8月5日(日)

機内食 ヘルシンキ空港 コペンハーゲンのホテル
朝6時30分、家を車で出発。名神高速と阪神高速湾岸線を使って関空へ向かう。普段なら渋滞している阪神高速も、日曜の早朝なので順調に流れていた。8時半過ぎに関空に到着。9時にJTBの受付カウンターに集合。添乗員は元気な(まだお若い?)M浦さん。グループは全部で16人、新婚のカップルが1組と親娘のグループが1組あるが、あとは海外旅行を何回も経験している熟年夫婦ばかりで、我々がその中では最も若い夫婦である。 10時55分にフィンランド航空(AY78)でヘルシンキに出発。10時間半のフライトだ。北欧は遠いと思われがちだが、ヨーロッパへ行く場合は、(地球は丸いので)ロシア上空を経て、スカンジナビア半島を通って行くことになるので、ヨーロッパでは最も近いのが北欧なのだ。フィンランド航空の飛行機はエールフランスやアリタリアなどと違って設備の近代化が進んでおらず、各席に液晶画面やゲーム機能はついていない。機内の所々についているテレビで一斉に上映される映画を見るか、寝るしか時間を過ごす方法がない。テレビでは英語字幕の「武士の一分」と英語音声のみの「ファンタスティック4」を上映していた。機内食は2回。昼食は鳥のあんかけご飯、茶そば、パン、野菜サラダ、青リンゴゼリー、コーヒー。夕食はペンネのグラタン、パン、フルーツケーキ、ミネラルウォーター、コーヒー。エコノミーはせまくてなかなか寝られない。
予定より1時間近く早い20時16分(現地時刻14時16分)にヘルシンキ空港に到着。乗り継ぎ便は現地時刻19時出発予定だったが、この便がバンコクからの便の遅れのため、2時間遅れとのこと、7時間近くの時間がある。フィンランド航空からは遅れのお詫びとして一人6ユーロのクーポン券を2枚ずつもらった。免税店で買い物するか、飲み食いするかしか、時間のつぶしようがない。とにかく7時間は長かった。もうヘルシンキ空港の売店はどこでも案内できる。
結局、飛行機は予定より2時間40分遅れて21時40分にヘルシンキを離陸。安心したのもつかの間、飛行機のコンピュータの不調でヘルシンキに引き返すという機内アナウンスが。結局35分後にヘルシンキ空港に舞い戻ることとなった。別機に乗り換えて23時30分にヘルシンキを再出発。目的地のコペンハーゲン空港に着いたのは夜中の1時(現地時刻12時)だった。時差7時間を考えると今日(8/5)は31時間あったわけで、本当に長い一日だったことになる。夜中でポーターもいず、スーツケースを自分で押しながら空港近くのヒルトン・エアポートホテルに入ったのが現地時刻の12時40分。就寝したのは夜中の1時半頃だった。
8月6日(月)

フレデリクスボー城 アメリエンボー宮殿 ニューハウン地区
7時起床。昨夜遅かったのと、時差でなかなか寝つかれず、睡眠不足気味。ホテルはたいへん設備が整っている。朝食はビュッフェ形式で、おかずもたくさん種類がある。デンマークだけあってパン(デニッシュ)がとてもおいしい。ただ生野菜が少ない。
朝食後、8時半にホテルをバスで出発。午前中は北シェラン島の古城めぐりだ。まず最初にシェークスピアの「ハムレット」の舞台になったと言われるクロンボー城を見学。シェラン島北東岸にあり、対岸のスウェーデンは目の前だ。建物はデンマーク・ルネサンス様式で、海峡を通る船に通行税を課すために造られたという。中世のたたずまいをよく残しており、入り口の壁にシェークスピアのレリーフもある。「ハムレット」のモデルは本来アムレートと言い、頭のHはシェークスピアがつけた物らしい。続いて、コペンハーゲン北西のフレデリクスボー城を見学する。16世紀にクリスチャン4世が整備した城で、大火に遭い、ビールのカールスベア社長ヤコブセンの援助で再建されたのだという。内部は歴史博物館になっており、美しい部屋と絵画・調度品の数々だ。場内の礼拝堂のギャラリーには王室から勲章を授与された各国の名士の家紋のプレートがたくさん掲げられており、日本の皇室の菊の紋章も見られた。
バスでコペンハーゲン市内に移動し、「プク」というレストランで昼食。メニューはオニオンスープとスモーブロー(オープンサンドイッチ)で、パンの上に白身魚フライと小エビがたくさん乗っている。デザートはフルーツにクリームをかけた物だ。ビールを頼んだらカールスベアが出てきたが、一杯44デンマーククローネ(約1100円)とは高すぎる!
午後は市内観光。まずローゼンボー宮殿へ。オランダ・ルネサンス様式の建物の外観を見学した後、地下の王室宝物館へ。象牙や琥珀など数々の宝物や装飾品、刀剣類には目がくらむほど。特にクリスチャン4世・5世の戴冠式に使われた二つの王冠は本当にすばらしい。片方は頂上が開いており、もう一方は閉じているのも絶対君主を示唆しているようでおもしろい。続いてカステレット要塞岸の有名な人魚の像を見に行く。コペンハーゲンと言えばこの像だが、今まで何回も不心得者に首を切られたりいたずらされたりしているという。今日はちゃんと首はついていた。ついで、チャーチル公園内のゲフィオンの泉を見学。4頭の雄牛を御して大地を耕す女神の姿が力強い。続いてアメリエハウン公園を通ってアメリエンボー宮殿に向かう。フレデリクス教会と宮殿、公園と対岸のオペラハウスの配置が何とも美しい。宮殿はわりあい質素なたたずまいだが、実際に現女王が使用しておられるだけあって、門には衛兵が立っている。毎日正午には交代式があるらしい。最後にバスでニューハウン地区に移動する。運河に沿ってカラフルな木造家屋が並ぶ、よく絵葉書に使われる景観の場所だ。通りは観光客にあふれている。昔、アンデルセンもこの界隈に住んでいたらしい。これで駆け足のコペンハーゲン観光は終了だ。
コペンハーゲンの市内を観光してみて最もびっくりしたことは、自転車の多さだ。朝の通勤通学にも大勢の人が自転車を使っている。環境保全と渋滞対策のため、国も自転車を奨励しており、どこの道路にも自転車道が整備されている。気づかず自転車道上でぼんやりしていると、自転車に当てられそうになった。しかもみんなルールを守ってしっかりヘルメットをかぶっている。町中の所々のスタンドには無料のレンタル自転車も備えてあるという。
さて我々のバスはフィンランドへの移動のためコペンハーゲン空港へ向かう。コペンハーゲン発18時40分のフィンランド航空(YA688)でヘルシンキに向かうのだ。機内で持ち込みの幕内弁当(ご飯、しゃけ、ハンバーグ、卵焼き、ソーセージ等)をいただく。20時10分(現地時刻21時10分)ヘルシンキ・ヴァンター空港到着。バスでタリンからの船の入る港に面したラディソンSAS・シーサイドホテルに移動する。現地時刻10時にチェックイン。窓から港が見える、正にシーサイドホテルだ。11時半に就寝。今日も一日強行軍で疲れた。
8月7日(火)

ウスペンスキー寺院 シベリウス公園 シリア・ライン
7時30分起床。朝食はやはりビュッフェ形式で内容は昨日のホテルとよく似ている。9時30分にバスでヘルシンキ市内観光に出発する。まずエテラ港に面した海端のマーケット広場にあるオールドマーケットホール(屋内市場)を見に行く。1888年に造られた市場には水産物や肉類、総菜などがあふれている。珍しいところではザリガニやトナカイの肉なども売られている。外に出ると広場にはたくさんのテント(屋外市場)が立てられ、種々の野菜や果物、手作りの工芸品が所狭しと並べられている。いろいろなベリー類や黄色いカンタレリというきのこが珍しかった。買い物もそこそこに、バスでウスペンスキー寺院へ。1866年に建てられたロシア正教の赤煉瓦の立派な教会だ。内部の壁にはキリストと12使徒の美しいテンペラ画が掛けられている。教会のある高台からは、市庁舎の向こうにヘルシンキのシンボル、ヘルシンキ大聖堂の緑の丸屋根が見えていた。次はそのヘルシンキ大聖堂へバスで移動、内部を見学する。内部は白で統一された落ち着いた雰囲気で、プロテスタントの教会らしくルターの石像が建つ。聖堂の前は元老院広場と呼ばれる大きな広場になっており、まわりには市庁舎や大学が建ち並ぶ。
次の目的地シベリウス公園へ移動する途中にトイレ休憩のため、オリンピック競技場に寄る。この競技場は1952年にオリンピックが行われたところで、72mの展望塔を持つ。そしていよいよシベリウス公園へ。この公園の中心部には「フィンランディア」で有名なフィンランドの作曲家シベリウスを記念して、1967年にエイラ・ヒルトゥネンが制作したステンレスパイプのモニュメントと、シベリウスの肖像が置かれている。今年はシベリウス没後50年の節目の年にあたることを思うと、感慨深い。さて続いて我々は、国会議事堂やフィンランディアホールを車窓に見ながらバスでテンペリアウキオ教会へ移動。この教会は大きな岩の下をくりぬいて造った地下の教会で、南側の広いガラス窓から光が降り注ぎ、独特の雰囲気を醸し出している。音響効果も良いらしく、コンサートも開かれるということで、こんな所で一度歌ってみたいものだ。
これで市内観光は終了、北エスプラナーディ通り近くのレストランで昼食となる。メニューはラディッシュのスープ、ポークソテーのジャガイモ添え、焼きトマト、アイスクリーム。ビールは1杯5ユーロ(フィンランドの通貨はユーロ)と高い。食後は3時20分まで自由行動だ。私達はレストラン正面のストックマン・デパートで土産の買い物をし、その後北エスプラナーディ通りの店を見て歩いた。15時20分に元老院広場に再集合し、バスでシリア・ラインの発着場であるオリンピア・ターミナルに急ぐ。シリア・ラインとは、ヘルシンキとストックホルムとを58000tの豪華客船で結ぶ航路だ。ターミナルに着いてみると、我々の乗船するセレナーデ号は12階建てで大きなビルがすっぽり入ってしまうような大きさだ。我々の部屋は11階の海側の二人部屋で、シャワー・トイレもついている。17時にヘルシンキを出航。12階のデッキに上がって外の景色を眺めると、船は城壁や大砲の見える世界遺産のスオメンリンナ島要塞をかすめながら進んでいく。実は私は船が苦手なのだが、さすがに大きな船なので、大きな揺れはほとんどなく静かに船は進んでいく。しかし小刻みな揺れが時々あり、やはり何となく気持ちが悪い。
さて今日の夕食は6階のレストラン「マキシム」でディナーだ。ディナーなので一応ジャケットを羽織っていく。メニューは前菜がロブスター・手長エビ・ムール貝等、野菜スープ、メインがスズキのムニエルアスパラ添え、デザートはいちごとアイスクリーム、食後酒だ。おいしい夕食を海を見ながらゆっくりといただいた。21時からは7階のダンスホールでダンスパーティーがあるらしいが、少々疲れていたので、部屋に帰って休むことにする。しかし、船の微妙な揺れでなかなか寝付かれなかった。
8月8日(水)

ストックホルム市庁舎 旧市街の広場 ドロットニングホルム宮殿
7時30分起床。6階のレストランで朝食。内容はビュッフェ形式で昨日までと同じだが、生野菜が少し多いかな。朝食後、7階のメインストリートを歩いてみた。7階のフロアは船中とは思えないほど広く、通りの両側にカフェや土産物店が商店街のように立ち並んでいる。買い物をした後、今日からのスウェーデン観光に備え、両替所で日本円を少しスウェーデンクローネに換金した。1クローネ=19円ほど。
9時30分にストックホルム港に到着し下船。バスで市内観光に向かう。途中別便で運ばれていたスーツケースをピックアップし、まずメーラレン湖に面した市庁舎に向かう。ストックホルムは大小合わせて14の島からなる都市で、島と島はたくさんの橋で結ばれている。正に水の都だ。市庁舎はノーベル賞の授賞式とその後の晩餐会が行われる場所として有名で、1900年代のはじめに建てられたのだが、中世の城を思わせる美しい建物だ。中に入ると、ノーベル賞の晩餐会が開かれる「青の間」と呼ばれる大ホールが目に飛び込んでくる。青の間と言っても周りは赤煉瓦でちっとも青くないのだが。ここで田中さん・小柴さんも食事をされたはずだ。2階に上がると実際に今も使われている議場があり、天井はバイキング船の船底のような作りになっている。そして最も美しいのが、ノーベル賞晩餐会の後のダンスパーティーが行われる2階の金色の間だ。一面金箔のモザイクで豪華この上なし。島津の田中さんはダンスはしなかったらしいが。
次の見学地はガムラ・スタンと呼ばれる旧市街地区だ。バスで橋を渡ってリッダーホルメン島に入る。旧市街は石畳が今も残っており、細い通りの両側に店が軒を連ねている。しばらく歩くと大広場に出た。ヨーロッパの街は大概旧市街の中心に広場がある。周りはカフェが多いが、正面にはノーベル博物館が建つ。運の悪いことにこのあたりから雨が降り始めた。傘をさして細い路地を王宮へと向かう。王宮前広場で正午に行われる衛兵の交代式を見ようというのだ。しかし雨脚はだんだん強くなり、広場につく頃には土砂降り状態になっていた。雨でも交代式は行われ、女性の騎馬隊を先頭に、雨具も着けずに衛兵が入場してくる。吹奏楽隊もずぶ濡れだ。観客もびしょびしょになりながら沿道にカメラを構えて列を作っている。あまりずぶ濡れになったので、我々は見学を途中で切り上げてバスへ避難した。最悪の見学だ。ところがバスがリッダーホルメン島を出て、昼食会場に向かう頃には雨はすっかり上がっていた。
今日の昼食は中華料理、「チョップスティック」という名の店だ。洋食ばかりだったので、久しぶりの中華はありがたい。牛肉炒め、鶏のあんかけ、白菜炒め、卵スープなどが出て、白いご飯も出たが、このご飯が外米の長粒種で、パサパサでいただけない。ビール1杯は50クローネ(950円)だ。
午後はバスでセーデルマルム島の湖岸の高台にのぼり、フィアールガータンから市内を展望してから、郊外の世界遺産ドロットニングホルム宮殿に向かう。この宮殿には1982年より国王と家族が住んでおられるが、その一部が公開されているのだ。皇居ではこんなことは考えられず、スウェーデン王室がいかに開かれたものかがわかる。17世紀後半に建てられたバロック様式の建物で、内部の数々の部屋やそこに置かれた絵画・調度品のすばらしさには目を見張るばかりだ。内部を見学した後、広大な庭園を散策する。パリのベルサイユ宮殿の影響を受けたバロック式の庭園で、フランス映画のラストシーンに出てきそうな並木が美しい。
市内観光を終わり、バスで郊外のスカンディック・インフラシティ・ホテルに向かう。チェックインしたのが4時半で時間があったので、ホテル前のスーパーに買い物に行くことにする。商品を見て歩くと、とにかく物が高い。消費税が25%もかかっているせいだろうか。所得税も50%近くとられるといい、税金の高い国だ。しかし教育費も大学までゼロ、医療費もゼロ、社会保障は万全、年金も暮らすのに十分な額、国から夏休みの手当まで出ることを考えれば、余分な蓄えは必要ないことになり、むしろ暮らしやすいのかもしれない。選挙の投票率は常に80%くらいあり、国民の納得の上で「高福祉高負担」が維持されていると感じた。やはり日本は税金の使い方が間違っている。
さて今日の夕食は、7時に市庁舎の地下にあるレストラン「スタッグヒューズ・シェーラレン」で、2006年度ノーベル賞晩餐会と同じメニューのディナーをいただくことになっている。失礼の無いよう、ネクタイとジャケットを着用してレストランに入った。メニューは食前のシャンパン、前菜は帆立とサーモン・カリクスの魚卵、メインは子羊のハーブ焼き・野菜のオリーブ焼き、デザートがパイナップルパフェで、特別すごいというわけでもない。もっとすごいかと思っていたので、少し拍子抜けした。これらを何時間も掛けてゆっくり味わいながら、お互いに語り合うことに意味があるのだろう。我々には2時間が限度だが。おみやげにノーベル賞のメダルをかたどったチョコレートが付いていた。
バスでホテルに帰り、明日は出発が早いので、早めに就寝。
8月9日(木)

魚市場 ブリッゲン地区 グリーグの家
6時半起床。7時15分朝食。いつもと同じビュッフェ形式だ。今日は午前中に飛行機でノルウェーのベルゲンに移動する予定なので、8時15分にバスでアーランダー空港へ向かう。10時45分に15分遅れでストックホルムを出発した。搭乗した飛行機は席が指定されていない自由席で、しかも機内のドリンクサービスがすべて有料という飛行機だった。国際線でもこんな飛行機があるとは、びっくりだ。12時5分ベルゲン到着。バスで昼食会場の市内のホテルに向かう。ホテルに着いて昼食を待っていると、少し遅れて日本人の団体客が入ってきた。よく見るとストックホルムの飛行場で一緒だったJTB名古屋のグループだ。どうやら今日は我々とほとんど同じコースらしい。昼食は魚のスープ、白身魚のクリームかけ・じゃがいも添え、ベリーのケーキだ。ビールを頼むとベルゲン産のハンザビールが出てきた(42ノルウェークローネ=約930円)。
昼食後、世界遺産のブリッゲン地区へ向かう。この地区の建物は13〜16世紀にハンザ商人の家や事務所として建てられた物で、港に沿って三角屋根のカラフルな木造家屋が建ち並ぶ。まず港に面した広場で開かれている魚市場をのぞく。広場一杯にたくさんのテントが立てられ、魚貝類や野菜・果物、魚のサンドイッチ、狼やアザラシの皮、土産物などがあふれている。店を見ながら歩いていると、日本語の呼び声が聞こえてきた。ある店で日本人の若い女性が売り子をしているのだ。声につられて「たらこペースト」を購入した。
魚市場を歩いた後、その向かいにあるハンザ博物館を見学する。外装は改装中でシートがかかっていたが、内部はハンザ商人の当時の暮らしを忠実に再現しており、天井からぶら下がった干しダラや商人たちが使ったベットや日用品が、当時のハンザ同盟の繁栄を物語っており、とても興味深かった。続いて、ブリッゲン地区の路地を散策する。木造家屋は奥行きが深く、その間の路地を入っていくと迷路のように入り組んでいる。建物は何度も火災で焼けては再建されているので、木材を継ぎ足した跡や、よく見ると傾いている建物も多い。ブリッゲン地区の先には、石造りのローゼンクランツの塔とホーコン王の館が悠然とそびえているのが見える。
次はいよいよ妻が楽しみにしている「グリーグの家(トロルハウゲン)」の見学だ。今年はちょうど・エドワルド・グリーグ没後100年にあたる年で、日本でもいくつかの記念コンサートが開かれる。彼が22年間住んだ家はベルゲンの郊外にあり、フィヨルドの入り江に面している。まず隣のグリーグ博物館を見学。グリーグの一生がわかりやすく展示してあり、自筆譜もいくつか見ることができた。そして「グリーグの家」へ。ビクトリア風の白い瀟洒な建物で、窓からはフィヨルドが見える。入り江に降りていくと、途中に屋根に草の生えた小さなコンサートホールがあり、その下にグリーグが作曲をした小屋が残されている。また反対側へ降りていくと、岩肌の壁にグリーグ夫妻の墓がある。入り江を見渡す絶好のポイントだ。妻は充分満足したようだった。
これで本日の観光は終了し、バスで今日の宿舎、ベルゲン空港と隣接するクラリオン・エアポートホテルに向かう。5時にチェックイン。今年4月に開業したばかりの新しい近代的なホテルで、部屋の設備もモダンなデザインだ。しかし実際に使ってみると、洗面所などデザインのわりに使いにくい。しかもバスルームの一部がガラス張りとなっており、角度によっては外からバスルームの内部が見えてしまうのは考えものだ。夕食までに少し時間があったので、空港のATMまでお金をおろしに行く。夕食は6時半よりホテル1階のレストランで。メニューはきのこのスープ、ポークステーキ(かなりレア)・温野菜、オレンジケーキとシャーベットだ。ビールはオスロ産のリングネスで62クローネと高い。部屋に戻ると窓からは空港の明かりがきれいに見えていた。
8月10日(金)

フロム山岳鉄道 ネーロイフィヨルド スタルハイムの絶景
7時起床。8時朝食、今朝もビュッフェ形式だが、久しぶりに生野菜がたくさんあった。9時にバスでブリッゲン地区へ。きのう買物の時間があまり取れなかったので、10時まで買物タイムだ。いくつかの店を冷やかした後、ノルウェー製のセーターを買った。比較的安い物でも1400クローネ(約3万円)ととても高い。
さて今日はいよいよ北欧旅行のハイライト、フィヨルド観光だ。電車を乗り継いでフロムまで行き、そこから観光船でソグネフィヨルドの支流ネーロイフィヨルドを見学する予定だ。10時半にベルゲン駅を出発、オスロ行きの列車でミュルダールに向かう。途中はトンネルだらけだ。何でもオスロまでの間に200以上のトンネルがあるという。車内で持ち込んだお弁当(サンドイッチ、りんご、水)をいただく。列車は12時20分にミュルダール到着(海抜866m)。駅に降りると、眼下に谷川が流れ、谷が広がっている。乗り継ぎまで時間があるので、階段を下り谷川まで降りてみる。とても冷たい水だ。
13時20分、いよいよフロム山岳鉄道に乗車、列車で海抜2mのフロムまで下るのだ。車体は緑色で、窓にはJTB-OSAリザーブの張り紙がしてある。列車は川沿いにフロム渓谷を下っていく。窓からは渓谷の素晴らしい眺めだ。しかしトンネルに阻まれてなかなか写真が撮れない。そうしているうちに駅でもない所で列車が停止し、乗客がぞろぞろと降り始めた。我々も降りてみると眼前に大きな滝が開ける。ヒョースの滝だ。この滝を見るために停車したのだ。写真を撮っていると、どこからか女性の美しい歌声が聞こえてきた。この地には妖精が歌声で旅人を水に引き込むという伝説があるという。(演劇学校の学生がアルバイトでやっているらしい。)列車は再発車し、渓谷の絶景を縫いながら下っていく。1時間ほどで終点のフロム駅に到着。列車を降りると眼前には大きなフィヨルドが開けていた。フィヨルド(fjord)とはご承知の通り、氷河期に氷河によって削られてできたU字型の谷に海水が進入してできた入り江のことで、ノルウェー語では語尾のdは読まないのでフィーヨルと呼ばれる。これから観光船で見るアウラン・ネーロイフィヨルドは、世界一長く深いソグネフィヨルドの最奥部にあたる。15時にフロム港を出発、両岸のそそり立つ岩壁を見ながら2時間のクルーズだ。幸い早く乗船したので、景色の見やすいベストポジションに席を確保することができた。ベルゲン地方は雨が多く、フィヨルドがかすんで見えにくい日も多いらしいが、今日は快晴で暑いくらいだ。船はアウランフィヨルドから世界遺産のネーロイフィヨルドに入っていく。両岸の所々には滝(有名な日本画家、東山魁夷の絵のモデルになったという。)が流れ、フィヨルドの岸辺では草を食べる山羊も見られる。17時グドヴァンゲン着、回送されてきたバスに乗ってスタルハイムへ向かう。つづら折りの山道を登ってスタルハイム・ホテルに着くと、目の前に雄大な渓谷のパノラマが現れた。正に絶景だ。絵葉書によく使われるのもうなずける。しばしの休憩後、今日の宿泊場所ウルヴィクへ向かう。途中、幾重にも別れた滝(北海道のオシンコシンの滝に似ている)を見学した後、19時にハダンゲルフィヨルドに面したリカ・ブラカネスホテルに到着。
このホテルはあまり大きくはないが、ホテルの庭がハダンゲルフィヨルドに面しており、その庭や部屋のベランダから雄大なフィヨルドの景色が堪能できる。夕食はホテルのレストランでビュッフェ形式。サーモンやタラ、ハンバーグ、チキンの煮込み、じゃがいも、生野菜、パン、コーヒー、ブルベリーのケーキ、アイスクリームなど。ビールはリングネスで48クローネ。しかしまだ食事中だというのに、中年のウェートレスが食器をかたずけたり、ビールの代金を取りに来たりと、せわしないことこの上なし。もっと静かに食べさせてほしいものだ。
明朝の出発は早いので、あまり夜更かしせず就寝。
8月11日(土)

トルプのスターヴ教会 オスロ国立美術館 フログネル公園
6時起床。6時45分朝食、ビュッフェ形式。バスで7時半にホテルを出発、近くのフェリーの港に向かう。そこからフェリーでハダンゲルフィヨルドを横切り対岸に渡る。そして車窓からハダンゲルフィヨルドの美しい景観を楽しみながら、バスでひたすらオスロを目指した。しばらくフィヨルドに沿って走り、フィヨルドが見えなくなると、今度は広大なカルスト地形と思われる地帯を通り抜けていく。途中ヴェーリング滝で小休止。中国人の団体が崖っぷちでかなり危ない体勢で写真を撮っていた。バスはハダンゲル国立公園を通りぬけトルプの街へ。ここにはバイキング時代に建てられた木造の教会(スターヴ教会という)のひとつが残っている。トイレ休憩をかねて見学。素朴な建物だが、龍の鱗を思わせる柱の模様が独特だ。オスロはまだまだ遠い。
途中レストランで昼食。メニューは、パインとハムの前菜、じゃがいもとビーフのシチュー(肉じゃがみたい)、フルーツポンチ。ビールはAanes で52クローネ。
長いバスの旅を経て、15時半頃ようやくオスロ市内に入る。オスロはフィヨルドの奥に開けた都市で、緑の多い静かな港町だ。まず王宮近くの国立美術館へ向かう。ムンクの「叫び」があることで有名だ。現地ガイドはムンクの作品を集めた部屋と地元ノルウェーの風景を描いた作品を丁寧に案内説明し、他の作品は案内も説明もなし。ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マネ、モネ、モディリアーニ、ピカソなど、素晴らしい作品がたくさんあるのに・・・。これだけの作品が無料で見られるとは素晴らしい。次にカール・ヨハン通り、アーケシュフース要塞、ノーベル平和賞の授賞式で有名なオスロ市庁舎を車窓から見ながら、フログネル公園(ヴィーゲラン公園)に向かう。この公園は広い敷地内にグスタヴ・ヴィーゲランという彫刻家の人物彫刻だけが無数に置かれているのだ。その作品数193体、刻まれた人間の数は650人以上という。特に公園の中心にあるモノリッテンと呼ばれる17mの塔には男女121体もの人間が刻まれている。彼の作品は赤ん坊から老人までが順番に並べられ、人間の一生や生命の輪廻を表しているようだ。人造湖にかかる橋の欄干の人気者「怒りん坊」はたくさんの人に触れられてツヤツヤ輝いていた。もっといろいろな所を見たいのだが、時間切れでオスロ観光はこれで終了だ。せっかくオスロに来たのにこれだけでは本当にもったいない。せめてもう半日くらいオスロ観光の時間がほしい。
18時半に郊外のラディソンSAS・ビジネスパークホテルに到着。近代的な新しいホテルだ。夕食までの間に隣のビルの地下スーパーに買い物に行く。ノルウェーも物価は高い。19時半にホテルのレストランで夕食。メニューは、鮭のクリームスープ、チキンのグリル(付け合わせにライス)、ケーキ、コーヒー。ビールはリングネスで54クローネだ。
今日はほとんどがバスによる移動で、疲れたわりに見た箇所が少なかった。この旅行全体を通して移動が多く、1日1ケ国といった日程が多かったので、体力的にはかなりきつい旅行となった。国の数は減ってもいいので、もっと連泊を取り入れてゆったりと回るコースでも良かったのではないかと思う。長いと思っていた旅行も、明日はもう帰国日だ。
8月12日(日)〜13日(月)

オスロ空港 さようならオスロ 機内食
7時起床、8時朝食、ビュッフェ形式で変わらず。荷物を整理して10時半にバスでホテルを出発、オスロ空港に向かう。11時10分空港着。手続きをしチェックを受けた後、買い忘れていたお土産の買い物をする。往路で飛行機トラブルがあったので、帰りはどうかと心配したが、予定通り13時15分にヘルシンキ行きのAY656便で飛び立つことができた。機内で昼食が出る。メニューはサンドイッチとミネラルウォーター、チョコレート、コーヒー。14時50分(現地時刻15時50分)にヘルシンキ到着。乗り継ぎ便AY77便は20分遅れで18時(日本時間夜中の0時)にヘルシンキを離陸した。機内は行きと同じくゲームも液晶テレビもなし。1時間ぐらいして夕食が出る。メニューはチキンと野菜のパスタ、そば、野菜サラダ、パン、ミネラルウォーター、ケーキ、コーヒー。日本時間ではもう真夜中なので、ひたすら寝ようと努力するが、なかなか寝られない。うとうととしているともう外が明るくなってきた。日本時間7時頃、朝食。メニューはソーセージ、ホットケーキ、野菜入りオムレツ、ヨーグルト、ジュース、パン、コーヒー。
飛行機は予定より15分遅れて9時に関西空港に到着。往路より短い9時間のフライトだった。
さて今回の旅行は全体として天候に恵まれていたと思う。ほとんど雨に遭わず晴れの日が多かった(ストックホルムの衛兵交代式の時だけは別!)。現地ガイドの人に聞くと、今年の夏は例年になく暑いという。しかし暑いといっても27〜28℃で30℃を超えることはなく、湿気も少ないので本当に過ごしやすい。帰国して関空に降り立った時のあのムッとした感覚とは全然違う。帰国後日本は酷暑で、体が慣れるのに相当苦労した。
今回の旅行でもう一つ感じたことは、北欧の英語教育の充実度である。どんな小さな店やレストランに行っても英語が通じるし、毎日変わるバスの運転手もすべて英語がしゃべれるのだ。イタリアやスペインでは、店やレストランで英語が通じないことが多かったし、タクシーの運転手で英語の話せる人には一人も出会わなかった。大きな違いだ。
最後に、長いようで短い旅行だったが、添乗員のM浦さんの細かい心遣いで、ハードだが楽しい旅行となった。改めてお礼を言いたいと思う。
海外旅行Topへ戻る
|