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タイトル


 2nd Revenge 「テープカット」


「キョーコちゃ〜ん」
 低く、いやらしい声だ。
(誰?)
 暗くて見えない。
 誰かがいる。そして、自分の上に覆い被さっている。
 荒い息遣いが、突然キョーコの耳の近くで聞こえた。
「きゃ・・・・」
 声を出そうとしたところ、口を塞がれた。
 ヌルヌルとして気持ち悪く、煙草臭い。
 気が動転していたが初めてのキスだと気付いた時、パジャマが無理矢理に脱がされ掛かっていた。
(いや、いや、誰なの!?)
 夢かと思った。
 誰のものか分からない手が、キョーコの体を這い回る。
「暴れると痛いよ」
 口に何かが押し込まれる。それが自分の下着だということが分かったのは、ずっと後のことだ。
 誰かの唇が、舌が、キョーコの体を嘗め回す。
 気持ち悪さ、怖さ、恥ずかしさ。


「いやあああっ!」
 焼け付くような痛みで、キョーコは目を覚ました。
(・・・・夢か・・・・)
 嫌な夢だ。
 出来れば思い出したくない、今までで最悪の出来事。
(くそ・・・・)
 キョーコは汗だくの体を引き摺り、洗面所に向かった。
「・・・・?」
 鏡に映った自分の額に、薄っすらとだが三センチほどの横線が一本あった。寝ている時に何か付いたのかと思って擦ったが、取れない。
(・・・・ま、その内取れるだろう)
 顔を洗い、部屋に戻る。
(くそ、気分が悪い・・・・)
 心臓がまだドキドキしていた。
 怖い夢。二度と見たくない、最悪の夢だった。


「貴美愛ですか? いいえ、まだ帰ってませんが・・・・」
 ここは小松家、チャイムを押すと貴美愛の母が咲紅とナナを出迎えた。
 メビウスロードを出てから貴美愛がどこに向かったのか。見当が付かない咲紅とナナは、取り敢えず貴美愛の実家に来てみた。研修生の自宅は咲紅が予め訪問しているので、貴美愛の母も咲紅の顔は覚えている。
「あの子、今日帰って来るんですよね?」
「ええ、もうこの世界に戻っているはずですが・・・・」
 咲紅は言葉を濁した。貴美愛がトランスソウルを所持し、リュックに何者かを入れている等と母親に言えるわけがない。
 貴美愛がこの世界に帰って来て行く場所と言えば、家に帰る以外には思い付かない。
「どこかに寄っているのかもしれません。お心当たりは?」
「・・・・いえ、全く・・・・」
 心配そうな表情の母親の後ろから、女の子が顔を出した。
「お姉ちゃん、どこ行ったの?」
 貴美愛の妹だろう。歳は十歳前後だろうかとナナは推測した。声が小さく、おとなしそうな娘だ。
「もうすぐ帰って来るよ」
 ナナは女の子を安心させる為にそう言ったものの、今の貴美愛はトランスソウル不法所持者である。帰って来たとしても、咲紅に捕らえられるかもしれない。
 貴美愛はどうなるのか、咲紅に聞こうにも家族の前では事実を話すわけにもいかないので、ナナは小松家を後にしてから質問してみた。
「それはまだ・・・・とにかく小松さんを捕まえて、トランスソウルを取り返さないと。もしこの世界で魔法を使いでもすれば、大事になるわ」
「そうですね・・・・」
 興味本位でトランスソウルを持ち出したのならいいのだが、とナナは思う。だがナナの心の中には、貴美愛に対する不安要素があった。
(小松さんはいじめを受けていた。トランスソウル所持の目的が、いじめに対する復讐の為だとしたら・・・・)
「小松家は見張る必要があるわね」
 咲紅は道路脇で立ち止まり、貴美愛の家を振り返った。
「友達の家とか、どこかあてがあるなら別だけど・・・・」
 咲紅は腕組みをして少しの間、小松家を観察していた。
「トランスソウルの魔力は弱い・・・・大きな魔法でも使ってくれたら魔力サーチで引っ掛かるんだけど、それはそれで大事だし・・・・」
「既に帰っていて、母親がかくまっている可能性は?」
「ないわね。微力な魔力であっても、同じ家にいれば感じるわ。それにあの母親も妹さんも、嘘が下手そうだったもの」
 それはナナも同意見だった。
「ナナちゃん、さっきはありがとう」
「あ、いえ・・・・」
「治療してくれたのは礼を言うけど、判断は甘かった。分かる?」
「・・・・あの時、あたしは咲紅さんの治療に必死でした。でも今考えると、咲紅さん自身が治療魔法を使える程度まで回復させ、後の治療は咲紅さん自身に任せてあたしは小松さんを追うべきでした。捕まえられないまでも、見失わなければ治療を終えた咲紅さんも追いついてくれたはずです」
「あの場合、気が動転していたから仕方ないけど・・・・見失わないことが最良の策だったわね。後で気付いただけでも優秀よ」
「褒められた気がしません・・・・」
 ナナは貴美愛に逃げられたのは自分のせいだと思っている。何としても貴美愛が事件を起こす前に捕まえなければ、と強く決意した。
「って、私も強く言えないんだけど。私があの時、油断さえしなかったら・・・・」
 咲紅は目線を落とした。
「あれは何だったんでしょう? あの人の腕が、咲紅さんの盾をすり抜けたように見えました」
「ように見えた、じゃなくて実際にすり抜けたの。ついでにこの保護スーツもね」
 咲紅は自分の腹を押さえた。
「あのグローブの能力だと思うんだけど・・・・」
 物体をすり抜ける能力を持つ拳、それ以外には考えられない。その能力の恐ろしさを考えると、咲紅はゾッとした。
 あの時、咲紅は殴られただけだったが(内臓破裂なので「だけ」はおかしいが)、もし咲紅の体の中まで拳が通っていたとしたら?
 想像したくもないが、例えば心臓を掴み出すことも可能なのだろうか。
「うえ・・・・」
「どうしました?」
「いいえ、ちょっとエグい想像をしただけ・・・・」


 卯佐美市駅前商店街の中でも、人気の中華料理屋と言えばここ「月夜」である。今はお昼前で席に余裕があるが、あと一時間もすれば客で満員になる。
 その店頭にあるメニューを食い入るように見ている少年がいた。
「う、美味そうだぜぇ〜!」
 それは、貴美愛のリュックの中から出て来た兇という少年だった。その後ろで、貴美愛が恥ずかしそうに顔を背けている。
「なぁ、姫! これ、全部喰っていいのかよ!」
「全部は無理でしょ。食べられるだけ頼みなさい」
「いいや、俺は猛烈に腹が減っている! このくらい喰えそうな気がするぜ!」
 店頭に陳列されているメニューはもちろん全部の料理が並んでいるわけではないが、それでも二十品目はある。
「ちょっと兇、私達の分を忘れないでよね」
 貴美愛の背後から女の子の声が聞こえる。
「分かってるって〜。早く入ろうぜ、姫!」
「お願いだから、店の中で騒がないでね」
 貴美愛は兇をたしなめると、月夜の店内に入った。店員に「一人です」と声を掛け、席に案内される。兇は別の席に座った。
「天津飯を」
 貴美愛はメニューを見ずに注文した。それとなく兇に目を移すと、メニューを片っ端から注文しているようで、オーダーを取った店員から「お、お一人ですよね」と心配そうに聞かれていた。
 注文を終えた後、店長らしき男が兇の席に向かった。店員から「怪しい客が来た」と報告を受けたのだろう。
「失礼ですがお客様、お支払の方はカードか何かで?」
「んん?」
 兇はポケットから面倒臭そうに財布を取り出し、店長らしき男に中身を見せた。
「し、失礼致しました!」
 無銭飲食をする気ではないかと疑っていた男は、兇の財布の中身を見て慌てて店の奥に駆け戻った。財布の中にはギッシリと、はちきれそうなほどの札束が入っていたのだ。
 支払能力があると分かったからには、兇のテーブルには次々とオーダーした物が運ばれて来た。この際、食べ切れるかどうかは問題ではない。注文を受けた分の代金さえ支払ってくれればいいのだ。
「んめぇ!」
 酢豚、八宝菜、春巻、小海老の天ぷら、海鮮炒飯、様々な中華料理が兇の口に入っては、胃の中に消えてゆく。
(・・・・)
 横目で見ていた貴美愛もただ呆れるだけだった。
「兇だけずるい〜!」
 リュックの中から女の子の声がしたので、貴美愛は声を出さないようにたしなめた。幸い、近くのテーブルには聞こえていないようだ。
 貴美愛の天津飯が半分ほど無くなった時点で、兇のテーブルには十を越える空の皿が積まれていた。
「さてと・・・・」
 兇は両手にまだ食べていない料理皿を持つと、辺りの様子を伺った。そして次の瞬間、兇の体はその場から消えた。
 貴美愛は平然と天津飯を口に運んでいる。しばらくして、通り掛った女性店員が兇のいたテーブルを見て「あれっ」と声を上げた。
「いない・・・・」
 店内を見渡すが、兇の姿はない。慌てた表情だが平静を装い、店の奥に戻った。今度は店長も含め、数人が出て来る。男性店員がどうやら手洗いを見に行ったようだ。「いません」と報告すると、店長が更に焦った表情になった。
 店員は店内をくまなく捜したが、兇の姿はどこにもなかった。
「失礼ですがお客様」
 店員の一人が貴美愛に話し掛けてきた。
「こちらのテーブルのお客様が何処に行かれたか、ご存知でしょうか?」
「いいえ。席を立ったのは見たような気がするけど・・・・」
「すみません、お食事中失礼しました」
 頭を下げ、店員は近くのテーブルにも声を掛けて回った。
(ふふ・・・・)
 貴美愛は店員の慌てっぷりを観察し、薄笑いを浮かべた。まさか兇がリュックの中に入っているとは誰も思わないだろう。
(なぁ、食い逃げだけでいいのか?)
 リュックの中の兇から、貴美愛の頭にテレパシーが送られる。貴美愛も「いいのよ」と心話で返した。
(何ならこの店、ぶっ潰してもいいぜ?)
(必要ないわ)
(うわぉ、美味しい〜!)
 リュックの中では、兇が持ち帰った料理を貰った他のメンバーが、嬉しい悲鳴を上げていた。
(おい兇、僕達の分け前はこれだけなのか?)
 もう一人の男の声が抗議する。兇は「持てなかったんだ」と弁明した。
(兇君はモテないもんね〜)
(うぉい、それは言わなくていいことだぞ、亜未っ!)
(痴話喧嘩まで心話を送らないで)
 貴美愛はビシッとたしなめると、天津飯を平らげてゆっくりと水を飲んだ。店員らはまだ兇の姿を捜している。「だから妖しいと言ったんだ」という小声が聞こえて来た。
(この程度で許してあげるわ)
 貴美愛はリュックを背負い、レシートを手にした。


 少し前になる。
 貴美愛はある日、この「月夜」に妹と二人で昼食を食べに来た。日曜だったが母親が仕事だったので、たまには外食しよう、ということになった。
 その日もこの店は大変混み合っていて、順番待ちが出来るほどだった。少し待ってから貴美愛は妹と二人、一番奥のテーブルに案内された。
 ラーメンを一つ注文した。貴美愛の妹は体が弱く、別々に注文しても食べ切れないので、一つのラーメンを二人で食べることにしたのだ。貴美愛は妹の為に小分けにする入れ物を店員にお願いした。
 だが、注文の品はなかなか来ない。混んでいるからだと思ったが、後で注文した隣のテーブルには料理が運ばれていた。
「遅いね」
「もうちょっと待ってね、柚梨(ゆずり)」
 それから五分、遅過ぎると思った貴美愛は思い切って店員に声を掛けた。
「少々お待ち下さい」
 店員がテーブルにあるレシートを確認し、カウンターの奥に戻った。暫くしてラーメンが運ばれて来る。
「お待たせしました」
 あまり申し訳なさそうでもない態度で、女性店員がラーメンを「ドン」とテーブルに置く。待たせたもなにも、ラーメン一杯に四十分以上掛かっていた。
「お姉ちゃん、ゆずりのは?」
 小分け用に頼んだ入れ物が来ていない。おそらくラーメンも注文が通ってなかったのだろう。
 貴美愛は店員に声を掛けようとしたが、忙しそうにしている者ばかりで、なかなかタイミングが計れない。
(忙しいのかな・・・・)
 貴美愛は仕方なく、一つの丼で妹と交互にラーメンを食べることにした。柚梨は猫舌でなかなか箸が進まないが、いつものことなので貴美愛はゆっくりと時間を掛けて順番に箸を動かした。
「あぁ忙しい」
 一番奥のテーブルなので、厨房の中の話し声が聞こえて来た。
「まだ客、待ってるよ」
「早く終わらないかな〜」
「あの子たち、まだ食べてるよ」
「二人でラーメン一杯のくせに、一時間も粘るなよなぁ」
 貴美愛は柚梨の「美味しい」という言葉に救われながら、時々入って来るヒソヒソ話に耳を塞ぎたくなるような思いで食事を続けた。
 一時間も掛かっているのは、来るのが遅かったからなのに。
 一杯しか頼まないのは、残すと作ってくれた人に悪いと思ったからなのに。
 柚梨は熱いのが苦手だから、早く食べられないのに。
 貴美愛は食べているラーメンの味がよく分からなかった。


(いい気味だわ)
 貴美愛はレジでレシートを差し出し、代金を支払った。
 あの時の屈辱を晴らそうと、兇による食い逃げを計画した。兇の言うように店をぶっ潰してもいいのだが、そこまではやり過ぎだと思う。ただ店員の慌てる顔が見たかっただけだ。
 代金を払うと、レジの女の子が店長に声を掛けられた。
「本当に外に出てないんだろうね」
「はい、絶対に・・・・」
「でもねぇ、ここを通らないと外には出られないんだよ。店の中にはいないし、ここを通る以外にないんだけどねぇ。まぁずっと見張っていろというのも酷な話だけど、注意しておいて欲しかったねぇ」
「で、でも、絶対に通ってません、私、ずっとここにいました!」
 レジの女の子の声が泣き声になる。
「そうだろうね、見ていたら声を掛けたはずだからね」
 店長の口調は、レジの女の子を非難しているとしか思えなかった。
「・・・・」
 貴美愛は背を向け「月夜」を後にした。
(あぁ、喰った喰った。またやってもいいぜ)
 リュックの中の兇は満足そうだ。
「どうして一人だけなの!? 三人で食べた方があの店にとってはダメージ大きいじゃないの!」
「それは姫が説明しただろう? 一人だけなら注意不足で逃げられたと思うが、三人も一度に消えたら怪し過ぎる」
「とにかく、今度はあたしの番だからねっ」
「順番にすればいい」
 リュックの中で色々な声がする。
「なぁ、姫、姫ってばよ」
 兇の呼び掛けにしばらく反応出来なかった貴美愛は、慌てて「な、何?」と聞き返した。
「考え事か?」
「いえ、ちょっとボーっとしてただけよ」
「ひょっとしてあのレジの子に悪いとか思ってるんじゃねぇの」
「・・・・そんなことないわ」
「俺、姫のそういうとこ好きだぜ」
「!」
 貴美愛の頬がみるみる真っ赤になったが、リュックの中の面々には見えないので知られることはなかった。
「口説いちゃだめよ兇、姫は夜光様の・・・・」
「分かってるよ、口説いてねぇって! 俺はただ素直な意見を言っただけだ」
 そんなお喋りを遮るように貴美愛は言った。
「人に情けを掛けるなんて愚かなことはしないわ。私は復讐に来たんだから。人のことを考えていたら、復讐なんて出来ないもの」
「復讐はイジメっ子に対してだけじゃないの?」
「イジメなんて、私の復讐のほんの一部よ。ところで・・・・」
 貴美愛は話題を変えた。
「私を追って来たあの桜川って人は、今でも私を捜しているのね?」
「そりゃそうだろうな。即死じゃなかったから、多分あの女の子が治療しただろうし」
「神無月奈々美ね」
「可愛かったな。おっと、姫には劣るぜ」
「・・・・お世辞はいいわ」
 と言いながらも、貴美愛は満更ではなさそうだ。
「誰だろうと、私の邪魔はさせない・・・・」
「今度邪魔したら、殺してもいいのか?」
「状況によってはね」
「まぁ、物騒」
 亜未が芝居じみた声を出した。
「これからどこに行くの? 姫」
「学校よ」
「学校? 休みじゃないの?」
「授業を受けるんじゃないわ。大事な物を取りに行くの」


 一方、貴美愛の家を見張っているナナと咲紅。咲紅は目を閉じて魔力サーチを行っている様子だったが、ナナは思い切って話し掛けた。
「咲紅さん、ちょっと気になる場所があるんです」
「小松さんの居場所に心当たりでもあるの?」
 咲紅の目が開き、ナナを見る。
「心当たりと言うか、小松さんの目的が復讐なら、可能性が高い場所です」
「話してみて」
 ナナは貴美愛が学校でイジメを受けていた話を咲紅に聞かせた。とは言えナナも人に聞いただけなので、どんなイジメだったのかは知らない。また、どれだけ貴美愛が嫌がっていたのか、辛かったのかは知る由もない。
「・・・・で、その主犯格がその樋川恭子って子なのね」
「よくは知りませんが、いじめグループのリーダーだそうです」
「ふぅん・・・・」
 咲紅は顎に手を当て、少し考える恰好をした。
「復讐の為に魔法の力を得たのだとすれば・・・・最悪、その樋川って子の命にも関わるわね・・・・ここはまず、そっちが優先か。案内して、ナナちゃん」
「はいっ」



3rd Revenge に続く



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