ししとき川の三角溝(オランダ溝)   
鹿屠川の三角溝
ししとき川(寺町通りと平行して、鍛冶屋町と古川町・万屋町の境を流れている)
鹿屠川のそばにある、古川町・銀屋町公民館の壁面に、「ししとき川物語」の看板が掲示されています。

ししとき川物語

300年前ぐらい昔のことばってん。ひどか火事のあってから(注1)、長崎奉行さんは、町ば80と5つの川ば、創んなったげな。 ししとき川は、八幡町つぁんから、東浜町つぁんまで流れとっと。
明治のはじめ、川ん巾は狭もうなって、川ん底に石畳ば敷きなったとげな。 石屋さん達が、心と職人さんの誇りば込めて造んなったやろうね。いつまでたってんでんいっちょんうっくえとらん(注:壊れていない)もんね。
こげん石畳の川は、どこんでんかしこでんえっと(注:あまり)なかばい。 川ん水が、いつまでも石畳の上ば流るっこと願うとります。

ししとき川をきれいにする会  会長 平尾辰次

<(注1)寛文3年、1663年筑後町から出火。当時の57町2900戸を焼き払った未曾有の大火災。>

ししとき川沿いは旧町名で、麹屋町(こうじやまち)・紺屋町(こうやまち/染め物)・ 本紙屋町(もとかみやまち)・磨屋町(とぎやまち)銀屋町(ぎんやまち)・萬屋町(よろずやまち/雑貨販売)・鍛冶屋町など 職人町があった所です。



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