幼稚園の頃  半ズボンにネクタイの制服で、キリスト教系の私立幼稚園に通っていた。母の命によりYAMAHAの音楽教室に通わされていたが、女の子ばっかりでとてもいやだったのを覚えている。そのころのYAMAHA音楽教室はオルガンだけでなく、簡単な聴音やソルフェージュもあったので、それが今合唱するのに少しは役立っているのかもしれない。しかし小学校に入学する時に引っ越したため、音楽教室は幼稚園だけでやめてしまった。だから、現在ピアノは全く弾けない。続けていたら今頃は……。
小学校の頃  とにかく人前で歌うことが好きだった。バス遠足があると、バスの中でマイクを離さない子供だった。そのころは歌謡曲ばかりl歌っていたけど。
中学校の頃  人前で歌うのが好きなのは小学校時代と変わらず。音楽の歌のテストなんか待ち遠しくて待ち遠しくて。音楽の若いS先生をみんなで授業中にからかって、よく泣かしたりしていた。「サンタ・ルチア」の歌のテストがあった時、目立とうと思って一人だけS先生に教えてもらったイタリア語で歌ったのを覚えている。深夜放送で洋楽を聴き始めたのもこのころ。ビートルズやプログレッシブ・ロックなどが好きだった。ちなみに初めて買ったレコードはビージーズの「メロディ・フェア(映画「小さな恋のメロディ」の主題歌)」だった。
高校の頃  中学・高校と部活動は剣道部だったが、同級生に音楽部のT氏(彼は後に慶応ワグネルの学生指揮者になった)やI氏がいたので、文化祭の時に助っ人を頼まれて、初めてまともな合唱をした。生まれて初めて取り組んだ合唱曲は、男声合唱の「いざたて戦人よ」と大中恩の「沼」、そして佐藤眞の組曲「蔵王」から「苔の花」と「早春」だった。それ以来、音楽部の仲間と親しくなり、わざわざNHKコンクールの応援に名古屋のCKホールまで行ったのを覚えている。愛知県は県大会の前に地区予選があり、我が刈谷高校は西三河大会でいつも岡崎高校に負けていたが、その年は岡崎に勝って県大会に出られたのだった。しかしそのころは名古屋北高校の全盛時代で、優勝はもちろん北高だった。
大学時代  高校の文化祭の助っ人経験が忘れられず、入学と同時に迷わず三重大学合唱団に入団。高校の文化祭の時はテノールだったのに、なぜかバスに入れられた。2年生の時にバスのI氏との交換トレードで晴れてテノールに昇格(?)。このころのことを思い出してみると、みんなと声を合わせようなんてほとんど考えず、どうしたら自分の声が目立つかばかり考えて歌っていたように思う。3年生の時にH氏、4年生の時にM氏(masaokun)と優秀な学生指揮者が続き、2年連続で全日本合唱コンクール全国大会に出場した。masaokunとはそれ以来のつきあいである。3年時の全国大会は吹奏楽コンクールで有名な東京の普門館で行われ、ステージの広さにびっくりしたが、4年時の全国大会は函館の市民体育館の仮設ステージだった。あまりにひどいステージでがっかりしたのを覚えている。ちなみに普門館には関東代表で弟(静岡大学混声合唱団に所属)も出場していた。
 大学時代で、もう一つ印象に残っているのは「石水合唱講座」への参加である。これは東京混声合唱団の指揮者である田中信昭先生を「石水ホール」に迎えて、月に一回合唱のレッスンを受け、その成果を演奏会で発表するというものだった。確か3年生の時にmasaokunといっしょに参加したと思う。田中先生の指導はとても理にかなったもので、それまで学生指揮者しか見たことのない僕にとっては、新鮮な驚きだった。その講座で間宮芳生の「コンポジションT」と三善晃の「嫁ぐ娘に」に取り組んだのだが、それまで取り組んだことのない斬新な音の魅力に魅了された。
社会人に
    なって
 1980年3月に大学を卒業。1年目は高校の講師をしながら名古屋の合唱団「ノイエ・ゲブルト」に所属。全国大会に出場するためにこの団を選んだのだが、このころ台頭してきた「クール・ジョワイエ」のおかげで全国には出られず。
 次の年に就職と結婚のため滋賀県彦根市に住むことになる。しばらく彦根混声合唱団の団員として活動した後、第1・2子誕生のため、妻の実家のある日野町に転居。88年に日野中学校音楽部のOBたちと日野混声合唱団の設立に参加し、第10回演奏会まで活動するが、限界を感じて退団。
 上記の合唱活動とは別に、大学卒業後数年して、masaokunや三重大学合唱団のOBらといっしょに月1回の「歌う会」の活動を始める。この「歌う会」がやがて85年に「合唱団プチ・ヴォー」に発展していくこととなった。合唱団プチ・ヴォー時代は、演奏会とコンクールが近づいてくると練習に参加するという不良団員で、「季節労働者」と呼ばれていた。プチ・ヴォーの分裂後、92年に本格的な室内合唱団を目指してmasaokunやみっちゃんらといっしょにヴォーカルアンサンブル《EST》を設立し、現在に至っている。《EST》での活動は《EST》のホームページを見てください。

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N氏の華麗なる?音楽遍歴