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タイトル


 13th Revenge 「貴美愛の見る悪夢」


 自分の手には、夜の公園の外灯を受けて光るナイフがあった。それは既に血で汚れ、マスミの手をも紅く染めていた。ただそれはマスミが誰かを傷付けた時のものではない。マスミは既に血で濡れたナイフをたった今、拾い上げただけだ。
「カ、カズを離せえっ!」
 マスミはありったけの勇気を振り絞って叫んだ。だが自分が思ったほどの声は出ず、怯えている事を相手に分からせてしまう結果となった。
「威勢がいいねぇ、ナイフなんか構えちゃって」
 マスミがカズと呼んだ青年を二人の男が両脇から支え、一人の体格のいい男が木刀のようなものをカズに突きつけて笑っていた。両脇の男が手を離せば、カズは崩れ落ちそうなほど打ちのめされていた。
「カ、カズが何をしたって言うの」
 この時、マスミは十三歳、カズは十八歳。今から一年余り前の話だ。
「この野郎は俺の女に手ェ出しやがったんだよ」
「う、嘘だ」
「嘘じゃねぇ!」
 男はカズの足を木刀で殴った。
「やめて!」
 マスミはカズの恋人だった。そうだと思っていた。
 マスミにとって、カズは最初の男だった。またカズにとって、自分はたった一人の存在だと思っていた。それがマスミの「恋人の定義」だった。
(嘘だ、カズがあたし以外の女となんて・・・・)
 カズを酷い目に遭わせた奴等は、マスミから見ると非常に不細工だった。カズが恰好いいから因縁を付けているのだ、とマスミはそう思い込んだ。
 手の中にあるナイフに付着している血は、カズのものだ。カズの腕にはこのナイフで切られた傷が付いている。ナイフは男達が用意していたものだ。
(このままだと、カズが殺されちゃう!)
 自分が助けるしかない。このナイフで奴らを殺るしかない。相手はマスミがナイフを使えるはずはないと油断している。今がチャンスだと思うが、マスミの足は震え、一歩も先に踏み出せなかった。
 マスミは喧嘩など一度もしたことがなかった。人を傷付けるのは悪いことだと分かっていたからだ。こうしてナイフを人に向けることなど、考えただけでも手足が震えてきそうだった。
「二度と俺の女に手を出すんじゃねぇぞ!」
 男の靴先がカズの股間を蹴り上げると、カズはマスミが今までに聞いたことのない悲鳴を上げ、頭を垂れた。
「やめてぇ! カズが死んじゃう!」
「うるせぇ! 殺してやるよ、こんな奴!」
 男はマスミを睨んでから再びカズに向かって木刀を構えたが、何を思ったかマスミの方を向いてニヤリと笑った。
「そうだな・・・・」
 男がマスミに向かって歩いて来る。
「・・・・!?」
 マスミは弱々しくナイフを向けた。だがその手首が男に掴まれ、空しくもナイフが地面に落ちた。
「あの野郎の目の前で、俺の女にしたことと同じことを見せてやるのもいいかもな」
「え・・・・」
 男の手がマスミの肩を掴んだ。
「い、いやっ!」
「うるせぇ、文句があるならあの男に言え! 俺はあいつに仕返しをするだけなんだよ!」
「や、やめて!」
 そこに、女性の声が聞こえた。走って来た女性はマスミに襲い掛かろうとしていた男の背中に抱き付き、「やめて」と懇願した。
「離せ、この裏切り者!」
 どうやらカズが手を出したという、男の恋人らしい。
「カズは悪くないの、私が彼を誘ったのよ!」
「てめぇ・・・・」
 男はマスミから手を離し女性を振り払うと、再び木刀を持ってカズを何度も叩いた。
「てめぇ、ミカに何を吹き込みやがった! ミカが悪いと言えって言ったのか、あぁ!? ミカが俺を裏切るはずがないんだ、お前が全部悪いんだ!」
「違うの、悪いのは私なの、だからカズを助けて!」
「うるせぇ!」
(あ・・・・あ・・・・)
 カズは何度も打ちのめされ、みるみる内に体中が血で真っ赤に染まっていった。マスミが目の前の情景が信じられず、まるで作りものの映画を見ているような錯覚に陥った。
 ミカが落ちていたナイフを取り、男を刺した。
 悲鳴を上げて転げ回る男を横目に、ミカはカズに駆け寄った。カズを捕まえていた男二人は怖くなったのか、既に逃げ出していた。
「カズ、カズ〜!」
 ミカという女はカズの顔を両手で包み、何度か手首を持ったり胸に耳を当てたりした後、マスミが今までに聞いたことのないほどの大きな叫び声を上げ、自らの腹をナイフで刺した。
 しばらくしてパトカーのサイレンが公園内に響き渡った。


「!」
 貴美愛は自分の額から首、いや全身が汗だくであることに気付いた。
(・・・・)
 傍らにはリュックがある。辺りは真っ暗だ。
 心臓の鼓動が激しかった。
 貴美愛が見た夢は、昼間にマスミに仕掛けた「デッドリー・ナイトメア」の内容だった。デッドリー・ナイトメアは仕掛けた時にその内容を貴美愛自らも見ることが出来る。それが脳裏に焼き付いていたのだ。
(全く・・・・私が悪夢を見てどうするの)
 鼓動の激しさと汗の気持ち悪さで眠れそうにない貴美愛は、ベッド代わりのベンチから起きだして月明かりの公園を歩いた。
(確かに・・・・あんなことがあれば性格も歪むでしょう。でもそれで私を苛めていいという理由にはならない・・・・)
 マスミの後悔の念が貴美愛の脳裏にも浮かんで来る。
 あの時、勇気を出してあの男を刺していれば。
 そうすればカズもあの女性も死ななかった。死ぬのはあの最低な男だけで済んだ。
 だが、あの男も可哀想な奴だ。
 愛していた女性に裏切られ、それを認めたくなくてカズが全て悪いのだと責任を押し付けようとした。自分の愛した女性は悪くないのだと、自分のことだけを愛してくれているのだと信じていた。それほど純粋だったのだ。
(純粋・・・・?)
 そう考え、貴美愛は失笑した。
(相手を殺すほど殴る男が純粋? ふざけないで)
 貴美愛が仕掛けたデッドリー・ナイトメアによって、マスミが寝る度に見るはずだった夢。だがそのマスミはもうこの世にいない。
(同情はするけど、私を苛めていたという罪は罪・・・・)
 貴美愛は左腕に残った傷を指でなぞった。マスミによって階段から落ちた時の傷だ。
 憎んでいたマスミがいなくなったことは喜ばしい、だが・・・・。
 自分が望んだ復讐の形ではない。
 自分が苦しんだ分、相手にも苦痛を与えなければならなかった。相手を苦しませることで自分が体験した眠れない、恐怖の夜を味合わせることが何よりの復讐だった。
(殺すなんて・・・・考えてなかったのに)
 マスミは過去の出来事がきっかけで「やらなければやられる」という考えを持ったのだろうと貴美愛は推測した。あの時、自分があの男を刺していれば彼氏も、男の彼女も死なずに済んだ。そんな後悔を繰り返さないために、常にナイフを携帯し、何かあれば先に攻撃するようになったのではないか。そしてこれは本当に推測に過ぎないが、自分のように行動力のない、引っ込み思案な人間を見ると無性に腹が立ったのではないだろうか。
(馬鹿馬鹿しい。いい迷惑だわ)
 貴美愛は兇がマスミに刺された時の事を思い出した。あの時、マスミは身の危険を感じて「やらなければやられる」と思ったのかもしれない。
(だからって、兇が刺されていいことにはならない)
 兇の傷は予想以上に深く、治癒魔法が苦手なこのメンバーの中でもまだ「使える」レベルの亜未が治療を行ったが、それでもかなりの時間を要し、二人共かなりの体力を消耗した。あれがもし更に深い傷であったなら、命に係わっていただろう。
 貴美愛は復讐の為に魔法を学んだので、治療など必要ないという考えから治癒魔法の理念すら理解していなかった。ただ、治癒には慈悲の心が必要だと聞いたことがある。兇たちはエミネントで「魔力犯罪者」として捕らわれていた若者なので、慈悲の心を期待するのは間違いだと貴美愛は思っていた。
 復讐だけなら必要ない。だが今日のように思わぬ反撃を受けることもあるし、エミネントからの追っ手と交戦することになれば、怪我を負うこともあるだろう。実際、兇が怪我を負った状態で神無月奈々美に追い詰められる結果となってしまった。
(誰か一人、回復要員がいれば・・・・)
 今のメンバーでは無理だ。
 貴美愛はリュックのサイドポケットに手を入れた。ポケットから出した手を拡げると、どう見てもサイドポケットには収まりそうにない大きさの物が飛び出した。兇らがリュックの中に住んでいるのだから、これらの道具が入っていても不思議ではない。
 木製のベンチの上には四つのトランスソウルが並んでいた。何かあった時の為にと、禍津夜光が貴美愛に持たせたものだ。
(かと言って、この状況から仲間を増やすのは難しいでしょうね)
 貴美愛には友達と呼べる者はいない。妹の柚梨には慈悲の心が期待できるが、柚梨は心臓が悪く、なにより可愛い妹を巻き込むつもりは毛頭ない。
(誰か、私の行動に理解を示し、手伝ってくれる人は・・・・)


 貴美愛はキョーコ、アサミ、マスミに「デッドリー・ナイトメア」を仕掛けた際、彼女らの頭の中を探った。その作業の中、貴美愛は自分がいない間、キョーコらが苛めていた生徒の姿を見出していた。
 キョーコやアサミに半ば強制的に「仲間」にされ、嫌な事を強要されていた広沢美雪。よく「イジメを見て見ぬ振りをするのもイジメと同然」という言葉を聞くが、貴美愛はそうは思わない。イジメを非難すると自らもイジメに遭う。見て見ぬ振りをするのも自分を守る為の手段であり、イジメを咎めるという「勇気ある行動」は、腕力なり知力なり権力なり、それなりの力が備わっていなければ出来ない芸当であると考える。イジメを見て見ぬ振りをするのは卑怯者ではなく、その者もまた弱者である。
 したくもないことを強要されていた美雪もまた、イジメを受けていたのと同様だ。更に美雪は未遂にこそ終わったが、援助交際をするように仕向けられている。
(広沢美雪も樋川恭子を恨んでいたはず)
 そして、隣のクラスの槻島泉流。彼女は貴美愛がいない間、いわば「身代わり」となってイジメを受けていたようである。短い間ではあるが彼女もまた樋川恭子を恨む理由は充分にあるだろう。こちらはマスミには目を付けられていなかったようだ。
(この二人なら私達の仲間に出来る可能性はあるわね。不条理で理不尽な暴力を受け、正義の力を欲しているはず)
 貴美愛の見たナイトメアの内容だけでは、その二人のナナとの関わりまでは把握出来ていなかった。
(さて、問題はどうやって仲間に引き入れるか・・・・ね)
 貴美愛の眠れない夜は続く。


 朝が来た。
 こちらもほとんど寝ていない真樹が意を決し、だが低姿勢で朝食の席に着き、同時にナナと咲紅に向かって頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
 非難か、寛容か。どちらの言葉が返って来るか頭を下げたまま待っていた真樹だったが、どちらでもない言葉が咲紅の口から返って来た。
「何のことでしょう?」
「・・・・へっ」
 ナナの胸に頬擦りしたと咲紅に勘違いされた真樹は、故意ではないが自分が犯した罪の意識と翌朝に浴びせられるであろう非難の嵐を想像し、ろくに眠れなかった。もうあれこれ悩んでも仕方ない、謝るしかないと心に決めた真樹の目の前には「何のこと?」とキョトンとした咲紅の顔があった。
(確かにあの時、咲紅さんは酔っていたけど・・・・)
「あの、何かあったんでしょうか・・・・夕べはその、酔ってしまってご迷惑をお掛けしました。私の方こそ謝ろうと・・・・」
 申し訳なさそうにする咲紅に、真樹は「いえいえ、そんな」と首を振った。
(こんな家にはいられないって言ってたのに・・・・あれも酔った上での言葉だったのか)
 一方のナナは咲紅の隣でこめかみを押さえていた。
「ごめんなさい、あたしも起きてからずっと頭が痛くて・・・・」
「ナナちゃんも何も覚えてない?」
「何かしましたか、あたし」
「いや、覚えていなければいいんだ、たいしたことじゃない」
 胸を撫で下ろす真樹だった。
(待てよ・・・・何も覚えてない? 俺が部屋まで運んだことも、一緒にベッドに倒れ込んだことも? こんなことだったら、もっと色々・・・・)
 そこまで考え、真樹は自分の頭を叩いた。あの出来事を二人が覚えていないだけでも有難いと思うべきだ。
 取り敢えず問題が解決した真樹が改めて咲紅の顔を見ると、ナナ同様気分の悪そうな表情だった。おそらく二日酔いだろう。
「今日は休んだ方がいいんじゃないですか?」
 真樹はどうしても六歳下の咲紅に対して敬語になってしまう。
「そういうわけにもいきません」
 と言いつつも咲紅は顔色が悪い。ナナも食が進まないようだ。
「そんな状態でもし何かあったら大変ですよ」
「それは、そうかもしれませんね・・・・」
 さすがの咲紅も弱々しい声で答えた。
「今日はエミネントとの連絡が取れないかどうか、もう一度やってみます」
「連絡さえ取れたら、助っ人が来てくれるのよね?」
 芳江がトーストを運んで来て、着席しながら言った。
「おそらく、向こうの通信機が壊されていたんだと思います。修理が終わっていれば繋がるはずです」
「んう〜」
 咲紅の隣で、ナナが両頬を手で覆って唸っていた。
「ナナちゃん、横になっていた方がいいんじゃない?」
 芳江の言葉に「そうします」と静かに答えた。食欲は無さそうだが、しっかりと牛乳のグラスだけは空になっていた。
「真樹、あんたがチューハイなんて飲ませるからよ」
「ナナちゃんが間違って飲んだだけで、飲ませたわけじゃないぞ」
「あんたが気付いてあげなかったんでしょ」
「それは・・・・そうだけど」
 カピルスのアルコール入りとアルコール無しを作ったのは真樹だ。どちらのグラスがカピルスハイなのか知っていたはずだ。改めてそう考えると、自分が悪かったのだという気がしてきて、真樹は気が重くなった。
「真樹、ナナちゃんの看病でもしてあげたら?」
「今日は仕事だぞ」
「仕事とナナちゃん、どっちが大事?」
 もちろん芳江は冗談で言ったのだろうが、真樹は「休んでいいなら看病するぞ」と言い返した。現実には芳江がナナを看病すればいいので、その程度では仕事を休むわけにはいかない。サラリーマンの辛いところだ。
「ナナちゃんのことは私に任せて、ちゃんと仕事に行きなさい」
 芳江の言葉に「分かってるよ」と無愛想に答えた真樹は、朝のニュースが放送されているテレビに目を移した。
(無理心中・・・・か)
 度重なる執拗かつ強引な借金の取立てを苦に、両親が三人の子供を道連れに自殺を図ったのだろうというニュースが流れていた。
(子供だけが残されるよりはいいのかも知れないけど・・・・そこまで追い詰められていたのかな)
 近所の住民の話によると、借金の取立てが毎日、昼夜を問わず続いていたらしい。夜中に大声を上げて名前を呼び、父親の会社にも電話があり、子供の学校にも取り立て屋が現れたと言う。
「酷いわねぇ」
 芳江が嫌な顔をしたが、咲紅は「でも」と反論した。
「借金をする方も悪いと思いますよ」
「それはそうだけど・・・・あまりにもやり方がねぇ」
「そういう所からお金を借りたのは良くないと思います」
 ナナも咲紅と同意見のようだ。
「エミネントでは自殺も殺人ですから」
「まぁ、自分を殺してるわけだからね」
 真樹はホットコーヒーをすすりながら頷いた。
「でももう死んでるわけだから、罪に問えないよね」
「だから重罪なんです。罪を償うことから逃げたわけですから」
「でもエミネントって、かつては罪人全てが極刑じゃなかった?」
「自分で命を絶つのと、刑を受けるのとは別です」
「死んだら一緒だと思うけど・・・・おっと」
 真樹は腕時計を見て、慌てて立ち上がった。仕事に行く時間だ。
「無理しないで、安静にね」
 ナナは真樹の言葉に「はい」と頷いた。


 目覚ましが鳴り、柳原雪華(やなぎはら せっか)はベッドの上で身を起こした。雪華は寝起きがいい方で、すぐに頭の回転が始まる。
 うさみみ中学では今日から保護者との進路相談を中心とした三者面談(個人懇談会)が始まっており、今日は父親と共に学校に行くことになっていた。時間は午後からだが、雪華はいつものように朝の七時に目覚ましをセットしていた。
 シルクのワンピースの寝衣を着た雪華はベッドから降りると、部屋履きを履いて廊下に出た。
 雪華はうさみみ中学三年三組の学級委員長であり、樋川恭子を始めとする不良グループのリーダーという裏の顔を持っていたが、それは勝手に恭子らが雪華の持つ金やカリスマ性を利用しようと群がっていただけで、雪華自身はイジメ等には加担していない。それは貴美愛にも分かっていたのか、この雪華には「復讐」の手は伸びていなかった。
 であるから、雪華は貴美愛がキョーコやアサミに復讐していることも知らなければ、ナナが戻って来ていることも耳に入っていなかった。
(?)
 廊下に出た雪華は、一階から話し声が聞こえている事に気付いた。どうやら雪華の父親、柳原泰造(たいぞう)が電話をしている声のようだ。泰造は全国展開を見せる柳原グループの代表取締役である。
(朝早くから仕事の電話か)
 早朝であろうが夜中であろうが、泰造の電話は時間を選ばない。夜中に怒鳴り声で起きたことも数知れず、雪華は子供の頃からそんな父親には慣れていた。朝の七時に仕事の電話をしているのはさほど珍しくもなかった。
「そうか、では今は開いたままなのだな」
 雪華は何となく足音を立てずに階段を降りて行った。
「いつ閉じるかもしれんということか・・・・通行は可能なのか? あぁ、かなりの危険を伴うのは承知している」
(何の話だ?)
 開いているだの、閉じるかもしれないだの、通行が可能だのと言うことは、どこかの通路の出入り口か何かだろうか。それが危険とはどういうことか。
 いつもの仕事の話とは違う気がした。
 何か危険な仕事なのだろうか?
 だが泰造は仕事の話は雪華には決してしない。下手に口を挟めば怒鳴り出すのだ。
(ま、勝手にやってくれ)
 宝石商を営む母親は、パリに店を出す為に長期出張中であるが、家事は全てお手伝いがやっている為に不自由は全く無い。
「とにかく私もそっちに行く。それまで現場の指揮はお前に任せる。いいか、くれぐれも向こうに先を越されるなよ」
 携帯電話で話しながら、泰造がダイニングから出て来た。雪華と顔を合わせると通話を切り、「起きたのか」と声を掛けてきた。
 雪華は「起きたかどうか、見れば分かるだろう」と思ったが口には出さなかった。
「お父様、お仕事ですか?」
「あぁ、ちょっと出掛ける。今日は帰らないかもしれん」
 雪華が口を挟む間もなく、泰造はネクタイを締めつつ鞄を手に出て行った。
「いってらっしゃいませ」
 メイド服姿のお手伝いが恭しく頭を下げた。
「・・・・」
 今日は三者面談で、父親と共に中学校に行くはずだった。それを忘れているのか、仕事優先なのか、泰造はその事には触れずに出て行った。
 今日は帰らないかもしれない、と言って出て行った日は、その日中に帰って来たことはほとんどなかった。
(・・・・学校は一人で行くか)
 授業参観、入学式、卒業式。仕事で父が来れなかったことは数知れない。雪華は「いつものこと」と思い、朝食を取る前にシャワーを浴びるべく浴室に向かった。



14th Revenge に続く




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