宮古馬保存会  (新城明久著 宮古馬 より)


 昭和50年、宮古馬の調査で老令の宮古馬(在来)雌4頭、雄1頭が宮古群島で確認され、さらに沖縄本島にも持ち出されていることが明らかとなり、在来馬は絶滅の危機に瀕している。このことが新聞、ラジオ、テレビで大きく報道され、保存の機運が一段と高揚した。
そのようななかで、宮古の畜産技術員を網羅した組織である「宮古畜産技術員会」が昭和51年11月全会員を動員して、宮古群島全域にわたって宮古馬の飼養頭数を詳細に調査した。その結果、比軟的純度の高い在来馬が14頭いることが確認された。しかし、いずれも老令馬で繁殖能力が心配された。
平良市狩俣の島尻博之さんの牧場2002/1撮影:写真提供は葉山正宏さん
 平良市狩俣の島尻博之さんの牧場2002/1撮影
写真提供葉山正宏さん:宮古農林高校にて2002/1撮影  昭和52年1月には在来馬の保存対策が宮古郡市町村の経済課長会議で検討され、同年5月には沖縄県中央家畜保健衛生所宮古支所に雄1頭と多良間島の波平常雄氏の寄贈による雌1頭が集められ、保存の第1歩を踏み出した。
同年11月、平良市役所の企画室、農林課、商工観光課および教育委員会指導課で構成する「宮古馬保存対策会」が設置され、そこで在来馬を農家から買い上げ、市営熱帯植物園で集団飼育することが決定され、雌3頭を買い上げた。さらに沖縄本島で宮古在来馬を繋養していた名護宏明氏より雄1頭が寄贈され、雌3頭、雄1頭の集団でスタートした。
宮古農林高校にて2002/1撮影 
保存組織は「宮古馬保存対策会」から「宮古馬保存会結成準備会」が昭和53年5月に発足し、同55年4月1日には「宮古馬保存会」が発足し、本格的に宮古在来鳥の保存に取り組むようになった。

( 以上 1984年日本馬事協会出版 「日本の在来馬−その保存と活用−8.宮古馬 新城明久著」より)

写真提供葉山正宏さん:宮古農林高校にて2002/1撮影
 写真提供は相模原市の葉山正宏さんより


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