第20回ヨーロッパ・グランプリ受賞合唱団音楽祭(Festival des Chœurs Lauréats

        2012.7.22~8.3   周辺地図リンク

7月22日(日)


     ルフトハンザの機内食           フランクフルト空港のLH1088便      マルセイユ・プロヴァンス空港

 5:00に家を車で出発、1時間ほどで津なぎさ港第2駐車場に到着。送迎バスで6:15になぎさ港に着く。まだ誰も来ていない。集合時刻の6:40過ぎになってようやく人が集まりはじめる。なぎさ港から出発するのはmasaokunを含めて全部で10人、出港10分前になって何とか全員集合し高速船に乗車、予定通り7:00になぎさ港を出港。7:40に中部国際空港に到着、空港に直接集合する組と合流して20人となる。今回は残念ながら仕事で行けないY地くんがわざわざ空港に見送りに来てくれていた。彼の分も頑張って歌って来なければと思う。搭乗手続き後masaokunらと軽い朝食を取る。16A搭乗口から10:30にルフトハンザLH737便で予定通り出発。

 11:30機内で軽食(クラッカー、飲物)、フランクフルトまで約12時間のフライトなのでとにかく暇である。座席備え付けの液晶テレビで映画「ジョン・カーター」「タイタンの逆襲」「ハンガー・ゲーム」などを見て過ごす。12:20昼食(レタス鶏肉のマリネ、細巻き寿司、豚肉のブレゼ、ポテト、パン、チョコケーキ、飲物)、17:00軽食(おにぎり、お茶)、20:00夕食(ペンネパスタ、パン、くだもの、飲物)。

 22:15(現地時刻15:15)フランクフルト空港到着。先に着いていた関空出発組8名・成田出発組2名と合流して30名となる。A10ゲートからバスで移動し、LH1088便で現地時刻16:50にフランクフルトを出発。機内で1回軽食(ウインナー、ピクルス、ポテト、クラッカー、飲物)を取った後、18:15にマルセイユ・プロヴァンス空港に到着した。パリのド・ゴール空港などに比べればこぢんまりとした空港だ。空港ロビーで前日出発組のT住夫妻ら8人と合流し、ようやく総勢38名(内訳は指揮者1、歌い手36、同伴家族1)が全員集合となった。同じくロビーでこれから9日間フランス語通訳としてお世話になるM木さんにお会いする。彼女は一橋大学を出られた後パリ第1・第8大学で美術史学の修士号を取られ、博士号論文を書きながら通訳として活躍しておられる方だ。肩書きからまじめそうな硬い方を想像していたが、現れた女性がドレットヘアの気さくな方だったので少し驚いた。(彼女には9日間たいへんお世話になることになる。)

 チャーターバスで19:00に空港を出発、高速道路で北に向かう。外はまだ明るい。まわりはどんどん田舎になっていく。2時間ほど走って周りが暗くなってきた頃、目的地のヴェゾン・ラ・ロメーヌの我々の宿舎エスカパド・センターに到着した。町の中心部からは離れており周りに人家はない。とりあえずスーツケースをロビーに置いて食堂で用意していただいた夕食をいただく。メニューは野菜と肉のサラダ、挽肉と豆のトマトソース煮、パラパラしたライス、ガトーショコラ、そしてさすがフランスだけあって赤ワインとロゼワインが用意されていた。食事後、明日の連絡と部屋割りをし、22:00に各自荷物を持って部屋へ。私は12号室で、わざわざ建物の裏口に回って中に入り3階まで上がらなければならない。同室はテノールのH崎君、バスのK君だ。部屋は質素な合宿所のような感じで、バスタブは無くシャワーのみだが、バルセロナの時と違ってちゃんとお湯は出るようだ。エアコンは無いが夜は寒いくらいで、窓を開けては寝られない。1日31時間の長い長い1日だった。11:30就寝。

7月23日(月)

   
    宿舎のエスカパド・センター       モンテリマル市庁舎          クロス教会でのコンサート

 6:30に起床。時差ぼけであまり寝られなかったが、朝は寒いくらいだ。8:30から食堂で朝食を取る。ビュッフェ形式でパンはもちろんフランスパン、ジュース、コーンフレーク各種、ヨーグルト、果物(プラム、キウイ)、コーヒーなどで野菜は無し。朝食を取っていると、宿舎の本館ではなく本館から歩いて8分ほどのバンガローに部屋割りされた夫婦メンバーから部屋のクレームが寄せられた。バンガローは6人(夫婦1組、男性4人)が割り当てられたのだが、バンガロー内が2人ずつの小さい部屋に別れており、壁が薄く音が丸聞こえでトイレも一つしかないという。食事後実際に見に行くと確かに女性にとっては不適切な部屋割りと判断し、M木さんを通して部屋割りの再考をお願いする。

 さて今回の南フランス・コンサートツアーは、毎年南フランスのヴェゾン・ラ・ロメーヌを中心としたプロヴァンス地方で開催される「ヨーロッパ・グランプリ受賞合唱団音楽祭(Festival des Chœurs Lauréats)」に招待されたもので、2010年の我々《EST》のヨーロッパ・グランプリ・コンクール出場を評価していただいた訳だ。今日からいよいよ音楽祭のコンサートが始まる。我々は合計4回の単独コンサートをプロヴァンスの各地で予定しているが、今夜がその1回目で、今日のコンサートが今回のツアー成功の鍵を握っていると思う。そういう意味でとても大切なコンサートとなるだろう。

 9:00からパートリーダーの部屋でパート練習の後、9:30から本館1階の音楽室で全体練習。パレストリーナのEgo sum panis vivusから前半の曲を中心にポイントをしぼって練習する。時間の関係で通し練習はできない。さて私事だが、実は渡仏前から風邪をひいており、それが治りきらないまま今回のツアーに参加していた。この練習の間は何とか声が出ていたのだが、練習が進むにつれて声の調子が悪くなっていくのがわかった。これからのコンサートがきちんとこなせるか不安が増してきた。

 12:30から本館の食堂で昼食。ビュッフェ形式で朝と違いたくさんの総菜が用意されており野菜も多い。他にパン、チーズ、肉・ハム類、果物、飲物(ワインも用意されているが、本番があるので誰も飲まない)。食事後13:30から主催責任者のバランドラスさんに挨拶、我々の出演料のうち前渡し分1000ユーロをいただく。

 14:00にチャーターバスで今日のコンサート地モンテリマルへ向かう。今日の現地世話係はミシェルさん。モンテリマルはヴェゾンから北西へ2時間ほど行った人口3,5000人の中規模の都市だが、途中は一面のブドウ畑とラベンダー畑だ。16:00にモンテリマルのクロス教会に到着、なかなかりっぱな教会だ。お菓子のヌガーで有名な町らしく、街中にはヌガーを売る店がたくさん見られた。到着後すぐにリハーサルを始める。まずEgoをいろいろな位置で歌い響きを確かめる。教会だけあって確かに良く響く。時間が限られているので練習でできなかった後半の曲を中心にポイントをしぼって練習する。この頃になると私の声の調子はどんどん悪くなり、ついに裏声が全く出ない状態になった。

 18:00前にリハーサルを終了し、歩いてモンテリマルの市庁舎へ向かう。市長主催の歓迎レセプションが開催されるのだ。行ってみると市長不在で副市長があいさつに立たれた。地元の混声合唱団の歓迎演奏もあり、その後モンテリマル名物のヌガーを山ほどいただき、飲物を飲みながらの交流となった。副市長にはヌガーのお返しに日本の凧のレプリカを贈った。その後歩いて夕食会場へ向かう。「金龍」という中華料理らしき店だが、出てきたのはベトナム料理だという。海老の春巻きとアスパラの中華風スープ、八宝菜、海鮮カレー、飲物。カレーが異様に辛く、米はインディカ米だ。

 19:45歩いて教会に戻り更衣。女性は聖堂入り口横の部屋が更衣室だが、男性は聖堂階上の側廊が更衣場所だ。しかもトイレは女子更衣室内の1ヶ所だけときている。そして20:30いよいよコンサートの開始だ。お客さんはほぼ満席(400人くらいか)、主催者挨拶の後、最初に地元の合唱団(レセプションで歌ったあの合唱団)がプーランクの宗教曲らしき曲を何曲か演奏し、その後いよいよ《EST》の出番だ。まず少人数アンサンブルがBonjour mon cœurを演奏、続いてmasaokunが怪しいフランス語で挨拶し、後はM木さんの司会でコンサートが進行していった。前半は宗教曲、Ego sum panis vivus(パレストリーナ)、ラシーヌ讃歌(フォーレ)、Dies irae(ルカーシュ)、Ecce tu pulchra es(ミシュキニス)、Sicut lilium inter spinas(ミシュキニス)、Psalm117(ヴォイダ)、Ave maris stella(クヴェルノ)、Friede auf Erden(シェーンベルグ)。ここで休憩時間を取り、女性は浴衣、男性は法被に着替える。後半はまず少人数のSur le pont d'Avignon、全員でCome away(オルバーン)、さくら(松下耕)、作曲者Y下先生のピアノ伴奏で「私たちは一人ではない」、原体剣舞連(鈴木輝昭)、少人数で「上を向いて歩こう」(多胡淳 編)、全員で田植歌(松下耕)、湯かむり唄(松下耕)と演奏していった。会場の満場の拍手をいただいてアンコールに「ルパン三世のテーマ」(信長貴富)、そして最後は団員が客席に入って「ふるさと」(信長貴富)を演奏し、スタンディングオベイションの中、無事終了した。団員の中には感激で涙を流す者もいた。演奏のできは全体的にはまあまあであったと思うが、自分の声の調子は最悪で、中音域以上は全く出ず口パク状態で、中音域以下もフォルテでしか出ず声も荒れていた。演奏終了後masaokunは音楽関係者に声をかけられ、パリでの演奏を依頼されたという。CDも12枚ほど売れた。

 教会の外で飲物のサービスを受けた後、23:30にチャーターバスでモンテリマルを出発し帰途に着く。宿舎に着いたのは日付の変わった午前1:00頃であった。空は降るような星空で、日本では見ることのない天の川がくっきり見えていた。2:00就寝。

7月24日(火)


    にぎわう火曜市         市庁舎でエストニアの合唱団と交流    マケヴィル教会でのコンサート

 7:00起床、昨夜は遅くてシャワーをする時間が取れなかったので、まず朝シャワー。昨夜からバスのT田くんが加わり部屋の住人が一人増えている。(バンガロー組が移動してきたから。)7:45朝食。内容は前日と同じだが、コーンフレークの種類が増えている。 今日はヴェゾンからは最も遠いラマストルでコンサートがある。昨日の本番の反省を踏まえてしっかり練習に臨みたいところだが、ラマストルへの移動に時間がかかることと、11:00からヴェゾン市庁舎で市長を迎えての歓迎レセプションが入っているため、十分な練習時間が取れそうもない。9:00から部屋でパート練習をし、9:30から本館3階の練習室で全体練習。昨日課題の残った「地上の平和」を中心に1時間ほど練習し、10:30に歩いて市庁舎に向かった。

 今日の現地案内者はマドレーヌさん、彼女の先導で市街地をめざす。我々の宿舎は町の中心から外れた郊外にあり、市庁舎がある市街地までは普段なら歩いて20分ほどの距離である。しかし今日は市庁舎に至る道が人波でごった返している。伝統の「火曜市」の日だからだ。沿道は両側にぎっしりと露店が立ち、土産物や衣類・食品などを売っている。おかげで市庁舎にたどり着くのに倍ほどの時間がかかってしまった。市庁舎では我々と一緒に招待されているエストニアの合唱団「コレギウム・ムジカーレ」とも対面することができた。市長のあいさつの後、両団が1曲ずつ披露することになり、我々は「さくら」を演奏した。コレギウム・ムジカーレは自国の民謡を披露したが、さすがに洗練された演奏だ。その後ピザと飲物をとりながら歓談した。

 12:00に歩いて宿舎へ戻る。12:30昼食。内容は昨日と同じだが、今日は串に刺した白身魚が増えている。食事後13:00より練習室で全体練習、Ecce、Sicut、Psalmを中心にさらう。14:00チャーターバスでラマストルに出発。

 ラマストルは昨日のモンテリマルから高速道路でさらにヴァランスまで北上し、そこから西へ入った山間の町だが、バスで片道3時間はかかる。しかもヴァランスから先は曲がりくねった山道の連続なので、バスに酔う人が続出した。(私はちゃんと事前に酔い止めを飲んでおいた。)17:00過ぎラマストル着。こじんまりとした山村で、会場のマケヴィル教会も昨日の教会よりは一回り小さい感じ。17:30から教会でリハーサル。響きを確かめ立ち位置を決めてから、ポイントを絞った練習。私の声の調子はというと、裏声・実声を含めてほとんど出ない最悪の状態。本番はほとんど口パクとなるだろう。

 19:00から教会近くのホールで夕食。パン・ジュース・パスタサラダ・ハム数種・チーズ・果物など。食事後着替えて待機。21:00より本番。今日は地元の合唱団の演奏などは無くすぐにBonjourから始まる。観客は200名ほどだろうか。昨日よりも少しおとなしめの客層である。私は残念ながらほとんど口パク状態でテノールの仲間にたいへん迷惑をかけた。全曲を終え、鳴りやまぬ拍手に答えてアンコールを2曲(ルパン・ふるさと)、それでも鳴りやまぬ観衆に答えて湯かむり唄をもう一度歌い、拍手の中会場を後にした。着替え後、夕食会場で地元主催者とワイン・ジュースを飲みながら歓談、「今まで聴いたコンサートの中で最も充実したコンサート」とのお言葉をいただいた。CDも12枚売れたという。

 23:40バスでラマストルを出発、帰途に着く。ヴェゾンの宿舎に着いたのは日付の変わった25日の2:30、シャワーも浴びずそのまま3:00就寝。

7月25日(水)


    ヴァランス大聖堂               ヴァランスの夜

 7:30起床、昨夜も遅くシャワーができなかったので朝シャワー。同室のKくんは服のまま寝てしまったらしい。8:30朝食、内容はいつもと同じ。

 10:00部屋でパート練習の後、10:45より3階練習室で全体練習。前半からDies irae、Ecce、Psalm、Ave maris、地上の平和、後半から田植歌、湯かむり唄を練習し、最後にラシーヌ讃歌の発音を確認する。私自身はほとんど声のでない状態が続いているので、できるだけ早く回復するよう、練習も見学して声を休めるようにしていた。12:30昼食。内容は昨日と同じだが、ブロッコリーとチキンが追加されている。

 14:00チャーターバスで今日のコンサート地ヴァランスへ向かう。ヴァランスは昨日ラマストルへ向かう途中に通った町で、ドローム県の県庁所在地である。今までコンサートをした町の中では最も大きい都市だ。途中のトイレ休憩の際、運転手のオリビエさんが家で栽培されたアプリコットをふるまってくれた。これが本当においしい。高速を通って1時間半ほどでヴァランス中心部に到着。しかし大都市なのでコンサート会場であるカテドラル(大聖堂)まではバスで近づけず、歩いて会場へ。大聖堂だけあって昨日までの教会よりかなり大きく響き方も複雑である。16:30からリハーサル。Egoで響きを確かめ、前半の曲を少しずつ取り出して練習。18:10に終了し、更衣する場所が聖堂内に無いので、近くの市民センターに移動し更衣。(元々更衣室は用意されていなかったのだが、M木さんが交渉して確保してくださった。)今日のコンサートは入場無料なので、聖堂の入り口ではお客が列をつくって待っている。ステージの横にも観客が入るらしい。

 18:30コンサート開始。曲目は前日と同じ。前半はちょっと様子を見に入った観光客の出入りもあり少しバタバタしたが、後半はそれも無く集中して聴いてくれた。私は声の調子が最悪でほとんど口パク状態。観客数は500人くらいか。全体としては声に少し疲れの見える演奏だったが、最後は全員のスタンディング・オベイションに送られ会場を後にした。

 聖堂の外で記念撮影の後、市民センターに戻り更衣。21:00から市民センター内で夕食。主催者が用意して下さったすべて地元オーガニック素材の手作りメニューである。ピザ・オムレツ・各種カナッペ・果物・デザート(プリン・ケーキ各種)ジュース・ワインなどでお腹を満たし、歩いて通りまで出てバスを待つ。22:30ようやくバスが来てヴェゾンへの帰途に着く。24:30宿舎着。シャワーを浴びて1:30就寝。


7月26日(木)


 マスタークラスのエルダイ先生      古代ローマの遺跡     ロマネスク様式のヴェゾン大聖堂内部

 7:15起床。7:45朝食。内容はいつもと同じ。今日は今回のツアーで初めて自分達のコンサートのない日だ。そのかわり今日から我々がモデル合唱団を務める「指揮法マスタークラス」の講習会が始まる。9:00から部屋でパート練習、10:00から練習室で男声合同でAve malisの男声合唱部分とリストのAve Mariaの練習、そして11:30からリストの全体練習を行った。(リストのAve Mariaは講習曲なのだが、時間が無くて渡仏前に全く取り組めていなかった曲だ。)

 12:30昼食。内容は昨日までと同じだが、私とmasaokunはM木さんと一緒に別室で昼食を食べながら講師のピーター・エルダイ教授と打ち合わせをする。エルダイ教授はハンガリーのリスト音楽アカデミーの教授でデブレツェン・コダーイ合唱団など数々の合唱団を指揮している世界的に有名な合唱指揮者だ。今日は受講する若手指揮者8名が一人8分ずつ指定された曲をエルダイ教授の前で指導し、そのうち6名が選ばれるテストを行うという。講座は通訳を入れずに全て英語で行われるとのことだ。

 14:00から3階の練習室で全体の声出しとCome awayの原調での練習を行った。(我々はCome awayを1音上げて練習していたが、「現代作品は移調してはいけない」というエルダイ教授の指摘による。)14:30よりマスタークラス講習会の開始。最初バランドラス氏とエルダイ教授のあいさつがあり、いよいよ8名の受講者が順番に1曲ずつ8分間我々《EST》を指導していく。8名はフランスをはじめ6ヶ国から集まっているとのことだが、指導は全員が英語で行っていた。しかし指導される我々の側の英語力は心許なく、音楽用語や簡単な文章はわかるが、少し長くしゃべられるとほとんどの者がわからない。その都度英語に堪能な○○アンやHくんに訳してもらって何とかついていっている感じだ。16:00に8人のテストは終了、結果は明日発表されるらしい。

 今日はコンサートがないので、初めて夕食までフリータイムとなる。私はH崎くん、Mくん、Y村くん、T田くんとヴェゾンの市街地へ観光と買物に行くことにする。ヴェゾンは古代ローマの遺跡がたくさん残る町で、「フランスのポンペイ」と呼ばれているらしい。そのローマ遺跡が前に行った市庁舎の近くにあるというので、5人で歩いて出かけた。遺跡に入る前にまずカフェでビールを一杯、それからいよいよ遺跡へ。ローマ遺跡はドゴール通りをはさんで右手のピュイマン地区と左手のヴィラス地区に別れており、両地区と大聖堂の回廊に展示されている遺物の見学とを合わせて8ユーロだ。まずピュイマン地区を見学する。ポンペイウスの柱廊やオランジュほど完全ではないが壮大な野外劇場の跡は古代ローマの生活を彷彿とさせる。この野外劇場は今もイベントに使われるらしい。続いてヴィラス地区に向かう。この地区はピュイマン地区と比べて規模の大きい建物跡が残っており、共同浴場跡や貴族の大邸宅跡が続いている。素晴らしいのだが、何せ遺跡なので屋根が全くなく暑いことこの上なし。適当なところで切り上げてドゴール通りへ戻り、買い物をしながら歩いて宿舎へ戻った。

 19:00夕食。今日は食堂ではなくテラスに夕食が用意されている。日差しを遮るため大型のパラソルが広げられているが、端の方の席は日が当たったままだ。メニューはチーズパイ・マトンのカレー風煮・麦のリゾット・デザート・ワイン・コーヒーだ。

 さて今夜は我々のコンサートは無いが、エストニアの「コレギウム・ムジカーレ」のコンサートがヴェゾン大聖堂で行われる予定なので、明日の我々のコンサート会場下見も兼ねてみんなで聴きに行くことになっている。20:00に歩いて宿舎を出発、ウヴェズ川沿いに20分ほど歩くとヴェゾン大聖堂(旧ノートルダム・ド・ナザレット大聖堂)に到着。ロマネスク様式の立派な聖堂だ。プロヴァンス地方でこれだけロマネスク様式が改修されずにきちんと残っている教会はめずらしいという。聖堂の中程に席を取る。21:00から演奏会が始まった。演奏曲はビクトリアのO magnum mysteriumから始まってバッハのモテット、シュッツ、ブルックナーと、軽々とこなしていく。鳥肌が立つほどの実力だ。「これはものが違う」という感じ。一人一人がソロを歌えるほどの実力を持ちながら、決して力まずきちんとハーモニーを整えて鳴らしてくる。こんな実力の合唱団がエストニアにはごろごろいるのだろうか。アルボ・ペルトの難曲も軽々とこなしていた。(さすがにメシアンの難曲「五つのル・シャン」では途中で男声の数人が音叉で音を取りながら歌っていたが。)これだけの実力があるのなら、もう少し聴衆受けする曲を入れればもっとコンサートがおもしろくなるのに、と少し思ったが。もちろん演奏後彼らのCDを購入したのは言うまでもない。

 コンサートの興奮が冷めやらないまま、23:30歩いて宿舎へ戻る。シャワーの後24:30就寝。


7月27日(金)


交歓会で歌うコレギウム・ムジカーレ    交歓会で歌うソングメン       カテドラルでのコンサート

 7:00起床、8:00朝食。内容はいつもと同じ。朝食にM木さんの顔が見えないので他の団員に聞いてみると、昨夜たいへんな事件があったのだという。明け方の4時頃アルトのN崎さんがベットから落ちて頭から出血し、救急車で病院に運ばれたのだという。幸い2針ほど縫っただけで大事には至らず、本人もすでに宿舎に戻っているが、救急車の手配や保険の手続きなど全てM木さんがしてくれたというのだ。本当にM木さんにはお世話になるばかりだ。

 今日は我々の最後のコンサートがヴェゾン大聖堂で開催される予定だ。このコンサートは公式CDを制作するため録音もされるという。いい演奏をしたいものだ。エルダイ先生も今夜のコンサートを配慮して、のどに負担の来るDies iraeやPsalm117は今日の講習曲から外して下さった。ありがたいことだ。

 9:00から3階練習室で全員で声出しをし、9:30から2日目の講習が始まった。まず昨日のテストに間に合わなかった2人の新しい受講生の8分間テストが行われた。フランスとスロヴェニアの受講生だ。その後前日の受講生のうち4名が順番にリストのAve Mariaの初見指導、Sicut lilium、Ecce tu plchra es、Come away、Ave maris stellaを指導していく。相変わらず団員の英語理解は不十分である。エルダイ教授はその都度受講生の指導を止め、的確な助言を与えていく。講習慣れしている感じだ。11:20に講習は終了。
今日は昼食前に宿舎の中庭で今回の音楽祭に参加した3団体の交歓会が行われる。参加団体は我々《EST》、昨日聴いたコレギウム・ムジカーレ、そしてイギリスの男声6人グループ「ソングメン」だ。バランドラス氏・エルダイ先生のあいさつの後、各団が1曲ずつ披露することとなり、コレギウム・ムジカーレはエストニアの民謡を、《EST》はふるさとを、ソングメンはビートルズの「カム・トゥゲザー」をしゃれたアレンジで歌った。その後飲物を取りながら3団体が和やかに歓談。

 12:30から昼食。内容は昨日と同じ。コンサート前には90分間の現地リハーサルが保障されているはずだが、今日は会場となる大聖堂で結婚式が行われるということで、大聖堂が17:00からしか使えない。しかもリハーサルの後、日本総領事を迎えてのレセプションが開催されるということで、大聖堂を17:50には出なければならない。練習時間を確保するため聖堂近くの小学校をM木さんの尽力で確保してもらった。14:30バスで宿舎を出発、小学校へ。15:00~17:00小学校で練習し歩いてカテドラルへ向かう。しかしカテドラルでは結婚式の後始末でなかなか中に入れない。何とか中に入れてもらい17:00過ぎからリハーサルを始める。Ego、Sicut、Ecce、Psalm、原調のCome awayと練習を進め、ラシーヌ讃歌は今までの電子ピアノと違って聖堂備え付けのパイプオルガン伴奏で行った。重厚な響きが聖堂を満たす。自分の声の調子はといえば、昨日よりは少しましになったが、まだほとんどでない状態が続いている。(朝宿舎でHくん推奨のオリーブ油を飲んだのだが、あまり変わりがない。)大切なコンサートなのに申し訳ない限りだ。

 17:50リハーサルを終了し、バスでレセプション会場へ向かうが、練習のできていない少人数アンサンブルのグループとmasaokunはカテドラルに残りリハーサルを続けることになった。
 18:00にレセプションが行われる郊外の公園に到着。この公園は何年か前にこの地で起こった大水害の被害者を追悼するために作られたということで、各国から贈られた言葉を刻んだ石がモニュメントとして置かれている。(日本は二宮尊徳の言葉が刻まれていた。)バランドラス氏やヴェゾン市長と共に日本総領事ご夫妻をお迎えする。塚原総領事はたいへん穏やかな方だったが、福島県出身で高校時代に合唱の名門会津高校で男声合唱をしておられたということだ。カナッペやマカロン、飲物(本番前なのでワインは遠慮しておいた。)を取りながら和やかに歓談させていただいた。

 バスでカテドラル練習組を拾って宿舎に。19:00からテラスで夕食、総領事夫妻が宿舎を訪問されたので、私とmasaokunはバランドラス氏と共に総領事夫妻と別室で会食。メニューはテリーヌ・鮭のホイル焼き・パン・ワイン(私たちは遠慮)・デザートのエクレア・コーヒーだ。総領事ご夫妻は今夜の我々のコンサートにも来て下さるという。

 前半ステージの衣装に着替え20:30にバスで大聖堂近くの小学校へ。荷物を置いて大聖堂に向かう。21:00コンサート開始。曲目は前回と同じ。少人数グループのBonjourの後、総領事のあいさつがあり、いよいよ全員の演奏となる。最前列でエルダイ先生や講座の受講生、総領事ご夫妻が聴いていて下さる。私の声の調子は依然として戻らない。テノールは4名で本当に良く頑張っている。地上の平和を終えて休憩に入り、小学校に戻って浴衣と法被に着替える。後半は少人数のSur le pontから。Come awayの音をピッチパイプでとるとmasaokunがエストニアの指揮者の真似をしてハミングで最初の音とってみせた。団員は吹き出しそうになった。(音も違っていたような・・・)最後の湯かむり唄を歌い終わるとエルダイ先生を含め会場全体がスタンディング・オベイションで答えてくれた。アンコールのルパンとふるさとでさらに会場は盛り上がり、万雷の拍手の中大聖堂を後にした。

 小学校へ戻って更衣し、観客が帰った後で大聖堂の回廊に戻り打ち上げ会を行う。総領事夫妻もみえられ、ありがたい感想をいただいた。ジュースやワインで乾杯した後、飲みながらしばし歓談する。この回廊には古代ローマ時代の遺物がいくつか展示してあった。24:30バスで宿舎へ戻る。シャワー後、1:30就寝

7月28日(土)


    ヴェゾン大聖堂            中世の街              丘の上の古城

 7:00起床。8:00朝食、内容はいつもと同じ。今朝は今回のツアー参加者38名のうち、仕事等の都合で早く帰国しなければならない12名が早朝6:30にバスで出発する予定になっていたので、「みんなちゃんと飛行機に乗れたかな」と思いながら朝食を取っていると、D井氏が「実はさっき出発したばかりだ」と言う。6:20に来るはずのバスが待てども待てども来ず、あわててM木さんを起こしてバス会社に連絡を取ってもらうと、今朝来るはずの運転手に全く連絡が取れないという。それでは困ると強引にねじ込んでもらって、替わりの運転手が替わりのバスを用意してここに到着したのが8:00前で、現在、高速道路を時速150kmでマルセイユ空港に向かってぶっ飛ばしているところだというのだ。私はそんな大変なことが起きていたとは知らずぐっすり寝ていたわけだ。10:20発の便に乗ることになっているが、間に合うのだろうか。(結局、空港に9:30に到着でき、予定の飛行機に全員無事に乗れたと後で連絡が来て、ほっと胸をなで下ろした。)

 今日は初めて午前中がフリータイムとなったので、私は一人で市街地と旧市街地に観光に行くことにした。10:00に宿舎を出発、歩いて26日に十分見られなかったヴィラス地区のローマ遺跡を見てから、ヴェゾン大聖堂に行ってみた。昨日はバタバタしていてしっかり見られなかったが、ゆっくり見てみると本当にきれいにロマネスク様式を残している。中ではパイプオルガンの演奏が行われていた。次にドゴール通りを戻りウヴェズ川にかかるローマ橋を渡って南側の高台に広がる中世の街(旧市街)に行ってみた。元々現在の市街地付近にローマ帝国以来の街があったが、中世に異民族の侵入や宗教戦争を避けるため、ウヴェズ川南側の岩山に移り住むようになってできたのがこの町だ。18世紀に街の中心が北側に戻ったため、南側の町並みはうち捨てられることになった。現在は保存されてカフェやレストラン、そして高級住宅として使用されているという。石畳の坂道を登っていくと石造りの中世の町並みがそっくりそのまま残っており、中世にタイムスリップしたようだ。街のあちこちには泉があり、開かれた窓に飾られる花や壁に絡まるツタも石造りの街にマッチして美しい。坂道を上り詰め丘を登ると頂上にはうち捨てられた古城が残っており、そこからはヴェゾンの町が一望できた。

 12:30昼食、内容はいつもと同じだが、ローストビーフが追加されている。午前中観光に行っていた一部の団員が昼食に戻っていないので、現地担当者の方から「昼食がいらないのなら事前に言ってほしい」とクレームをいただく。昼食後、フランスの地方テレビ局がmasaokunのインタビュー映像を撮りに来ていた。

 15:30マスタークラス講習会の3日目が3階練習室で始まる。講習者は10人から6人に絞られていた。名前がわからない人もいるのだが、スロベニア人のマーヤ、イギリス人の「せんとくん(顔がそっくり)」、ハンガリー人のブルーノ、どこの国か忘れたが女性のバレリ、フランス人の気の弱そうな男性(名前が出てこない)、フランス人の「ミスタービーン(少し似ている)」の6名である。若手指揮者と言いながら年齢にはかなり幅がありそうだ。今日はAve maris stella、Psalm117、Ave Mariaを1曲を2人ずつで担当して丁寧に指導していた。エルダイ先生の指導も熱を帯びてきている。講習は18:30まで続いた。

 19:00テラスで夕食。メニューはビーフの煮込み・野菜サラダ・パン・スウィートポテトパイ・ワイン・コーヒーだ。夕食後masaokunとM木さんに誘われて、中世の町並みを見に行くことにする。昼間行った私が2人を案内して石畳の坂道を上がっていく。M木さんは美術や建築が専門なのでとても興味があるようだ。頂上の古城に着いた頃はまだ周りは明るく町が一望できたが、旧市街地に降りてくる頃には辺りはすっかり暗くなり、街灯に明かりがともっていた。街灯に照らされた町並みもとても風情がある。途中でM尾くん・H爪くん・S藤さんと合流し、川沿いのカフェへ。みんなでビールとシードル(りんご酒)をいただいた。

 23:00宿舎に戻り、シャワーを浴びて24:00就寝。


7月29日(日)


    アビニョン法王庁宮殿      中洲から法王庁と大聖堂を望む       アビニョンの橋

 6:30起床。同室のKくんは朝から中世の街に出かけている。7:30朝食、内容はいつもと同じ。今日も午前中はフリーだが、マスタークラス講習会も大詰めに入り、今日は午後だけでなく夜も講習が行われる。

 ヴェゾンの観光ポイントは概ね見学したが、お土産がほとんど買えていないので、ド・ゴール通りに土産物を買いに行くことにする。10:00に宿舎を出発。南フランスのプロヴァンス地方はオリーブがたくさん栽培され、オリーブ油もたくさん生産されているが、オリーブ油とハーブから作る石けんが名物となっている。またラベンダーをはじめ各種ハーブも料理用や匂袋用として売られている。もちろんブドウの産地でもあるのでワインやワインビネガーもたくさんある。小物類としては蝉をあしらったものが多い。蝉はフランスでは魔除けのお守りになるらしい。陶器やバッグ類も売られているが、南仏らしく鮮やかな原色である。それに比して服は真っ白のものが多い。12:00ごろ宿舎に帰る。

 12:30昼食。内容はいつもと同じ。(今日もローストビーフがある。)昼食を取っているとバランドラス氏がやって来て、「午後からアビニョンの音楽関係者への表敬訪問が入ったので、あなたとmasaokunにはM木さんと一緒に私の車でアビニョンへ行ってもらう」とおっしゃる。午後はマスタークラスの講習会があるのだが、masaokunは見ているだけだし、私も声がほとんど出ず全く戦力になっていないので、この二人なら抜けても大して影響はないだろう。

 13:30バランドラス氏の車で宿舎を出発。表敬訪問という名目だが、実は我々への接待であることが途中でわかった。バランドラス氏はアビニョン在住なのだが、練習ばかりしている我々にもっとプロヴァンス地方を楽しんでほしいという思いの表れだろう。アビニョンに向かう途中で山間の奇岩や地層を見に立ち寄る。どうも私が理科教師なので地層や岩石を見たがっていると思っているようだ。(私は岩石の専門家ではない。)アビニョンではまず旧市街を取り囲む4.3kmの城壁を見た後、旧市街の時計台広場へ向かう。そこから歩いて市庁舎・オペラ座・法王庁宮殿・ノートルダム・デ・ドン大聖堂を見て回った。アビニョンは1309年にフランス王の圧力でローマから法王庁が移ってきたことによって栄えた都市である。(イタリア人は「第2のバビロン捕囚」と呼んでいるらしいが。)法王庁宮殿と隣り合う大聖堂の壮大さは目を見張るばかりだ。何日か前にエストニアのコレギウム・ムジカーレはこの聖堂でコンサートをしたという。私たちもここでやりたかったと少しうらやましく思った。街中には数日前に終了した有名な「夏の演劇祭」のポスターがあちこちに残っていた。サン・ピエール教会、オリビエ・メシアンが洗礼を受けたというサン・ディディエ教会などを見た後、城壁を出てローヌ川の中洲から法王庁宮殿とローヌ川にかかる「アビニョンの橋(サン・ベネゼ橋)」を見る。絶景だ。マスタークラスで頑張っているみんなには申し訳ないが、中洲のカフェでビールをいただく。ヴェゾンへの帰途、バランドラス氏のよく行くワイン製造所に立ち寄り、お勧めのワイン(甘い食前酒)の試飲をさせていただいた。

 19:00テラスで夕食、メニューはテリーヌ・チキン?・カリフラワー・パン・ワイン・シュークリーム・コーヒー。

 20:30マスタークラス講習会夜の部が始まった。6人の講習生が1曲ずつ指導をする。エルダイ先生は講習生にピアノの表現を求め、「悪い見本をやって見せたりせず、常にポジティブに良い見本を示せ」と語りかけていた。講習が終了してからエルダイ先生から、「明日のファイナル・コンサートは講習曲の発表で50分ほどになりそうだから、そのあとmasaokunの指揮で日本の曲を10分ほどやってほしい」との提案があった。masaokunとスタッフで相談し、さくらと湯かむり唄をやって、アンコールがあれば「ふるさと」を歌うことに決めた。

 スタッフで明日の打ち合わせを行い、部屋に帰る。シャワーを浴びて23:30就寝。


7月30日(月)

 
ファイナル・コンサートのあるケニン教会   ケニン教会の内部

 7:20起床。8:00朝食、内容はいつもと同じ。本日も午前中はフリータイムである。同室のKくんとH崎くんは市街地へ買い物に出かけた。私は明日の移動に備えて荷物の整理と昼寝をする。

 12:30昼食、内容はいつもと同じ。14:00より《EST》単独の練習。いつもの練習室が使えないので、向かい側の鏡のあるレッスン室で行った。さくらと湯かむり唄を1時間ほど練習し、バスでファイナル・コンサートの行われるケニン教会に向かう。この教会はロマネスク様式の小さな教会で客席も100ほどだろうか。15:30から1時間ほどのリハーサル。ここで初めてどの受講生がどの曲を振るかが明らかになった。受講生のリハーサル後、さくらと湯かむり唄の練習を30分ほど行いリハーサルは終了。バスで宿舎に戻る。

 19:00テラスで夕食。メニューはトマトとチーズの前菜・トマトソースパスタ・豚肉・パン・デザート(パンにカスタードクリームをはさんで砂糖をかけたもの)・ワイン・コーヒー。食事後ステージ衣装に着替えて、20:40バスで教会へ。

 21:00ファイナル・コンサート開始。エルダイ先生が1曲ずつ解説を入れながらコンサートが進んでいく。曲順はCome away(マーヤ)、Dies irae(せんとくん)、Ave Maria(気の弱そうなフランス男性)、Ave maris stella(ハンガリー人のブルーノ)、Ecce tu pulchra es、Sicut lilium(ミスター・ビーン)、Psalm117(バレリ)。Ave Mariaのピアノ伴奏は何とエルダイ先生であった。そのあとmasaokunの指揮でさくらと湯かむり唄を演奏する。ドレスなので湯かむり唄の振り付けは無し。ここにきて私の声の状態もだいぶよくなっており、久しぶりにまともに声を出して歌うことができた。(今頃直っても遅いが。)満場の拍手を得てアンコールとして「ふるさと」を演奏した後、ミスタービーンの司会で受講生から団員一人一人へ石鹸のプレゼントがあった。まだ拍手が鳴りやまないので、Y下先生の伴奏で「私たちは一人ではない」を演奏して締めくくった。

 ファイナル・コンサートは無事終了し、22:00から教会の外で関係者や受講生も加わって打ち上げ会となる。クラッカーなどのつまみに加えて、赤・ロゼ・白のワインがたっぷり用意されている。飲みながら楽しく交流を深めた。酔った勢いでSur le pontを披露する若者グループを微笑ましく眺めていた。打ち上げの途中で関係者の1人が私を手招きしている。行ってみると我々の出演料の残り1,064ユーロを手渡され、領収書を書かされた。こんな時に渡さなくてもいいのに。

 23:10バスで宿舎に戻る。ヴェゾン最後の夜ということで、この後部屋に集まって飲みながら語り合う仲間が多いのだろうが、私は少々疲れていたので、部屋に戻り荷物の整理をして、シャワーを浴びて24:30就寝。

7月31日(火)

  
      マルセイユ旧港             ブイヤベース     ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂

 4:00起床。昨夜はみんな遅くまで騒いでいたらしい。同室のKくんを誰かが誘いに来たのはぼんやりと覚えているが、私をY岡さんが誘いに来たのは寝ていて全く気づかなかった。荷物の整理とモンテリマルでもらった大量のヌガーの始末をして、スーツケースを引きずり朝食へ。5:30朝食。28日の早帰り組の一件もありバスが来るかどうか心配したが、今日の運転手はいつものオリビエさんなので時間通りに来た。6:10宿舎出発。バスで空港へと向かう。総勢26名だがそのうちパリ観光組のD井ちゃんら3人とロンドンへ向かう○○アン、そしてM木さんを途中のアビニョンTGV駅で降ろし、「アビニョンの橋(サン・ベネゼ橋)」の下を通ってマルセイユ空港に向かった。9:00にマルセイユ・プロヴァンス空港に到着、運転手のオリビエさんとお別れした。

 さて残った22名のうち17名はこのまま帰国するが、我々5名はマルセイユを中心にあと2日間観光して帰ることにしている。その5名は私とmasaokun、M本さん・S藤さん、出血したN崎さんという、何とも心配なメンバーである。17名の帰国組とお別れして、まず高速バスでマルセイユのサン・シャルル駅へ向かう。10:00頃駅裏のバスターミナルに到着。スーツケースをひきずって観光するわけにはいかないので、ホテルに荷物を置くため今夜泊まる予定の「ホテル・メルキュール・マルセイユ・セントレ」を探すが、なかなか見つからない。私たち5人の中で英語が少しできるのはS藤さんだけで、あとはからきしである。S藤さんを頼りに周りの人に聞きまくって11:00前にようやくホテルにたどり着いた。

 チェックインして少し休憩した後、いよいよ市内観光へ。外はかんかん照りである。あまりの暑さに近くのショッピングセンターでmasaokunと共に帽子を買い、5人でマルセイユ旧港に向かう。旧港の周りは観光客でごった返していた。イフ島行きの船のチケット(往復10ユーロ)を買ってから、旧港南側のレストランで昼食。みんなはブイヤベースを頼んだが、私はチキンのクリーム煮にしておいた。ビールはクロネンブルグ。

 昼食後、船でイフ島へ向かう。真っ青な空と紺碧の海、吹く風がとても心地よい。20分ほどでイフ島に到着。この島は今は無人島だがかつては監獄島として有名であった。デュマの小説「モンテ・クリスト伯」の主人公エドモン・ダンテスもここに閉じこめられていた。牢獄(入場料5.5ユーロ)を見学し、屋上に上がると周りは青一色でまぶしいほど輝いている。船でフリウル島を経てベルジュ埠頭に戻る。旧港北側のカフェでビール(クロネンブルグ1664)をいただいた後、汽車の形をしたプチ・トラン(7ユーロ)に乗って、アルスナル地区を見ながら丘の上のノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂に向かう。この聖堂はロマネスク・ビザンチン様式の建物で聖堂内部もきらびやかでたいへん美しいが、何と言っても丘の上からの眺めが素晴らしい。マルセイユの市街地や旧港、そして地中海が一望できる。まさに絶景である。見学後もう一度プチ・トランに乗って旧港に戻り、土産物を買いにショッピング・センターに寄った後、ホテル周辺で夕食を取ることにする。しかしホテル周辺のレストランが開いていなかったため、近くのサンドイッチショップで済ませた。(ケバブ・サンドが結構うまかった。)

 ホテルに戻り、ロビーのカフェでビールをいただきながら歓談。今日は1日ビールばかり飲んでいたような気がする。部屋に戻りシャワーを浴びた後、24:00就寝。


8月1日(水)

  
   エクス・アン・プロヴァンスの泉     サン・ソブール大聖堂          夜の噴水

 7:00起床。ホテル・メルキュールは金額的にはお手頃のホテルなのだが、部屋はきれいで設備はとても整っている。8:002階のレストランで朝食。パンの種類が多い。スクランブルエッグ・ソーセージ・果物・ジュース・ヨーグルト・コーヒーなど充実した朝食。野菜はない。

 今日はもう一つの観光目的地エクス・アン・プロヴァンスへ移動する。9:15ホテルを歩いて出発。25分ほどでサン・シャルル駅に到着、エクス・アン・プロヴァンス行きの高速バスチケットを買う。(窓口の人が6人組の割安チケットを教えてくれた。)10:10高速バスに乗って出発、30分ほどでエクス・アン・プロヴァンスのバス・ターミナルに着いた。ここからが大変だ。今日泊まる予定の「ホテル・キリアード・マ・デ・オリビエル」は市の中心部からかなり離れた郊外にあるので、そこまで何とかして行かねばならない。頼りになるのはS藤さんの英語力のみだ。駅のインフォーメーションでホテルまでのバス路線を聞くと、3系統の路線バスに乗ってグランド・スミン駅で降りろという。しかし3番と書いた札の前で待てども待てどもお目当てのバスは来ない。ちょうど来たバスの運転手に聞くと、3系統の路線バスの乗り場はこのバス・ターミナルには無く、少し離れたところにあるというのだ。5人でスーツケースを引きずりながらバス停を探し市街地へ。ようやくバス停を探し当て、バスに乗れたのは12:00過ぎであった。

 ホテル・キリアードはコテージ風のしゃれたホテルで平屋の建物がいくつかの棟に別れて建っている。部屋にシャワーだけでなくバスタブがあるのがありがたい。荷物を置き、バスで旧市街へ向かう。バスは市内均一の1ユーロだ。旧市街の端にあるド・ゴール広場でバスを降り、まず近くのレストランで昼食。肉入りのサラダとビール(よせばいいのにmasaokunも飲んでいた。)、デザートのケーキとコーヒーだ。昼食後、近くのインフォーメーションで地図を手に入れ、ミラボー通りを散策する。エクス・アン・プロヴァンスはこぢんまりとした街だが、街全体に気品がありおしゃれな感じだ。メインストリートのミラボー通りを中心にしゃれたレストランやカフェ、ブティックが立ち並び、夏には音楽祭も開催される。また街のいたる所に泉や噴水があり、「泉の町」と呼ばれる所以である。各所の噴水を見ながら旧市街の市庁舎の前を通ってサン・ソブール大聖堂に向かった。しかしこの頃になるとmasaokunは昼のビールでフラフラ状態、歩くのもままならないようだ。大聖堂はあいにく葬式中で中を見ることはできなかったので、ここで解散とし、絵の好きなS藤さんはグラネ美術館へ、他の女性陣は買い物へ、私は大聖堂の隣のタピスリー美術館へ行くことにし、masaokunは美術館前のベンチに休ませておくことにした。

 タピスリー美術館は17・18世紀の織物(タピストリー)を展示した美術館である。美術館見学後、masaokunはほっておいてマザラン地区のグラネ美術館に向かう。エクス・アン・プロヴァンスは著名な画家セザンヌが生まれ、晩年を過ごした街としても有名である。この美術館にはセザンヌが8点あるらしい。入ってみると作品の多さに驚いた。なかなか見切れない。アングルの大作やレンブラントの自画像、印象派のゴッホやモネから近現代のピカソ・レジェ・ルオーなどに至るまでたくさんの作品が鑑賞できる。しかし肝心のセザンヌを私は見つけることができなかった。(部屋がかなり入り組んでいる。)

 19:00にド・ゴール広場に集合し夕食に向かう。このころになるとmasaokunも復活して元気になっていた。場所はミラボー通りのレストラン「レ・ドゥー・ギャルソン」。地中海に近いということで生牡蠣を注文する。このあたりではフランスパンにバターを塗り、その上に生牡蠣をのせビネガーをかけて食べるのだそうだ。続けてスープ・ド・ポアソン、サーモン、エスカルゴ、サラダ等をたのみ、ビールを飲みながら楽しくいただく。あたりはしだいに暗くなり夜店が立ちはじめている。灯りに照らされた街並みもとても美しい。 夕食を十分堪能した後、10:30ごろバスでホテルへ戻った。久しぶりにバスタブにつかり、1:00就寝。


8月2日(木)~3日(金)


      帰りの機内食

 6:00起床。今日は出発が早いので朝食を6:40からに早めてもらうようお願いしておいたのに、6:35に食堂棟へ行くとまだ開いていない。しばらくするとようやく鍵を開けてくれた。迷惑そうに朝食の準備をしている。メニューはパン各種・ジュース・ハム・チーズ・ゆで卵・フルーツ・ヨーグルト・コーヒー。食べ始めていると他のメンバーも集まってくるが、一番心配なmasaokunがまだだ。部屋まで起こしに行くと起きていたので一安心。7:15頼んであったタクシーに分乗してバス・ターミナルまで行き、7:40発の空港行き高速バス(7.6ユーロ)に乗る。8:10マルセイユ・プロヴァンス空港に到着。しかし間違って国内線側に降りてしまった。(もう1駅あとが国際線側)

 国際線側に移動し、ルフトハンザ・カウンターで手続きを済ませて、N崎さんとタックス・フリーの窓口を探すが、公印をもらう窓口の場所がわからない。ようやく探し当て書類を出すと、いやそうに公印を押してくれた。手荷物検査後、買い忘れていた土産を買い足し、10:30に27番ゲートからLH1087便で出発。11:00に機内で軽食(クロワッサンと飲物)。12:10にフランクフルト空港に到着した。M本さん・S藤さん・N崎さんは関空便なのでここでお別れとなる。中部国際空港に帰るのは私とmasaokunだけだ。

 B60番ゲートからバスで飛行機まで移動し、14:10にLH736便で出発。すぐに軽食(クラッカー・飲物)。15:00昼食(カツカレー、ミックスサラダ、そうめん、トロピカルフルーツ、飲物)。余った時間は映画「アベンジャーズ」を見て過ごす。(あとの映画は往路で見てしまった。)あとはひたすら寝る。日付がかわって3日の日本時刻7:00(フランス時刻夜中の0:00)朝食(オムレツ・ポテト・パン・果物・飲物)。そして8:25無事中部国際空港に到着した。

 荷物受取場でスーツケースの出を待っていると見たことのある顔を見つけた。伊勢フィルのO谷先生だ。家族旅行でドイツとチェコを訪れた帰りだという。masaokunは空港で友達と待ち合わせをするというので、彼と別れてユーロを換金し、高速船乗り場へ向かう。10:00発の高速船で津なぎさ港に10:45着。眠い目をこすり車を運転して、12:15無事家に帰り着いた。


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