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タイトル


 32th Milky 「ナナ、屋上に呼び出されます」


 田原俊彦の「顔に書いた恋愛小説(ロマンス)」のように、刹那だけ時が止まった。
「真樹さん・・・・」
「タク・・・・」
「マキちゃん・・・・」
 顔を見合わせたまま、口が動かない。最初に言葉を発したのはナナだった。
「真樹さん、髪の毛をちゃんと拭かないと・・・・風邪をひきますよ」
 真樹はナナが手にしているブーケを見た。
「・・・・風邪は多分、ひかない。熱いからな」
「・・・・?」
「タク、何しに来た?」
 真樹は宅也を睨んだ。目には頭から垂れてきた雫がいくつも入って来た。
「マ、マキちゃんこそ何だよ、肝心な所で!」
 ただならぬ真樹の様子に、宅也も負けじと強気に反論した。
「肝心な所って何だ?」
 宅也に歩み寄る真樹。宅也は一歩退いた。
「何やってんだよ!」
 あまり喧嘩をしたことがない真樹は、多分こうするものだろうと宅也の襟首を掴んでみた。
(なに告白してんだよ、お前は! 何でそんな簡単に出来るんだよ、するんだよ! 俺は色々なことを考えて、自分のこととかナナちゃんのこととか周りの目とか色々考えて、それで悩んでいるのに、何で部外者のお前がそう簡単にナナちゃんに好きだなんて言えるんだよ!)
「な、何を怒ってるのさ、マキちゃん・・・・」
「単純馬鹿め・・・・」
「な、何だよそれ!」
「世の中はな、自分の気持ちに正直ならそれでいい、なんて単純なものじゃないんだ」
「は、離してよ・・・・」
「人の気持ちも考えろって言ってんだよ!」
 掴んだ襟首を一度引き、突き放す。宅也の体が門柱にぶつかり、門がギシギシと軋んだ。
「考えてるよ!」
「お前みたいなおっさんに告白されたら、困るに決まってるだろ!?」
「おっさんって、マキちゃんも同い年じゃないか!」
「だから俺は・・・・!」
 俺はお前と違って告白しないんだ・・・・そんなニュアンスの言葉を吐き掛けて真樹は自重した。
「何だよ、告白しちゃ悪いのかよ! マキちゃんが決めることじゃないだろ! ナナちゃんの返事を聞かせてくれよ!」
 門柱にもたれかかったままの宅也が叫んだ。
「・・・・?」
 真樹と宅也は同時にその異変に気付いた。先程から、自分達のいる場所がドーム状の何かに包まれている。
「セルフ・ディメンションを張りました。こんな時間ではご近所に迷惑ですから」
 ロザリオを握ったナナが言った。セルフ・ディメンション内ならどれだけ叫んでも外部には漏れない。
「・・・・」
 ナナの行動により少し冷静さを取り戻した真樹は、宅也から少し距離を取った。
「確かに、返事をするのはナナちゃんだからな」
 いつもと様子が違う真樹が離れたので、ほっとして宅也は体勢を立て直した。
「ナナちゃん、返事は・・・・」
「返事って・・・・」
「付き合って下さいって言ったんだよ、その返事」
「えっと・・・・その、付き合うって、男性と女性が交際するってことですか? あの、あたし、こっちの世界の言葉を全部知っているわけではないので・・・・他に意味があるんでしょうか?」
 ナナは困った顔で宅也と真樹を交互に見た。
「も、もちろん交際だよ!」
「あぅ・・・・」
 ナナの顔が困った顔から、物凄く困った顔に変化した。
(どうしよう・・・・心の準備、ナッシングだよぅ。え〜と、ここはどうすればいいの? 少し待って下さい、かな? お友達でいましょう、かな? それとも何か、この世界特有の言い方が・・・・)
 少々パニクってるナナは、真樹に助け舟を要求した。
「真樹さん、この場合はどう言えば・・・・」
「ごめんなさい、でいいんじゃない?」
「あ、普通ですね。それじゃ・・・・」
 宅也に向かってナナが頭を下げる。同時にブーケも差し出した。
「ごめんなさい!」
「ま・・・・待て待て待て〜!」
 宅也の巨体が凄い勢いで詰め寄って来たので、真樹は思わず飛び退いた。
「今のは誘導尋問じゃないの!?」
「どこが」
「ナナちゃんはどう言えばいいかって聞いただけなのに、何でごめんなさいって教えるんだよ!?」
「答えを知っているからかな」
「何でマキちゃんがナナちゃんの気持ちを知ってるのさ! い〜や、知らないね! 知っているならそんな台詞、ナナちゃんに言わせるはずないんだ! ははぁ、さてはマキちゃん、妬いてるな!?」
「あん? 何を言って・・・・」
「マキちゃんもナナちゃんが好きなんだろ!」
「ばっ・・・・」
 真樹が勢い余って拳を固めた時、真樹と宅也の間にマジカルクルスが割って入った。十字架には青白く光る魔力の帯、マジカルバリアが張られていた。
「・・・・喧嘩は、やめて下さい」
 真樹はナナのその悲しい目を見て、宅也に「帰れ」とだけ言って門を閉めた。門の外に締め出された宅也は、しばらくその場に座り込んでいた。


 ナナのセルフ・ディメンションのお陰で芳江にも、また近所にも真樹と宅也の言い争いを知られることはなかった。真樹は改めて髪を乾かし、自分の部屋に入ってドアを閉めた。
(大人げない・・・・)
 自分も、宅也もだ。
 好きだと言うだけで告白する宅也は、後先のことを何も考えない子供だ。そして宅也のナナへの告白を聞いて頭に来ている自分も子供だ。
 あるいは羨ましかったのだろうか。
 素直に自分の心を打ち明けられる宅也が。
 どうして自分はあんなに怒ってしまったのだろう。
(分からねぇ・・・・)
 真樹はベッドに仰向けになり、目を閉じた。
(本気で殴るつもりだった)
 ナナが止めてくれなかったら、宅也を殴っていた。
 野蛮だ。冷静じゃない。嫉妬している。
 そんな自分をナナに見られたことも、落ち込んでいる理由の一つだ。
(嫌われたかもな・・・・)
「真樹さん」
 コンコン、とドアを叩く音がした。
「いいですか」
 遠慮がちなナナの声がドア越しに聞こえて来た。真樹が「どうぞ」とだけ言うと、ゆっくりとドアが開いてゆっくりとナナが入って来た。
「お邪魔します・・・・」
 ナナはお風呂に入った後、沙結から借りたクマさんパジャマを着て、真樹の部屋にやって来た。真樹がベッドに寝転んでいたため、彼の定位置であるパソコンの前の座椅子の上に、膝を抱えて座った。
 しばらく時計の秒針が時を刻む音だけが聞こえていたが、やがてナナが口を開いた。
「・・・・ごめんなさい」
 またしばらく秒針の音。
「君が謝る理由なんてない」
 またしばらく秒針の音。
「ですよね。あたしもそう思うんですけど、他に言葉が見付からなくて・・・・」
「僕の方こそ、謝らないと」
「真樹さん、どうしてあんなに怒ってたんですか」
「それは・・・・」
 真樹の次の言葉を待っていたナナだったが、なかなか返って来ないので話を続けることにした。
「宅也さん、目が本気でした」
「気にしなくていいよ。あいつは思い込んでるだけだから」
「本気であたしのこと、好きだったんでしょうか」
「本気かもしれないけど、本気ならいいってことじゃない。現に君は困っただろう?」
「相手の気持ちを考えないと、告白できないんでしょうか」
「気持ちと言うよりも、君はエミネントなんだし、すぐ帰っちゃうし、歳が離れてるし・・・・」
「好きなら、関係ないのかもしれませんよ」
「じゃあ君は・・・・嬉しかったの?」
「・・・・」
 少し間が開き、おもむろにナナが扇風機のスイッチに手を伸ばす。静かに回る扇風機から涼しい風がナナの顔に送られた。
「真樹さんのお友達を悪く言いたくはないんですけど・・・・迷惑です」
「だろ?」
「最初に会った時、あんな下品な魔力を暴走させた時点で、人間的に好きになれないことが分かっていました」
「だったら、観覧車・・・・は? どうして一緒に乗りたいって言ったの?」
「あれは・・・・」
 ナナがオタクの研究をしていることは、真樹には秘密である。真樹がそのことを知ってしまうと不自然なオタク的行動を取ったり、意識してオタクっぽくなくなってしまう可能性があるというのがその理由だ。
 ナナが進んで宅也と観覧車に乗ったのも、宅也からオタク情報を引き出す為だったのだが、それを知らない真樹はナナが宅也に気があるのだと勘違いしてしまった。その誤解を解くには本当の理由を言うのが一番なのだが、真樹はまだナナにとって大事な研究対象であるため、打ち明けるわけにはいかない。
「あれは、全ての組み合わせで二人一組になるわけですから、その・・・・」
「嫌なことは最初に済ませたかった、とか」
「そ、そうです、実は」
 ナナは真樹の台詞に乗る形で誤魔化した。宅也が聞いたら怒るだろうが、この程度の嘘ならナナの中でも許容範囲だ。
「俺さ・・・・」
 ボソッと真樹が呟いた。
「観覧車、乗りたかったんだ・・・・君と」
「えっ?」
「なのにタクと乗ったから・・・・」
「ま、真樹さんとはボートに乗ったじゃないですか」
「お化け屋敷も、君と入りたかった」
「それって、二人きりで遊園地に行ったみたいですよ」
「そうだね・・・・」
 また真樹は黙ってしまった。
 ナナは真樹の言葉の意味を考える。ボートだけじゃなく、観覧車もお化け屋敷も自分と入りたかったと言った真樹。つまり・・・・。
(真樹さん、ひょっとして・・・・寧音ちゃんや泉流ちゃんと、話が合わなくて面白くなかったのかな。だからあたしと乗りたかったって・・・・)
 オタクさんは初対面の人と話すのが苦手な人が多いと聞く。真樹もその中の一人なのだろうとナナは勝手に納得した。
「タクのことなら気にすることはないよ。今度会ったらちゃんと言っておくから」
「殴らないで下さいね」
「気持ちが落ち着いてから会うよ」
 今すぐに宅也の顔を見れば、また殴り掛かってしまうだろう。かと言って、電話をする気もメールを送る気も起こらない。先程のやり取りで諦めてくれていると有難いのだが、宅也の思い込みは解消されている様には見えなかった。
 明日も来れば追い返せばいい。あまりに執拗な場合は・・・・。
 真樹は怖いことを考えている自分に気付き、思考を止めた。
「真樹さん、あの・・・・こんなこと聞いていいのかどうか分かりませんが」
「何?」
「宅也さんは真樹さんと同い年で、あたしと歳が離れてますけど・・・・その、お付き合いとかしたいと思うんでしょうか」
「思ったんだろうな」
「それは宅也さんが特別なんですか? 例えば真樹さんなら、あたしと・・・・」
「あら、何のお話?」
 真樹の部屋の前を通り掛った芳江が顔を出した。真樹の部屋にナナがいるのは珍しいので、興味を持ったようだ。
 真樹は芳江に、宅也が何の用で来たのかと聞かれたので、ナナが見たがっていたDVDを持って来てくれたと説明しておいた。これなら真樹ではなくナナに用があった理由になる。
「お母さん、もう寝るわね。ナナちゃんは真樹の部屋で寝るの?」
「ち、違います、お部屋に帰ります」
 ナナが慌てて立ち上がった。
「冗談よ。おやすみ」
 笑顔で手を振り、芳江が去って行った。
「お、おやすみなさい、真樹さん」
 真樹が「おやすみ」と返す間もなく、ナナは部屋を出て行った。
「・・・・」
(母さんも余計な事を言うよな)
 そもそも、この部屋のどこにナナが寝るスペースがあると言うのだろう。寝るとすればベッドに一緒に・・・・。
(だぁっ!)
 真樹は頭を抱えてベッドの上に起き上がった。
(落ち着け、ナナちゃんは中学生だ! 犯罪だぞ、犯罪! ニュースや新聞に載ってしまうぞ! 一緒に寝るだけならいいのか? 何をすれば捕まるんだ?)
 例えば真樹さんなら、あたしと・・・・。
 ナナが言い掛けた時、芳江の邪魔が入った。あたしと付き合いたいと思いますか? と聞かれた時、真樹はどう答えたのだろう。
(きっと・・・・)
 何も言えないか、誤魔化していただろうと思う。
 付き合いたいと思う、と答えると宅也と同列に思われる。思わない、と答えるとそれはそれでナナに魅力が無いと言っているようなもので、失礼な気がした。
「・・・・寝るか」
 声に出して言ってみたものの、目が冴えて当分寝られそうになかった。


 次の日の休み時間、ナナはアサミに呼び出されて屋上に来ていた。アサミは泉流を苛めているグループの一人だと知っているので、ナナは警戒しながら屋上に向かった。罠だとしても自分には魔法がある。
「ようこそ、奈々美さん」
 そこにはキョーコとミユキもいた。いよいよ怪しい展開だと思っていたナナに、キョーコが頭を下げた。
「悪かった」
「にゅ?」
 予想外のキョーコの行動に、ナナは意表を突かれた。
「あんたまで巻き込むつもりはなかったんだ」
 キョーコが言っているのは、先週の下着盗難事件のことだ。
「あんたに恨みなんて無い。だから許して欲しい」
「だったら、泉流ちゃんを苛めるのもやめて下さい」
「苛めてなんかないよ。ちょっとした悪戯さ」
「あなた方にとってはそうかもしれませんが、泉流ちゃんにとっては・・・・」
「分かった、もうしない!」
 キョーコはアサミとミユキが何か言いかけるのを制して、ナナに頭を下げた。
「だからさ、ちょっと力を貸して欲しいことがあるんだ」
「仲直りなら協力しますよ」
「それとは別の話なんだけどさ、柳原雪華っているだろ?」
「委員長が何か?」
「実はさ・・・・」
 キョーコは声を低く小さくした。
「あいつ、悪い奴なんだ」
「委員長がですか?」
 ナナの目から見て雪華は、確かに高飛車で人を見下すような発言もあるが、いわゆる「悪いこと」をするようには見えない。ナナは何度か雪華に突っかかって来られたこともあるが、それに対して頭に来ると言うほどでもない。
「知ってるだろ、あたいたちが雪華さんの取り巻きだったってこと」
「取り巻き?」
「まぁ子分みたいなもんさ」
「お友達は多そうでしたが・・・・」
「友達!」
 アサミが驚いたような声を上げた。
「あいつに友達だって!? あんた、本気でそう思ってるのか?」
「よく委員長の後ろを歩いている人を見掛けますよ」
「それは取り巻き! 友達じゃないよ」
「どう違うんですか?」
「友達ってのはそいつ自身のことが好きで一緒にいる奴のことさ。取り巻きってのはそいつの財力とか権力とかが目当てでくっついてる奴らさ」
 アサミが腰に手を当て、何故か偉そうにナナに説明した。
「ということは、あなた達は委員長の財力や権力が目当てで付き合っていたということですか?」
「まぁ、過去の話さ」
 キョーコが眉間に皺を寄せつつ、ナナの肩に手を置いた。
「あたい達は雪華のやり方に嫌気が差して、取り巻きを抜けたんだ」
 本当は雪華に「抜けろ」と言われたのだが、キョーコは自らの意思で抜けたようにナナに言った。
「いい判断だと思います」
「だろ?」
「委員長自身が好きというわけではなく、委員長の持っている物が目当てで付き合っていたのなら、そういう関係はやめた方がいいと思います」
「そ、そうだろう」
 同意は得たものの、何となく非難されたような気になったキョーコだが、話を進めることにした。
「つまり、雪華は金に物を言わせて威張っている、悪い奴なんだよ」
「そうでしょうか」
「そうなの! あんたはこの学校に来たばかりで知らないだけなんだよ」
「・・・・」
 そう言われると言い返せない。ナナもキョーコに反論するほど雪華の事を知っているとは言えないのだから。
「だからさ、雪華を懲らしめる為にあんたの力を借りたいんだよ」
「お断りします」
「即答かよ!」
「こんなこと言うのはどうかと思いますが・・・・」
 ナナは踵を返し、キョーコ達に背を向けた。
「あなた達より委員長の方がよほど信用出来ます」
 次の授業が始まるチャイムが鳴り響く中、ナナは屋上から教室への道のりを慌てて、しかし廊下は走らずに急いだ。
「キョーコさん・・・・」
 声を掛けたアサミは、キョーコに睨まれて思わず肩をすくめた。
「いいよ、あいつ」
「は、はい・・・・?」
「誰だ、あいつは正義感が強いから『雪華は悪い奴だ』と言えば手を貸してくれるって言ったのは」
「は、はぃ・・・・」
 ミユキが小さくなって返事をした。
「そ、そういう情報を得たものですから・・・・」
「何がいいんだよ、キョーコ」
 アサミがミユキの頭をグリグリしながら聞いた。
「あいつを泣かせたら気持ちいいじゃないか」
「キョーコ、あいつを敵に回すのか?」
「エミネントはこっちの世界ではむやみに魔法を使えない。あいつはいい子ちゃんだから、そのルールを守っているんだろうさ。魔法がなければ身体能力は一緒だからな」
「で、でも、本当にそうでしょうか。ひょっとしたら凄い能力を持っているかも知れませんよ。目からビームを出したり・・・・」
 ミユキが不安そうに言った。
「槻島は苛めて面白いけど、小丸ほど張り合いが無かったんだよな。何も言い返さないしさ」
 小丸とはナナと入れ替わりでエミネントに研修に行った「小松貴美愛」のことだ。
「あいつはイジメ甲斐があるぞ」
 キョーコはペロリと舌を出した。




33th Milky に続く



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