話数選択へ戻る


タイトル


 12th Revenge 「牛乳とアルコール」


 夕食後、星澄芳江がぼんやりとTVドラマを見ていると、風呂から出てすぐに二階に上がってしまった真樹が、再び一階に下りて来た。冷蔵庫を開けると、缶ビールを一本持って、テーブルに置いた。
「飲むの? 珍しいわね」
 芳江は真樹が夕食時以外にアルコール類を飲むのを見たことがない。いや、夕食時でも最近では珍しかった。
「付き合おうか」
「・・・・どっちでもいいけど」
 真樹は酒のつまみのつもりで、スナック菓子を取り出した。芳江も缶ビールを持って来て、プルタブを引いた。
「何かあった? ・・・・んでしょうね」
「・・・・」
 真樹は何も答えず、TVに目をやった。
 暫くパリパリとスナックを噛み砕く音と、ビールをすする音だけが聞こえていた。その沈黙を破ったのは、シャワーを浴びて出て来た咲紅だった。
「お先です」
 濡れた髪をタオルで巻いた咲紅は、真樹と芳江の様子を見て立ち止まった。それに気付いた芳江が咲紅に声を掛ける。
「咲紅ちゃんも飲む? 飲める歳でしょ?」
「いえ、私は・・・・」
 咲紅の育ったエミネントでは、アルコールを飲むことはこの世界と同じ二十歳から許されているが、未婚の女性が酒を飲むことはあまり良いこととされていない風習がある。実際、咲紅も二十歳になってまだ一年余りで、ほとんど飲んだことはなかった。
 そんな理由もあり断りかけた咲紅だったが、思い直して「じゃあ少しだけ」とグラスを持って来て、芳江の隣に腰を掛けた。芳江は咲紅のグラスにビールを注ぎ「どうぞ」と差し出した。
 咲紅は一口含んで「苦い」という顔をした。
「咲紅ちゃんはビールは苦手?」
「実はあまり飲んだことがなくて」
 それじゃあ、と真樹は席を立ち、冷蔵庫を開けた。確かチューハイが残っていたはずだ。真樹は乳飲料であるカピルスをチューハイで割り、氷を入れた。
「これなら苦くないよ」
「すみません、頂きます」
 咲紅は真樹からカピルス味のチューハイを受け取った。それを飲んでいる咲紅を見て、芳江が言った。
「お酒を飲めば、グッスリ寝られるかもね」
「・・・・そうですね」
 咲紅は昨晩、ほとんど寝られなかった。悟られまいと思っていた咲紅だったが、芳江には隠せなかったようだ。
「咲紅ちゃんは考え過ぎちゃうから」
「・・・・」
 咲紅はカピルス味が飲み易い様子で、チューハイをグビグビと飲んだ。途中でナナがシャワーを浴びる為に部屋を横切ったが、それを過ぎればまた暫く、三人で飲食の音とTVの音声のみが聞こえる状態が続いた。
 ナナが風呂場から出て来た時、まだ三人はテーブルを囲んでいた。
「あの、お風呂、空きました」
 それだけ言ってナナは部屋に戻ろうとしたが、咲紅の顔を見ると紅い顔をしていたので、一言余計な事を言いたくなった。
「お酒なんて飲んでる場合じゃないと思いますけど」
 その言葉を聞き、咲紅が振り向いた。
「何? 悪い?」
「別に・・・・」
「別に、何?」
「大人っていいですね」
「・・・・」
 咲紅は自分の向かい側、真樹の隣の椅子を指差した。
「座りなさい、神無月奈々美」
「もう寝ますから」
「座りなさい」
 ナナにとって咲紅は先輩であり教官である。ここは逆らわず、黙って座ることにした。内心は「酔っ払いの相手は嫌だな」と思ってはいたが、それとは別に「咲紅さんがお酒を飲むなんて珍しいな」と考えていた。
「もうそのくらいにした方が、って桜川さんに言ったんだけどね」
 真樹はそれほど飲んではいないようだ。席を立ち、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出すと、グラスと一緒に持ちテーブルに戻ってきた。もちろんナナ用に持って来たものだ。ナナはそれを受け取ると、咲紅の方を見た。
「何が大人っていいですね、よ。お子様に言われたくないわ」
 咲紅は目が完全に開いていない。かなりアルコールが回っているようだ。普段飲み慣れていないので、回りが早いのだろう。
「あたしはまだお酒が飲めない年齢なだけです。酔って絡むのはみっともないですよ」
「ちょっと、ナナちゃん・・・・」
 真樹は険悪な雰囲気になりそうな空気を察して、ナナと咲紅の間に割って入ろうとした。だが二人は真樹を無視し、話を続けた。
「飲まなきゃやってられないわ。誰かさんが小松喜美愛を何度も取り逃がすから」
「お互い様ですけどね」
 ナナは頬が紅潮していた。それはシャワーを浴びたばかりだからなのか、感情から来るものなのかは真樹には分からない。咲紅は咲紅でアルコールが回っているので、どちらも紅い顔をしている。
(おいおい・・・・)
 真樹は母の芳江に助け舟を期待したが、席を立ってどこかに行ってしまった。シャワーを浴びに行ったのかもしれない。
(こういうの苦手なんだけどな・・・・)
 真樹は喧嘩の仲裁をした経験はなかった。まして酔っている咲紅をなだめるほど会話が巧みではない。
 いっそ自分の部屋に逃げようかと思った真樹だが、この場の空気が険悪なので、自分が席を外せば喧嘩になるのではないかと心配になり、一度浮かせた腰を下ろした。
「そんな暇があったら、小松さんを捜した方がいいと思いますけど」
「それで? 倒れるまで頑張って、ナナちゃんみたいに迷惑を掛ければいいの?」
「・・・・」
 ナナが唇をキュッと締めた。
「・・・・もっと小松さんの逮捕に相応しい人が来れば良かったんです」
「ユーキ君とか、トージ君とか?」
 咲紅自身も、自分がこの任務に相応しいとは思っていない。もっと行動力のある魔法やソウルウエポンを持つオブザーバーが来れば良かったと思っている。ただあの状況で戦力になるオブザーバーを、トランスソウルを無断で持ち出しただけと思われていた小松貴美愛の追跡に割けるはずがなかった。
(誰だろう、ユーキ君やトージ君って)
 話の中に自分の知らない名前が出て来た真樹は、喉が渇いたので冷蔵庫を物色する為に席を立った。元々アルコールは苦手なので、一杯が限界だ。二杯目は乳飲料のカピルスを飲むことにした。
「ナナちゃん、カピルス飲む?」
 ナナのグラスが空になっているのを見た真樹が聞くと、ナナは「頂きます」と答えた。次いで少し紅くなった咲紅が言った。
「私も、カピルスハイでお願いします」
「あの、お酒はもう・・・・」
 あまり飲ませるといけないと思った真樹だったが、咲紅に睨まれてカピルスをチューハイで割った。その際、少し薄めに作っておくことにした。
「そりゃね、ナナちゃんは私なんかよりユーキ君と仕事がしたいんでしょうけど」
「な、何ですかそれ!」
 ナナが動揺したことは、真樹にも分かった。ますます「ユーキ君」が誰なのか気になる。
「駄目よ、ナナちゃん。ユーキ君には麻由ちゃんて言う子がいるんだから」
「し、知ってます。そんなんじゃないです」
「そう言えばナナちゃん、ユーキ君の授業は特に成績が良かったような・・・・」
「ち、違いますってば!」
 ナナは真樹が運んで来たカピルスを奪い取るようにして一気に飲んだ。明らかに様子がおかしく、その場を誤魔化そうとしているように見える。
(ひょっとして、ナナちゃんが憧れている先生・・・・とか? まゆって人がその人の恋人か、あるいは奥さん・・・・? 相手は何歳なんだ? まさかオジサンとか・・・・え、ナナちゃんって年上好み? いやまて、咲紅さんが「ユーキ君」って言うくらいだから同じような歳か・・・・)
 真樹が色々と想像を巡らしている間、二人の話は続いていた。
「ははぁん、ナナちゃん、早くこの仕事を終わられてユーキ君にいい所を見せたいのれぇ」
 咲紅の呂律がおかしくなってきた。
「咲紅さんこそ、モタモタしてると格下げになるんじゃないですか?」
「ふぅんだ、私はこれ以上下がららいもん」
「だからのんびりしてるんですか、お酒なんて・・・・」
 ナナが突然、こめかみを押さえた。
「・・・・あれっ」
「ナナちゃん?」
 また体調が悪くなったのかと真樹は心配して、ナナの顔を覗き込んだ。
「何だろ、急に・・・・」
「ナナちゃん、どうした?」
「頭が・・・・」
 ナナは目を閉じ、頭を押さえたまま呻いた。
「横になった方がいい。部屋に・・・・」
 咲紅を見ると、机に突っ伏して寝てしまっていた。
「さ、咲紅さん?」
 そこに芳江が戻って来た。
「あらら、咲紅ちゃん寝ちゃったのね。ナナちゃん、どうしたの?」
「急に具合が悪くなったみたいで・・・・」
 ナナは頭を抱えたまま咲紅と同じように机の上で顔を伏せてしまっていた。
「真樹、ナナちゃんを頼むわ。私は咲紅ちゃんを部屋に連れて行くから」
「あ、ああ」
 咲紅はナナと言い合いをしてアルコールが回ったのだろう。芳江が肩を貸そうとするが、自力で立ちそうになかった。
(ナナちゃん、やっぱりまだ具合が悪いんじゃないか? ・・・・あれ?)
 真樹はナナの前に置かれたグラスを見て、重大な事に気が付いた。ナナと咲紅の為にカピルスを作った際に、確か柄が紅い方を咲紅用にしたはずだ。だがそれが今、ナナの前にある。
(てことはナナちゃん、カピルスハイを一気に・・・・!?)
 真樹の頭に、春先によくニュースになる「新人歓迎会で一気飲み、急性アルコール中毒で倒れる」という記事が浮かんだ。
「か、母さんっ!」
 真樹は慌てて、フラフラの咲紅に肩を貸して階段を登っている途中の芳江を呼び止めた。

「やばい、ナナちゃんがチューハイを飲んだっ!」
「あら、まぁ」
 だが芳江は芳江で階段から落ちないように、咲紅を支えるのに必死だった。
「どうしたらいい!?」
「取り敢えずお水を飲ませなさい。アルコールを薄めないと」
「分かった!」
 真樹は慌てて水を汲み、ナナの所に持って行った。
「ナナちゃん、水だ、飲んで!」
「ん〜、水・・・・?」
 ナナは机に突っ伏したまま、薄目を開けた。
「水〜?」
「そうだ、水だ! ほら、飲んで!」
「ミルクがいい・・・・」
「えっ、ミルク? あぁ、分かった、待ってて!」
 とにかくアルコールが薄まればいいだろう、と真樹は水を捨て、牛乳を注いて戻って来た。
「さぁ、ミルクだ!」
「ん〜・・・・」
 ナナがグラスを受け取りそのまま飲もうとしたので、危うくミルクがこぼれそうになった。真樹は慌ててナナの手首を掴んで、机の上が牛乳の海になる事態を逃れた。
「ナナちゃん、頭を上げないと!」
「頭が重い・・・・」
「ちょっと失礼!」
 真樹はナナの肩を持つと、無理矢理に引き起こした。
「ほら、飲んで!」
「んうー」
 グラスを渡そうとするが、ナナの手には力が入っていない。
(ど、どうすればいいんだ)
 飲ませなければナナが危険だと思った真樹は、何とか飲ませようと無理矢理にグラスをナナの口に当てた。
「んんう」
「ほら、口を開けて!」
(駄目だ、飲みそうにない。こうなったら・・・・)
 口うつし。
(違うぞ、これはナナちゃんを助けるため、そう、人工呼吸と同じなんだ! 医療行為なんだ、早くしないとナナちゃんの命が危ない、緊急事態なんだ!)
 ナナの柔らかそうな唇が目の前にある。
 芳江と咲紅はまだ階段を登るのに必死だ。
(違うぞ、これはナナちゃんの為に・・・・)
 真樹はグラスの牛乳を口に含もうとした。その時、ナナの手が動いた。
「あたしのミルク・・・・」
「あっ」
 ナナは真樹から牛乳を奪うと、そのまま一気に飲み干した。目は閉じたままだった。
「・・・・」
 真樹はナナから空になったグラスを受け取ると、机の上に置いた。
(ほ、本能か?)
 牛乳を飲んだ後、ナナが力が抜けたように倒れかけたので、真樹は必死でナナが椅子から落ちないように片腕で支えた。
 ナナの唇の端から白い液体がこぼれ、一つの筋を作った。真樹は腕を伸ばしてティッシュを一枚取ると、ナナの口を拭った。
(と、とにかく部屋に連れて行こう)
「ナナちゃん、立てる?」
 呼びかけたが返事がない。肩を貸したところで立てそうになかった。
(背負うか、抱き上げるか・・・・だな)
 この体勢だと抱き上げた方が早い。真樹はそう判断した。
(ええっと、左腕は背中に回して、右腕で脚を持ち上げて・・・・)
 いわゆる「お姫様だっこ」だ。
(よっ・・・・)
 しかし思った以上に抱き上げるという行為は簡単なものではなかった。ナナがグッタリしている分、まず抱き上げる体勢に持っていくのが困難だ。
(む、難しいな)
 まず背中に腕を回すと頭がカクンと後ろに垂れてしまうが、どうしようもないので諦める。ナナの体は非常に細かった。
(こんな体で戦ってるんだよな・・・・)
 座っている体勢のナナの脚を持って持ち上げようとすると、必然的に真樹の顔がナナの体に近付く。シャワー上がりのナナは石鹸とシャンプーの香りがした。
「・・・・」
 しばし手を止めた真樹はあらゆる欲望が頭を巡ったが、それを振り払うようにナナを抱き上げて立ち上がった。
「ぐっ・・・・」
 予想以上の重さに、慌てて足を広げて踏ん張り、耐えた。
「お、重い・・・・」
「う〜、太ってないですぅ」
 乙女への禁句にナナが反応した。だがそれだけ言うと、またグッタリしてしまう。
 立ち上がる時は結構力が必要だったが、持ち上げてしまえばそうでもなかった。真樹はダイニングを出て階段を上がろうとした。だが・・・・。
(む・・・・)
 お姫様だっこをしたままでは、横幅が足りなかった。そのまま通ろうとするとナナの頭や足が壁に当たってしまう。
(背負った方が良かったか・・・・)
 だがまたナナを下ろし、背負い直すのも面倒だ。真樹は自分の体を横にし、ナナを自分の方に引き寄せるようにして少し持ち上げ、横向きに一歩一歩慎重に階段を登り始めた。普段から運動をあまりしていない真樹にとって、かなりの重労働だった。
 だがもちろん、ただの荷物ならまだしも、真樹が感じるのは苦痛だけではないのも否めない。真樹の顔が紅いのは、力を入れているだけが理由ではなかった。
「真樹、顔が紅いわよ」
 階段を登り終えると、咲紅を先に部屋に運び終えた芳江と廊下ですれ違った。どうやら手伝ってくれる気はなさそうだ。まさか気を遣った、というわけではないだろうが・・・・。
 ずっとこうしていたいと思った真樹だったが、体力の無さがそれを許さなかった。ナナの部屋に辿り着いた時、真樹の腕は限界に達していた。何とかナナを落とさないようにベッドの近くまで来た真樹は、そっとナナを下ろそうとした。
「う〜ん・・・・」
 その時、ナナが真樹の首に両腕を回してきた。
「え、ちょ・・・・」
 ナナの体を下ろそうとしていた真樹は、ナナに抱きつかれたまま一緒にベッドの上に倒れ込んだ。ナナの体を庇おうとしたが、体勢が体勢なだけに抱いた恰好のままナナの上に乗りかかる状況になってしまった。
(!)
 真樹の右頬に、柔らかい感触があった。
(ま、まずい、これはまずいって!)
 だがナナは真樹の頭を抱き寄せたまま離さない。
(こ、これは完璧に事故だ、わ、わざとじゃないぞ!)
「う〜ん・・・・」
「ナ、ナナちゃ・・・・」
 ナナが気付いたと思った真樹は、慌てて言い訳をしようとした。だがナナは目を閉じたままで、何かを呟いていた。
「小松さん・・・・」
「いや、俺は真樹だけど・・・・」
「ごめんなさい、あたしがあの時、捕まえていれば・・・・」
「・・・・」
「これ以上、罪を重ねないで・・・・今ならまだ・・・・」
「・・・・」
「魔法で、悪いこと、しないで・・・・」
「・・・・」
 真樹がそっとナナの抱擁から抜け出すと、ナナの頬には涙が伝っていた。
(そうだな・・・・早く小松さんを見付けて、これ以上罪を重ねないようにしないと。俺は出来る限り、その手伝いをするよ)
 真樹は指でナナの涙を拭うと、そのまま寝かしておこうと思い、部屋を出ようと振り返った。
「!」
 そこには床に寝ていたはずの咲紅が座っていた。真樹を睨むように。
「さ、咲紅さん、起きてたんですか」
「・・・・何、してたの」
「へっ?」
「今、ナナちゃんの胸に頬擦りしてた」
「ち、違います! 誤解です!」
「まだ発展途上のナナちゃんの胸に欲情するなんて・・・・」
「よ、欲情なんてし、してませんってば!」
「こんな所に可愛い生徒を置いておくことは出来ないわ」
「ま、待って下さいって!」
「おやすみなさい」
「え?」
 パタン、と咲紅は座った状態のまま横になり、しばらくすると寝息を立て始めた。
「・・・・」
 真樹はそっと部屋を抜け出すと、自分の部屋へと戻った。
 鼓動がやけに激しし。
(な、何だか自分が凄く悪いことをした犯罪者のような気がする!)
 このまま咲紅に誤解された状況では、本当に出て行ってしまうのではないだろうか。
「わざとじゃないんですよ、咲紅さん・・・・」
 頬に残った感触と石鹸の香りの記憶、そして咲紅への言い訳と罪の意識で、真樹はほとんど眠れない夜を過ごした。



13th Revenge に続く




話数選択へ戻る