パラティナ文庫


[ドイツ・ハイデルベルク]  


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 ハイデルベルク。ドイツ最古の伝統を誇る大学を擁する学生達の街。マイヤー・フェルスターが戯曲「アルト・ハイデルベルク」で青春の情熱を高らかに謳いあげた街。ヘルダーリンやマティソンら詩人達がこよなく愛し、老ゲーテが恋に落ちた街。ヘーゲルが思索に耽り、ヤスパースが学派の旗を挙げた街。そして深い緑に包まれた古城と美しい街並みとを遺すドイツ古城街道の拠点として、多くの観光客の訪れる街。ドイツ有数の蔵書コレクションであるパラティナ文庫は、この閑静な大学都市の中核を為すハイデルベルク大学の図書館にある。1368年の創立以来、都市と一体の大学として世界にその名を轟かせ、此処に纏わる偉大な文豪、詩人、思想家を挙げれば限りなく、この大学への畏敬の念に依って、ドイツの殆どの都市が被った第二次世界大戦による破壊を、街全体が完全に免れたという圧倒的なエピソード迄が綴られるハイデルベルク大学の輝かしき伝統は、多勢の他国からの留学生が学び、8人ものノーベル賞受賞者を輩出しているという今も、全く色褪せてはいない。

 「ビブリオテーク」と告げると、ハイデルベルク中央駅から5分程でタクシーは大学と教会の厳かな建物の立ち並ぶ旧市街(Altstadt)へと入り、ハイデルベルク大学図書館の赤い巨きな建物横に着く。学生牢で有名な大学旧校舎は図書館の隣である。現在の大学図書館の建物は20世紀初頭に建立されたものであるが、周囲に彫刻を散りばめたゴシック様式風に造られており、街並みと完全に調和している。重い扉を開いて中に入ると受付があり、その奥には広い閲覧室がある。重厚な造りの室内はラフな格好の学生達で満杯である。

 パラティナ文庫(Bibliotheca Palatina)の貴重書の数々は2階のギャラリーに展示されている。パラティナ文庫とは16世紀、プファルツ選帝侯として芸術と学問を愛し、この地方に善政を敷いた名君オットー・ハインリヒが基礎を築き、その後大学蔵書と一体となって形成されていったもので、プファルツ文庫とも称される。階段を上ると、ギャラリー入口のホワイエには8世紀筆の聖書が恭しく飾られている。部屋の中に入れば所狭しとガラスケースが並び、ハイデルベルクに関わる著作や学者らの書簡・草稿類が、文学・哲学・化学・物理学などのテーマ別に分けて展示されている。そして金庫の様な扉が付き、照明を暗く落とした奥の部屋、MANESSE RAUMには14〜15世紀の極彩色の絵入古写本の数々が陳列されている。中でも取り分け"CODEX MANESSE"(1305〜1340年筆)は当時のハイデルベルク地方の名詩歌集であり、日本の百人一首の如く、国王や僧侶・騎士ら137人もの詩人の姿がその詩と共に羊皮紙に極彩色で描かれており、素朴な絵柄ながらその美しさは言うまでもなく、様々な階層の人々の身形や風俗が詳細に描き分けられているという面からも貴重な文献である。14世紀の写本は他に1375年筆の聖書"GUILLAUME DE DEGUILEVILLE"等がある。15世紀の古写本では"VOM ADERLASSENN"(1475年筆)という医学書が、我が国で言う処の銅人図での図解があり興味を引いた。又、絵の面白さからいえば、鯰の絵が描かれた"KONRAD VON MEGENBERG"(1440〜1450年筆)、大きな鳥が美しい"HUGO VON TRIMBERG DER RENNER"(1425〜1431年筆)等の物語が特に目を引く。何れも保存が完璧な所為か、筆彩の色が生々しい程美しいのには驚かされる。この部屋の古写本の展示は約20点位、ギャラリー全体で100点にも及ぶ。1点ずつページは開かれ、タイトルと年号が付されている。大学図書館がこれ程の蔵書を、この立派な設備の下に常時、市民に無料で公開展示しているという懐の深さ、その底に流れる書物に対する認識の深さには敬意を表するばかりである。

 テュービンゲン等の他のドイツ大学都市に比して、ハイデルベルクの大学=都市共同体は既に崩壊した様に云われている。しかし、人口の5分の1を学生が占めるこの街には今尚一種独特の雰囲気が漲っている。図書館横の大学前広場から大学と市の主要施設とを結んで、ネッカー河と並行に旧市街を貫通する中央通り(Hauptstrasse)には、学生相手の本屋、文具屋、酒場、観光客相手の土産物屋、レストラン等々が昔の佇いの儘、犇めき合っている。観光客は土産物屋を渡り歩き、学生達は本屋で粘る。人々は思い思いにひとときを楽しんでいる。歩行者専用の石畳の通りを時折、馬車が観光客を乗せて通り過ぎて行く。通りは学生や観光客で溢れて賑わっている。けれどもそれは決して騒々しい感じでは無い。街の表情は華やかであるが陽気では無く、自由であるが奔放では無い。街並は微笑を浮かべながら静かに人々を迎えている。そこはまさに古き良きハイデルベルクの香りで充ち溢れている。ハイデルベルクの街は「アルト・ハイデルベルク」の主人公ハインリヒ皇太子と同様に、訪れる人の心を捕えて放さない。この街は人々を包み込む様な大きさ、寛容さを持っている。威厳を湛えた優しさとでも言うべきか。それはこの街に伝統と青春とが融合し、共生している処から派生している様に思える。

 大学図書館のゴシック調の建物の荘厳で如何にも威厳に満ち満ちた姿は、自転車に乗って次々と訪れる若い学生達を優しく抱き、慈しむ様にさえ見える。そして名君オットー・ハインリヒの愛した蔵書も又然りである。書物という偉大な文化遺産と、学究に燃える若き魂との幸せな出会いが此処にはある。


ハイデルベルク大学図書館 
   (貴重書展示室)

所在地 :PLOCK 107-109, HEIDELBERG, GERMANY
展示時間:午前10時―12時
休館日 :土曜・日曜
入館無料

        「文庫紹介2」中尾重宏 28/4/1994 [不許転載]