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タイトル


 3rd Revenge 「姫」


 咲紅は焦っていた。
 思いもつかない攻撃だったとはいえ、あの兇という男に不覚を取り、小松貴美愛を取り逃がしたのは自分の責任である。
 もし貴美愛がこの世界で、トランスソウルを使って事件を起こしたとなると、エミネントとこの世界の外交問題にまで発展する可能性がある。
 この世界の人間がトランスソウルを持ち出した。だがそれを分け与えたのはエミネントの禍津夜光という男だ。貴美愛がこの世界で問題を起こせば、与えた方、使った方、どちらがより悪いのか。渡さなければこんなことには、使わなければこんな・・・・と言い合いになり、最後は「こんな国(世界)と友好関係を結んだのが間違いだった」という事にもなりかねない。
(だから私は反対だったんだけどな)
 少しの間だがこの世界に滞在した経験のある咲紅は、この世界との交流はあまり賛成できるものではないと思っていた。倫理観や価値観が違えば、互いに理解出来ないのは当たり前だと思う。
「ここです」
 ナナの足が止まる。目的地の、樋川恭子の自宅前に到着したのだ。
「この家に、魔法を得た小松さんが復讐に来る、もしくは既に来ているかもしれないってことね」
「可能性は高いと思います」
 チャイムを押してみる。しばらくして、キョーコが顔を出した。
「神無月? お前、帰ったんじゃねぇのか」
 ナナの顔を見たキョーコの第一声だった。
「そ、それが、ちょっと訳有りで・・・・」
「忘れ物か?」
「ちょっと探し物です」
「ここには何も忘れてなかったと思うぜ」
 ナナが咲紅に追われ、この家にかくまわれたのはつい昨日のことだ。ナナはキョーコの事を良くは思っていなかったのだが、話してみれば心の底から悪い人間ではないように思えた。実際、咲紅から自分を守ってくれたのだ。だがもちろん恨みは晴れていないし、許したわけでもない。寧音や泉流を傷付けたことへの怒りはナナの心の中に残っている。
「樋川さんに聞きたいことが。小松貴美愛さん、来ませんでしたか?」
「えっ」
 キョーコの目が丸くなった。
「来たんですか!?」
「いや、今さっき、あいつの夢を見たんだ。だから偶然だと思ってな」
「夢?」
「あいつがあたいの部屋に来てさ。本が光ったり剣が出て来たり・・・・」
「・・・・」
(小松さんがここに来た。樋川さんは夢だと思っているみたいだけど・・・・)
「それで、何かされましたか?」
「いや・・・・剣を突きつけられて、本が光ったかと思うと頭が割れるように痛くて・・・・その後、目が覚めた。それだけだな」
「・・・・そうですか」
 貴美愛は何をしに来たのだろう? ナナは首を捻った。復讐するつもりなら、キョーコが無事でいるはずはない。それとも復讐は自分の思い過ごしで、貴美愛はただキョーコを脅しに来ただけだったのだろうか。
「ちょっと、見せて貰えますか?」
 ナナの隣にいた咲紅がキョーコに言った。キョーコは咲紅を睨むと、ナナに向かって聞いた。
「誰だ、こいつ」
「あたしの先生です」
「何だ、センコーか」
「いえ、学校の先生とは少し違いますが・・・・とにかく信頼して貰っても大丈夫です」
「ふぅん・・・・」
 キョーコはまだ咲紅を警戒しつつ「で、何を見るんだ?」と聞いた。
「あなた、態度が悪いですね」
「放っとけよ」
(さすがに人を苛める人間だけあって、態度も言葉遣いもまともじゃないわね・・・・)
 何かあっても助けないでおこうかと思った咲紅だったが、貴美愛が何をしたのか、またしていないのかを調べる必要がある。
「じっとしていてね」
 咲紅がキョーコの頭の上に手の平を翳す。キョーコが貴美愛に何らかの魔法を使ったのなら、手の平が魔力を感知するはずだ。
「・・・・」
 目を閉じている咲紅を、キョーコはいぶかしそうに見ていた。その体勢のまま、暫く時が流れる。何をされているのか分からないキョーコは、次第にイライラしてきた。
「おい、まだかよ」
「・・・・あっ」
「な、何だよその『あっ』ってのは!」
「頭が割れるように痛かったのね?」
「あ、ああ」
「・・・・参ったわね」
「だから、何なんだよ!」
 咲紅は手を引っ込め、そのまま腕を組んだ。
「私はリムーヴが出来ないし、ナナちゃんにはおそらく無理・・・・強引に破壊するのは危険だから・・・・」
 一人でブツブツ言っている咲紅を指差し、キョーコはナナに話し掛けた。
「おい、何なんだこいつは?」
「簡単に説明します」
「上がって茶でも飲んで行けよ」
「いえ、時間がないので・・・・」
「あっちに帰るのか?」
「用が済めば帰れますが・・・・」
「だから上がって、ちゃんと話せって!」
 ナナは咲紅に目をやった。咲紅が小さく頷いたので、ナナはキョーコの好意に甘えることにした。
 居間に座ると、キョーコが缶ジュースを三本、運んで来た。ナナがご馳走になったものと同じだ。キョーコがジュースを取りに行っている間も、咲紅は真剣な顔で何かを考えていた。
 キョーコが席に着いたので、ナナは今までの経緯をキョーコに話した。小松貴美愛がトランスソウルを手にして帰って来たこと、キョーコが狙われるのではないかと推測してここにこうしてやって来たこと、そしてキョーコが何らかの魔法を受けた可能性があること。
「じゃあ何か、あれは夢じゃなくマジで現実の小丸だったのか?」
「本と剣を持っていたのなら、まず間違いなく本物です」
「でもよ・・・・この通り、何ともないぜ?」
「魔法の種類は分からないけど・・・・」
 咲紅が口を挟んだ。
「あなたの頭から魔力を感知しました。何らかの魔法攻撃を受けていると思われます。もっとも、小松さんの魔法が不完全で、何かをしようと思ったけど不発に終わって、魔力の屑だけが残ったという可能性もあります。でも・・・・」
「でも・・・・何だよ」
「屑にしては、形が整然とし過ぎています」
「つまり、どういうことだよ」
「魔力が常駐しているのであれば、ナナちゃんのリムーヴで除去出来るはずでしたが・・・・」
「でしたが?」
 ナナが聞き返した。
「今のナナちゃんには無理ね」
「ど、どうしてですか?」
 ナナはリムーヴ能力、つまり人体から魔法を引き剥がす力には結構自身がある。まだ正式なリムーバーではないが、エミネントに帰ってすぐ受けるはずだったリムーバー試験には合格する自信があった。それなのに、咲紅に「無理」と一蹴され、少しだけ自尊心が傷付いた。
「あたし、この世界でも何度かリムーヴを行いましたが、失敗したことありません」
「それは簡単なリムーヴばかりだったから」
「・・・・」
「あなたが処理したケースは、ウイルス型魔力がその生存本能のままに他の個体へ感染し、取り憑いただけの単純なもの。でもこの子のケースは違う。詳しく調べないと分からないけど、ちょっと見た限りでは・・・・かなり複雑に魔力の網が張られ、きっちり計算されている」
「それって、どういう・・・・」
「針に糸を通すように、正確に引き剥がしを行わないと、この子の頭の中が危ないってことよ」
「な、何だよそれ」
 キョーコの声に、少しだが震えが入った。
「まさか小松貴美愛がここまで複雑な魔法を使えるなんて・・・・」
 貴美愛はエミネントにおける研修で、かなり優秀だったと噂されていた。特に魔法に関してはかなり熱心だったと何人かのチーフから聞いている。
(問題はこの魔法が、どんな魔法なのかということね・・・・小松貴美愛が勉強熱心だったのは認めるとして、この尋常じゃない習得スピードは、ひとえに復讐心が生み出したものなの? だとしたら、悲しい力・・・・)
「何か自覚はないの? どこかが痛いとか」
「いや・・・・特には」
「小松貴美愛は何か言ってなかった? 例えば、あなたは何日後に死ぬとか」
「縁起でもないこと言うなよ! 何も言ってなかったと思うが・・・・そうだな、確か『あなたが復讐劇のテープカットだ』とか何とか・・・・」
「やはり、魔法で次々と復讐を果たすつもりね・・・・」
「あの、あたし、リムーヴやってみます」
 ナナが腰を浮かせたが、咲紅は首を振った。
「言ったでしょ、針に糸を通すような繊細さが必要だって。ナナちゃんのジャスティ・ホーリーライトなんてこの子の頭に使ったら、脳がぶっ飛ぶわよ。あの技はナナちゃん本人が思っている以上に力任せで大雑把なんだから。知ってると思うけど、脳は人間の体で最も複雑な部分。もし損傷でもすれば、治癒魔法なんかじゃ治せないわ」
 それを聞き、キョーコが後ずさりした。
「神無月、やめてくれ。特に症状は無いんだ、そんなことされたら先に死んでしまう」
 確かにナナのリムーヴ技は強引だとナナ自身も思っている。魔力が取り付いた部位は関係なしに、その人の体全てを七色の光で貫く。大雑把と言われても言い返せない。
「今のところは何ともないんだ、だから失敗かもしれないぜ? ほら、ちょっと恰好つけて手編みのマフラーを編み始めて、複雑にし過ぎて途中でやめちまったとか、そんな感じじゃないのかな」
 キョーコはナナに向かって必死に、何の症状もないことを訴えた。その態度は、何もない事を自分に言い聞かせているようにも見えた。
「ここにいても何も出来ない以上・・・・」
 咲紅が立ち上がる。
「ここに長居は無用。早く小松さんを追い、次の目的を果たす前に捕まえなきゃ」
「樋川さんはどうするんですか?」
 ナナが立ち上がった咲紅を見上げる。
「対処出来ない以上、ここにいても仕方ないわ」
「それはそうですけど・・・・」
「な、何だよ、不安になるじゃないか!」
 キョーコは焦り、訴えるような目でナナを見た。
「次はアサミさんが狙われるかもしれません」
「・・・・アサミが? そうか、そうだよな・・・・なぁ、あたいも行くよ」
「ここにいて下さい」
 ナナは手でキョーコを制し、立ち上がった。
「再び小松さんに会えば、今度は本当に殺されるかもしれません。小松さんは樋川さんに魔法を掛けたつもりで、実は失敗していたのかもしれません。とすれば、ここにこのままじっとしていた方が安全です」
「そ、そうか・・・・」
「澤田さんの家を教えて下さい」
「あ、ああ、ちょっと待ってくれ」
 キョーコは市内の地図を拡げ、アサミの家を示した。更に数名の名を挙げ、その者も貴美愛を苛めていたと言った。
「あたいは・・・・」
 キョーコはひどく小さな声で言った。
「そんな酷い事をしていたとは思ってないんだ。あいつが何も言い返さないから、ちょっとからかったら面白い顔をするから、その程度だったんだ。復讐なんて受けるいわれはないんだ・・・・」
「樋川さん」
 咲紅と共に部屋を出て行こうとしたナナは、キョーコに向かって言った。
「あたしはあなたを守ります。でもそれは、あなたの今までの行いを許したわけではありません。小松さんに早まって欲しくない。この世界とエミネントの友好に関わるような事件を起こして欲しくないからです」
「・・・・あぁ」
「かくまってくれた恩は忘れませんが・・・・」
「一晩泊めただけで全てを許して貰おうなんて思ってねぇよ」
「何かあったら・・・・」
 と言い掛け、ナナは携帯電話を返したことに気付いた。研修中に下宿していた星澄家で携帯電話を借りていたのだが、エミネントに帰る際に、星澄芳江の物となっているはずだ。エミネントでよく使われているマジカルレシーバーも今は持っていない。
「また来ます」
 貴美愛がキョーコに掛けた魔法は、時限式という可能性もある。今は何もなくても、突然発動する魔法かも知れないのだ。ただ、貴美愛が本当にキョーコを殺す気であれば、複雑な時限爆弾を頭の中に仕掛ける必要はないし、いつ死ぬか分からないという恐怖を味あわせたいならキョーコに「爆弾を仕掛けた」というような事を言っているはずである。
 何にせよ、魔法の爆弾が頭の中で爆発すれば、ナナや咲紅がその場にいてもキョーコは助からない。除去出来ないのであれば、ここにいて心配しているのは時間の無駄だった。それよりは被害者が増えないようにする方が先決である。貴美愛を捕まえれば、キョーコに掛けた魔法を解除させればいい。
 ナナと咲紅はキョーコから借りた地図を頼りに、アサミの家に向かった。
「やっかいね」
 咲紅が苦々しい口調で呟いた。
「まさか三週間で、あれだけの魔法を使えるようになるなんて・・・・」
 元々頭はいいのだろうと思うが、賢いだけでは魔法を使う「コツ」が分かると言うわけではない。魔法を発動させる要素の一つは「心から強く念じること」。それだけ貴美愛の復讐心は強かったということなのか。
(応援を呼ぼうにも、エミネントがあの状況じゃね・・・・)


 貴美愛は母校である卯佐美第三中学校、通称うさみみ中学の近くまで来たものの、クラブ活動をしている生徒も多く、校庭やグラウンドからは掛け声等の喧騒が聞こえていた。誰にも見付かりたくない貴美愛は、暗くなってからもう一度来ることにして、その場を離れようと思った。
(ねぇ姫、何を取りに来たの? 大事なものって言ってたけど)
 リュックの中の亜未の質問には答えず、貴美愛はさっさと歩みを進めた。誰かに声を掛けられでもすれば面倒である。
「おや、小松君じゃないか?」
「!」
 後ろから声を掛けられ、貴美愛は立ち止まった。
(校長先生・・・・)
「帰って来たんだね。私も今、神無月君を見送って来た所だよ」
「・・・・ただ今、戻りました」
 貴美愛はゆっくり振り向きながら、校長に挨拶した。
(おや?)
 校長は貴美愛の表情を見て、どことなく違和感を感じた。
(どこがどう、と言うよりも、雰囲気そのものが違う・・・・小松君はもっと大人しいと言うか、オドオドしている子だった・・・・エミネントでの研修が、この子に自信を与えたというのか?)
 うさみみ中学の校長は、出雲と言う。その正体は「魔法少女ぷにぷにゆかりん」を読んで頂いている方には説明するまでもない。
(姫!)
(なに、烈)
(この男、何か違う)
(違うって、何が?)
(何か違う雰囲気を感じます・・・・この世界の人間ではない、何かを)
(どういう意味? 校長先生は校長先生よ)
(いや、ですが・・・・)
「小松君」
 校長の目が鋭くなる。
「誰かいるのかね?」
「い、いえ、見ての通り、私一人ですが」
「君の後ろから、何かを感じるんだが」
「・・・・」
(姫、やはりこの男、只者ではない! 我々の存在を見抜いています!)
(慌てないで、烈)
「い、犬です」
「そのリュックの中にかね? 息苦しくないかな? ・・・・一匹ではなさそうだが」
「仔犬ですから」
「ふむ。事情は分からないが、酸欠にならないようにしてあげなさい」
「ありがとう、ございます」
「ところで、研修帰りの報告に来たのかね?」
「はい、エミネントから直接ここに・・・・」
「それじゃあ犬はエミネントから連れて来たのかな?」
「・・・・!」
(おいおい姫、あまり喋らない方がいいぜ。墓穴を掘る)
 兇の声だ。
(校長先生、なかなか曲者っぽいわ。どうする?)
 と言いながら、亜未は楽しんでいるようにも聞こえる。
「犬はつい先ほど拾いました」
「ああ、それならいいんだ。いや、エミネントの動物を持ち込むのは禁止されているからね、それで心配してしまったのだが」
 校長はこの世界とエミネントの交流を推進する親善大使である。何故一介の先生がそんな大役に就いているかはおいおい話すとして、そういう立場であるから世界間の取り決めについては目を光らせる使命がある。
「ご心配なく」
「だが珍しい犬を拾ったものだね」
「・・・・?」
「心話を使える犬とは」
「っ!」
 貴美愛が本を抱えたまま飛び退く。
(こいつ、俺達の心話を傍受してやがったのか!?)
「正確には聞こえんがね。日本語ということは分かったよ、キョウ君、だったかな」
(くそ、名前までちゃんと聞こえてんじゃねぇか、このくそジジイが!)
(心話を盗み聞きするなんて、趣味が悪いオジサマね。プライバシーの侵害よ)
「聞く気はなかったが、たまたま波長が合ってしまったのだよ、レディ。ラジオを聴いていて、国外の放送が入ることがあるだろう? あれと同じだよ」
 数メートル離れた位置で校長と対峙する貴美愛。今まで多少ひょうきんだが普通の人間だと思っていた校長の正体を計りかね、動くに動けなかった。
(兇、校長先生の正体は分かる? ひょっとして、あなたたちと同じエミネント?)
(いいや。このエネルギーは魔力じゃねぇな)
(はっきりとは言えないが、これはおそらく妖力・・・・)
 烈が兇の代わりに答えた。
(妖力? 妖怪ってこと?)
(不明瞭な事は決め付けない方がいいが、少なくともエミネントではありません)
「仮説を立てよう」
 校長が後ろで腕を組んだまま貴美愛に話し掛けた。
「君がこの世界に戻る時、この世界に興味を持った三人のエミネントがいた。どうしても見学をしたいが、そんな理由ではメビウスロードの通行許可は下りない。だからそのリュックに身を潜め、小松君と共にやって来た・・・・こんなところでどうかな?」
「・・・・」
 貴美愛は校長の表情を伺った。温和だが、どこかこちらの手の内を見透かしているようにも見える。
(今の仮説は、本当はそう思っていないけど、見逃すから見学に来たことにして帰れ、ということ・・・・かしら)
 校長の実力は分からない。自分だけでも勝てるかもしれないし、リュックの中のメンバーでも勝てないかもしれない。だが貴美愛の復讐は始まったばかりだ。ここで邪魔をされるわけにはいかない。一人でも復讐は続けられるとは思うが、兇たちがいないとやはり少し心細い。何より、小脇に抱えているトランスソウル「マジカルバイブル」を取り上げられでもすれば、復讐は果たせなくなる。
 貴美愛の目的を遂行するには、この校長が邪魔だ。よりによって、一番やっかいな者に見付かってしまった、と貴美愛は唇を噛んだ。
(やるしかない・・・・)
 この三週間、死に物狂いで魔法を習得した。それは全て、この世界への復讐の為、そして自分を愛してくれている禍津夜光の為だ。
(そうだ、私がイジメを受けている間、学校は何もしてくれなかった。教師も、そして校長先生も私を助けてはくれなかった。この人も同罪だ。きっとイジメの事実を知っていて、見ない振りをしていたんだ)
「そういうことならっ」
 リュックから兇が飛び出し、貴美愛と校長の間に割って入った。地面に降りるなり、拳を固めてファイティングポーズを取る。
「姫のご意思だ。姫を守る為に俺はお前を倒す」
「喧嘩は好きではないのだがね。話し合いで何とかならんかね」
「ならねぇ」
「残念だよ」
「はっ!」
 兇が繰り出した拳は、校長のいた空間を切り裂いて通り過ぎた。
「ぬっ」
 兇は空振りに終わった拳を引っ込め、再び攻撃態勢に入った。
「見かけによらず素早いじいさんだな。無理すると体に響くぜ」
「年寄りは敬った方がいいぞ。君もいずれ年を取るんだ。年老いてから若い頃の所業を悔いても遅いのだぞ」
「じいさんの体の事を考えて、疲れないようにさっさと優しく寝かしつけてやるよ」
 兇の第二撃は右足のハイキックだった。校長は左腕でその蹴りを受け止めたが、すぐさま兇の拳が襲い掛かってきた。
「っ!」
 校長はその攻撃を読んでいたが、繰り出された拳が予想外に早く、肘で払い除けた。再び間合いを取る兇の顔に、薄笑いが浮かんだ。
「これだぜ・・・・」
「?」
「久々の喧嘩、久々の手ごたえのある相手だ。楽しませて貰うぜ」
 そう言って、兇は舌なめずりをした。
(こいつは・・・・)
 そんな兇を見て、校長の背中に悪寒が走る。
(この状況を楽しんでいる・・・・やっかいなタイプだ。生半可な痛めつけでは諦めてくれそうにないな。立場上、極力エミネントとは争いを避けたいのだが・・・・このままこいつらを見逃すわけにもいかん。エミネントの管理局は何をやっているのだ? リュックに隠れていたとはいえ、簡単に通過出来るメビウスロードではないはず・・・・)
「ボーっとしてんなよ!」
 兇が飛び込んで来た。
(止むを得ん)
「無許可でこの世界に来たとなると、エミネントでは重罪のはずだな。おとなしく帰るなら、見逃してやるぞ」
 校長は兇の攻撃を巧みに避けながら説得を続けた。だが兇は耳を貸さず、突きや蹴りを繰り出して来る。
「あなたこそ」
 貴美愛の静かな声が二人の戦いに割り込んできた。
「私の邪魔をするなら、リストに入れるわよ」
「リスト? 何のリストだ!?」
「全ての人間は、誰一人として平等ではない・・・・」
「?」
「リベンジよ」
 貴美愛に気を取られた校長の懐に、兇が踏み込んだ。
(しまったっ)
 兇の一撃が校長の腹を襲う。破壊力のある拳が校長にめり込んだ。
「ぐはっ・・・・」
「まだだぜ」
 続けて左の拳が顔面に直撃した。気を失いそうになりながらも、校長は地面を転がり、兇との間合いを空けた。
「ぐっ・・・・」
 校長は思わず地面に膝を付いた。腹には鈍器で殴られたような重い痛みがあり、歯が折れたようで、口からは血が流れ、地面に染みを作った。
「う〜ん、体がなまってるなぁ」
 兇は手を握ったり開いたりしていた。
「喧嘩ってのはやっぱ、ずっとやってないと鈍るんだよな。トレーニングじゃなくて実戦をさ。それなのにエミネントときたら、街中で喧嘩しようものなら即座に管理局がすっ飛んで来やがる。知ってるかじじい、町の中は管理局の魔力監視によって二十四時間、見張られてるんだぜ。何も出来やしない」
(そうそう、恋人とのキスだって見られてるんだから! しかも公然猥褻罪適用よ!)
 リュックの中の亜未がぼやくと、烈から「あなたはしっかりと犯罪的に猥褻です」というツッコミが入った。
「ここはいい世界だ」
 兇が校長を見下ろして言った。
「小さな喧嘩だったら何も言われねぇ。それどころか、係わり合いを避けて見て見ない振りをしてくれる。俺は自分がどれだけ強いか知りたい。だがエミネントではすぐに犯罪者扱いだ」
「君は・・・・この世界に喧嘩をしに来たというのか」
 校長の口から更に血が流れる。
「ま、それもあと少しの辛抱だ。もうすぐエミネントは変わる。我らのリーダー、禍津夜光様がエミネントを変えるのさ」
「エミネントを変えるだと・・・・?」
「行くわよ、兇」
 貴美愛が声を掛けると、兇が「へいへい」と校長に背を向けた。
「ま、待て、お前達はこの世界で何を・・・・」
「姫が言っただろうがよ。リベンジだ」
「リベンジだと・・・・? 誰にだ? 小松君が、誰に復讐するのだ」
「それ以上喋ったら殺すぜ」
 兇の鋭い目が校長を睨んだ。そして背を向けて歩き出す貴美愛の後を追う。
「早まるな、小松君!」
「早まる?」
 貴美愛は立ち止まり、背を向けたまま言った。
「やっとよ。私にとって、これはやっとなの。早まるなですって? 待ちに待った日がやって来たの。遅いくらいだわ」
「一体、エミネントで何があったんだ」
 このままではいけない。何としても貴美愛を止めなくてはならない。校長は正体がバレることになっても、貴美愛がしようとしていることを阻止しなければ、と思った。
 兇は背を向け、油断しているように見える。校長はイニシエートの妖力を開放した。
「おおおおっ!」
「いけませんね」
「!」
 いつの間にか、後ろに烈が立っていた。
「この男、非常にやっかいな存在のようです。姫、始末しても?」
「いいえ烈、殺してはいけません。死なない程度に叩きのめすのです。自分の無力さを痛感し、私達を取り逃がした罪を悔やむように、そして・・・・」
 貴美愛は唇に笑みを浮かべた。
「私をエミネントに留学させたことを後悔しなさい」
「!」
 烈に羽交い絞めにされた校長は、何とか逃れようともがいた。だが細身の体からは想像出来ないほど、烈の校長を掴む腕の力は相当なものだった。
「烈、手を離せよ」
 兇が校長の前に立つ。
「身動き出来ない相手を殴るのは趣味に合わない」
「いいのか? こいつは只者じゃなさそうだ」
「強い奴に勝ってこそスッキリするってもんだぜ!」
 兇のパンチが唸りを上げたように見えた。
(小松君、駄目だ、復讐は何も生み出さない。君はきっと後悔することになる)
 その言葉を口に出来たか、出来なかったか。出来たとして、貴美愛の耳に届いたか、届かなかったか。知る術もなく何度も何度も殴られ、蹴られ、そして校長の意識はなくなった。



4th Revenge に続く



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