「古典籍・日本の昔の本」のご紹介

  古典籍とは

  我が国の書物の歴史

  いろいろな古典籍

  古典籍の役割


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古典籍とは  古典と典籍

  「説文」によれば、「典」の字は竹札を並べて編み綴ったものを机の上に置いた様子を表わし、大切な書物の意。貴ぶべき書物。一定不変の、とあります。

 「籍」の字は竹の字に重ねる意味の字を組み合わせたもの。帳面。帳簿。「典籍」とは貴重な書籍のことを云います。古は十と口からなり、十年も口伝えされるという意味をもって、故に「古典」は昔のもので長く後世に伝える価値があるとして評価の定まったものや書物を指します。「古典籍」とは長い年月を越えて評価され、これからも長くそうであろうと考えられる貴重な書物の事。つまり、「古典籍」は先人達の残した英知と教養を蓄積した遺産なのです。




我が国の書物の歴史

 我が国は世界屈指の書物の歴史を有しています。言い換えれば古典籍の宝庫であるといえます。610年、高句麗の僧「曇徴」が帰化して紙と墨を伝えたすぐ後に聖徳太子が著した勝鬘・維摩・法華の三経義疏(注釈)の内、稿本つまり聖徳太子直筆と伝えられる「法華義疏」四巻が御物として現在まで伝わっています。ゆえに我が国最古の現存する典籍は615年頃のものと推定されます。天平時代には仏教による鎮護国家を目指し、多数の写経が行われ、奉納されました。現存最古の写経は法隆寺旧蔵の白鳳14年(686)筆「金剛場陀羅尼経」です。天平末から平安時代にかけて幾つかの写経が残されていますが、後には次第に華美になり、平安末には国宝「平家納経」に代表される金箔や絵画で飾り立てた豪華な「装飾経」が登場します。

 筆写本の方法は如何に動員したところで大量の生産は不可能です。天平寳字8年(764年)考謙天皇が百万に及ぶ経文奉納を発願され、6年を費やして奉納された法隆寺「百万塔陀羅尼」は我が国だけで無く、現存の年代の明確なものとしては世界最古の印刷物といわれます。今も、自心印、相輪、根本、六度の4種の印刷された経文が現存しています。当時の印刷はコストが嵩み、経典等の布教目的を除いては不要でした。平安時代になって花開いた伊勢物語、源氏物語等の物語文学や、古今和歌集から始まる二十一代集等数々の著作は総て筆写本によって伝えられています。印刷技術は寺院によって保存され、平安末から鎌倉にかけて幾つかの寺院で木版の経典が作られました。それらは出版した寺社の名から、「春日版」「高野版」等と呼ばれています。鎌倉末より室町期に中国から輸入した宋元版に倣って、京五山と呼ばれた禅寺で「五山版」が造られました。これらは袋綴の体裁で、内容も経典に限らず、漢籍、漢詩文集もありました。

 豊臣秀吉の文禄・慶長の役と二度に亘る朝鮮出兵の際、渡来した物品の中に多数の銅活字本と銅活字の印刷器具もありました。李氏朝鮮ではグーテンベルクらによる所謂「グーテンベルク聖書」(1456年)に代表される西洋最初の活字印刷より以前、少なくとも1300年頃には既に銅活字による印刷技術を完成させていました。(1390年に太宗が青銅活字の鋳造を命じています)この活字印刷の技術の伝来によって、「古活字版」と称される多くの画期的な出版が為されました。文禄2年、後陽成天皇は秀吉に献納された活字を元に「古文考経」を出版したとありますが伝存しません。慶長年代に今度は木活字によって「資治通鑑」等の「慶長勅版」が刊行されました。家康は足利学校の分校である伏見学校の僧三要元佶に木活字を与え(円光寺活字)、1599年刊「孔子家語」などの「伏見版」を造らせました。また銅活字を鋳造させ、慶長11年に天皇に献納する傍ら、慶長19年には金地院崇伝らを銅活字印刷にとりかからせます。これらを「駿府版」と呼び、1615年に「大蔵一覧」10巻と「群書治要」50巻が完成しました。この活字出版の方法は権力者だけで無く民間にも伝播し、京都の豪商、角倉了以の息子素庵の出資により、本阿弥光悦が造った一連の「嵯峨本」はその体裁の美しさで世界的に知られています。

 さて、都市が発達し町人による商業が盛んになると、商業としての出版が成立します。まず、当時我が国最大の都市、京都において十哲と呼ばれる書肆が興ります。印刷法を大量印刷や追加印刷が容易で、振り仮名や挿し絵が可能な整版に変え、仏教書を主体として出版をしました。さらに天下の台所として繁栄した大坂で、西鶴や近松らの町人文芸を背景に急速に活動を広め、大ベストセラーが生まれます。次いで江戸の巨大化と共に江戸の書肆も勢力を強め、この三都の書肆が江戸時代を通じて出版文化の中心となり、出版文化を開花させてゆくのです。




いろいろな古典籍

 古典籍は内容のジャンルによる分類だけで無く、その形態によって分類されます。バインディングの方法からは巻子本、折装、粘葉装、大和綴、袋綴、に分類できます。更に本の大きさによって呼び名があります。また、文字の転写法によって写本と版本に大別できます。版本は整版と木や金属による活字版に細分する事ができます。

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古典籍の役割

 書物は文字情報を伝達する媒体です。文字文化の形成と共に書物の歴史は始まります。絵文字から象形文字へ、そして表意、表音の文字へと変化するうちに、洞窟の壁から石板や甲骨、粘土盤に刻むようになり、木や竹や動物の皮などの表記し易く携帯性に優れたものに移行して行きます。紀元前3000年代にエジプトではパピルスが発明され、紀元前の中国では絹を使用していましが、何れも薄さ、しなやかさ、経年変化の少なさ、質の均一性に限界があり、さらに高価で、何よりも大量生産には向かないものでした。故に本の伝播も極僅かでしかありませんでした。しかし、紀元105年、後漢時代に蔡倫が発明した紙によって書物の運命は大きく変化して行くのです。材料が手に入りやすく、大量生産が可能になり、また、軽く、加工しやすく、均一性に優れた紙は、書物の次の進化を生み出してゆきます。それ以降永い間、紙に印刷された書物は人間の歴史と共にあったのです。

 近年の電子技術の発達に伴い、これから出版は様々な姿に変貌してゆくことでしょう。しかし、人間がどれだけ永く書物と関わってきたか、人間がどれほど書物を愛してきたかは、素晴らしい古典籍の数々を見れば明らかです。この様な、永い歴史を有する書物と、それを愛する人々の心は、いつまでも変わる事はないとはいえないでしょうか。

 古典籍を愛する事は即ち国の歴史と文化の素晴らしさを理解し、尊ぶ事です。わが国の古典籍を他の国に紹介する事は、わが国の文化の素晴らしさを語る事になり、他の国の古典籍に思いを馳せる事は、その国の文化の素晴らしさを探索する事になります。お互いの国の古典籍の素晴らしさを認め合う事は、相互の文化を尊重し、理解する事に他なりません。わが国の古典籍の素晴らしさを知り、また、他の国の古典籍に思いを馳せる事が、本当の国際的な文化理解につながるものと思えます。その為にも国際的な古典籍の交流の機会が今後益々必要とされるのではないでしょうか。




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