第15回ヨーロッパカンタート(スペインバルセロナ)
2003.7.17〜28


1.7月17日(木)


   ブラット国際空港Aターミナル

 朝5時に自宅を車で出発、集合場所の県立津高校には6時10分頃に到着。まだ誰も来ておらず一番乗りだ。やがてみっちゃん夫妻、もともとっちとH野氏、M井君とN郷も車で到着。三交のバスが予定通り20分頃に到着し、津駅集合のメンバーと合流。いよいよ出発だ。K田君にマタ朗がバスに乗り遅れたことを聞き、不安を覚えるが、自力で空港まで来るように指示したとのことなので、待っていてもしょうがないので、ひとまず空港へと出発した。途中関から名阪・近畿道を経由して関西空港へと向かう。渋滞もなく、関空には予定より少し早い9時過ぎに到着した。空港では近畿日本ツーリストのO野さんが出迎えてくれ、搭乗手続きを行ってくれた。出発時刻が11時35分から45分に変更になっていたので、なんとかマタ朗も間に合うのではと思ったが、10時過ぎに無事到着し、何とか全員そろって出発できることとなった。飛行機はエールフランス291便で予定通り11時45分関空を離陸した。2年前のドイツ行きの時はスイス航空だったが、今回のエールフランスの飛行機は機内は最新の設備で、一つひとつの座席ごとに液晶テレビの画面がセットされており、ニュース・アニメや映画、そしてゲームまでできるという優れものだ。また2回出された機内食も前回より内容が充実していたように思う。ただ映画に日本語字幕がないのが難点だ。(話題の「シカゴ」も上映していたが、英語のせりふにフランス語字幕だった。)しかし、どんなに機内設備が充実していても、12時間半のフライトはとても耐えきれない。エコノミーなので体も伸ばせないし、十分に眠ることもできない。とにかく退屈で苦痛な12時間半だった。しかも今回はさらに悪いことに、パリのドゴール空港に近づいて高度を下げていく時に、気流の関係か機体の急降下を繰り返し、まるでエレベーターかジェットコースターにのっているような気分を味わった。おかげで乗り物に弱い私は完全に酔ってしまい、降りる直前に1回、降りてから空港で2回ほどもどしてしまった。ドゴール空港には予定通り現地時間で17時頃(日本と時差が7時間)到着、簡単な入国審査をすませて、18時50分発のAF2248便でバルセロナへと向かう。乗り継ぎ便の中では酔い止めをしっかり飲んで、ただひたすら酔わないことを祈った。幸運にも乗り継ぎ便は離陸も着陸もスムーズにいき、2時間ほどで何とか無事にバルセロナのプラット国際空港に到着することができた。空港では旅行社が手配してくれた日本人ガイドの女性の方が出迎えてくれ、荷物もポーターに運んでもらって、貸し切りバスでホテルへと向かった。驚いたことにもう夜の9時ごろだというのに外がまだ明るい。日本では考えられないことだ。バスで30分くらい走っているうちに外がだんだん暗くなり、カンプ・ノウ・スタジアム近くの今日の宿舎、NHラリエに着く10時頃には真っ暗になっていた。ホテルでは明日からお世話になる日本人ガイドのI藤さんが出迎えてくださり、挨拶を交わした。みんな疲れていたので、スタッフを残して各部屋に入り就寝準備。部屋のテレビで「ドラゴンボール」をスペイン語でやっていたのがおもしろかった。疲れていたので、時差にもかかわらずすぐ眠りに落ちた。


2.7月18日(金)


     エスパーニャ広場               コングレス前にて

 朝、7時に起床。同室はM田君。NHラリエは三つ星のビジネスホテルクラスのホテルだが、部屋の施設は大変整っており快適だ。朝食もバイキング形式で内容も充実しており、明日からの粗食に備えて十分に味わって頂いた。そして食後にU田君らとホテル周辺を散歩してみた。ホテルはレス・コルツ通りに面しており、新市街の中にある。東に少し行くと小さな市場があったので入ってみると、中は意外に広く、果物や肉、魚介類や乳製品の専門店が軒を並べていた。いろいろな色の桃やプラム、日本では見られない種類の魚、多種多様のチーズ、そして軒からぶら下げられたスペイン名物の生ハム(ハモン)のかたまりなどが目を引いた。奥のスーパーでU田君がミネラルウォーターを買おうとしたが、500ml入りで0.18ユーロととても安い。しかしあいにく50ユーロ札しかなく、売ってもらえなかった。商店の人がほとんど英語を知らないこともわかった。

 さてホテルに戻ってガイドのI藤さんと合流して、全員で本部に手続きに行くことになり、8時30分にホテルを出発した。最寄りの地下鉄(メトロ)駅であるレス・コルツ駅から初めて地下鉄に乗る。改札は自動改札になっているが、日本と逆で向かって左側の機械にチケットを入れるので、何となくとまどってしまう。ホームには電車の到着までの時間を示す電光掲示板があるが、I藤さんの話によるとかなりいい加減らしい。電車が着くと扉は自分で開けなければならない(閉まるのは自動)。電車の窓ガラスは落書きだらけだ。エスパーニャ駅で下車すると、出るときは改札はなく自由に出られた。地上にあがってみるとそこは大きなロータリーになっており、周りが大きな広場になっている。エスパーニャ広場だ。その広場から山手に向かって大きな通り(マリア・クリスティーナ通り)がのびており、その突き当たりに壮大なカタルーニャ国立美術館が建っている。そのマリア・クリスティーナ通りの左側が広い見本市会場になっており、その一角に本部となるコングレス・ホールがある。9時頃に到着したが受付は10時からとのこと、外で待つことにする。10時になりK田君・もともとっち・I藤さんが手続きを始めるとトラブルが発生した。どうも事務局が「参加費が払われていないので、今すぐここで払え。さもないと参加は認めない。」と言っているらしい。K田君は、参加費がS木君の口座からきちんと振り込んであることを説明するのだが、わかってもらえないらしい。長引きそうなので、三人を残して他のメンバーは一度ホテルに戻って待機することになる。ホテルで心配しながら待っていると、12時半頃ようやく三人が戻ってきた。S木君の口座からの振替がうまくできず、結局K田君のカードで何とか振り込みができたとのこと。なんとか参加は認められて、関連グッズ(参加証・ミールクーポン・市内乗り物無料チケット・楽譜・資料等)を受け取った。どうもスペイン事務局の事務処理能力はかなり当てにならないようだ。さらに悪いことに、我々の割り当てられた宿舎はメイン会場から車で1時間ほどかかる所で、バスが1日に1往復(朝の8時に宿舎を出て、夜中の12時にコングレスを出発する)しかないということだ。特に夜中の12時にならないと帰れないのには仰天させられた。なんという不便さ・不親切さなのだろう。日本のイベントでは考えられないことだ。仕方なくホテルに荷物を預けて、今日の夜のオープニングコンサートのために少し練習をしたあと、I藤さんと昼食に向かう。そのあとI藤さんがマネージメントされている現地の日本人女声コーラスと交流する予定だ。昼食はマリア・クリスティーナ駅から少し行った中華料理店。スペインに来て初めて食べる昼食が中華料理とは何とも皮肉なものだ。そしてそこから歩いて練習会場のマンションの一室へ。狭い部屋だったが、20人ほどの日本人女性が温かく迎えてくれた。彼女らは夫の海外勤めに同行して来られた奥様方が中心で、滝廉太郎の「花」など数曲を聴かせてくださった。スペインの空のような明るい声が印象的だった。今ベートーベンの第九を練習しているということで、一緒に第九の一節を歌わせて頂いた。お返しにESTからは「さくら」「みかんの花咲く丘」「赤とんぼ」を演奏させてもらった。また彼女らの中に一人フィリピン人の女性の方がおられたので、「Pasigin」を演奏したら、大変喜んでくださった。州政府コンサートでの再会を約して、和気藹々の雰囲気のうちにお別れした。その後は歩いてホテルまで戻り、重いスーツケースを引きずって地下鉄でもう一度コングレスまで移動した。事務局にスーツケースを預けたら時刻はもう夕方になっていた。オープニングコンサートに向けて、今日は特別にディナーの食券が付いているという。楽しみに食堂に向かうと何やらビニール袋を配っている。どうもこれが今日のディナーらしい。中を見ると、サンドイッチが2切れ・小さなパンケーキが1つ・リンゴが1つ・ペットボトルのミネラルウォーターが1本入っているだけだ。これがディナーとはいかにもひどい。これからの食事が想像できて、先が思いやられる。

 オープニング・コンサートはコングレスから5分ほどの距離にあるパラウ・デル・エスポルツという会場で、室内スポーツのためのホールに仮設ステージを取り付けたものだ。仮設の簡単な反響板はあるが、不充分なのでマイクで声をひろうという。これがメイン会場とは残念だ。もう少し音響のよいホールを用意してもらいたいものだ。ESTはオープニング・コンサートの中で、特に選ばれて客席から1曲披露することになっている。どうせならアピールしようということで、浴衣で参加することにした。リハーサルができるという話だったが時間は2転・3転、結局本番直前の15分間だけだった。スペインはほんとうに時間はアバウトだ。さていよいよ9時からオープニング・コンサートが開会。9時からコンサートが始まるというのも日本では考えられないことだ。司会は2年前にマルクトオーバードルフで司会を務めていた男性で、ESTのこともよく覚えていてくれた。オープニング・コンサートの中身は役員の挨拶と地元カタルーニャの合唱と民族ダンスだ。サラダーナに代表される民族衣装によるダンスがなかなかおもしろかった(ちょっと長かったけれど)。その合間に選抜された三つの合唱団の客席からの合唱が入る。ESTは3番目に「さくら」を歌った。浴衣とも相まって会場の反応はとても良かったように思う。コンサートが終了し、コングレスに戻って着替えをすませ外へ出ると、もうすでに時刻は11時半頃だ。12時にバスが出るのもあながち理由のないことではないと思えてくる。しかし、ハードなスケジュールには違いない。カタルーニャ美術館前のマジカ噴水がライトアップで幻想的な姿を見せていた。

 重いスーツケースを引きずってバスに乗り込むと、予定より遅れてバスは出発。市内は金曜日のせいだろうか、1時近くだというのに光と人であふれている。高速道路を通って45分ほどで宿舎であるウニバーシタリア・UAB・キャンパスに到着。しかしここでまたまたトラブル発生。特別料金を払って個室を頼んであった分が確保されておらず、他のメンバーも2人部屋でなく5人部屋か4人部屋であるという。しかも1人分足りない。担当者と押し問答したが「わからない」の一点張りだ。担当者にねじ込んで4人部屋にベッドを入れて何とか5人部屋にしてもらったが、部屋はどうにもならないという。遅い時刻でもあり、今夜は仕方なく指示に従うことにした。明日の朝食について訪ねるとまた「わからない」という。わかっているのは朝8時にバスが出ることだけらしい。明朝食事にありつけるかもわからないまま、各部屋に引き上げた。しかし部屋でまたトラブル発生だ。どの部屋もシャワーにお湯が出ないのだ。疲れて帰ってきたのに熱いシャワーで汗も流せないとはどういう事か。泣く泣く水シャワーを浴びて2時頃床についた。


3.7月19日(土)

     アトリエ会場               聖アンナ教会

 朝7時に起床。洗面着替えをすませ外を見ると、早く起きたESTのメンバーが散歩している。彼に聞くと、この棟の1階にカフェテリアのような施設があるが閉まっているという。この分だと宿舎で朝食はあたらないのだなと思いつつ、荷物を持って昨夜バスが停車した場所まで歩いていった。するとバスが発着する場所の目の前に大きなカフェテリアのような施設があり、中で外国人が食事をしているではないか。しかも昨夜「何もわからない」と言っていた担当者もすました顔で食事をしている。僕らはあわててそこに飛び込んだ。教えてくれても良さそうなものだと腹が立った。食事の内容はパンが1つとジュースかミルク、そしてコーヒーだけでおかずはなし。それでもどうやら明日からここに来れば食事にありつけそうだ。そうしているうちに8時が迫ってきたので、僕らはバスに急いだが、他の外国人はまだ悠然と食事を楽しんでいる。結局みんなが乗車するまでバスは発車しないということをこの朝学んだ。バスは15分遅れで出発。昨夜は気が付かなかったが大学の入り口付近には大きな3本のモニュメントがあり、その形から僕らはそれを「チュロス」と呼んで目印にするようになった。例の担当者がバスの中で話しかけてきた。「スペインのサッカー選手を誰か知っているか」と聞く。みんなは口をそろえて「ベッカム!」と答えた。彼は「バルサの選手を誰か知っているか」と聞く。みんなが口々にいろいろ答えたが、すべてレアル・マドリードの選手で、彼はそのまま黙ってしまった。そうこうしているうちにコングレス前に到着。今日からいよいよアトリエが始まるのだ。アトリエの会場はコングレスから10分ほどの所にあるインスティテュート・デル・テアトレという練習室をたくさん備えた施設である。私達ESTが参加するのは8番「北欧の民族音楽」アトリエだ。参加者はEST以外は個人参加の人が多く、総勢40人弱くらいだろうか。指導者はスウェーデンの著名なオーケストラやプロ・ムジカ室内合唱団を指導しているヤン・ユングヴェ先生。奥さんがピアノで音取り等をしてくださる。開始時刻の9時半が過ぎたので先生が練習を始めようとしていると、若者の集団がどやどやと遅れて入ってきた。オーストリアから来た高校生の集団だ。彼らを加えて総勢55名くらいになった。ヤン先生の練習は毎日数多くの曲を次々とさらっていき、できないところは課題として次の日に残すというやり方だ。指導はとてもソフトで絶対に怒らず、歌わせた後はどんな場合も必ず一言ほめ、その後課題を提起する。先生の「サンキュー・ベリマッチ」の口まねがESTの間でもはやったくらいだ。こんな風に書いていると先生の言ったことが全部わかったように思われるが、英語の苦手な僕には実際は半分ほどしかわからなかった。それにつけても気になったのはオーストリアの高校生の練習態度である。彼女らはまず楽譜を持ってこない。練習中は歌わず私語をしているかガムを噛んでいるかだ。前の椅子に足をかけている者もいる。それから練習の最中にもかかわらず平気でトイレに立つ。先生は怒らずにこやかに練習を続けているが、僕は説教してやりたいと何度思ったことか。こんな態度なら来なければいいのにと思う。練習は30分の休憩を挟んで1時まで続いた。そしてようやく昼休みだ。昼食はミールクーポンを使ってコングレスの食堂で取る。スペインは夕食より昼食の方が豪華だと聞いているので、期待して食堂に行くと、セルフサービスで自分で取っていく方式だった。その日のメインはスープのようなもので魚の切り身一つを煮込んだもの、パン一つ、オリーブの実の入った野菜サラダ、すもも1個、ミネラル・ウォーター1本だ。これでディナーとはがっかりだ。ドイツの時はもっといい食事だったのに。これから毎日こんな食事かと思うとめいってくる。食事が終わると3時まで休憩(シエスタ)だ。しかし長いようで短く、すぐに時間が来てしまう。3時からは午後のアトリエが再開だ。案の定、例の高校生は遅刻してきた。5時までアトリエは続く。ESTは譜読みをきちんとしてきているので、練習をリードしていたように思う。

 さて今日はこの後、I藤さんに紹介して頂いた教会でチャーチサービスをすることになっている。まだ完全に承諾をいただいていないので、神父様の前で歌って許可をもらわなければならない。I藤さんの案内で地下鉄を使ってカタルーニャ駅まで行く。駅を上がると上は大きな公園(カタルーニャ広場)になっており、その公園から歩行者天国の大通り(ランブラス通り)が続いている。ランブラス通りは人でいっぱいだ。今まで世界のいろいろな観光地へ行ったが、こんなに人が多いのは初めてだ。いろいろな所で大道芸人がパフォーマンスを繰り広げている。スリも多いらしい。とりあえず夕食の買い出しのため、近くのスーパーへ行く。そこでテイクアウトのおかずや飲み物、果物やパン等を買って、広場の木陰に腰を下ろして軽い夕食をすませた。今日チャーチサービスをする予定の教会はランブラス通りから細い通りを少し入った所にある。行ってみると旧市街の中心部にあるにもかかわらず、ひっそりとしたたたずまいだ。ちょうど結婚式が行われており、僕たちも新郎新婦にお米を投げて祝福の輪に加わった。その後神父さんに歌を聴いて頂き、めでたく許可をいただくことができた。歌わせて頂く曲は3曲、シュッツのQuoniam、モーツァルトのAve verum corpus、ブストのAve Mariaだ。8時になり信者の方々が次々と集まって来られ、いよいよ礼拝の始まりだ。お祈りの進行にしたがって三つの曲を順番に歌っていくのだが、どの曲も教会の残響に包まれて天の声のように響いていく。信者の皆さんからも温かい拍手をいただき、本当に素晴らしい体験をすることができた。信者の方々と挨拶を交わしながら気分良く教会を後にした。さて、いつもなら12時まで待ってバスで宿舎へ戻るのだが、今日はI藤さんの助言により電車で宿舎へ戻る事になった。カタルーニャ広場の地下からカタルーニャ鉄道という電車が出ており、それに乗ると50分くらいで大学前駅(ウニバーシタッド・オートノマ)に着く。駅から少し歩かねばならないが、これだと12時まで待たなくても帰れるのだ。おかげでこの日は11時には宿舎にたどり着くことができた。相変わらずお湯は出ないが、水シャワーを浴びて床に着いた。


4.7月20日(日)


  メイン会場エスポルツ

 7時に起床。今日はゆっくり朝食を取ろうと早めにカフェテリアに行く。パンの種類が変わっているが、後は前日と全く同じだ。昨日パンを二つ取った者がいたので、今日は席に一つひとつ配ってある。8時を過ぎても気にせずゆっくり食べて、8時15分頃にバスで出発。日曜なので道はかなりすいており、9時前にコングレスに到着。インスティテュートへ向かう。2日目なので親しくなった他国の受講生とも挨拶を交わす。結構年の多い人もいて何となく安心する。例によってオーストリアの高校生はまだである。今日やりそうな曲をAかねさんのピアノで復習しているうちに先生がみえ、練習が始まった。昨日やった曲の復習と課題の克服に取り組みつつ、新しい曲も挟みながら練習が続いていった。遅れてきた高校生は今日はコピー譜を持っているが相変わらず態度が悪い(来ていない生徒もいる)。事前に予告されていたマデトヤのOnnellisetとアルヴェーンのRoslagsvarは割愛されるらしい。入念な練習は昨日と同じく1時まで続いた。そしてコングレスに移動して昼食。今日の昼食のメインはソーセージをソースで煮込んだものだ。サラダは昨日とほとんど同じ、オリーブオイルとワインビネガーをかけて食べるのだ。食器はすべて使い捨てで、生ゴミとプラスチックと紙類をセルフで分別して捨てるようになっている。3時までつかの間の休息を取り、午後のアトリエに臨む。午後のアトリエは時々masaokunが見学に来ていた。彼の参加している指揮者アトリエは内容がもう一つだという。こちらの練習の方が充実しているらしい。練習は5時いっぱいまで続いた。

 さて、明日はいよいよESTの出演する優秀団体によるスペシャルコンサートがある。それに向けてコングレスで1時間ほど練習をした。と言っても練習場所が借りてあるわけではないので、コングレスの地下駐車場?でこっそり練習だ。ゴミ収集ボックスが置いてあるので少々匂うが、よく響く場所だ。その後はオープン・シンギングの始まる7時45分までフリータイムとなる。何人かはモヌメンタル闘牛場へI藤さんと闘牛を見に行くらしい。僕は聖人君たちと夕食をとりに行くことにした。あいにくこの日は日曜日で近所の店はほとんどシャッターを下ろしている。1軒だけ空いていたレストランに何とか滑り込んだ。しかし店員の対応は素っ気ない。パンを頼むとスライスした堅いパンがニンニクやトマトと一緒に出てきた。パン・コン・トマテといってニンニクとトマトをこすりつけて食べるらしい。メニューにはポークやチキンに混じってウサギなんてのもある。食べてみようかとも思ったが、躊躇してチキンにしておいた。なかなか料理が出てこず、結局30分ほど遅れてエスポルツのオープン・シンギングに参加した。オープン・シンギングとはカンタート事務局から配布されている歌集の中から何曲かを選んで会場全体で合唱するというイベントで、毎夕エスポルツで開催される。今日は私達のレパートリーSoleramが取り上げられていた。そして同じ会場で9時からスペシャル・コンサートを鑑賞した。明日同じコンサートにESTが参加するため、事前に様子を見ておこうというわけだ。今夜はユースの合唱団を四つ集めたコンサート。やはり今日もマイクで声をひろっている。最初のシュバイツァー・ユーゲントコアを聞いたが演奏はもう一つだ。4日目となり、みんなも少々疲れてきていたので、コンサートを途中抜けしてバスを待たず早く帰ることにする。伊藤さんに電話すると、今日は日曜なのでカタルーニャ鉄道はもう終電が出た後だと言う。仕方がないのでタクシーに分乗して帰ることにする。バルセロナのタクシーはすべて黄色と黒の二色で塗り分けられており、空車は緑のランプがついているのですぐわかる。コングレスの前まで歩いてタクシーを拾うが、運転手がなかなか行き先を理解してくれない。寮のカードキーに書かれている住所を見せたり、カタルーニャ鉄道の駅名を言ったりするが、何台かは乗車拒否で行ってしまう。何とか5台を確保して40分くらいで帰ることができた。タクシー代は一人あたり7〜8ユーロ(1000〜1100円)でそんなに高くない。いざとなったらタクシーでも帰れることがわかった。今日は12時には寝られそうだ。相変わらずお湯は出ないけれど。


5.7月21日(月)


     スペシャル・コンサート

 いつものように7時頃起床。僕らの部屋はdoichan・K田氏・masaokun・M田くん・僕の5人だ。doichanは毎朝早い。6時過ぎには起き出してシャワーや洗濯、荷物の用意を始める。K田氏も同じく早い。それに比べてM田君・masaokunは起きるのが遅い。特にmasaokunは僕たちが出かける頃ようやく起き出すくらいだ。今朝もいつもと同じペースである。朝食内容はいつもと同じ、パンも1日目と同じ物に戻っている。昨日と同じように8時15分頃にバスは出発。しかし高速に入ると今日は昨日までと違ってかなり渋滞している。月曜日だからだろうか。今日はいよいよスペシャル・コンサートに出演する日だ。いい演奏をしたいものだ。K田君の交渉でインスティテュートの前までバスをつけてもらう。アトリエ3日目の練習がいつものように9時半から始まった。例の高校生は昨日と同じ状態だ。ラウタバーラのSommernattenがなかなか決まらない。先生も苦労されている。ソプラノとメゾのソロの部分をもともとっちとAかねさんがすることになった。合唱ももっと頑張らないと。休憩時間にヤン先生と話す。masaokunは彼からプロ・ムジカのCDをもらったらしい。お返しにESTの第10回のCDをさしあげた。今日のスペシャルコンサートも聴きに来てくださるという。ありがたいことだ。今日のアトリエは1時で終了し、午後の部はない。コングレスへ昼食に向かう。今日のメインはポークをソースで煮たものだ。今までの中では一番食べやすい気がする。デザートにチーズケーキが付いた。

 さて午後はスペシャルコンサートに向けての練習だ。幸いK田君の交渉でインスティテュートのいつもの部屋が練習に使える。3時から6時までじっくり練習することができた。今夜はいいコンサートになりそうだ。7時45分から会場のエスポルツでリハーサルができることになっていたが、そこはスペイン、今日の朝急に使えないと言ってきた。オープン・シンギングと重なっているのだ。気がつかなかった僕らも不注意だが、許可した事務局も事務局だ。一事が万事この調子である。おかげで8時まで自由時間となった。夕食はコングレスのカフェテリアで軽くすませた。今日のスペシャルコンサートの出演団体は4団体。地元の2団体に続いてESTは3番目に出演する。早めに着替えをすませ、客席で9時の開会を待つ。地元の2団体の演奏は客席も静かに聴いている。そしていよいよESTの出番だ。舞台に上がると、前から3列目くらいにヤン先生ご家族の姿があった。約束どおり聞きに来てくださったのだ。緊張してビクトリアのIntroitusを歌い出す。歌い終わると会場にどよめきが起こった。「宗教曲なので歓声をあげるわけにはいかないが、これはすごいぞ」というような雰囲気だ。よしこれはいけるぞ。つづいて「いっしょに」を歌い終わると、今度は躊躇せず大拍手だ。スコラーズの「村の鍛冶屋」の後は大歓声が会場中に響きわたった。観客の興奮が手に取るようにわかる。「Soleram」の後も大歓声と拍手。そして客席が最高潮に達したのは「Pamugun」の後だ。歓声と拍手が鳴りやまず、観客がどんどん立ち上がっていく。スタンディング・オーベイションだ。ESTの音楽がわかってもらえたんだと思うと、ほんとうにうれしかった。感情を素直に表現してくれるカンタートに集まった人達に感謝の気持ちでいっぱいになった。事務局の許可は得ていなかったが、拍手に答えてアンコールとして「赤とんぼ」を演奏した。これも喜んで頂けたと思う。高揚した気持ちのまま、客席で最後のフィリピン大学の演奏を聴く。すべての曲に完璧な振りがついており、ミュージカルを見ているようでなかなかおもしろかった。観客にも大いに受けていた。コンサートが終了して外に出ると、まわりの外国人から「コングラッチュレイション!」の声が次々とかかってくる。ESTの演奏を口々にほめてくださるのだ。フィリピン大学の指揮者の方からは「Pamugunはすばらしかった」と言っていただいた。masaokunも何人かの外国人に囲まれて握手責めにあっている。自分たちのしてきたことが報われたようで、本当にうれしかった。高揚した気分のままバスに乗り込み、帰途についた。宿舎に到着しても、気分が高ぶってなかなか寝つけなかった。


6.7月22日(火)


      ホルツ教会              カザ・ミラ屋上にて

 いつものように7時に起床。相変わらずmasaokunはまだ寝ている。荷物を持ってカフェテリアに行くと、今日は今までにないパンが出ている。フランスパンにサラミや生ハムを挟んだサンドイッチだ。少しはましになったかな。でも後は昨日と全く同じ。遅れてきたmasaokunはおやつ用にボーイの目を盗んでパンを紙に包み、鞄にしまい込んでいる。いつもと同じように8時15分にバスは出発。今日も道は少し渋滞気味だ。いつものようにミロ公園の大モニュメントの前を通って、インスティテュートの前まで送ってもらう。そして練習場の中に入ると、先に来ていた外国の方から次々に声がかかり、昨日の演奏をほめてくださった。本当にありがたいことだ。やがてヤン先生が来られ練習が始まったが、先生も開口一番「昨日のESTの演奏は素晴らしかった」とおっしゃってくださり、期せずして会場が拍手に包まれることとなった。今日もアトリエは1時までの半日だけ、明日は今までの成果を発表するアトリエ・コンサートが予定されている。先生の練習にも熱が入ってきた。しかし、ラウタバーラとグリーグの曲がなかなかうまく仕上がらない。やってもやってもうまくならない感じだ。明日までに何とかなるのだろうかと、少し心配になってくる。先生もついに今日は出入りの多い高校生を注意された。また名誉なことに、イェアシルの「Three Danish Love Songs」の第3曲でAかねさんがソロを受け持つことになった。本番が楽しみだ。練習は1時で終了。コングレスへ昼食に向かう。今日のメインはチキンとキノコをスープで煮たものだ。私達が昼食を食べていると何人もの周りの外国人が話しかけてくる。「日本人か」と聞くから「そうだ」と答えると、「昨日の演奏は素晴らしかった」と次々にほめてくれた。そして「おまえたちはプロか」と聞いてくる。「ちがう」と答えるとびっくりした様子だ。次に「どのくらい練習しているのか」と聞く。「週に1回」と答えるとまたびっくりしている。そんなこんなで大変楽しい食事となった。

 さて今日は午後から私達ESTのアフタヌーン・コンサートがホルツ教会で行われる予定になっている。それに向けて2時からコングレスの会議場を借りて1時間ほど練習をした。昨日のコンサートの成功でみんなの気分も乗ってきている。その後、会場であるホルツ教会へ地下鉄で移動。ホルツ教会は新市街のディアゴナル駅のすぐそばで、ディアゴナル通りに面している。4時から2団体、30分の休憩をはさんで5時半から2団体、計4団体がコンサートを行うのだが、我々ESTは最後に出演する予定になっている。教会に着いたら早速リハーサル。15分間の予定だが前の団体が時間をオーバーしてやっている。クレームをつけるとようやくESTに明け渡してくれた。実は当初の予定では今日のプログラムに宗教曲は入っていなかったのだが、せっかく教会でやるというので曲目を変更していた。プログラムは、ビクトリアのTaedet animam meam、Graduare、さくら、村の鍛冶屋、みかんの花咲く丘、赤とんぼ、OsiOsi、Pamugunの8曲だ。教会なので残響も素晴らしく、宗教曲も天井に吸い込まれるように響いている。曲目の変更をお客さんに伝えるため、masaokunがI藤さんに曲の前にコメントしてくれるように頼むと、スペイン語をカタカナで書いてあげるから自分で読めと言う。かくしてmasaokunが観客の前でスペイン語を話すことになってしまった。大丈夫だろうか。本番まで少し時間があるので、ディアゴナル通りのカフェでお茶を飲む。僕らはコーラにしたが、K田氏はI藤さんに勧められて木の根の汁を搾ってつくったという白い飲み物を注文した。精力がつくらしい。そうこうしているうちに時間が来たので、教会の控え室に戻り浴衣に着替える。浴衣で宗教曲というのも何か変な気はするが。そしていよいよ本番だ。まずmasaokunがスペイン語で挨拶し曲目について説明する。これだけで客席から万雷の拍手だ。続いてスコラーズが入場しTaedetを歌う。これも大きな拍手。そしていよいよ他のメンバーも入場し以下7曲を歌っていくが、一曲一曲に歓声と大きな拍手が返ってきた。エスポルツと違って良く響くので、歌っていても気持ちがいい。Pamugunを歌い終わると観客はスタンディング・オーベイションで答えてくれた。客席を見るとひときわ大きな動作で手を振っている日本人女性がいる。全日本合唱連盟が運営する合唱センターで発声の講師をしているという人だ。客席のアンコールに答えてAve Mariaを歌う。演奏会終了後もいろいろな方から声をかけていただいた。皆さんの温かい言葉に感謝しながら会場を後にする。夕方の7時頃だと言うのに外はまだ明るい。

 時間に余裕ができたので、みっちゃん夫妻・もともとっちらと一緒に教会から近いカザ・ミラに行くことにした。カザ・ミラはガウディが山をテーマに建設した集合住宅で、うねるような曲線と独特の形をした屋上の煙突や排気筒がガウディの個性を良く表している。屋上に上がるとバルセロナの中心部が見渡せ、はるかにサグラダ・ファミリア教会も見えていた。その後デパートに行くというみっちゃん夫妻と別れて、僕たちは近くのケーキ屋&レストラン「マウリ」で食事をし(ここのアイスクリームがおいしい。)、地下鉄とカタルーニャ鉄道を乗り継いで宿舎に帰った。宿舎についたのは10時頃だった。今日は早く寝られるなと思いながら就寝の準備をしていると、N郷とU田君がやってきてカードキーが急に使えなくなったという。僕のを貸してみるがやはり開かない(違う部屋なので開くはずないけど)。彼らは事務室に連絡してみるという。申し訳ないがかなり眠かったので、そのまま彼らを見送って床についた。後で聞いてみると、事務室に連絡したら、ドアのカード判別装置のバッテリー切れらしく、バルセロナから業者を呼ぶのに2時間はかかるといわれ、1時過ぎまで他の部屋で業者を待っていたらしい。ほんとうにご苦労様だ。またその日は他にもトラブルがあったようだ。もともとっちたちがむりやり部屋を変わらせられたという。本来は別の部屋だったという理由らしいが、夜中に本当にひどい話だ。


7.7月23日(水)


      リセウ劇場          カテドラル

 いつものように7時起床。久しぶりにたっぷり眠って少し疲れもとれたように思う。今日はアトリエの成果を発表するアトリエ・コンサートのある日だ。衣装は明るい色のシャツということなので、黄色のポロシャツを着てカフェテリアに向かう。パンは昨日と同じハムのサンドイッチ。ミネラルウォーターをこっそりペットボトルに補給する。出発はいつもと同じ8時15分、今日から他の団体の人も同じバスに乗っている。バスは9時過ぎにコングレスに到着。今日は他団体の人も一緒なのでインスティテュートまで送ってもらうわけにはいかない。歩いてインスティテュートへ。9時半からいつものように練習開始。ヤン先生は自分の思い出のために今日の練習をビデオに収めるという。アトリエ・コンサートに乗せる曲は全部で8曲。その中でもやはりラウタバーラとグリーグのできがあまり良くない。テノールのピッチが悪いのも大いに影響していると思う。責任を感じる。何とかしなければと思うが、なかなかうまくいかない。例の高校生は相変わらずだ。練習中はほとんど声を出さないのに、最後に立って通すときだけ歌う。だから余計ハーモニーが乱れる。もともとっちとAかねさんのソロはばっちりだ。不安を残しながら予定の1時より少し早く練習は終了した。コングレスに移動して昼食。ステージリハーサルが2時からなので大忙しだ。急いで昼食をすまし、コンサート会場のエスポルツへ移動。しかしホールが閉まっている。確かめてみるとどうもリハーサルは4時かららしい。仕方がないので4時まで思い思いに休憩する。僕はdoichanたちとカタルーニャ国立美術館を見学しに行った。ゴシック時代の宗教画や絵画とロマネスク時代の壁画を集めた貴重なコレクションだ。そして4時にもう一度エスポルツへ。今度は他の出演者も集まってきている。僕らの前にアトリエ16.1のポップスの人達がリハーサルをしていた。ピアノにギターとドラムスを入れ、軽快な乗りの良いサウンドを響かせていた。続いて我々のリハーサル。なぜか練習の時より人数が多いような気がする。そういえば見たことのないような顔もチラホラ。楽譜をバラバラに持っているので、落としそうで怖い。一通り通しただけでリハーサルは終了した。後は本番まで自由時間だ。9時のコンサート開始までかなり時間があるので、みんなでリセウ劇場で行われるアトリエ・コンサートのリハーサルを見に行くことにする。リセウ劇場はバルセロナ一のオペラホールで、ランブラス通りに面している。地下鉄リセウ駅で下車し、劇場の入り口を入ろうとすると、関係者以外は入れないという。写真だけでもと粘ったが結局中には入れてもらえなかった(演奏よりホールが見たかったのに)。仕方がないので、ここで解散とし、8時半にエスポルツ集合となる。僕はK田氏やmasaokun、Aかねさんらとゴシック地区を少し歩くことにする。まず近くのレストランで腹ごしらえだ。スペインに来てまだ一度もパエリアを食べていなかったので、みんなでパエリアを3種類ほどいただく。イカ墨の黒いパエリアが一番おいしかった。そしてランブラス通りからフェラン通りをぶらぶらと歩いていく。どこの国へ行ってもマクドナルドとケンタッキーはあるものだ。途中に広場があったので入ってみる。ガウディの有名なガス灯があるレイアール広場だ。四方を建物に囲まれ中央には噴水、周りはぐるっとカフェやレストランだ。なかなかいい雰囲気である。中央噴水の所にカンタートの名札を着けた一団がいたので話しかけてみた。ドイツの合唱団で、今日のリセウでのアトリエ・コンサートでベートーベンの合唱幻想曲を歌うという。マルクトオーバードルフのことを話したら、素晴らしいと言ってくれた。広場をカテドラルに向かって歩く。しばらく歩くとまた別の広場にでた。正面は煉瓦造りの大きな自治政府庁だ。14世紀の建物だという。実は25日にESTはここで州政府主催の単独コンサートをする予定だったのだ。それが直前になって場所が変更されていた。天井の高そうな煉瓦造りの大きな建物なので、できたらここでやりたかったと思う。細い路地を回ってカテドラル正面へ。ゴシック様式の壮大な聖堂の姿が我々に迫ってくる。残念ながら時間が遅く中を見ることはできなかった。カテドラル前の広場では楽団や大道芸人のパフォーマンスが繰り広げられていた。コンサートの時間が迫ってきたので、急いで戻ることにする。

 エスポルツに戻るとほとんどのESTのメンバーはすでに集まっていた。アトリエ毎に割り当てられた控え室に入る。すると驚いたことに外国の女性が目の前で着替えを始めた。周りの目を気にすることもなくどんどん着替えていく。ESTはほとんど宿舎から衣装を着てきていたので、着替える必要はなかったが、見ているこちらがどぎまぎしてしまう。そういえば昨日のアフタヌーン・コンサートの時も他の団体は一つの部屋で男女一緒に着替えをしていたっけ。日本では考えられないことだ。着替えが終わったら客席で他のアトリエの発表を聞く。私達のアトリエは4団体中3番目の出場だ。まずスペインの現代作品のアトリエ、中央ヨーロッパの民謡のアトリエと続き、いよいよ我々の番だ。例の高校生たちもみんなステージにのっている。周りの音があまり聞こえず、ハモっているか不安のまま、演奏は進んでいく。グリーグの曲でトップテノールに旋律が来る部分だけセカンドからトップにまわった(事前にmasaokunに頼まれていたので)。Aかねさんのソロはバックのハミングの音が定まらないにもかかわらず素晴らしいもので、満場の喝采を浴びていた。何とか演奏が終了して、客席で最後のアトリエの演奏を聴く。乗りのいいポップスで会場は大いに盛り上がった。終了後、外で通りかかったヤン先生と記念撮影し、5日間のアトリエを締めくくった。その後コングレスまで歩き、久しぶりにバスで宿舎まで帰る。宿舎に着いたのは1時前。相変わらず今夜もお湯が出ない。


8.7月24日(木)

     モンセラット修道院        サグラ・ダ・ファミリア教会

 7時起床。今日は初めて音楽日程のないフリーの日だ。I藤さんの案内でモンセラットと市内を1日観光の予定である。朝食は昨日と同じサンドイッチ。いつものように8時15分にバスに乗る。コングレス前で下車した後はI藤さんにお任せだ。まずエスパーニャ駅でモンセラットへのすべての乗り物と昼食がセットになったチケット(34ユーロ)を購入し、カタルーニャ鉄道でモンセラットに向かう。モンセラットはのこぎりのような険しい岩山の中腹にベネディクト派の修道院がある所で、カタルーニャの聖地として多くの信仰者を集めてきたところだ。1時間ほどしてアエリ・デ・モンセラット駅で下車すると眼前にのこぎりのようにでこぼこした岩山がそびえ立つ。ガウディがここで作品のインスピレーションを得ていたというのもわかる気がする。登山電車に乗り換えて山を登っていく。20分ほどで山頂駅に到着した。山の中腹を開いてつくった平地にはレストランや土産物屋・ホテルなどが建ち並び、その奥に修道院が建っている。さらにケーブルカー(フニクラ)でサン・ジュアン駅まで登ってみた。雄大な眺めだ。遊歩道を少し散策する。周囲の山々にはいろいろな形をした奇岩が見られた。ケーブルカーで修道院前広場に戻り昼食を取る。バイキング形式とはいえ肉・魚・パスタ・パエリヤと内容豊富で、久しぶりにまともな食事にありついた感じだ。昼食後いよいよ修道院へ。この修道院はもともと11世紀に創設されたのだが、1811年のナポレオンの侵攻で破壊され、現在の建物は19〜20世紀に再建されたものだ。礼拝堂の中央祭壇には信仰の象徴である「黒いマリア」の像がある。このマリア像は黒い球を持っており、この球に触れると願いが叶うという。また礼拝堂左奥にはイエス(?)の顔と手足のレリーフがあり、やましい心を持ってみると見透かされるという。近くで見ると浮き彫りではなく彫り込みになっており、前を移動すると目が追ってくるように見える。よくできた作品だ。残念だったのは、黒いマリアと共に有名なモンセラット少年聖歌隊の歌声が夏休み中で聞けなかったことだ。外の売店ではイチジクでつくっためずらしいお菓子やチーズを売っていた。モンセラットの景色を堪能し、一路バルセロナへもどる。残りの時間は市内観光だ。まず郊外のグエル公園へ向かう。地下鉄バイカルカ駅から徒歩15分くらいだ。しかしこの坂道がなかなか厳しい。途中何台かのエスカレーターがあるが、半分は壊れて動かない。グエル公園は元々資産家グエルが住宅分譲地としてガウディに造らせたものだが、交通の便の悪さで全く売れず、ガウディの造った正門から中央広場にかけてのパプリックスペースなどが現在は公共公園となっている。中央広場を囲むモザイクタイルのベンチは本当に美しい。バルセロナ市街が一望に見渡せる。広場の下はギリシア風のたくさんの石柱で支えられており、ホールのようになっている。そこではギター弾きが野外演奏をしていた。それでは私達もということで、即興の野外演奏をすることとなった。ブストのアベ・マリア、赤とんぼ、村の鍛冶屋、Pasiginと歌っていくと、どんどん観客が増えてくる。そして1曲1曲に拍手と歓声で答えてくれる。最後にスコラーズの動物たちの対位法で締めくくった。会場は大拍手、前に置いたdoichanの帽子の中にどんどんコインが投げ込まれていく。数えてみると合計40ユーロ(約5600円)以上もある。このお金をサグラダ・ファミリア教会に寄付することを観客に伝えて即興演奏会は終了した。さて次はいよいよサグラダ・ファミリア教会だ。地下鉄を乗り継いで移動する。サグラダ・ファミリア駅で地上に出ると巨大な聖堂が目に飛び込んでくる。大きすぎてカメラに入らない。入り口は「受難の門」だ。門の周囲を独特のデフォルメされた彫刻が覆っている。カザ・ミラの屋上彫刻にも通じる形だ。門を通って中にはいる。中はがらんとしている。礼拝堂自身は地下にあるのだ。敷地はラテン十字形で南側は現在建築中で、クレーンや建築資材が山積みになっている。ぐるっと回って東側の「生誕の門」に向かう。この門だけがガウディの生存中に完成されたものだ。「受難の門」と違って写実的な彫刻が門を取りまいている。スペインの内戦でかなり破壊されたらしいが、日本人彫刻家の手によって修復されたという。南側の「栄光の門」はまだ全くの手つかずだ。地下の展示場でガウディの最終案の石膏模型を見た。現在4本ずつ建っている二つの門の塔に加え、「栄光の門」に同じく4本、中心部に4人の福音書記家の塔が四本、さらにそれらの真ん中に他の塔よりもひときわ高いマリアの塔とキリストの塔が1本ずつ建ち、合計18本の塔が建つことになっている。あと50〜100年はかかると言われるのももっともだ。運悪く営業時間が終了していてエレベーターが動かない。若者たちは螺旋階段で上まで登ると言うが、おじさんたちは下で休憩だ。ここでI藤さんのツアーはめでたく終了となった。まだまだ時間があるのでみんなでラウディトリで行われるアトリエ・コンサートを見に行くことにする。ラウディトリは1999年にオープンした新しい音楽専用ホールだ。サグラダ・ファミリアからかなり歩いてようやく到着。美しいホールだ。2300席で正面にパイプオルガンが据え付けられている。音響も抜群だ。曲目はシュッツのマニフィカートだったが、演奏の方は今ひとつだ。僕たちもこんなホールでやりたかったと思うと、ため息が出た。演奏の途中で退出し、解散となる。僕らはdoichanやN郷たちと夕食に行くことにする。闘牛場のそばのバルに入った。ビールを飲んでほっと一息。ジャガイモの入ったスペイン風オムレツがおいしかった。帰りはタクシーに分乗して宿舎まで帰る。タクシーがいつもと違う道を通ったため一瞬ひやりとしたが、何とか帰り着くことができた。さて前日事務局から回答があり、トイレの横の物入れの中にあるスイッチを入れるとボイラーが作動するという。前日の夜にスイッチを入れておいたので期待してお湯をひねってみる。するとお湯が出るではないか。7日ぶりにお湯のシャワーを浴びることができ、何か幸せな気分だ。しかしこんな簡単な回答をするのに1週間もかかるとは、事務局はいったい何をやっているのだろう。


9.7月25日(金)

 
 デル・ピ教会でのコンサート       カサ・ダ・マルでの演奏会

 7時起床。昨夜お湯シャワーを浴びたので、何となく爽快な気分だ。外は今日も晴れ。地中海性気候なので夏はほとんど雨が降らないと聞いていたが本当だ。曇りの日が1日あっただけで後は連日晴れだ。毎日本当に暑い。日差しが強いし、思ったほどカラッともしていない。帽子が必需品だ。朝食は昨日と全く一緒だ。いつものように8時15分に宿舎を出発。今日のメインは夜7時からの50分間の州政府主催EST単独コンサートだ。今までの集大成のコンサートになると思う。9時過ぎにコングレス前に到着。午前中はインスティテュートで行われるショート・アトリエに参加する。アトリエ・コンサートが早く終了した人達のために設定されたアトリエだ。僕たちはオープン・シンギングのアトリエに参加した。まず輪唱で声をほぐした後、アルゼンチン・タンゴに取り組んだ。音は簡単だがテンポが速いので言葉(スペイン語)がなかなかつかない。未消化のまま次に進んでいく。2曲目はチェコ(?)の「Ej, Tedaj」という曲。これも音は簡単だが発音がさらに難しい。これも未消化のまま終わってしまった。ここでESTはコンサートの練習のため退出させてもらう。部屋を変えて1時間ほど練習した。しかし練習の最中に僕は大変なことに気がついた。今日のコンサートでPamugunを演奏するのに、Pamugun用の打楽器を宿舎に忘れてきたことに気づいたのだ。練習は12時半に終了。みんなはコングレスへ昼食に向かったが、僕は聖人氏にことわって宿舎まで打楽器を取りに行くことにする。昼からみんなはサンタ・マリア・デル・ピ教会へアトリエ・コンサートを聴きに行くことになっているので、そこで合流することにした。ところが財布の中を見るとお金が一銭もない。昨日全部使ってしまったのだった。まず銀行でTCを換金しなければならない。エスパーニャ駅近くの銀行に急ぐ。スペインの銀行はなかなか厳しく、パスポートの提示を求めただけでなくコピーまで取られた。何とか現金を手に入れて銀行前でタクシーを拾う。何とか行き先を説明してタクシーに乗り込んだ。しかし市街地は大渋滞でタクシーはなかなか進まず、メーターばかりが上がっていく。市街を抜け高速に入ると道はだんだんすいてきた。1時間あまりで宿舎に到着。金額は22ユーロで、夜間の1.5倍ほど時間がかかっているのに金額は安い(夜間だと27〜28ユーロ)。ここでタクシーを帰してしまうと、次を捕まえるのは至難の業なので、ここで待っていてくれるように頼む。宿舎から打楽器と旅行ガイドを取ってくると、旅行ガイドの旧市街の地図を出し、指で「ここへ行ってくれ」と行き先を示した。運転手も何とかわかってくれたようで、バルセロナに向けて無事に走り出す。3時15分頃にはデル・ピ教会にたどり着くことができた。デル・ピ教会はデル・マル教会と並んで著名な教会だ。中では元キングズシンガーズの歌手として名をはせたサイモン・カーリントン指揮のモンテベルディのベスペレが演奏されていた。500人は入るであろう大きな教会で残響も豊かだ。豊かすぎて曲の細かいメリスマが聞き取りにくい部分もあったが。最後まで聞きたかったが、時間の関係で途中退出し、コンサートの会場へ向かう。今夜のコンサート会場はカザ・ダ・マル(海の家?)といい、海の近くにあるらしい。地下鉄ドラサナス駅で下車し、人に道を尋ねながら行く。海端の細い通りに面した所に目的の会場はあった。客席は200位だろうか。音楽用ホールではなく会議場といった感じで、反響板もない。音響はあまり期待できないようだ。1時間ほど練習をして後は自由時間となる。昼食を取っていなかったで、masaokunらと食事に出かけた。近くのレストランでピザとパエリアを食べる。あとは本番を待つばかりだ。前回のアフタヌーン・コンサートで好評だったので、今回もmasaokunはスペイン語で挨拶をする予定だ。あとはI藤さんの娘さんがスペイン語・英語・日本語の3ケ国語で曲目解説を入れてくれる。どのくらいお客さんが入ってくれるだろうか。心配しながら開演を待つ。開演10分前に録音の調整のためホールを見に行くと、客席はほぼ埋まっていた。よし!後はいい演奏をするだけだ。気持ちを引き締めてステージに向かう。まずスコラーズのTaedet、そして他のメンバーが入場しIntroitus、Graduare、Quoniamと続く。観客はうなずきながら聞いてくれるが、なぜか拍手が来ない。Ave Mariaを歌い終えたら割れるような大拍手だ。どうも司会者が歌う前に「宗教曲は途中で拍手をするな」と言っていたらしい。気持ちよく第1部を歌い終えて、masaokunがしゃべっているうちに急いで浴衣に着替える。第2部は日本とアジアの歌だ。まず最初に「さくら」だ。今度は1曲毎に大きな拍手と歓声が返ってくる。村の鍛冶屋、みかんの花咲く丘、赤とんぼ、いっしょに、と歌い進むと、どんどん会場が盛り上がっていく。そしてPasigin、Soleram、Osi Osi、Pamugunとアジア4曲を歌い終えると、客席は総立ちとなった。全員がスタンディング・オーベイションしてくれているのだ。歌い終えた我々も充実感でいっぱいだ。この後州政府からの記念品贈呈があり、お返しにESTからは法被と扇をプレゼントした。そしてアンコールの「別れの歌」。歌いながら少しうるうるして涙目になってしまった。スコラーズの「動物たちの対位法」も大受けだった。大盛況のうちにめでたくコンサートは終了した。ロビーでは2日目にI藤さんの紹介で交流した日本人女性合唱団の面々が待っていてくれ、話に花が咲いた。これで今回の旅行の音楽日程はすべて終了だ。これはもう飲みに行くしかない。doichan・M田君らとランブラス通りのバルへ行く。久しぶりにたくさん飲んだ。タコをぶつ切りにしてパプリカをかけたのが結構おいしかった。M田君はただの酔っぱらいになっていた。タクシーに分乗して宿舎へ戻る。時間は1時を過ぎていた。


10.7月26日(土)

 

  パルク・ダ・マル地区のプロムナード

 7時起床。昨夜は遅かったので少し眠い。朝食は相変わらず同じだ。同室のM田君は昨夜どんなふうに帰ってきたか覚えていないという。食事も食べられないらしい。完全な二日酔いだ。いつものように8時15分にバスに乗る。今日はI藤さんに近郊の海へ連れて行ってもらい、昼過ぎまでゆっくり過ごそうという計画だ。コングレス前でバスを降り、地下鉄を乗り継いでシウタデリャ駅まで行く。そこから10分ほど歩くと、パルク・ダ・マル地区だ。ここはバルセロナオリンピックの時選手村が置かれたところで、今はおしゃれなウォーターフロントとして生まれ変わっている。椰子の木が茂るプロムナードが続き、ビーチとヨットハーバーの周りにはシーフードレストランが立ち並ぶ。N郷・Aかねちゃん・H田くんらEST若者グループ+みっちゃん夫妻・もともとっちとH野氏・masaokun・doichanらは早速着替えてビーチに直行。残りは砂浜で休息+目の保養だ。周りを見るとトップレスの女性も結構いる。K田君がこっそり激写していた。暑くなってきたので浜辺の売店でビールをいただく。パラソルの下に座っていると浜辺の風が心地よい。久しぶりにゆったりとした時間を過ごさせてもらった。昼食はI藤さんの案内で近くのシーフードレストランへ。イカや小魚の揚げ物から始まって、魚・甲イカ・ムール貝・エビの焼き物、パエリアとどれもシンプルだがおいしい。最後に食後酒というのが出たが、これがとても強い酒だ。薬草が入っていて消化にいいそうだ。スペイン人は食後にこんな強い酒を飲んでいるのか。強すぎて量が減らずたくさん余ってしまった。H田君とT住氏はちゃっかり瓶ごと鞄に入れている。ゆったりとした昼食を終えて、地下鉄でジャウマ・プリメまで戻る。ここで市場へ買い物に行くI藤さん+若者組とピカソ美術館へ行くT住組に分かれる。僕はT住組だ。まず歩いてカテドラルに向かう。前に来た時は中に入れなかったので、今日はぜひ中に入りたい。正面広場では相変わらず芸人のパフォーマンスが行われている。中に入ると外とはうってかわって暗く荘厳な空間が広がる。左右には小さな礼拝堂がいくつも続き、たくさんのろうそくが供えられている。主祭壇の前まで行くと正面のステンドグラスがとても美しい。左側にエレベーターがあり、塔の上まで登れるようになっている。カテドラルの見学後、歩いてピカソ美術館に向かう。ライエタナ通りから細い路地を入った所にある。昔の貴族の館を利用して造られた美術館で、主にピカソの若い頃の作品が中心に展示されている。ピカソと言えば独特のデフォルメされたキュービズムの作風が頭に浮かぶが、ここにあるのは10代の頃書いた写実的な作品とそれに続く「青の時代」の作品が中心だ。彼のデッサン力の確かさには舌を巻く。彼の奔放な作風の基礎には確かなデッサン力があるのだ。その写実的な作風がどんどん変わっていくのがおもしろい。ベラスケスの「ラス・メニーナス」をモチーフにした連作もとてもおもしろく、興味深く見させてもらった。ミュージアム・ショップでおみやげを買い、T住組の市内観光は終了となった。あとは夜9時からのファイナルコンサートを残すのみとなった。今日も初日と同様ディナー券がついているので、地下鉄でコングレスに向かう。もちろんディナーと言っても、初日同様サンドイッチ2切れと小さなパンケーキ1つ、りんご1個、ミネラルウォーターのみだ。食堂で最後のディナーをとった後エスポルツに向かう。いよいよ最後のイベント、ファイナル・コンサートだ。しかし最後だから盛り上がると思っていた僕らの期待は、大きく裏切られた。アトリエ11のメンバーによるスペインの作曲家ファリャの「アトランティーダ」という曲の演奏が始まったのだが、これが何とえんえん1時間15分続いたのだ。申し訳ないが、曲そのものも盛り上がりに欠けるつまらない作品で、演奏もいまいちだった。周りはみな居眠りをしている。多分この曲はこれからほとんど演奏されないだろう。ようやく演奏が終わると、続いて役員の挨拶、次期開催地ドイツのマインツへの旗の引き継ぎ式と続く。もう少し内容を工夫できないものだろうか。1992年のバルセロナオリンピックは開会式も閉会式もかなり斬新でユニークなものだったのに。結局大した盛り上がりもないまま、ファイナルコンサートは終了してしまった。出口では次期開催地マインツの人達が鉛筆を配っていた。何か不完全燃焼のまま、バスで帰途につく。バスの中では同宿で仲良くなったプエルトリコの方から国旗のバッチをいただいた。お返しに扇子をさし上げた。もうこの人たちと一緒にバスに乗ることもないのだと思うと、少し寂しい気がする。宿舎についてシャワーを浴びようとすると、昨日まで出ていたお湯が今夜は全く出ない。最後の最後にこれだ。水シャワーに始まり水シャワーに終わるカンタートだった。


11.7月27日(日)

 朝5時15分に起床。急いで荷物をまとめる。6時に空港行きのバスが出るのだ。スーツケースにとにかく詰め込んでバスに急ぐ。ESTのメンバーはほぼそろっている。ところがスーツケースがバスの荷物入れに入りきらない。他団体の荷物ですでにいっぱいなのだ。仕方がないのでバスの通路に並べることにする。何とか積み込んでさあ出発という時にまた一団体やってきた。もう荷物は僕らの荷物の上に積み上げるしかない。バスは座席もいっぱい、通路も満杯の状態で6時15分にようやく出発した。しかし道はがらがらで1時間あまりでプラット国際空港に到着した。早く着きすぎたのでI藤さんはまだ来ていない。あの合唱センターのボイス・トレーナーの女性も来ている。同じ飛行機らしい。しばらくしてI藤さんが到着、搭乗手続きをしていただく。I藤さんには本当に最初から最後までお世話になりっぱなしだ。手続きがすんだ後、I藤さんと最後のお別れをする。お別れに1曲歌うことになり、I藤さんのリクエストでブストのアベ・マリアを歌った。I藤さんも大変感激してくださった。最後にみんなで記念写真を撮り、I藤さんとお別れした。9時30分予定通りバルセロナを離陸。2時間弱でパリのドゴール空港に着く。買い忘れたおみやげ等を買い込んだ後、13時45分にパリを離陸、一路日本へと向かった。行きの轍を踏まないように酔い止めをしっかり飲んでおいたので、帰りは酔うこともなく、また疲れているせいか睡眠もしっかり取ることができた。(帰りの飛行機も液晶テレビが付いていたが、残念ながら僕のシートのテレビは故障していてゲームができなかった。)12時間半の空の旅も行きに比べるとずいぶん短く感じた。日付が変わって翌28日の朝8時25分に無事関西空港に到着。11日ぶりに日本の土を踏んだ。全員が大きなけがや病気もなく無事に帰ってこられたことは、本当に喜ばしいことだ。さて空港の出口で荷物の出てくるのを待っていると、どこかで見たような女性が同じように荷物を待っている。スペインで交流した日本人女性合唱団の中に一人だけいたフィリピン人の女性だ(ご主人は日本人)。夏休みで日本に帰ってきたのだという。こんな所で出会えるとはと、話に花が咲いた。もう一つうれしかったのはしゅん太君が出迎えに来ていてくれたことだ。前日大阪で仕事があったので大阪で宿泊して、今朝わざわざ来てくれたのだ。本当にありがたいことだ。しゅん太君に見送られながら三交のバスで一路津へ。津には11時半頃到着。あとはおのおの家路についた。 


12.バルセロナの印象いろいろ

 バルセロナはとにかく暑い。地中海性気候のため夏は雨が降らず毎日強い日差しが照りつける。ヨーロッパの夏はカラッとしていると言われるが、海が近いせいか湿り気も結構あるように思う。しかしさすがに夜になると過ごしやすくなる。熱帯夜で寝苦しい、というような日は1日もなかった。

 次に感じたのは、バルセロナの人達は時間に追われずゆったりと生きているということだ。平日の午前中だというのにカフェのテラスでゆっくりお茶を楽しんでいる人が結構いるし、午後1時〜3時はシエスタでお店も閉まってしまう。土日はレストランや商店はほとんどお休みである。時間を惜しんであくせく働いてお金を稼ごうという感じがない。時間にもおおらかだ。カンタート期間中でも時間の予定が変更になるのはしょっちゅう、使えるはずの部屋が使えないなんてことも多々あった。受付の人の対応も、自分の責任範囲については対応するが、それ以外のことには相手がどんなに困っていてもノータッチだ。日本のように、お客の注文ならどんなことにでも対応しようとする姿勢はない。

 3番目に感じたのは、演奏に対するストレートな反応だ。これはバルセロナの人が、というよりカンタートに集まったヨーロッパの人々が、と言った方がいいのかもしれない。とにかく良い演奏にはストレートに反応してくれる。拍手・歓声は言うに及ばず、スタンディング・オーベイションで答えてくれる。そして後日でも、会うたびに祝福してくれるのだ。日本人は慎ましやかなので、良くない演奏でも一応拍手はするし、良い演奏の時も控えめに拍手をする。義理の拍手か本当の拍手かを見分けるのはなかなかむずかしい。それだけヨーロッパでは音楽が生活に根付いているのだろう。良い聴衆が良い演奏家を育てているとも言える。

 最後に実感したのは、バルセロナの治安の悪さだ。旅行前からスペインの治安の悪さは聞いていた。日本人が海外で巻き込まれる犯罪のうち7割がスペインだという。できるだけたくさんの現金を持ち歩かないようにしたり、鞄を手から離さないようにして自衛をしていたが、ESTからも被害者が出てしまった。doichanが財布をすられたのは満員の地下鉄の中。相手は二人組だったという。乗り込む時・降りる時などの体が触れあう時を利用してあっという間にやられた。もともとっちも同じ地下鉄の中で鞄の中に手を入れられたそうだ。幸い未遂に終わったが、相手は女性だったらしい。とにかくラッシュ時の地下鉄の中やホーム、カタルーニャ広場やランブラス通りなどの繁華街や観光スポットの人混みの中は要注意だ。夜の地下鉄や繁華街の路地も怖いらしい。とにかく日本人はお金をたくさん持っているのでねらわれやすい。1度で1000ユーロも手に入れば、1ヶ月は遊んで暮らせるので、一攫千金をねらう者が出ても無理はないのかもしれない。とにかく大金を持ち歩かないことが第一だ。

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