話数選択へ戻る


タイトル


 25th Revenge 「マジカル・シグナル」


「もしもし、あずみちゃん? もしもし?」
 部屋に戻ると、咲紅が必死の形相で通信機に話し掛けていた。
「聞こえる? あずみちゃん!」
「ごめんなさい咲紅さん、通信切ります!」
「え、ちょっと、何で? 他に誰かいないの? 何があったの!?」
「ここも危なくなっ・・・・」
 通信が切れた。
「あずみちゃんっ!?」
 あずみは「通信を切る」と言ったが、最後の切れ方は「切った」のではなく他の要因により「切れた」という感じだった。
(危なくなった? 通信機がやられたってこと? あずみちゃんはどうなったの? 他のみんなは!?)
「咲紅さん?」
 焦っている咲紅を見れば、ナナにも「ただ事ではない」ことは一目瞭然だった。
「エミネントは・・・・」
「ナナちゃん」
 咲紅はナナを見上げた。
「私、エミネントに戻るわ。向こうの様子も気になるし、いざとなれば直接助っ人も呼んで来れる。こっちもややこしい事ばかりだけど、エミネントの様子がただ事じゃない、差し迫って緊急度が高い気がするの!」
「だったら、あたしも・・・・」
「ナナちゃんはここにいて。大変かもしれないけど、小松さんの対応をお願いするわ。今までみたいに無理に追わなくていいから、暴走しそうだったら止めてあげて。無理しないで待ってて。なるべく、すぐ戻るから」
「は、はい」
「お願いね」
 咲紅は通信機の電源を落とすと、オブザーバーの制服に着替え始めた。
「え、もう行くんですか?」
「一刻を争うのよ」
「ナナちゃ・・・・おうわっ!」
 階段を上がって来た真樹がナナの部屋を覗くと、丁度咲紅が着替えている最中だった。真樹は慌てて後ろを向くと、「ごめんなさいっ」と謝った。
「じゃあ行くから」
 その横を咲紅が通り過ぎる。今の咲紅はそんなことに構っている場合ではなかった。


「・・・・嘘よ」
 電化製品の量販店の前で、貴美愛は呆然と立ち尽くしていた。店頭のテレビでは夕方のニュースで、自殺報道が流れていた。
 自殺した人物は、小松家がお金を借りていた金融業の社長で、昨日貴美愛の復讐のターゲットとなった者だ。デッドリー・ナイトメアを仕掛けたのだが、その社長が一晩で自殺してしまったらしい。
(まさか・・・・)
 たった一晩、悪夢を見ただけで自殺を図るとは思えない。気になるのは社員の証言だ。幻影が見えているかのような社長の行動。警察は薬の使用によるものだと考えているらしいが・・・・。
(デッドリー・ナイトメアが失敗したと言うの?)
 考えられる事は、寝ると悪夢を見るデッドリー・ナイトメアを貴美愛が失敗し、起きていても常に悪夢を見る常態に陥っていたという事。だとすると崎谷社長はおよそ十七時間も悪夢を見続けていたことになり、だとすると気もおかしくなるだろう。
(だから飛び降りた・・・・悪夢から逃れる為に)
 貴美愛が空ろな目で液晶ハイビジョンテレビを見ていると、ニュースの内容が変わっていた。
 今度は卯佐美西総合病院の医師が、車に撥ねられた事故だった。こちらも何かに怯えるように道路に飛び出したという証言がある。
(失敗した、私が・・・・?)
 完璧に使いこなせるよう、練習した。それまでは完璧だったはずだ。キョーコやアサミ、マスミらに仕掛けた時は完璧だった。
 復讐のターゲットを目の前にし、自分でも抑え切れないほどの感情により、精神力が乱れたのか。咲紅が「針で糸を通すように」と表現したほど、デッドリー・ナイトメアは精密な技術を要する魔法であるから、精神の乱れは許されない。キョーコらの時はまだ冷静さを保っていた。だが家族を恐怖で怯えさせた相手、そして妹の病気を利用した者を目の前にして、感情が乱れたのだろうか。
(そんな・・・・たった一日で自殺されてしまうなんて・・・・)
 貴美愛の復讐は、何日も何日もかけて恐怖と眠れない夜を与えるものである。それなのに、計算外の事が起きてしまった。連続で悪夢を見ることになった崎谷社長は、気がふれたのか悪夢に耐え切れなくなったのか、自殺してしまったのだ。そして心臓外科医の医師も車の前に飛び出して事故にあった、自殺のようなものだ。
(姫、姫)
(・・・・まさか、そんな・・・・)
(姫ってばよ)
「・・・・何、兇」
(いや、何ってわけじゃないんだが・・・・)
 兇も貴美愛の気持ちは理解している。魔法の失敗は貴美愛にとって屈辱であるはずだ。掛ける言葉を見付けられない兇らは、貴美愛をただ見守るしかなかった。
 貴美愛はその場に座り込んだ。壁に手を付き、息を整える。
(自殺、事故・・・・殺したのは、私・・・・)
 直接ではないにしろ、貴美愛の魔法によって人が死んだ。
(苦しめたかった、それだけなのに)
 だが。
 それがどうしたのだ。
(死んで当然の男・・・・私が悔やんでいるのは、あの男たちの苦しむ時間が短くなってしまったことであって、死を選んだからではない)
(そうです、姫)
 烈が心話で同意した。
(あんな奴等、死んで当然です。この世から悪が減った。悪魔のような取り立てに苦しむ家族が減った。裏取引で多額の金を儲けていた男がいなくなった。それは正義です。奴等への罰は軽くなってしまいましたが、自殺するまで苦しんだのですから)
(そう・・・・そうよね)
 貴美愛は顔を上げた。
「これでお母さんや柚梨が苦しむこともなくなった・・・・同じような家族が苦しまずに済むようになった」
(そうですよ、姫)
「そう・・・・よね」
 貴美愛は自分に言い聞かせるように何度も呟いた。
「どうかしましたか?」
 肩に誰かの手が添えられ、貴美愛は驚いて振り向いた。
 見知らぬ女性だ。見たところ、二十歳前後といったところか。
「あの、気分でも悪いんですか?」
 その女性は明らかに年下の貴美愛に対して、敬語を使っていた。
 大学生かOLだろうか?と貴美愛が考えていると、その女性はもう一度「大丈夫?」と訊いてきた。
「いえ・・・・大丈夫です、ただの・・・・貧血です」
 その時初めて、貴美愛は自分が家電量販店の店先で座り込んでいる事に気付いた。恥ずかしさで顔が熱くなる。
「こんなに人がいるのに、誰もあなたに声を掛けないなんて」
 女性は貴美愛の肩を抱いて立たせると、スカートに付いた汚れを手で叩いてくれた。
「思いやりの無い世界・・・・」
 女性は誰に言うでもなく、呟くように言った。
「ありがとう、ございます」
 貴美愛は礼を言うと、「もう大丈夫です」と歩き出した。恥ずかしいので早くその場を立ち去りたかった。
 道に人が倒れていても、何人の人が声を掛けるだろう? ホームレスが寝ているだけかもしれないし、面倒な事には係わりたくない、そんな人が大多数だろう。
 貴美愛は一番近くの路地に入り、辺りを見回してディメンションを張った。
 今の自分の顔を、誰にも見られたくなかった。
 貴美愛に声を掛けた女性は少しの間貴美愛の後姿を見送り、歩き出そうとした。
「あっ」
 足元に何かが落ちている。拾い上げると、青い掃除機の形をしたマスコットのようだった。大きさは五センチほどで、キーホルダーにしては少々大き目だ。
(あの子が落としたのかな)
 女性は慌てて貴美愛の後を追い、路地に入った。
 だが、貴美愛の姿はもうそこにはなかった。
(どうしよう・・・・)
 マスコットを警察に届けるのも変だと思い、その女性は掃除機のミニチュアをバッグに入れた。確率は低いかもしれないが、再び逢うようなことがあれば返してあげればいい。それまで大事に持っておこう、そう思った。


「えっ!?」
 宅也の目が見開かれた。
「ウ、ウイちゃん、今、何て言ったの?」
「だから、お兄ちゃんとは今日でお別れなの」
 冷めた口調でそう言い、ウイはストローでコーラを掻き回した。氷が解け、かなり薄くなっていた。
「何で・・・・」
「言ったじゃん、事務所が潰れたんだってば」
 ウイの仕事場を経営していたのは、実は崎谷金融の系列だった。客に対し未成年者に妖しげな接待をさせる、闇金融業者が作った怪しい会社だった、というわけだ。
「だからもう仕事は終わりなの」
「仕事が終わってもさ、また会えるじゃない。プライベートでさ」
「・・・・」
 ウイが宅也に、睨むような目線を送った。
「何であたしがおじさんと会わなきゃいけないわけ?」
「へ? 何でって・・・・」
「今までは仕事だから『お兄ちゃん』って呼んでただけ。ひょっとしてあたしがおじさんを好きだって勘違いしてる? だったらウイの演技が良かったってことだね」
「ウ、ウイちゃん・・・・」
 宅也は理解した。
 ウイは声優を目指し、親の反対を押し切って養成所に通う為にアルバイトをしていた。その仕事場がなくなり、今月のバイト代も払って貰えない。機嫌が悪くなるのは当たり前のことだ。誰かに八つ当たりしたくなるのも当然であろう。宅也は「自分でよければそのはけ口になろう」と思った。
(つまり、僕はウイちゃんにそれだけ信頼されてるってことだ)
「そういうわけだから、一応お別れの挨拶をね」
 そう言って、ウイは席を立った。
「え、もう行っちゃうの?」
「他のお客さんにも挨拶しないと。一応社会の礼儀だから」
「ちょ、ちょっと待って!」
 宅也は思った。
 ウイはきっと、自分に呼びとめて貰いたいのだ。甘えたいのだ。
 だが一人で生きて行くと誓って上京した今、他人を頼りたくないという気持ちもある。だから自分への思いを断ち切る為に、あえて冷たくあしらおうとしているのだ。
 ウイの力になりたい。
(そうだ・・・・)
 宅也はポケットに手を入れ、中から貴美愛に貰った「マジカルシグナル」を取り出した。昨夜は貴美愛に言われた通り一生懸命念じてみたが、結局一度も発動しなかったのだ。もう少し練習すればとも思ったが、これをウイにプレゼントすれば喜んで貰えるのではないかと思った。
「これ、プレゼント」
「・・・・」
 ウイは宅也が差し出したものを胡散臭そうに見た。金属製の小さな箱で、赤、黄、緑のランプらしきものが付いている。
「何、これ」
「マジカルアイテムなんだ。魔法が使えるんだよ」
「魔法?」
 ウイは笑い飛ばそうとして思い留まった。
「ありがとう」
 大人しく貰っておけば、これ以上引き止めはしないだろう。ウイはそれを受け取り、ポケットに入れた。後で捨てようと思った。オタクで気持ち悪い人だと思っていたが、マジカルアイテムなどと本気で言われると宅也の精神を疑ってしまうウイだった。
「いいかい? それを持って願いを念じればいいんだ。最初は無理だけど、練習すれば使えるんだよ」
「うんうん、ありがとう。じゃあね」
 ウイが手を振る。
 宅也は確信していた。
 あのマジカルアイテムを使いこなせれば、ウイはきっと声優になれる。そして自分に感謝するだろう。そしてきっと、自分を愛するようになる。
 未来のアイドル声優を彼女にする。その夢は今、確立されたのだ、と。
(ウイちゃんならきっと、みくるちゃんを越えるアイドル声優になる!)


 そんな宅也以外の者なら決して信じるはずもない夢など知りもしないウイは、他の「お兄ちゃん」と別れの挨拶をする為に仕事場に戻った。そこはもう「かつて仕事場だった場所」で、もう誰かと「兄と妹」という虚構の関係を演じることもないだろう。
 その場所に、宅也以外の「お兄ちゃん」が来ていた。ここでお別れをしたいという相手からの申し出だった。
「やぁ、ウイちゃん」
 こちらの男性は宅也よりも少し若くて、宅也よりかなり細く、かなり感じのいい男だった。ウイはこの男性の方が不快感がなく、会っていて安心できた。宅也の相手をする時は追加料金を要求したいと思ったほどだ。
「今日でお仕事、終わりなんだってね」
「うん、淋しいけど」
「そうか・・・・うん、淋しいよ」
 男は項垂れ、テーブルに肘をついた。
「ウイちゃんは本当の妹みたいに思ってたから・・・・」
「あ、あたしも、徹(とおる)さんのこと、本当のお兄ちゃんだったらいいなって」
「妹は、中学の時に水難事故でね・・・・」
「そ、そうだったんですか」
 だから自分を妹と重ね合わせていたのか。スクール水着を着るようにお願いされたこともあり、ウイは今まで客のことを「ちょっとキモい変態ロリコン野郎」だと思っていたのだが、「この仕事も人の役に立っていたのだ」と思い直した。水着を着てくれと言ったのは、妹を水難事故で亡くしたことが忘れられなかったからだろうと思った。
「お兄ちゃん・・・・」
 ウイは徹の傍に寄り、そう呼んだ。
「お兄ちゃんって呼んでくれるの?」
「・・・・うん」
「ウイちゃん・・・・」
 徹の手がウイの肩を持ち、体を引き寄せた。
「え、あの」
「ウイちゃん!」
 あっと言う間にウイは畳の上に押し倒された。
「な、何するの!?」
「ぼ、僕はね、絵美のことが好きだったんだ!」
 絵美とは亡くなったという妹の名だろうか。
「い、いつか、絵美とこういうことをしたいと思ってたんだ、でもね、あいつは死んじゃったんだよ、僕を置いて!」
「やだ、やめて!」
 ウイのTシャツの中に徹の手が入って来る。
「絵美、優しくするからね!」
「やだ、あたし、そこまでの仕事、してなかったのに〜!」
「だからさ、もう仕事じゃないんだって! 仕事じゃないから、ランクとか関係ないんだよ、は、初めてなのかな、絵美は!」
 徹の激しい息遣いがウイの耳元で聞こえる。ウイのうなじをヌルヌルした感触が這い回った。
(いや、いや!)
 何とか必死に逃げようとするウイ、そんなウイを逃がすまいと抱き締め、蹂躙しようとする徹。
 二人は気付いていなかった。
 二人の頭上に、幅五十センチ程の四角い横長の箱が浮いていることに。
 その箱にはランプが三つ付いており、その真ん中にある黄色いランプが点灯していた。その形状は誰でも知っている信号機のそれと同じであった。
(馬鹿みたい)
 ウイは徹が「妹を亡くし、傷付いていた心優しい兄」であると思い込んでいた。
 だが、男なんて所詮、こんなものだ。
 こんなことしか考えておらず、力で何でも思い通りに出来ると思っている。女は男より弱い存在で、言うことを聞いていればいいと思っている。欲望を処理する存在だと思っている。
 クズだ。
(男なんて、男なんて・・・・)
 発展途上のウイの胸を弄んでいた徹の手が、スカートの中へ侵入した。
(男なんてみんな変態で、気持ち悪くて、自分勝手な存在なんだ。どうしてこんな生き物がこの世に存在するんだろう)
 徹の手が、ウイの下着を脱がしにかかる。
(男なんて)
 頭上に浮いていた信号機のランプが、黄色から赤になった。


 死んじゃえばいいんだ。


 轟音。衝撃。
 煙、埃っぽさ。
(・・・・!)
 目を開けたウイは、その惨状に目を疑った。
 テールランプが見える。そしてナンバープレート、まだ回っているタイヤ。
(車・・・・?)
 部屋の中に、車が突っ込んで来た。
「・・・・!」
 ウイが振り返ると、壁には大きな穴が開いていた。ここから車が飛び込んで来たのだろう。
 だが、それは有り得なかった。
 この部屋は地上三階にある。近くにこの部屋よりも高い位置にある高速道路や高架は存在していない。どこからも車が突っ込んで来るはずがないのだ。
 自分を押さえ付けていた徹がいない。轟音と衝撃の瞬間にウイの体から剥ぎ取られたように感じた。そして辺りにその姿はない。
「・・・・」
 考えられることは、車の下敷きになっているということだ。
 ウイは立とうとしたが、足に力が入らない。テーブルに手を付きながら何とか起き上がると、その物体の存在に気付いた。
「信号機・・・・?」
 青いランプの付いた信号機が宙に浮いていた。
(なに、これ・・・・)
 ウイが触れようとすると、信号機は収縮し、ウイの手に収まった。
(・・・・マジカル・・・・アイテム?)
 ウイはそのマジカルシグナルをポケットに入れ、乱れた衣類を適当に整えて非常口から階段を降りた。足が縺れそうになりながらも、ウイはようやく地上に辿り着いた。
「・・・・」
 見上げると、自分のいた部屋からは煙がもうもうと立ち込めていた。



26th Revenge に続く




話数選択へ戻る