が娘の代わりに話を始めた。
「手術を担当して下さるはずのお医者様が事故で亡くなられて、ここでは手術を受けられなくなったんです」
「!」
「急いで代わりに手術を受けられる病院を探したんですが、予定が詰まっていて随分先になると・・・・」
 母親はそう言って、口を手で覆った。涙が込み上げて来て、目から流れた。
(早く手術しないと手遅れになる・・・・)
 貴美愛はその母親の反応を見て、そう悟った。
 娘が手を振り、母親が頭を下げて貴美愛の横を通り抜ける。
 貴美愛は暫く呆然と親子を見送っていた。
(事故で死んだあの医師が、あの子の執刀医・・・・)
 その医師が死んだおかげで、明日に決まっていた手術が延期になった。日程もまだ決まっていない。
 もし手遅れになったら、あの子は・・・・。
 貴美愛はその場にしゃがみ込んだ。
「姫!」
 兇が慌ててリュックから飛び出し、貴美愛の体を支えた。
「大丈夫か」
「・・・・ええ」
 そうは言うが、貴美愛の顔色は優れなかった。
 貴美愛が復讐の相手に選んだ医師は、裏で何をしているかは別として腕は確かだ。あの女の子は手術を受けていれば、柚梨と同じ病状ならば日常生活には支障が無いほどに回復していただろう。退屈な病院生活にもサヨナラ出来たはずだ。
 友達と遊びたい年頃だろう。
 病気にも係わらず明るく、面白い子だった。きっと学校では友達が多いに違いない。退院すれば、そんな仲のいい友達と遊べるのだ。
(私と違って・・・・)
 その待ち遠しい日を先延ばしにしたのは自分だ。いや、先延ばしだけではすまない事態になる可能性もある。
 貴美愛の体が前のめりに倒れ掛かった。
「おい、姫、姫っ!」
 兇は貴美愛の体を支え、何度も名前を呼んだ。


 マスミの体が、目の前で燃えてゆく。
 衣類だけを残し、体だけが消えてゆく。
(違う、私は殺したかったわけじゃない。それは、烈が勝手に・・・・!)
 車が崖下に転落、取り立て屋二人が死亡。
(私の知らない所で、兇が勝手にやったことよ!)
 闇金業者の社長が自殺。
(それは私が魔法を失敗したから・・・・でも、あいつは死んで当然の男)
 数々の家族があの男のせいで苦しみ、もがいていた。毎日毎日、過度の取り立てにゆっくり眠ることすら出来ない人達がいた。あんな男は、この世から消えてしまってもいい存在だ。
 お父さん、どうして死んじゃったの?
 男の子が泣いている。
(誰?)
 主人は覚醒剤なんて、やっていません!
 お父さん、海に行くって約束してたじゃないか! どうして死んじゃうんだよ!
(あの男の奥さんと、息子さん?)
 悲しみが伝わってくる。
(だからどうしたと言うの? 極悪非道な男を父親に持ったことが、あなたの不幸なのよ)
 死に追いやったのは誰?
(それは私・・・・)
 あの時、手術していればこんなことには・・・・。
(えっ?)
 やはり、手遅れだったようです。
 そんな、娘は、娘は手術すれば治るって・・・・!
 あの日、あの医師に手術を受けていれば・・・・。
(嘘、あの子、手遅れに・・・・?)
 あの日、事故に遭わなければ。
(私は医師だけでなく、あの子も殺したことになるの?)
 人殺し。
 お前は満足だろう、復讐が出来て。
 何が「殺すのはよくない」だ。何人殺せば気が済む?
(違う、私は・・・・)
 お前は人殺しだ。
(殺す気なんて、殺す気なんてなかったのよ!)


「姫っ!」
「!」
 貴美愛は目を見開いた。兇、烈、亜未が心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。
「・・・・」
 額から首筋にかけて、汗が凄かった。
「大丈夫? 姫」
 亜未が汗をタオルで拭いてくれた。
「・・・・ここは」
 貴美愛は少し頭を上げ、辺りを見回した。いつも寝泊りしている小高い丘の上にある公園のベンチだった。辺りは既に明るい。
「どのくらい寝てたの?」
「十五時間くらいですね」
 烈が腕時計を見て言った。貴美愛が気を失ったのは昨日の十九時頃で、今はもう朝の十時を回っていた。
 貴美愛は悪夢を見ていた。まるで自分が「デッドリー・ナイトメア」に掛けられたような気分だ。
「今日はどうしますか、姫」
「決まってるわ、柳原泰造を探すわよ」
「今日は休んでいた方がいいのでは?」
「烈、私達には時間がないのよ」
 貴美愛は起き上がろうとしたが、頭がクラっとなった。
「ずっとうなされていたんですよ、まともに睡眠を取っていません」
「睡眠なんて・・・・」
 貴美愛はフラフラと立ち上がった。
「復讐を果たすまでは、ゆっくり寝てなんていられないのよ」
(早く復讐を果たして、夜光様の元へ・・・・)
 夜光への思い、それだけが貴美愛を突き動かしていた。


「よしっ」
 ナナは鏡の前で前髪をチェックし、首に掛かっているロザリオの位置を修正した。
「ナナちゃん、もう行くの?」
 心配そうな声の真樹に、ナナは「はいっ」と元気な声で答えた。
 咲紅に「無理するな」と言われていたが、この二日間は貴美愛の捜索を怠っている。咲紅はいないが、せめて貴美愛達の次のターゲットを調査したり潜伏場所を見付けておきたいと思っていた。
「あたし、小松さんと話し合いたいんです」
「話し合う?」
「今までみたいに喧嘩腰じゃなく。小松さんって、本当は悪い人じゃないんですから」
「・・・・だね、きっと。ただちょっと、正義感が強過ぎるんだよ」
「正義感が強過ぎるって部分は、あたしと似てると思うんです」
 確かにそうかもしれない、と真樹は思った。
 そして今のナナなら、何となく安心出来る。そんな気もしていた。
 何となく小松貴美愛を説得してくれる気が。
 ナナはまず原点に戻り、小松家を訪ねてみることにした。貴美愛の復讐は家族の為でもある。家族思いの貴美愛なら、きっと母親か妹と接触しているはずだとナナは思った。


 ナナの予感は、遠からず当たっていた。
 貴美愛は少し弱くなった自分の心を立て直そうと、自宅へと足を向けていた。家族の為の復讐であることを改めて認識することで、決意を新たにする。そう兇らに説明した。
 だが実際は、家族が恋しくなったのかもしれない。貴美愛は冷静に自分の心を分析していた。
(少しだけ。一目見たらそれでいい。もう振り返らない)
 小松家の近くまで来た貴美愛はディメンションを解き、ゆっくりと自宅に向かって歩いていった。
 その頃ナナは、小松家の玄関チャイムを押していた。だが、誰も出て来ない。
(留守かな)
 出直そうか、誰かが帰って来るまで待とうかと考えていると、そこにランドセルを背負った貴美愛の妹、柚梨が帰ってきた。柚梨は母が買い物などで外出していても家に入れるように、家の鍵を持っている。
 玄関先で、柚梨とナナの目が合った。
「あ、えっと、妹さんですよね?」
「・・・・だれ?」
 柚梨の目にはナナを少し警戒するような動きがあった。
「ちょっとお姉さんのことで聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「!」
 柚梨はこれまでに何度か、借金の取り立て屋に玄関先で会ったことがある。何度もしつこく「お母さんはいる?」「お姉ちゃんはどこ?」と聞いてくるのだ。
 ナナは一度この小松家を訪れ、柚梨とも顔を合わせているのだが、柚梨はナナの顔を覚えていないようだった。
「お姉ちゃんは、いません。お母さんも、いません」
 震える声で、いつものように答えた。
 柚梨は聞かされていない。あの自分達が苦しめられてきた取り立て屋は、もう訪れることがないということを。
「そう・・・・」
「な、何の用ですか」
「うん、ちょっとお姉ちゃんに返して欲しいものがあるんだけどね」
 ナナが言ったのはもちろん貴美愛が持ち出したトランスソウルの事だ。だが柚梨は違う意味に取った。
 取り立て屋が言っていた。
 借りた物を返すのは常識だと思いますけどねぇ。
 返して欲しいもの、それはお金だ。
 つまり、目の前にいる人も、借金取りの仲間だ。
 柚梨はナナに対して警戒心を持ち、一歩下がった。
「どうしたの?」
「お姉ちゃんもあの人達の仲間なの?」
「あの人達?」
「返して欲しいんでしょ・・・・」
「うん、お姉ちゃん、あれを返して貰わないと困っちゃうの」
「困る・・・・」
 奥さん、困りますねぇ。期限までに返して貰わなきゃあ。
(やっぱり、このお姉ちゃんも仲間なんだ!)
「ね、ちょっと、大丈夫?」
 ナナは柚梨の表情が変わったのを見て、気分でも悪くなったのかと思い、近付いた。
「来ないで!」
 柚梨は振り向きざま、駆け出した。
「あ、ちょっと、逃げなくても・・・・」
 何故逃げられたのか分からないナナは、柚梨を追い掛けた。追い掛けられた柚梨は必死で逃げる。
「どうして逃げるの!?」
「来ないでー!」
 ナナが追い、柚梨が逃げる。
「!」
 突然、柚梨が胸を押さえ、その場にうずくまった。
「あ、だ、大丈夫!?」
 ナナが駆け寄る。抱き起こすと、柚梨は苦しそうに息を吐き、胸を押さえていた。
「柚梨!」
 貴美愛の声が聞こえた。
「小松さん!? あの、妹さんが・・・・」
「なにしてるの!」
 貴美愛は柚梨に駆け寄り、ナナを突き飛ばした。
「柚梨、柚梨!」
「お、ねぇ、ちゃん・・・・」
「喋らないで」
 貴美愛は柚梨のランドセルを開け、小さな藥瓶を取り出した、蓋を取り、カプセルを一つ取り出す。続いて柚梨のランドセルにぶら下がっている水筒のキャップを取り、柚梨の口を指で開かせた。
「飲んで、柚梨」
 貴美愛が柚梨の口にカプセルを入れ、水筒の口を近付ける。コクコクと柚梨の喉が鳴ると、貴美愛は妹の胸を擦った。
「柚梨は心臓が弱いの」
「・・・・えっ」
「普通に生活するには不自由しない。でも走ったり、急激な運動をすると発作を起こすのよ」
「ご、ごめんなさい、あたし、知らなくて・・・・」
 焦るナナに、貴美愛が鋭い視線を送った。
「柚梨に何かあったら、許さない」
 貴美愛と会って話し合いを、と思っていたナナだったが、それどころではなくなった。とにかく病院へ、ということになり、二人は卯佐美西総合病院へと向かった。


 心臓病の権威という医師はいなくなったが、代わりに別の医師が柚梨の様子を診てくれていた。その間、ナナは待合室で貴美愛と柚梨が出て来るのを待っていた。
 貴美愛を捕まえるつもりが、妙なことになってしまった。
(何してるんだろ・・・・あたし)
 だがあの場合、苦しむ柚梨を放って貴美愛を捕まえるわけにはいかなかった。
 カチャっと音がして、診察室から貴美愛が出て来た。ナナは貴美愛の言葉を待った。
「心配はないそうよ」
「そうですか・・・・」
 ホッとしたナナは息を吐いた。
「ごめんなさい」
「エミネントでは『知らなかった』でも罪になるのよね」
「・・・・はい」
「それで? 貴方は私の家に、何をしに行ったの?」
「小松さんの手掛かりが欲しかったので」
「計らずも、私に出逢えたってわけね」
 貴美愛はナナの向いにある椅子に腰を掛けた。
「で、どうするの? 私を捕まえる?」
「どうしましょう・・・・もちろん、それがあたしの仕事ですけど・・・・」
 今なら話せるかもしれない。ナナは貴美愛に「自首」するように勧めるつもりだった。刑は免れないが、軽くなるかもしれない。事件の全ては貴美愛が望んだ事ではないのだから。
「小松さ・・・・」
 コツン、と廊下に靴音が響いた。
 ナナと貴美愛が靴音の方を向く。そこには出雲巳弥が立っていた。
「巳弥さん・・・・」
「祖父が目を醒ましました」
 巳弥は静かな口調で言った。
「小松さん、あなた達が祖父をあんな目に逢わせたんですね」
 その質問を受け、貴美愛が答えた。
「あなたのおじいさまがそうおっしゃったのなら、そうでしょうね」
「・・・・」
 巳弥はナナを見た。
「神無月さん、いつから小松貴美愛と仲良くなったの?」
「え、いえ、これは・・・・」
「小松貴美愛を捕らえるのが、あなたの仕事じゃなかったの?」
「それはそうです、でも、今は・・・・」
 巳弥がゆっくりと貴美愛に近付く。
「あの時はあなた達がおじいちゃんをあんな目に逢わせた『かも』だったけど、おじいちゃんの証言を聞いたからには、貴方たちは私の『敵』です」
「ここでやると言うの? 仮にも病院よ」
 そう言いつつ、貴美愛も腰を浮かせる。
「そ、そうです、ここは駄目です!」
 ナナが巳弥と貴美愛の間に割って入る。
「そんなことはしないわ、神無月さん」
「あの、小松さんの妹さんが今、診察を受けています。それが終わってから・・・・」
 外のやり取りを聞いていて、兇達もどう行動すればいいのか迷っていた。
(姫のピンチだぞ、出て行かなくてどうする?)
 今にも飛び出しそうな兇を烈がなだめていた。
(今出て行けば、余計に混乱します。病院の中で騒ぎを起こしてはいけません。それこそこんな場所で暴れたら、姫の妹さんの容態に影響します」
「それは・・・・そうだな」
 兇はリュックの窓から巳弥の顔を見た。
(この女が出雲巳弥か・・・・強敵だって言いやがるから。もっとごっつい奴かと思っていたが・・・・)
 強敵と戦いたい、という兇の本能がウズウズしてきた。
 突然、貴美愛がセルフ・ディメンションを張った。その直後、廊下を貴美愛の母が走ってくる姿が見えた。
「先生に言って、母に連絡して貰ったの。買い物に行ってただけだから、もう帰って来てたのね」
 貴美愛はそう言いながら立ち上がった。
「後は母に任せるわ。出ましょう」




27th Revenge に続く




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