第54回国際ポリフォニック・コンペティション・イン・アレッツォ

8月21日(月)
  
      パリ・ドゴール空港                ホテルミネルバ

 いよいよ出発の朝。車でセントレア行き高速船の発着する「津なぎさまち」に向かう。早朝、寝坊しないようにパトマネのカネちゃんがわざわざメールを入れてくれていた。

6時半になぎさまちに集合。バルセロナの時のような遅刻者はなし。車を港から少し離れた第二駐車場に止めに行くが、角の方の車が車上ねらいにやられたらしくガラスが割られている。人気の無い所なので本当に物騒だ。なるべく真ん中に止めたが、帰ってくるまで無事であってほしいものだ。

 7時に津なぎさまちを出発。40分ほどで中部国際空港に到着。直接空港に来たメンバーと合流する。団員30名とH田君のご両親、そして先に行っている6名と合わせて総勢38名になる予定だ。飛行機は10:05発エールフランス295便、これから約12時間半の空の旅だ。エコノミーは座席も狭く、ゆっくり寝ることもできない。座席には液晶テレビが付いており映画鑑賞やゲームができるが、それだけではとても時間がつぶれない。(幸い見逃していた映画「MiV」があったのでそれで幾分時間はつぶしたが。)楽しみは食事くらいだ。昼食は鳥のゆずゴマ焼き・サーモンステーキ・野菜のマリネ・信州そば・ポテトサラダ・プリン、夕食はペンネアンチョビトマトソース・スモークサーモン・春巻き・五目稲荷寿司・玉子焼・フルーツだ。なかなかおいしいが何もかもごちゃ混ぜのメニューだ。

 現地時間15:35パリ着(時差は−7時間)。パリのドゴール空港は広いのでトランジットもなかなか大変だ。途中でM君・H峰君がいなくなって大騒ぎとなる。なんとか全員そろって18:45発の100人乗りほどの小型機に乗り換えてフィレンツェへ。機内でサンドイッチの軽食がでた。フィレンツェには21:30到着。こじんまりとした小さな空港だ。外はすっかり暗くなっていた。貸し切りバスでホテルへ移動。1時間15分ほどでアレッツォのホテルミネルバに到着、すぐに就寝。長い一日(31時間)がようやく終了した。


8月22日(火)

   
     アレッツォの町並み                   サン・フランチェスコ教会

 7時起床。時差ぼけで明け方から目が開く。ホテルミネルバはアレッツォの旧市街から少し離れたフィレンツェへの街道沿いにある四つ星ホテルで、設備はまあまあだ。ただし、私の部屋はバスタブが無くシャワーだけ。同室はF本君。彼らのグループはすでに15日に日本を出発し、ウィーン、チェコやハンガリーを観光してからアレッツォに入っている。時差ぼけもなく朝からさわやかな様子だ。朝食はバイキング形式だが、おかずはハムとチーズ・ゆで卵だけで野菜がない。パンとコーヒーはまずい。ジュースも3種類あるがどれも異様に甘い。繊維質のものはリンゴだけ。K藤さんがヨーグルトを希望すると、親切なウェイターが出してくれた。(男性が希望したらたぶん出さないだろう。)

 今日の午前中はフリーなので、みんなで旧市街のサン・フランチェスコ教会に向かう。アレッツォはトスカーナ州の東部に位置し、中世には自治都市として栄え、詩人のペトラルカや「芸術家列伝」で有名なヴァザーリを輩出するなど、フィレンツェに次ぐルネサンス文化の中心地であったところだ。1〜1.5km四方ほどの旧市街地を囲む城壁の大部分が今も残っており、城壁内の道路は数本の幹線道路をのぞいて今も石畳のままだ。ホテル前からペレンニオ通りを10分ほど歩くと、サン・ロレンティノ門。この門から内側は正に中世そのものだ。アレッツォの旗のはためく石畳のサン・ロレンティノ通りを進み、中世・近代美術館の前を右折して5分ほど行くと目的地のサン・フランチェスコ教会が見えてくる。ゴシック様式の質素な教会だ。この教会の地下聖堂でコンクールは行われるらしい。今日はこの教会前で通訳をつとめてくださるN田さんにお会いする約束だ。N田さんは団員のT住君の実のお姉さんで、イタリア語も英語も堪能、ご自身も京都エコーや住金で歌っておられる。N田さんは教会前で待っていて下さった。N田さんの案内で教会の内部を見学。見所は聖堂の後陣を囲むように描かれているピエロ・デラ・フランチェスカの代表作「聖十字架伝説」のフレスコ画だ。以前は修復中であったらしいが、今は修復なってその鮮やかな姿がよみがえっている。「聖十字架伝説」の物語についてN田さんに解説していただきながら、しばし絵に見入った。その後は旧市街を分かれて散策。私はロマネスク様式の美しいサンタ・マリア・デラ・ピエーヴェ教会の前を通ってグランデ広場に出てみた。この広場は私の大好きな映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の舞台として使われた広場で、旧市街には他にもこの映画のたくさんのロケ地があり、ロケ地を示す看板が掲げてある。広場の北側は「ヴァザーリの回廊」に囲まれ、西側にはピエーヴェ教会の美しい後陣が見える。回廊の端の小路はグイドが鍵を受け止めた通りだ。近くのBARでサラミのピザと水を買い、Mくんと回廊前の階段に腰を下ろして昼食。歩いてホテルへ戻る。

 午後は明後日のコンクール予選に向けてホテルの地下2階会議室で練習だ。予選で歌う曲はO.ピットーニの Kyrie(課題曲)、H.シュッツのRide la primavera、F.マルタンの「エアリエルの歌」VWXだ。1時から始まったがなかなか思うように音が決まらない。特にピットーニがうまくいかない。指揮者も苦労している。5時に終わるはずの練習が6時近くまでのびてしまった。

 夜はコンクール会場の下見がてらサン・フランチェスコ教会のコンサートを聴きに行く者と、ホテルで休む者に分かれる。私はN村さんやカネちゃんたちと食事もかねてコンサートを聴きに行くことにする。歩いて旧市街へ。サン・フランチェスコ教会近くのさびれた中華料理店に入った。中華なのになぜかラーメンがない。イタリア風中華料理といった感じだ。焼きそばのようなパスタとアヒルの揚げ物、鶏のレモン風味、ピリ辛の春雨、変わった味の炒飯などをみんなで分けて食べた。

 コンサート開始の9時に間に合うように会場に入る。教会の地下の聖堂なのでよく響きそうだ。山台は祭壇の前に特設で並べた物でとてもせまい。今夜は地元のプロ(?)の合唱団VOX CORDIS の演奏会だ。しかし予定の9時を過ぎてもなかなか始まらない。結局始まったのは9時半をまわった頃だった。(このイタリア時間にこの後我々は悩まされることになる。)曲目はグレゴリオ聖歌、デュリュフレのUbi caritas 、コチャールの Salve regina、パレストリーナの Sicut cerbus 、そして指揮者の自作曲などだった。響きすぎるくらいよく響く。デュリュフレはよかったが、後は今ひとつ。明日のことを考えて途中で切り上げてホテルへ帰った。


8月23日(水)
  
         コンクール会場                 食事会場 Crispi's

 7時起床。時差が抜けきらない。朝食は昨日と同じだが、果物が出ていない。そのかわり昨日出ていなかったヨーグルトが出ている。

 10時から会議室で練習の予定だが、昨日の練習がもう一つだったので各パートが9時頃からパート練習をしている。10時から全体練習開始。パート練習のせいか昨日よりはスムーズにはこんだ。しかし決勝用の曲やフォルクローレ部門の練習もしなければならないので、昼休みは40分間だけ。食事に出る時間がないので、ホテルの隣にあるマクドナルドへ買い出しに行く。チキンバーガーとポテトとコーラのセットで6ユーロ(約900円)とは高すぎる。味は日本と同じ。12時40分から午後の練習を再開。曲数が多いので大変だ。実行委員会が派遣してくれる地元ボランティア・ガイドの高校生エレナ(18歳)が午後の練習から合流するはずだが、なかなか現れない。練習の終わり頃になってようやく現れた。アメリカ留学の経験があり、英語は堪能らしい。

 5時に練習は終了し、夕食まで時間があるので、全員でサン・フランチェスコ教会へ国際コンクールと同時に行われるイタリア国内コンクールを聞きに行くことになった。25分ほど歩いて教会へ。6時から1時間ほどで3団体くらい聞いたが、いまいちの団体が多い。でもホールの鳴り具合を全員で確かめるという意味では成果があった。

 コンクールを途中で失礼して夕食会場へ向かう。今夜からは実行委員会が指定されたレストランで昼食と夕食を用意してくれている。会場は旧市街中心部のモナコ広場近くのピッツェリア(ピザレストラン)Crispi's だ。私たちが入っていくとすでにドイツの合唱団が食事を始めていた。店にはギネスの大きな看板がかかっているが、明日がコンクールなので今日はやめておく。ドイツの合唱団の若者はビールをぐびぐびやっている。前菜はペンネのトマトソース、そしてメインは直径30cmもあるピザが一人に一つずつだ。ピザの種類は6種類(ハム・ホットドッグ・サラミ・キノコ・トマトとチーズ・魚)。とても食べきれない。残ったピザはT住くんがせっせと食べていた。M井君たちがエレナと片言の英語で交流していたが、エレナは平気でビールを飲んでいる。イタリアでは18歳から酒もたばこもOKなのだそうだ。ESTの団員が一人もたばこを吸わないことにとても驚いていた。食事後、歩いてホテルへ戻った。


8月24日(木)
  
      コンクールでの《EST》                     民族音楽フェスティバル

 いつものように7時起床。今日はいよいよコンクール予選の日だ。朝食はいつもと同じだが、今日もリンゴが出ていない。K藤さんが親しいウェイターに頼むと出してくれた。
昨日まで無かったコーヒーメイカーが出してあり、エスプレッソとカプチーノを選択できるようになっている。しかしあまりおいしくない。

 今回のアレッツォのコンクールは他のコンクールと違ってかなり複雑なエントリーの仕方になっている。まず出場部門が5つ(Tキリスト教単旋律聖歌部門 U一般ポリフォニー部門 V児童合唱部門 W特別賞 X民族音楽部門)に分かれており、コンクールの中心はUの部門だ。私たち《EST》はUとXの部門に出場する。Uの部門には予選と決勝があり、予選では課題曲と五つの時代区分(A:〜1450年、B:1450〜1600年、C:1600〜1750年、D:古典・ロマン派、E:印象派〜現代)のうちから最低二つ以上の区分の曲を選んで12分間のプログラムを組み、決勝は予選とすべて違う曲で、しかも三つ以上の時代区分の曲で15分間のプログラムを組まなければならない。また予選の演奏の結果で、各時代区分ごとにそれぞれの優秀団体が数団体ずつ選抜され、フェスティバル・コンペティション(各区分15分間)への参加を義務づけられる。そして各時代区分ごとに最優秀団体が選出される。《EST》はCとE区分にエントリーしている。フェスティバル・コンペティションの曲目もすべて予選・決勝の曲と違う曲にしなければならない。とてもたくさんの曲目を用意しなければならないのだ。そして決勝やフェスティバル・コンペティションに出られるか出られないかは、今日の予選の12分間の演奏にかかっているわけだ。せっかくイタリアまで来たのに、たった12分間だけ歌って終わりでは何をしに来たかわからない。とにかく何としても今日の予選を通らなければと、団員の集中度も昨日とは比べものにならないくらい高くなってきている。9時から選抜者によるRide la primavera の練習、そして10時からの全体練習も昨日よりスムーズに進んでいった。練習の途中でうれしいお客様の来訪があった。元大阪府合唱連盟理事長で宝塚のコンクールでもたいへんお世話になった杉山先生ご夫妻が、コンクールを聞きにわざわざ日本から駆けつけてくださったのだ。ありがたいことだ。杉山夫妻は練習を途中で抜け、コンクール会場に向かわれた。
 12時に練習は終了し、路線バスで昼食会場に向かう。バスチケットは、バス内の機械で刻印しなければならない。しかしほとんど検札しないので、ただ乗りしてもわからない。(もし見つかったら、すごい罰金らしいが。)モナコ広場で下車し、歩いてCrispi's へ。

今日の前菜はバネのような形のパスタのミートソース、メインは豚肉のローストといんげん。その後着替えと直前練習のため、近くの高校へ移動。この学校は「ライフ・イズ・ビューティフル」のロケで使われた所だという。グイドが視学官になりすまして演説するあの場面だ。質素な作りだが、トイレの落書きがひどかった。

 さて会場に着いてみるとコンクールの進行が遅れに遅れているらしい。T部門のコンクールが朝9時半から開始のはずが30分遅れで始まったらしい。その理由を杉山先生に聞くと、審査員が三人も遅刻してきたのだという。おかげでU部門も午後3時の開始が大幅に遅れたのだ。だいたい日本のコンクールと違って進行表みたいな物がない。開始の時刻だけが決まっていて、出演団体は一団体の持ち時間から計算して自分たちで勝手に集合するのだ。会場が教会の地下聖堂なので、着替えやリハーサルの場所なんかはない。どこかで着替えて集合し、一つ前の団体は地下に降りる階段で、もう一つ前の団体は外で待つのだ。(幸い雨が降らなくてよかったが。)ところが、その開始時刻でさえもしばしば遅れ、何団体か演奏が続くと時々休憩を挟むので、ますます進行が遅れていく。そんなこんなで結局会場の外で長いこと待機し、予定より1時間ほど遅れて本番となった。団員はかなり緊張している様子だが、予選を何としても突破しようという気迫がみなぎっている。歌ってみると会場全体に響いているのはわかるが、周りの音が思いの外聞きにくい。不安を感じつつ精一杯歌った(曲目はピットーニの Kyrie 、シュッツの Ride la primavera 、マルタンの「エアリエルの歌」VWX)。客席で聞いていた団員(今回は団員35名でいったのだが、32人以下という人数制限で3人出場できなかった。)に尋ねてみると、舞台の立つ位置によって聞こえ方が違うという。しばらく他団体を聞く。フィリピンのマニラ大学グリークラブ(この団体は、ESTの出場した2001年のマルクトオーバードルフのコンクールで1位をとった団体で、パムグンの楽譜はここからもらったのだ。)は、全員が音大生とそのOBということで一人一人がしっかり歌え、ハーモニーもバランスがとれている。キューバのスコラ・カントルム(この団体は昨年の世界合唱シンポジウムに出場予定だったが、直前でキャンセルした団体)は《EST》が昨年やったガビランの「ほらふき」を演奏していたが、体からあふれるようなリズム感がすごい。どの団体もレベルの高い演奏だ。我々のよい結果を期待しつつ夕食会場へ向かう。

 今日の夕食の前菜はサラダのように冷たい野菜リゾット(?)、メインはサラミや生ハム・チーズなどが乗ったカナッペ風のパン(どちらも前菜みたい)。肉は出ないのか! 予選が終わったので飲みたいところだが、今夜はX部門の民族音楽フェスティバルがあるのでがまんがまん。このフェスティバルには民族衣装で参加する、との規定なので、食後近くの教会を借りて男性ははっぴに雪駄、女性は浴衣と下駄に着替える。エレナは「それじゃ、また明日」と言って帰ってしまった。まだこれからフェスティバルがあるというのに。(ちゃんとガイドの仕事しろよ!)

 9時の開始に少し遅れて会場(アレッツォのシンボルであるドゥオーモ前の広場の仮設ステージ)に到着。しかしまだ始まっていない。結局始まったのは10時前だった。X部門のエントリー団体は17団体で、《EST》は16番目だ。歌う曲は事前にこちらから申請した曲の中で実行委員会が指定してきた2曲、武満徹編曲の「さくら」と三善晃の「くわいが芽出した」だ。この部門の審査は審査員ではなく、会場に来ている聴衆が投票用紙で投票して決めるという。どの団体も各国の民族衣装を着て振り付けなどもあり、楽しいステージだ。われわれ《EST》の隣の席はチェスキー・ブデヨビツ(チェコ)の少年少女合唱団とウクライナの少年少女合唱団だったが、《EST》の団員と仲良く交流している姿がほほえましかった。この会場に通訳のN田さんから朗報が伝わった。《EST》がU部門の決勝に進むことと、時代区分E(現代)のフェスティバル・コンペティションに参加する団体に選ばれたという。よかった。これで明日も歌うことができる。ひとまず一安心だ。

 日本からはもう一団体、神戸の松蔭中学・高等学校コーラス部が参加していたが、彼女たちはピンクのおそろいの浴衣で童歌を楽しく歌って喝采を浴びていた。しかし時間はどんどん延びてなかなか我々の番がまわってこない。夏とはいえ、風のせいもあって夜はかなり冷え込む。みんな上着を羽織ってふるえながら出番を待った。結局我々の出番が回ってきたのは12時を少し過ぎてからだった。体が冷え切ってなかなか声が出ない。「さくら」には合唱の前に大正琴を入れ日本情緒を演出し、「くわいが芽出した」にはオリジナルの盆踊り風の振りが付いている。聴衆には楽しんでもらえたと思うが、少しインパクトには欠けたかな。フェスティバルのとりはキューバのスコラ・カントルム。楽器も使いながら熱気あふれるパフォーマンスで聴衆に大いにアピールしていた。明日に備えて、キューバの演奏の途中で退出、歩いてホテルへ帰る。ホテルに着いたのは夜中の1時頃だった。


8月25日(金)

   
     ドォーモ前広場                       合唱団出会いのつどい

 7時起床。昨夜寝るのが遅かったのでとても眠い。今日は現代曲のフェスティバル・コンペティション、U部門の決勝コンクールと、二つのコンクールがあり忙しくなりそうだ。朝食はいつもと同じ。エスプレッソの機械は今日はなし。

 8:15から10:30まで会議室で最後の練習をする。このホテルには他の団体も泊まっているが練習をしている様子がない。会議室は《EST》が独り占め状態だ。たぶん現地で我々ほど練習をした団体はないだろう。練習終了後更衣して、路線バスでフェスティバル・コンペティション会場(昨日と同じサン・フランチェスコ教会の地下)へ向かう。事前に4回分のバス回数券を購入していたのだが、乗車後刻印しようとすると機械が受け付けない。何度やっても誰のでやっても同じだ。運転手にかけあうと笑顔で許してくれた。チケットに刻印されていないので、あと4回使えるぞ!

 会場に着いてみるとすでに40分遅れとのこと、中に入って少しだけ他団体の演奏を聴くことにする。ちょうどD区分のロマン派カテゴリーの演奏が行われていた。フランスの女声合唱団がブラームスばかりのプログラムを演奏していたが、選抜された合唱団だけあってうまい。しかしオール・ブラームスは聞いていて疲れる。その後11:30頃に我々の本番がやってきた。今日の曲目は台湾版汽車ポッポ Diu Diu Deng 、鈴木輝明の「リリケ・アモローゼ」X・T、千原英喜の「おらしょ」Uだ。まず最初の Diu Diu で振り付けをつけたので会場が少しざわつく。そして演奏後は曲間なのに拍手が来た。たぶんコンクールでこんな曲を振りまでつけてやる団体は他にないだろう。そしてリリケX・T、おらしょUと続いていく。日本の現代曲にはこんないい曲があるということを、イタリア人にも知ってほしいと思いながら歌う。古代エジプトの愛の言葉はイタリア人に届いただろうか。

 演奏後 Crispi's へ昼食に移動。前菜はペンネのバジル風味、メインは鶏のもものグリルとフライドポテト。食事後、路線バスでホテルに戻る。回数券は今回も機械に拒否され刻印できなかった。行きのバスの運転手は笑顔で許してくれたが、今度の運転手は一枚を4人分とカウントして乗車人数分のチケットを回収して使えないようにした。

 2時半から4時まで夕方にあるU部門の決勝コンクールに向けてホテルで練習。決勝コンクールでは三つの時代区分の曲を入れるため、ルネサンス時代のビクトリアの Sanctus & Benedictus 、ロマン派のラインベルガーの Abendlied 、現代曲として「リリケ・アモローゼ」W、ウィテカーの Water night の4曲だ。個人的に今日の午前中は声の調子が最悪だったので、決勝コンクールできちんと声が出るか心配だったが、練習に従い少しずつ戻ってきたので少し安心した。

 練習後、また路線バスでサン・フランチェスコ教会へ。今回も回数券に刻印できず。会場に着くとやはり40分ほど進行が遅れている。《EST》は6団体中最後だ。7時半ごろに本番。最初のビクトリアを歌い始めると会場が息をのむように静かになっていく。よくハモっている。リリケではイタリア語の歌詞の意味が伝わっているらしく、苦笑いしながら聞いている人もいる。Water night を歌い終わると割れるような拍手が返ってきた。予選やフェスティバル・コンペティションでは聴衆の反応はもう一つだったが、今回は確かにイタリアの聴衆に歌の心が伝わったと思う。会場から出ると、会場から出てきた聴衆や外でスピーカーを通して聞いていた他の合唱団の人々が、次々と「よかった」と声をかけてくれる。団員の中には涙ぐんでいる者もいた。

 さて、いつもなら Crispi's で夕食となるのだが、今夜は昨日民族音楽フェスティバルのあった会場で「合唱団出会いのつどい」というパーティーが開かれるので、そこで夕食をすますことにする。(エレナは今日も帰ってしまった。)行ってみるとすでにバイキング方式の立食パーティーが始まっていた。広場いっぱいにパスタ、リゾット、種々のカナッペ、白いんげん豆料理、ハム、チーズ、豚の丸焼き(本当に丸ごと焼いてある)、たくさんのデザート類が並べられ、ミネラル水・ジュース・ワイン・ビールも飲み放題だ。日本のパーティーだと食料はすぐになくなるが、とてもなくなりそうにない大量の食べ物だ。一通り皿に取って階段に腰掛けて食べていると、ドイツのヴォーカルアンサンブル・メミンゲンの青年が話しかけてきた。今日の演奏の特に Abendlied に感動したという。発音もよかったと言われうれしかった。(実はこの曲はマニラ大学グリークラブも予選で歌っていた。マニラ大でなく、我々をほめてくれるのがうれしい。)9時から昨日の民族音楽祭の入賞団体4団体の演奏と、今までのコンクールの結果発表が行われるはずだが、やはり時間通りには始まらない。10時前になってようやく始まった。はじめに結果発表があるかと思ったが、すぐに演奏が始まった。どうやら演奏の合間合間に発表していくらしい。まずフィリピンのマニラ大学の演奏。衣装もカラフルで洗練された振りと演奏だ。この団体は今まで各国のコンクールで入賞しているので名前が売れており、入場するだけで拍手が起こる。(何か不公平だな。)演奏後司会者が早口のイタリア語で何かの結果を発表しているが、全くわからない。そのうち「Masao Mukai!!」という声が聞こえてきた。何かわからないがmasaokun が何か賞をもらったらしい。あわてて通訳のN田さんに確かめると、「優秀指揮者賞」をもらったのだという。少し遅れてみんなで歓声を上げた。続いてドイツのヴォーカルアンサンブル・メミンゲンの演奏だ。なかなか楽しい演奏だったが、僕らは結果が早く知りたくて演奏が早く終わることを願っていた。そして次の発表、どうやらV部門(児童合唱部門)らしい。1位は該当が無く、2位に日本の松蔭中・高が入った。発表はそこで終わり、次はウクライナの少年少女合唱団の演奏。ろうそくを小道具に使った野外にふさわしい幻想的な演出だ。(ぼくらは発表が気になってまともに聞いちゃいなかったけど。)さていよいよ発表タイム。まずマニラ大学が呼ばれ、次にキューバのスコラ・カントルムが呼ばれた。そして次に「ヴォーカルアンサンブル《EST》、津シティー、ジャポン」の声が! 何位かはわからないがとにかくみんなで大歓声をあげた。その後あわててN田さんに聞くと、U部門(一般ポリフォニー部門)の決勝でマニラ大が2位、キューバと《EST》が同率1位を受賞したのだと言う。もう一度みんなで抱き合って喜んだ。その後の発表で時代区分別の1位はAは該当なし、B/C(ルネサンス・バロック)はキューバ、D(ロマン派)はマニラ大、E(現代)はキューバという結果だった。この結果、明日のグランプリ・ファイナルには総合一位のキューバと《EST》、D区分1位のマニラ大の3団体が出場できることとなった。(本当のところEの1位はほしかったな。)そして最後の演奏はそのキューバのスコラ・カントルムだ。しかし明日出演できることが決まったので、あまり遅くならないようにキューバの演奏の途中で退出し、11:30頃歩いてホテルへ帰った。


8月26日(土)

  
        グランプリ・ファィナル                  キューバと一緒に「ほらふき」

 いつもより遅めの7時45分に起床。朝食はいつもと同じ。9時15分に会議室に集合して簡単な打ち合わせをする。昨夜結果を聞かずに早く帰った人もあったので、昨日の結果の詳しい報告があった。今日は夕方からグランプリ・コンクールがあるが、ここ数日ハードな日程だったので、久しぶりに午前中はフリーとなった。旧市街へ観光に行く者やら、スーパーに野菜の買い出しに行く者やらいろいろだ。私は部屋で荷物の整理と、このホームページをつくるために、今までの出来事をノートに書き留めたりして時間を過ごした。

 12:10発の路線バスで昼食のため Crispi's へ移動する。相変わらずバスの回数券は刻印できなかったが、今日の運転手は笑顔で許してくれた。昼食のメニューは、前菜がスプリング状のパスタのミートソース、メインは肉なのか魚なのかわからない物のフライと野菜サラダ(初めてまともな野菜が出た!)。昼食後、路線バスでホテルへ戻る。

 午後は2時から会議室で練習の予定だが、州政府の表敬訪問に行っているmasaokun が時間になっても戻ってこない。練習を始めていると、しばらくして masaokun が戻ってきたが顔が真っ赤だ。表敬訪問でシャンパンをごちそうになったらしい。その場で《EST》の演奏が高く評価されていたことや、フランスから海外演奏会の誘いがあったことなどを話してくれた。そして何よりうれしかったのは、明日サン・フランチェスコ教会で開催されるミサに《EST》全員参加で聖歌隊として出席させていただけることだ。杉山先生がご尽力くださったとのこと。ほんとうにありがたい(コンクールでは32人という制限のため、35人全員で歌う機会がなかったから。)。またアレッツオの芸術財団の音楽監督を務めるロレンツォ・ドナティ氏(22日夜のコンサートで地元の合唱団を指揮していた方で作曲もされるという。)からは、《EST》の演奏はビクトリアも良かったが、現代曲がとても良かったので、グランプリでは是非現代曲をやってほしい、という要望もあったという。そこでグランプリの曲目はまずビクトリアの Kyrie 、次にリリケのX・W、そして中休みとしてスコラーズの村の鍛冶屋を挟み、最後に「エアリエルの歌」W・Xという構成になった。(ちなみにグランプリは今までやった曲は1曲程度で、時間も15分以内と言われていたが、ドナティ氏に聞くと、前の曲を何曲入れてもいいし、時間も18分くらいまではOKという。さすがイタリアはアバウトだ!)4時まで2時間の練習。グランプリで1位になると来年のヨーロッパ・グランプリ(ヨーロッパ6大コンクールの1位団体が集まって競うコンクール)に出場する権利がもらえるという。いやが上にも力が入る。練習終了後、更衣して路線バスで会場へ移動。教会の外で出番を待つ。

 グランプリ・ファイナルの演奏順は、フィリピン、《EST》、キューバの順だ。階段を通って一つ前のフィリピンの演奏が聞こえてくる。相変わらず安定した演奏だ。声もよく出ている。そしていよいよ我々の出番だ。聴衆が大きな拍手で迎えてくれる。まずビクトリアの Kyrie を歌い出す。少し音のきまりが悪いがだんだん持ち直す。そしてリリケのX・W、個人的には決勝より良いできで歌えた。次はスコラーズの村の鍛冶屋だ。軽やかなリズムとハーモニーが聴衆の心をつかんでいくのがわかる。最後のパフォーマンスがきまるとコンクールの途中でありながら大きな拍手がおこった。最後は「エアリエルの歌」W・X、予選より彫りの深い演奏ができたのではないか。演奏が終わると万雷の拍手をいただいた。気分良く会場の外へ出る。団員の中には感動して涙ぐむ者もいたが、会場から出て来られた通訳のN田さんが涙を流しておられたのが印象的だった。最後のキューバの演奏を会場外のスピーカー下で聞く。軽やかなモンテベルディ、そして最後のガビラン(?)の曲のアクロバットのようなリズムと表現。やはりすごい!演奏終了後出てきたスコラ・カントルムの面々をみんな拍手で迎えた。そのまま教会前の広場へ。まだ外は明るいので、ここで少し屋外パフォーマンスをして、CDを売ろうという計画だ。まずみんなで「みかんの花咲く丘」を歌う。コンクール帰りの聴衆や通行人が足を止めて聞いてくれる。次にスコラーズの「村の鍛冶屋」だ。スコラーズ以外の団員が《EST》のCDを手に持って通行人に声をかける。次に誰かがガビランの「ほらふき」を歌おうと言い出した。前を通っているキューバの面々が行ってしまわないうちに急いで歌い始めた。我々の歌声を聞きつけて、数名のスコラ・カントルムの面々が我々の中に入って一緒に歌ってくれた。キューバの面々と握手して別れたところで、一人の老人が近づいてきて「これから教会のミサが始まるから静かにしてくれ。」と注意され、CD販売パフォーマンスは終了となった。その後、歩いて夕食会場の Crispi's へ。

 今日の夕食のメニューは、前菜は蝶の形の冷たいパスタ、メインは5種類(ホットドック、ハム、マッシュルーム、トマトとチーズ、サラミ)のピザだ。コンクールもすべて終了したので、今日は心おきなくギネスが飲める。グランプリの良い結果を期待しながら、味わって飲ませてもらった。

 9時からはコンクールと同じ会場で表彰式とガラ・コンサートがある。グランプリの結果もそこで発表されるはずだ。どきどきしながら会場の右側にかたまって席を取る。ところが、だんだん席が詰まってきたところで係員が現れて「そこは来賓用の指定席だから、席を空けろ」という。おかげで私を含めて何人かは立ち見になってしまった。そんなことをしている間に、予定より30分ほど遅れて三人の中世の騎士姿の青年が旗を持って入場し、セレモニーが始まった。まず各部門の1位とA〜E区分の1位、指揮者賞の表彰があった。《EST》からは masaokun が代表して指揮者賞と決勝1位の賞状を受け取った。会場からは大きな拍手がおくられたことは言うまでもない。そのままグランプリの発表にいくのかと思ったら、机が片付けられ古楽器によるモーツァルトの室内アンサンブルが始まった。オーボエ2,ホルン2,ファゴット2の編成の「アンサンブル・サン・スーシー」というグループだ。古楽器は音程をとるのが難しく、特に古楽器のホルンはピストンがないので大変らしい。しかしそれにしても演奏はもう一つだった。音程も決まらないし、時々音がひっくり返るし…。一番左のオーボエがリーダーらしいのだが、この人の演奏中の動きがとてもおもしろいので、演奏を聴かずに動きばかり見ていた。

 そしていよいよ後半のグランプリ結果の発表だ。一瞬の沈黙の後、司会者がスコラ・カントルムの名を告げた。歓声を上げて抱き合うキューバの面々。悔しくないと言えば嘘になるが、キューバの演奏のすごさも十分に感じていたので、素直に拍手を送る気持ちになった。会場の万雷の拍手の中、国歌の演奏と表彰が行われ、司会者に促されてスコラ・カントルムの受賞記念演奏が始まった。普通こういう状況だと冷静な状態で歌うことができないものだが、歌い始めると音をきちんと決めてくる。さすがだ。3曲披露したが、最後の曲はあのガビランの曲らしく、「ほらふき」と世界シンポでアメリカの団体が歌った「なんてすてきなんだ(マンボ)」の2曲をたして2で割り長くしたような曲だった。セレモニーの終了後、私たちは会場の外へ出て、会場から出てくるキューバの面々を拍手で祝福した。するとキューバの指揮者が「ほらふき」を一緒に歌おうという。両方の指揮者が手をつないで指揮をする中、感動の合同演奏となった。(やはり本場のリズムはすごいね。)演奏後キューバの面々と思い思いに記念撮影をし、歩いて帰途についた。ホテルに着いたのは12時頃であった。


8月27日(日)

   
      ウフィツィ美術館                  ヴェッキオ宮の前で

 7時15分起床。朝食はいつもと同じ。今日はフィレンツェへの移動日なので、荷物をまとめて9時に会議室に集合する。T辺くんとI賀ちゃんは仕事の都合で今日帰国するためここでお別れだ。昨夜表彰式の後ドナティ氏に聞いたところによると、《EST》は1位とはわずかの差の2位だったということだ。来年のヨーロッパ・グランプリの出場権はキューバにあるが、この団体は過去にいくつかのコンクールをドタキャンした前歴があり、もしキューバがキャンセルすれば、すぐに《EST》を推薦するというお話だったらしい。また、杉山先生からは、グランプリの発表後キューバに拍手を送る《EST》の団員の姿に感動した、というお言葉をいただいた。昨夜はグランプリの結果を悔しがって、指揮者と夜遅くまで語り合った団員もいたという。こういう団員がいる限り、《EST》もまだまだ伸びていけると思う。

 さて今日はフィレンツェに移動する前に、11時からサン・フランチェスコ教会で行われるミサに聖歌隊として参加することになっている。それに向けて30分ほど軽く練習をした。本当によく練習をする団体だ。10:15に荷物を積み込んで貸し切りバスで教会へ移動。今までは地下の聖堂ばかりで歌っていたが、今日は1階大聖堂の「聖十字架伝説」の前で歌えるのだ。しかも団員全員がそろって歌えるのがうれしい。聖歌隊に選ばれた団体は3団体、地元イタリア・トリノのグレゴリオ聖歌を歌う団体と日本の松蔭中学・高校コーラス部、そして《EST》だ。ミサは司祭や信徒のお祈りをはさみながら厳かに進んでいく。我々はミサの途中でビクトリアの Kyrie 、Sanctus & Benedictus を、そしてミサの最後にコンソラチオン二世の Alleluia を演奏した。ミサの後何人かの信者さんに「すばらしかった」と声をかけていただいた。

 これでアレッツォでの全日程が終了した。長い間お世話になった通訳のN田さん、ボランティアのエレナと教会前でお別れする。特にN田さんには何から何まで本当にお世話になった。ボランティア・ガイドがあまり仕事をしない中、本来ボランティアがするはずの仕事まですべてN田さんがして下さったのだ。我々の11月の演奏会にも来てくださるとのこと、再会を約してお別れした。その後貸し切りバスでフィレンツェへ移動する。明日帰国する第1班は今日1日、明後日帰国する第2班は今日と明日、フィレンツェ市内を観光する予定だ。バスは2時間足らずでフィレンツェの中心部に到着、まず第2班の宿舎ラファエロに、そして次に第1班の宿舎デリ・オラフィに荷物を下ろす。私は第2班だ。その後みんなでデリ・オラフィのすぐ隣のウフィツィ美術館へ見学に行く。

 ウフィツィ美術館は16世紀の後半にヴァザーリによって建てられた行政機関用の建物で、その後メディチ家所有の美術品が収納されギャラリーとして使用されるようになった。イタリア絵画を中心に数々の名画を展示しており、観光客が絶えない。今日も入り口には長蛇の列だ。しかし我々は予約をしていたので、予約者用の入り口からスムーズに入ることができた。3階の展示フロアは45の展示室に分かれ、古代彫刻から18世紀のヨーロッパ絵画まで時代順に並べられている。ジョット・チマブーエ・リッピ・ボティチェリ・ミケランジェロ・ダヴィンチ・ラファエロ・ティツィアーノと、有名な画家の名作が続く。中でもボティチェリの「春」「ビーナスの誕生」は、Ride la primavera と関係のある絵画として団員の注目を集めていた。しかし私が最も見たかったのはレオナルド・ダ・ヴィンチの4枚(正確には3.5枚と言うべきか。)の作品だ。師ベロッキョが絵筆を置くきっかけになったという「キリストの洗礼」、初期の作品「受胎告知」、未完の「東方三博士の礼拝」と「聖ヒエロニムス」。どの作品もすばらしいものだった。そしてうれしいことに階下で特別展として「ダ・ヴィンチ展」が開催されていた。ダ・ヴィンチ自筆の解剖図・草稿やスケッチ、発明品を復元したものなどが展示されており、大変おもしろかった。

 美術館の見学後、夜9時半にデリ・オラフィ集合ということで、解散した。私はT住夫妻と masaokun 、K藤さんと杉山夫妻というメンバーでベッキオ宮殿の見学に行く。この宮殿は1530年にトスカーナ公国が出現するまではフィレンツェ共和国の政庁であったところで、2階の五百人広間では市民会議が開かれたという。広間やまわりの部屋の天井や壁は絵画や彫刻で埋め尽くされている。小さな物置のような部屋でさえ天井画が描かれている。回廊からの眺めもすばらしい。宮殿を出てシニョーリア広場へ入る。ヴェッキオ宮の前やその隣のランツィのロッジアには、ミケランジェロのダビデをはじめ数々の彫刻群が立つ。広場には観光用の馬車が停まっていた。シニョーリア広場からカルツァイウォーリ通りを通り、オルサンミケーレ教会の前を経て共和国広場に出てみる。まわりは堂々たる建物ばかりだ。ストロッツイ宮の横を通りスパーダ通りへ入る。今日の夕食はこの通りにあるマリオーネという家庭料理の店だ。昨日までの Crispi's の食事はもう一つだったので、きちんとした店できちんとした料理を食べようというわけだ。前菜はリボリータというパンと野菜のスープ。スープといっても水気はなく離乳食のパン粥みたいな感じだ。メインはフィレンツェ風Tボーンステーキ(ビステッカ・アッラ・フィオレンチーナ)と、牛肉とインゲンのトマトソース煮込み。久しぶりにしっかり肉を食べたという感じだ。その後、夜のヴェッキオ橋をしばらく散策してからデリ・オラフィに戻った。ホテルのロビーでみんなを待っていると、M井くんやF本くんら若者チームが戻ってきたが、ワインを2本ぶら下げている。聞いてみると、若者20人位でレストランに入ったら、そこのオーナーの奥さんがオペラ歌手で、アリアを披露してくれたのだという。そこでお返しに「赤とんぼ」と「島唄」を歌ったら、すばらしいと言ってワインをくれたらしい。

 デリ・オラフィのロビーで明日帰る第1班、そしてH田夫妻とお別れし、我々第2班はタクシーに分乗してホテルラファエロに戻った。


8月28日(月)

   
      ドゥオーモ                  洗礼堂の「天国の扉

 7時15分起床。ホテルラファエロはフィレンツェ郊外の四つ星ホテル。市の中心部から路線バスで15分くらいの所にある。部屋の設備はまあまあ。なぜか各部屋に電気蚊取器が置いてある。同室はF本君。朝食はバイキング形式で、パン・ハム・チーズ・ゆで卵・ジュース・焼きベーコン(これがからい!)・スクランブルエッグ・コーヒーだ。今日は終日フィレンツェで自由行動。第2班は20人だが、大きく三つのグループに分かれるようだ。まず学生を中心とした若者グループ、とにかくたくさん見て回ろうというS川さんやD井ちゃんらのグループ、そして私たち熟年(?)グループだ。メンバーは昨日と同じT住夫妻、masaokun 、K藤さん、杉山夫妻の計7名だ。

 9時半にホテルを出発。14番の路線バスでドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂)へ。まず内部を見学する。壮大なゴシック建築だ。内部は装飾が少なくすっきりしているが、クーポラのフレスコ画やステンドグラスが美しい。一度外へ出て別の入り口からクーポラの上に登ることにする。壁の間の狭くて急な階段を喘ぎ喘ぎ登る。しかし杉山先生はお元気だ。階段の数を数えながらどんどん登って行かれる。460段近く登ってようやくクーポラの頂上に出た。すばらしい眺めだ。フィレンツェの赤い屋根の町並みが360度展望できる。隣にはジョットの鐘楼が同じくらいの高さでそびえている。頂上の展望を楽しんでいると、みっちゃんの携帯に朝日新聞から取材の電話がかかってきた。アレッツォのコンクール結果についての取材だ。国際電話で結構長いこと話していたから、かなりの料金になったことだろう。(受け手側にも料金がかかるのだが。)登ったら降りなければ帰れない。またふうふう言いながら460段の階段を下りる。続いてサン・ロレンツォ教会へ。この教会は初期ルネサンス建築だが、メディチ家の費用により再建されたので、聖堂のあちこちにメディチ家の紋章が見られる。内部は両翼の明かり取り窓から日光が入り、大変明るい。ドナテッロの説教壇やF.リッピの「受胎告知」など見所も多い。みっちゃんがポルチーニ(イタリア料理によく使われるきのこ)を買いたいというので、みんなで中央市場に行くことにする。アリエント通りを市場に向かって歩いていくと、通りの両側は革製品や衣類、土産物等を売る露店が軒を連ねている。この露店を冷やかしながら中央市場へ。中央市場は1階が精肉やワイン・オリーブ油など、2階が野菜や果物の売り場だ。みっちゃんがキノコを買っている間に市場の中を見てまわった。いろいろなブロック肉に加えて、牛の胃や腸、豚の耳や豚足も売られている。珍しい物としてはウサギの肉も売られていた。野菜もたくさん売られていたが、こんなにたくさん野菜があるのに、レストランの料理に野菜の少ないのはどうしてだろう。買い物の済んだT住夫妻と合流してサン・ロレンツォ教会の近くまで戻り、レストランで昼食。メニューはシーフードリゾットと野菜サラダで軽くすませた。

 食事後ドゥオーモ近くまで戻り、サン・ジョバンニ洗礼堂へ。東入口の金色の「天国の扉」を見ながら反対側の入り口から中へはいると、ビザンチン風の天井の金のモザイクが本当に美しい。さてみっちゃんが土産を買いに「フルラ」に行きたいという。 masaokunも奥さんに土産を買うというので、みんなで行くことに。「お父さんだけ外国に行ってずるい」と娘や妻に言われないために、私も少し投資しておくことにする。(本当は私はみっちゃんに聞くまでフルラを知らなかった。)店はヴィーニャ・ヌオーヴォ通りにあり、女性物の革製品が中心だったが、日本人の従業員が一人いたので大いに助かった。買い物後ドゥオーモ前に戻り、リカーソリ通りを通ってアカデミヤ美術館に向かう。しかし残念ながら月曜日で休み。しかたがないので美術館の裏のサンティッシマ・アンヌンツィアータ広場に面する捨て子養育院美術館に入った。ここは昔身分を明かさずに子供を預けることができた施設で、ボティチェリの最初の作品が見られる。正面のアーチの上の幼子をデザインした青い彩色テラコッタ(メダイヨン)が美しい。最後に隣のサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を見学してから、サンマルコ広場まで歩き、路線バスを乗り継いでホテルに戻った。本当によく歩いた一日だった。(杉山ご夫妻を連れ回したみたいになってしまって申し訳なかった。)

 夕食はホテルのレストランでとる。メニューはポルチーニのパスタ・野菜スープ・野菜サラダ。杉山夫妻は最後までつきあってくださった。


8月29日(火)〜30日(月)

   
        さよならフィレンツェ                       機内食

 7時15分起床。F本君はとても眠そうだ。若者チームは最後の夜ということで昨夜遅くまで飲んで語り合っていたらしい。部屋に帰ってきたのは明け方近くだったようだ。朝食は昨日とまったく同じ。今日はいよいよ帰国の日だ。10時に荷物をまとめてロビーに集合する。K藤さんはこのままウィーンへ3週間ピアノの勉強に行くということで、ここでお別れだ。また、わざわざ日本から駆けつけて下さった杉山先生ご夫妻も、これからヴェネチアに向かわれる。3人との別れを惜しみながら貸し切りバスに乗り込み、フィレンツェ空港に向かった。

 空港で搭乗手続きを始めたが、2日前に帰国したT辺君とI賀ちゃんが搭乗手続きの際、荷物の重量オーバーで苦労した(1kgオーバー毎に35ユーロを請求されそうになった。)と聞いていたので、空港入り口の計量器(20セント入れると計れる。)で重さを量り、重い人は軽い人と組になって搭乗手続きをすることになった。私の荷物を計ってみると何と25.9kgもある。これではあまりに重すぎるので、荷物を手荷物に回して22.7kgに減らし、スーツケースの軽いN村君と組になって、何とか追徴なしに通してもらった。(Heavy! という札を付けられたが。)搭乗まで時間があるので、買い忘れていた土産物を買う。買い物を終えて待合室に行くと、I藤くんが外国人にパスポートを持って行かれたという。どうやら私服の警官がパスポートの提示を求めたらしい。私服警官はしばらくしてパスポートを返しに来た。

 13:05発のエールフランス5041便でパリに向かう。機内で昼食。メニューはハムとチーズのサンドイッチ、ブルーベリーペストリー、焼き鳥、コーヒーだ。15:00にパリ着。広いドゴール空港をトランジットのため移動する。途中でmasaokun がトイレに行ったが、その後なかなか戻ってこない。ゲート前でみんなで待つ。時間が迫ってきたので代表をロビーに残してゲートの中にはいると、ちゃっかり先に入っているではないか。(どうやら別の入り口から入ったらしい。)これで今年の10大ニュース・ランクイン間違いなし。(masaokunパリの空港で行方不明!)そして18:10発のエールフランス296便で名古屋へ。12時間のフライトだ。機内で夕食。和食か洋食かを聞かれたので、「和食」と答えると、チキンカレーが出された。(カレーって和食?)他にいなり寿司、サーモンのサラダ、コーヒーゼリー、チーズ。席は狭いが疲れているので、行きよりはよく眠れる。日付が変わって30日(水)、機内食(朝食)が出る。パン、アップルクレープ、パンケーキ、クリームチーズとクラッカー、アプリコットヨーグルト。

 13:10中部国際空港着。入国審査を経て9日ぶりに日本の地を踏む。空港の銀行でカテゴリーU決勝1位で授与された賞金1500ユーロ(1位賞金は3000ユーロなのだが、キューバとうちと二つ1位が出たので半分の1500ユーロ。しかも源泉徴収で税金分も差し引かれた。)を日本円に換金しようとするが、100ユーロ札が1枚どうしても機械を通らない。そのため100ユーロ分換金できずじまいだった。(まさか偽札ということはないだろうが……。)15:00発の高速船で津なぎさまちへ。40分ほどで予定通り到着。無事に解散となった。心配していた駐車場の私の車は、車上ねらいにやられることもなく無事であった。 

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