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タイトル


 22th Revenge 「怖い目」


「あの、陽さん?」
 黙ったままの陽に寧音が話し掛けた。元来、沈黙状態が嫌いな性格である。
 寧音は以前、陽と二人で話をした際に、色々と勝手に理解している部分がある。
 フィギュアしか愛せない陽を、真実の愛に目覚めさせることが出来るのは自分だと思っていた。陽は寧音に「君が怖い」と言った事がある。それはつまり、フィギュアの恋人「沙結」を愛しているのに、寧音の事が好きになりそうだ、沙結を裏切ってしまうから怖い、という意味だと寧音は理解した。
 それは大まかな部分では間違ってはいないのだが、肝心な部分が誤っていた。陽が怖いのは寧音だけでなく、生身の女性全てであるという点だ。
「・・・・」
 寧音が話し掛けても、陽は黙ったままだった。視線もずっと下を向いている。
(タクに暴力を・・・・何てことをしたんだ。僕は)
 それはしかし、宅也が沙結にした仕打ちを考えれば当然のことだ。
(だが、沙結はフィギュアに過ぎない)
 自分が愛している沙結を、宅也は汚した。許せない。
(だけどまだ、衣類は脱がされていなかった)
 いや、それまでに何をしたか分かったものではない。
 あんなことやこんなことを。
 タクのことだ、もっと嫌らしいことを・・・・。
「・・・・くっ」
「陽さん?」
 寧音が陽の顔を覗き込む。陽は顔を背けた。
「何かあったんですか? ナナちゃんが誘拐された以外に、何か」
「ど、どうして?」
「怖い・・・・のかな」
「怖い?」
「目付きというか、雰囲気というか。あ、ごめんなさい」
「・・・・そうかな」
 陽は無理矢理に「陽様スマイル」を作った。寧音にはそれが明らかに作り物だと分かった。
 狭い路地を、前方からスピードを出した車が走って来た。寧音は慌てて飛び退くと、陽の腕にしがみ付いた。
「きゃっ」
「!」
 車が通り過ぎた後、陽は慌てて寧音の手を振り払った。驚く寧音に「ごめん」と言うと、また顔を背けた。
(恥ずかしいのかな?)
 寧音は陽が照れ屋なのだと思った。
 再び、歩き出す二人。
(情けない)
 陽は寧音の腕を振り払った行為を悔やんだ。
(何も、あんなに思い切り振り払わなくても・・・・あれではまるで、僕が彼女を嫌っているみたいだ)
 嫌っているのではない? だったら、何だというのだ。
(彼女は僕の心の中に、勝手に入り込んで来る。しかも土足で。だから怖い)
 だから、沙結なのか?
 沙結は何も言わない。口も手も足も出さない。自分の愛を受け入れるだけの存在だ。
 だが。
 やめて。
 あの声は沙結だったのだろうか? それとも・・・・。
「君は・・・・」
「え、はいっ、何ですか?」
 陽が自分から口を開いたので、寧音は慌てて聞き返した。
「沙結が喋ったと言ったら、信じる?」
「沙結ちゃんが、ですか・・・・ごめんなさい、お会いしたことがないので」
「そうだね、ごめん。変なこと聞いたね」
「いえ、でも話せたら素敵ですね」
「そうだね」
(僕が話をしたいのはフィギュアの沙結じゃないんだ)
 だが沙結は、もう帰って来ない・・・・。
「・・・・します」
「えっ?」
 陽の心は九年ほど前に飛んでいて、寧音の言葉を聞き逃した。
「ごめん、何か言った?」
「ナナちゃんが見付かったら、連絡お願いしますって」
「あ、ああ、もちろん」
「本当は、あたしだって捜しに行きたいんですけど」
「もうこんな時間だから。後は僕達に任せて」
「はい・・・・」
 寧音は小さく呟いた。
「あたしにもマジカルアイテムがあればなぁ・・・・」
 ナナの力になれる。
 友達がいない自分や泉流に出来たナナという存在を大切にしたい、失いたくない。仲間なんだとずっと思っていたい。友達とは助け合うものだ。だから力になりたい。寧音は自分が歯痒かった。「子供だから帰れ」と言われる自分に対し、真樹以上にもどかしい思いが強かった。
(そうだ、小松さんの仲間になるって言えば、泉流ちゃんみたいに貰えるのかな?)
 貴美愛を騙すことになるが、それ自体が元々盗んで来たアイテムだ。ナナの側に立ってみれば「取り返す」のだから、悪いことではないと寧音は思う。
(何とか小松さん達に会えないかな・・・・)


 その夜は真樹、陽、そして咲紅による必死の捜索も実らず、ナナの行方は分からないままだった。そして、エミネントから来たはずの助っ人も。
 そして、朝が来た。
 ナナが監禁されているマンションの一室では、朝食のいい香りが漂っていた。
(・・・・起きて来ないな)
 ナナの見張りを任されている男は、目玉焼き、秋刀魚の塩焼き、味噌汁、味付け海苔という和食による朝食の見本のようなラインナップをテーブルの上に並べ、まだ起きて来ないナナの様子を見に行くことにした。
「おい、朝メシの用意が・・・・」
 男はナナが激しく朝に弱いことと、激しく寝相が悪い事を知らなかった。
 昨晩、パジャマを持たないナナは下着姿のままベッドに入った。寝る時はブラジャーを着けないので、大の字になっているナナの胸を隠す物は何もなかった。
(ちょ・・・・ちょっと待てっ!)
 男はナナから目を逸らし、慌てて寝室から飛び出した。
(娘と同じくらいの年齢とは言え・・・・さすがに丸見えはまずいだろう・・・・)
「お、おーい、朝メシが出来たぞー」
 ドア越しに呼んでみたが、その程度で起きるナナではない。男は仕方なく寝室に入り、ナナを見ないように再度、呼んでみた。だがやはり起きる気配が無い。
(か、監禁されてるという自覚は無いのか? 普通なら怖くて眠れないはずだぞ)
 嘗められているのだろうか、と男は自分の顔を鏡で見た。
(優しい顔に見えるのか? ・・・・っと)
 男は鏡にナナの寝姿が映っていることに気付き、鏡から離れた。
(どうすれば起きてくれるんだ?)
 このまま寝かしておくのも手だが、折角作った朝食が冷めてしまう。なるべくなら暖かい内にナナに食べて貰いたい。
「おーーーーい、起きろーーーーー!」
 男は未だかつて出した事の無い程の大声で叫んだ。だがナナは起きる気配がない。
(て、手強い)
 これだけぐっすり寝ているのだから、寝かしておいてやろう。そう思って男は、冷房の効いた室内では風邪をひくと思い、ナナを極力見ないようにシーツを掛けてあげることにした。
 ナナの足元に寄ってしまっているシーツを摘み、ゆっくりと引き上げた。
「ん〜、圭ちゃん、くすぐったいよ〜。起きるから・・・・」
「え」
「?」
 男とナナの目が合った。
 しばしの沈黙。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!」
 ナナは絶叫を上げながら、男からシーツを奪って体を隠した。
「お、お布団を捲って、何してるんですか〜っ!?」
「違う、逆だ逆! 掛けようとしてたんだ!」
「う〜・・・・」
「睨むな! 嘘じゃないぞ! だいたいそんな胸を見たって・・・・」
「見たんですね・・・・」
「へ、部屋に入ったら全開だったんだ、事故だ! 見えてしまったんだ!」
「・・・・」
 ナナが静まったので、男は分かってくれたのかと思った。だがナナの目が段々と潤んできて、遂に涙が零れ出した。
「初めて男の人に見られた・・・・」
「だ、だからそんなにちゃんと見てないって! すぐ目を逸らしたって!」
 ナナを泣かしてしまい、男は困惑した。
「くそ、俺だって女の子を泣かしたのは初めてだ畜生!」


 十分後。
 目を赤くしたナナが男と食卓を挟んで向き合っていた。
「・・・・ごめんなさい、取り乱して」
 落ち着いてはいるが、まだ涙目のナナだった。目の前のテーブルには和食メニューであるにも係わらず、ミルクの入ったグラスが並んでいた。
「お嬢さん、おいくつなんですか?」
「今年で確か十七だ。俺とはまともに口もきいてくれんよ」
「仲、お悪いんですか?」
「世間の女の子は大体そんなんじゃないのか? 君はお父さんと話とかする?」
「父は・・・・五年前に」
「ご、ごめん。悪いこと聞いたな。じゃあお母さんとは?」
「・・・・母もその少し前に」
「わ・・・・悪い」
 男の声が申し訳なさそうに萎んでゆく。しばらく、二人が食事をする音だけが聞こえていた。
「・・・・ごめんな」
「いえ、いいんです」
「そうじゃない。仕事とは言え、君をこんな場所に閉じ込めて・・・・」
「お仕事なら仕方ないです」
「仕事だからって、何でもしていいなんてことはない」
 男は箸を置き、ナナの目を見た。
「なぁ、どうして君は捕まったんだ? 何をした? 何か特別な存在なのか? 教えてくれ」
「・・・・本当に何も知らないんですね」
「ああ、何も教えて貰えなかった」
 ナナも箸を置いた。
「エミネントって知っていますか?」
「あ? あぁ、魔法を使う人々が住む異世界の事だ。まさか、君が?」
「エミネントから研修に来た、神無月奈々美です。あたしを誘拐した目的はおそらく、あたしのトランスソウルです。首に掛けていたものがなくなってますから」
「トラ・・・・何だって?」
「魔法を使う為の道具です」
「その道具を手に入れる為に、会社は君を?」
 男は首を捻った。
「何の為に・・・・いや、魔法を利用する為か。誰の指示だ? 社長か、それとも・・・・」
「あの、深く考えない方がいいですよ」
「・・・・何故だ?」
「会社があなたに詳しい事を話さなかったと言う事は、知って欲しくなかったんだと思います。だから、あなたは何も知らず、あたしをここにただ閉じ込めておくだけにした方がいいと思うんです」
「君は昨夜、全く逃げ出そうとしなかった。何故だ? 俺が実は寝ていない事を分かっていたのか?」
「え、寝てないんですか? 寝た方がいいですよ、体を壊します」
「・・・・君を逃がすわけにはいかないからな。かと言って縛り付けたくはない。だから寝る振りをして、ずっと起きていた。何故、逃げようとしない?」
「だって逃げたら、マジカルロザリオとマジカルクルスの行方が分からなくなりますから」
「奪われたという君の大切な物か。では何故、俺と親しそうに話す? 俺は君にとって大切な物を奪った敵のはずだ」
「あなたの意思ではありませんから。それに、親切にして頂いてますので」
「・・・・」
 男はナナから目を逸らすと、咳払いを一つ入れた。
「君の大切な物は心配じゃないのか?」
「使えませんから、あたし以外の人には」
「ロックか何かか?」
「まぁそんな感じです。だからきっと、ロザリオとクルスを奪った人は使用方法を聞きにあたしに接触して来るはずです」
「それを待っている、と言うことか」
「のんびりしている場合じゃないんですけど、あなたの会社に案内して下さいとお願いするわけにもいかないですから」
「・・・・」
 ナナは朝食を平らげ、二杯目のミルクも飲み干した。
「ご馳走様でした」
 真樹、陽は徹夜でナナを捜していた。二人共、今日は仕事を休むつもりだ。寧音と泉流も真樹からの連絡を受け、朝から町中を走り回っている。咲紅はずっと魔力サーチを行っていて、そろそろ体力も精神力も限界に来ていた。
 そんな事を知り得ないナナはテレビのワイドショーを見ていた。レポーターが何やら騒いでいる。
「えー、ここが崎谷社長が飛び降り自殺をしたビルです! 屋上から飛び降り、即死だったと言うことです! 警察は今朝、マスコミ各社に届いた内部告発が自殺の原因だと見ていますが、事件や他殺の可能性も捨て切れないとして、捜査を行っております!」
 金融業の社長、崎谷が飛び降り自殺。会社の悪徳振りを暴露する内部告発資料が早朝、各マスコミに一斉に届いたことから、それと自殺との関連性が高いと見られている。社員の話によると、社長は昨晩から意味不明の事を口走り、幻影を振り払うかのような仕草をしていたと言う。それにより、麻薬もしくは覚醒剤の使用についても調査中とのことだった。


 貴美愛も目を覚まし、すっかり根城となった小高い丘の上にあるベンチで朝を迎えた。朝食を食べ、顔を洗う。
 昨夜は結局、柳原コーポレーションの本社に潜入したものの、そこに社長である柳原泰造の姿はなかった。どうやら別の場所に出張らしいことは分かったが、行き先が掴めずそのまま夜を迎えてしまった。今日は仕切り直しだ。
 今日も継続して出張であれば、その場所を突き止めねばならない。貴美愛の復讐はあと二人、柳原泰造と実の父親だ。そしてこの自ら決めた順番は決して崩したくない。
(何としても今日中に見つけ出してみせる)
 いつも通り三人が入ったリュックを背負い、街へ降りて行く。目指すは柳原コーポレーションの本社ビルだが所在地は卯佐美市ではなく、電車で三十分かかる。
 電車の中は夏休みに入ったこともあり、子供の割合が高かった。よって、いつもより騒がしい。子供グループが七人掛けの座席を占領していた。隣の友達と喋ったり、一人で黙々とポータブルゲーム機で遊んでいる者もいる。少し離れた場所で貴美愛は手摺りを持って立っていた。
(なぁ、姫)
 兇がリュックの中から貴美愛の背中を突付いた。
(何で子供が座って、あっちの大人が立ってるんだ?)
 エミネントでは子供は座らないのが常識となっている。かつてナナも思ったことだが、それは烈や亜未にしても同じく疑問に感じる事だった。
「この世界ではあんなものよ」
(席を譲ったりしねぇのか?)
「少数だけど譲る子もいるわ。でも譲られることに慣れていない大人は、遠慮してしまったりするの。『譲る事は常識』という世の中になれば、そういう事もなくなるのでしょうけどね」
 貴美愛がふと気付くと、一人の子供がじーっと貴美愛の顔を見ていた。貴美愛が見返すと、慌てて視線を逸らした。そして隣の子供に、耳打ちするように話し出す。
「あのお姉ちゃん、一人で何か言ってる」
「どれ?」
「あの丸くて眼鏡掛けてる人」
「あんまり見ない方がいいよ、危ない人かも」
「うん、そうだね、ちょっと目が怖いし」
(おいおい、聞こえてるっての、あのガキ)
 兇が憤慨した。
(出て行って一発殴ってやる)
(やめなさい、兇)
 貴美愛は心話で返すことにした。
(うっかり言葉に出した私が悪いわ」
(ですが姫、あれは失礼です)
 烈も会話に割り込んで来た。
(礼儀を教えないといけない)
(それは親の仕事よ。それより・・・・)
 貴美愛は車窓の外に目を向けた。
(私の目って、怖いの?)
(え? いえ、そんなことは・・・・)
(正直に言っていいのよ、烈)
(あんなガキの言う事なんか気にするなよ、姫)
(子供は正直なのよ、兇。残酷なほどにね)
 兇と烈は黙った。亜未も何も言わない。
(まぁいいわ。復讐を成し遂げようとする人間の目が、優しかったら変でしょう)
「貴美愛ちゃんって、優しい目をしてるね」
 誰の言葉だったのだろう? いつの事だったのだろう?
(いつから私の目は優しくなくなったのかしら・・・・)
 関係ない。
 復讐に優しい目など無用だ。いや、むしろ邪魔だ。
 金融業の社長、心臓外科の医師。彼らはデッドリー・ナイトメアで恐怖の夜を体験したはずだ。繰り返される悪夢、そんな罰を与えた自分の目は、怖くて当然だ。
(私は正義の行いをしている。その為には優しさなんて邪魔なだけだわ)
 電車から降りて駅を出た貴美愛がふと目を上げると、高層ビルがそびえていた。その壁面には大きく「KUREHA」と書かれている。KUREHAは漢字で「紅葉」と書く。紅葉グループは保険や証券、そして電化製品や建築まで、その業種は幅広い。
「紅葉・・・・」
 貴美愛が見た、泉流の「今までで一番悲しい出来事」、そこに紅葉の社長が出演していた。
 泉流が愛犬との散歩中に、脇見運転で突っ込んできた車。その運転手が紅葉阿権(くれは あごん)だった。
 幸い、泉流は手の平にリードが食い込んだ傷だけで済んだ。今でも傷跡は残っているが、後遺症等は何もない。だが事故を起こした車には阿権の息子が乗っており、事故の際にガラスの破片により両目を失明した。その不幸な出来事により、泉流の愛犬であるステラが死んだことは軽んじられた。
「犬が死んだ? それがどうした!」
 どこで聞いたかは覚えていない。だが阿権の放った言葉は泉流の心に深い傷を負わせた。
 目の前で起きた、愛犬の死。ステラだったものへの嫌悪感、逃げ出したいと思った自分への怒り。飛び込んできた車が体をかすめる時の恐怖。それらにより、泉流は車が怖くなり、交通量の多い道路に近付けなくなっている。
「・・・・紅葉」
 貴美愛はKUREHAのビルを見上げた。
 泉流は命の恩人である。その恩人を苦しめた相手が紅葉阿権だ。
「恩返しもいいかもしれないわね」
 泉流の性格では、恨みを晴らそうとは思わないだろう。このままなら、ずっとトラウマを背負ったまま生きて行くことになるかもしれない。
「私自身、恨みはないけどね。ちょっとした準備運動よ」



23th Revenge に続く




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