永井坂(城山小学校の坂) 徳山 祐治 様 より
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私の母校、城山小学校は緑豊かな丘の上にあるため、
子どもたちは皆、正門に通じる永井坂か旧裏門に通じる
平和坂を上って登校していました。
どちらの坂道も、春になると薄桃色のトンネルになり、風に舞う花吹雪の中をかけ上るのが楽しみでした。
夏には、ひんやりとした木陰が続き、遊び疲れたときに一休みするには格好の場所でもありました。
この桜は、原爆で亡くなった1400余名の児童や多くの教職員・学徒報国隊員の冥福と平和を願って、 昭和24年に浦上地区の復興に力を注がれた 永井 隆 博士から寄贈されたものだそうです。
そのため、正門に通じるこの坂道は永井坂と呼ばれ、今も子どもたちに親しまれています。 しかし、数年前に長崎を襲った台風19号にその多くがなぎ倒されてしまったので、再び永井博士のご遺族から 桜の苗木が寄贈され、大切に育てられています。 (1997/2/7 tokuyama wrote)
右の写真 (1997/3/31撮影)
現在の城山小学校の原爆遺構の建物と、永井坂。
写真の建物は被爆した旧校舎の跡で、被爆後も校舎として使用しましたが、昭和59年に新校舎建設にあたり、遺構として残され現在に至っています。
その後、昭和60年に補強工事を行い、現在は危険建築物ということで、立ち入りは禁止されています。
原爆落下中心地に近く、現存する被爆施設としてはとても貴重なものです。