5月11日(火)〜12日(水)


  ソフィアのホテル              ネフスキー寺院          ブルガリア名物ショプスカ・サラダ

 17時に妻に車で送ってもらって近江八幡駅へ。17:38発の新快速で新大阪に向かう。新大阪で特急はるか39号に乗り換え関西空港へ。19:55関空着。20:45集合なので少し早く着きすぎた。Bカウンターで他のメンバーを待つ。旅行業者マックの呉橋さんと永田さんが搭乗手続きのため来てくださっている。一緒に出かける「和歌山ユース合唱団(和歌山児童のOG合唱団)」はすでに全員集合しいてた。彼女らはヨーロッパ・グランプリと同時に行われるヴァルナの「メイ国際合唱コンクール」に参加するのだ。集合時刻になりESTも遅刻者もなく全員集合した。ただT田くんだけはぎりぎりまで仕事をしてから駆けつけるということで、彼一人を残してBカウンターで搭乗手続きを行う。21:40頃にT田くんも駆けつけ、全員がそろった。今回のヨーロッパ・グランプリで渡欧するのは全部で団員が41人、指揮者1人、付添者がN世古さんのお母さんと妹さん、D東さんのお母さんと元大阪府合唱連盟理事長のS山先生の4人だ。ただしN世古さんの妹さんは和歌山ユースの一員として行動し、団員のうち仕事の都合等で後日合流する予定の者が11名、D東さんのお母さんも途中合流なので、総勢33名のフライトだ。

 トルコ航空47便で定刻より20分遅れて22:53に離陸、約13時間の長旅だ。夜のフライトということで、機内でスリッパと歯ブラシ・アイマスク・耳栓等の入ったポーチが配られた。座席にはタッチパネル式の液晶テレビが完備しており、映画・音楽等が楽しめるようになっているが、すべてトルコ語か英語で映画の題名がわかりにくいし、新しい映画が少ない。しかも座席が異様に狭い。寝ようと努めるがなかなか寝付けずウトウトするのみだ。0:30(日本時間)に夕食(夜食?)。メニューはうなぎ丼、サーモンサラダ、トマトと茄子の煮物、ケーキ、チーズ、パン、飲物。現地時刻の3:10(日本との時差−6時間)に朝食。メニューはオムレツ、ハム入りフレンチトースト、チーズ、フルーツ、パン、飲物。

 5:41にイスタンブールのアタチュルク空港に到着。空港のロビーで和歌山ユース合唱団と正式の顔合わせをする。トランジットまで時間があるので空港内をぶらぶらしていると、トルコアイスの売人が知っている日本語を連発して日本人を呼び込んでいた。1個2.5ユーロでゴムのように伸びるのだ。8:30にTK1027便でソフィアに向け出発。ソフィアまでは1時間とかからない。機内で2回目の朝食。メニューはパン、ハムとキュウリ・トマト、チーズ、フルーツ、飲物。9:40にソフィア空港に到着。これから7日間お世話になる通訳のアントン・アンドレフさんの出迎えを受ける。彼はソフィア在住で、奥さんが日本人で本人も日本で7年間滞在したことがあり、日本語と英語・ブルガリア語ができるのだ。

 10:20に空港をチャーターバスで市内のホテルに向かう。ソフィアはブルガリアの首都で人口は約200万人だという。大きな都市だが少し雑然とした感じがする。30分ほどで市内中心部の今日宿泊するベストウェスタンシティ・ホテルに到着。都会風の洗練された立たづまいだ。まだチェックインできない時間帯なので、荷物を預けて徒歩で市内観光に出発する。まず両替所に寄りお金を現地通貨レバと交換。(1レフは約60円、レフの複数形がレバ)まずアレクサンドル・ネフスキー寺院に向かう。この寺院はソフィアの象徴的な寺院でネオ・ビザンツ様式の巨大な建物だ。内部に入ると高いドーム状の天井の下に椅子は一切置いてない。ブルガリア正教は立って礼拝をするのだという。また聖歌を歌う時も楽器は使用しないので、パイプオルガンもない。キリスト等の像もなくあるのはたくさんの聖画(イコン)だけだ。やはり西欧の教会とは大きく違う。続いてソフィアの街の名の元になった聖ソフィア教会の赤煉瓦を眺めながら、アレクサンドル・ドンドコフ通を通って威圧的な建物旧共産党本部に至る。その前は大統領府だ。衛兵2人が門の警護をしている。中に入ると内部は中庭になっており、ローマ時代の浴場跡の遺跡が広がっている。その一番奥にあるのが4世紀にローマ帝国によって建てられたという聖ゲオルギ教会だ。さて気がつくと途中でH山氏がいつの間にか合流している。彼は前日からフランクフルト経由でソフィア入りしており、別のホテルに泊まっていたのだ。続いて市民庭園を通り抜けて16日にコンサートを行う「ブルガリアホール」を見た後、聖ニコライ・ロシア教会の横を通って13:00に昼食会場のレストラン「ビクトリア」へ。メニューはブルガリア名物ショプスカ・サラダ(野菜にチーズを振りかけたサラダ)、チキンのカツレツ、ケーキ、ミネラルウォーターだ。野菜が多いのがありがたい。歩いてホテルへ帰り14:30にチェックインする。一人一人のパスポートの提出を求められるが、パスポート表記の一覧表を見せて勘弁してもらった。みんなは部屋で待機だが、私はD井ちゃん・アントンさんとブルガリアホールへ打ち合わせに向かう。徒歩で10分ほどの距離だ。ホールの責任者の女性とコンサートの詳細を詰めるためである。我々がコンサートをするのは大ホールではなく、200人ほどの小ホールの方だ。狭いがとてもよく響く。打ち合わせを始めるとコンサートが長いので休憩を1回にせよという。また曲間の解説は極力少なくした方がいいという。曲間に解説を入れたり休憩を何回も取ると、客が途中で逃げるというのがその理由だ。予定では休憩を2回取る予定だったので、更衣を1回に減らして休憩を真中1回にする変更を伝えた。ホールにポスターが貼ってないので聞いてみると今日から貼る予定だという。もう4日前なのに本当に大丈夫なのだろうか。

 16:00から17:00までホテルの会議室で声出しとパート練習。ここからアメリカ留学中のY地くんも合流する。お昼過ぎにソフィア空港に着いたのだ。しかし隣の会議室が会議中なので声を出すなと従業員からクレームがつく。仕方がないので体操と振付けの確認をする。17:00には隣の会議が終了したので晴れて声が出せるようになり、全体練習となった。まず始めにアントンさんにTebe Poemの発音を確認していただく。Tebeの発音を少し直されたが、あとはOKとのことだった。コンクールの曲は事前によく練習してきているので、今日は日本の曲(さくら、赤とんぼ、みかんの花咲く丘、ふるさと、ルパン三世)を中心に軽めに練習、19:00に終了した。

 19:00からホテルの1階レストランで夕食。メニューはトマトとチーズのサラダ、豚肉のカツレツとジャガイモ、デザートははちみつヨーグルトだ。ヨーグルトといっても硬めで皿の上で団子のように丸まっている。
 21:00から30分ほど部屋で明日のコンサートに向けてパート別反省会をし、部屋に戻る。同室はG藤くん、このホテルは部屋はまあまあきれいだが、バスタブが無くシャワーだけだ。シャンプーや石けん等は完備している。シャワーを浴びて23時就寝。
 

5月13日(木)

  
    ブルガリアの国内便             ドブリッチのドラマ・シアター         ブルガリアのビール

 6:00起床、1日活動した後の宿泊なので時差ぼけはあまりない。6:30にレストランでバイキング形式の朝食。朝食会場には前日の夜中に到着した6日間コースの5人(D東親子、Y田さん、カメちゃん、M下さん)も来ていてほっとした。去年のフランスのホテルの朝食はひどかったが、今年のホテルの朝食はかってないほど充実している。パン2種・各種のコーンフレーク、ヨーグルト、多種のハムとチーズ、たくさんの野菜と果物、各種の飲物。バルセロナやトゥールと比べたら天国だ。

 7:20ロビー集合、チャーターバスでソフィア空港へ出発。8:20に空港着、別のホテルに泊まっていた和歌山ユースと合流する。搭乗手続きで2名足りないと言われたが、一人は向こうのミス、もう一人はN井さん(体調不良のため事前キャンセル)と分かって納得してくれた。ブルガリア航空971便で9:40にヴァルナへ出発。国内便なのでとても小さなジェット機だ。機内で7daysと書いたクロワッサンが出た。後で分かったのだが、ブルガリアでは7daysマークのパンやビスケットが何種類か売られている。7日間もつということだろうか。10:30ヴァルナ着。空港では今日のコンサートをマネージメントしてくださるブルガリア室内オーケストラのドザリンさんと彼の娘さんが出迎えてくれた。チャーターバスでドブリッチへ向かう。11:40今日の宿所ホテル・ブルガリアに到着。ドブリッチはこぢんまりした街で、ホテルの周りに公園やホール、文化施設が集まっている。ホテルではチェックインの際パスポート表記一覧表では認められず、パスポート実物を提出することとなった。

 12:15に最上階レストランで昼食。メニューはオニオンスープ、パン、白身魚の揚げ物の野菜添え、フルーツ。13:15〜13:45ホテルの会議室でDolcissima mia vitaの練習。その後徒歩で今夜のコンサート会場ドラマシアター・ミラーホールへ移動。私とmasaokun・アントンさんでホールの責任者と打ち合わせをする。打ち合わせをしてみると、演奏曲目が最初に送ったものから訂正されていないことが判明した。しかも演奏時間を最初の計画通り40分以内にしろという。トータルで1時間以上のプログラムを考えていたが、しかたがないのでコンクール曲からオンゴーを除いた7曲+さくら+みかんの花咲く丘、に曲目を変更することとした。14:15から16:45まで本番のホールで練習。こぢんまりとしたホールに椅子が100席並べてあり、とてもよく響くよいホールだ。16:50からはヨーロッパ・グランプリに向けて大ホールに移動してさらに17:30まで練習する。パイプオルガンも設置されている立派なホールだ。練習後歩いてホテルに戻り待機。

 19:30から本番予定なので、更衣して19:15にホテルを出る。ホールに着いてみると一つ前の室内楽の公演が伸びて終了していない(我々のコンサートは一連の室内楽シリーズの一環として行われるのだ)。結局我々のコンサートが始まったのは20:00だった。最初にmasaokunがブルガリア語で挨拶し喝采を受けた。客席は三分の二くらいの入りだろうか。日本語の曲解説をはさみながらDolcissima mia vita、Abendlied、Sanctus(Poulenc)、リリケX、リリケTと演奏は続いていく。詞華抄U、Que rico eで演奏が終了すると、万雷の拍手とスタンディング・オーベイションだ。続いて演奏した日本の2曲(さくら、みかん)にも大きな拍手をいただいた。アンコールに答えてTebe Poem、赤とんぼを演奏し、温かい拍手のうちに演奏会は終了した。演奏後ロビーでは聴衆の皆さんから温かい声をいただいた。ある老作曲家からは「日本の科学技術は素晴らしいが、日本人がなぜ素晴らしいか今日のESTの演奏でよくわかった」「ぜひあなたたちのために曲を書きたい」という言葉をいただいた。

 21:00にホテル帰着。9:15から最上階レストランで夕食。ロザリンさんと娘さんも一緒だ。メニューは野菜サラダと牛肉のブラウンソース・マッシュポテト添え、サラミ、ビスケットで、コンサートの打ち上げを祝してブルガリアのビールも出された。ありがたくいただいた。

 食事後部屋に戻り風呂にはいる。今日のホテルはバスタブがあるのだ。しかし排水するとバスタブから床に水が漏れているではないか。トイレも流すと水漏れする。おかげでバスルームの床は水浸しだ。アントンさんに頼んでフロントに電話してもらうと、係の人がやってきて配水管を見てくれた。しかし明日しか直せないから今日は我慢しろと言う。代わりに掃除のおばさんがモップで床をきれいに拭いてくれたが、トイレを使用したらまた水浸しだ。同室のG藤くんと文句を言いつつ、24:00就寝。



5月14日(金)


  会場のコングレス・センター           コンクール開会式            ホテルでの夕食

 6:30起床、7:00朝食。朝食会場はまだ早いからか電灯が半分しかついていない。バイキング方式でパン、種々のチーズ、コーンフレーク、ヨーグルト、玉子、ソーセージ、野菜など豊富な内容だ。ただコーヒーメーカーとジュースメーカーの調子が悪く、コーヒーはカップから溢れるし、ジュースは時々うすいのが出る。

 8:30にチャーターバスでホテルを出発、ヴァルナに向かう。9:30ヴァルナのチェルノモーレ・ホテル着。夜中の3時に到着していた5日間コース組5人(N島、M木、S村、T辺、H)と合流する。睡眠がほとんど取れなかったはずだが、みんな比較的元気そうでほっとした。みんなにはホテルのロビーで待機してもらい、私とD井・O田・masaokun・S山先生・アントンの6人でコンクール会場のフェスティバル・コングレスセンターに受付に向かう。そこの第1ホールでコンクールが行われるのだ。行ってみると受付らしきものはなく、係の女の子も何も知らない様子だ。責任者のガンチョさんをつかまえてたずねると、今は忙しいので10:45から話を聞くという。しかたがないので先にホールの様子を見ることにする。ホールでは10:00から「メイ国際合唱コンクール」の開会式が始まっていた。ホールはステージ後ろにパイプオルガンが設置されているが反響板は無く、客席は横に広いが奥行きは思いの外短い。噂通りほとんど響かないホールだ。ステージでは国旗を持った出場団体の代表が紹介され、最後にTebe Poemの作曲者ヒリストフの曲(題名はわからないが、有名な曲らしい)を全員合唱した。

 10:45からガンチョさんと打ち合わせをする。彼によると、コンクールの演奏順はまだ決まっていない。今日の練習会場については、教会を用意しているが他の団体が使用するかも知れないので、何時から使えるかは未定である、とのことだ。とにかくはっきりしたことはほとんど分からないのだ。これでは今日の練習時間を確定できないので、コンクール委員会の提供する練習場は当てにせず自分たちで確保することにし、アントンさんに今日宿泊するゴールデンサンズのホテルの会議室を電話であたってもらう。OKが出たので、待機している団員を呼びに行き、ホールの響きを確かめるためコンクールの最初の2団体(少年少女合唱部門)の演奏を鑑賞する。確かに響かない。ひな壇の前後もあまり響きに関係なさそうだ。息継ぎやミスがよくわかる。11:30まで鑑賞し、1時間の昼食休憩を取ることにする。今日の昼食は用意されていないので、ホール周辺で自由食だ。観光地なので周囲にはレストランやファーストフードの店がたくさんある。私はmasaokunたちとホール隣のレストランで昼食を取った。メニューは野菜とマッシュルームのサラダ、チキン入りピラフ。サラダの量が半端でなく多い。

 12:30チェルノモーレ・ホテル前に集合し、バスでゴールデンサンズに向かう。13:15ホテル・スラヴェイに到着、チェックイン。海沿いのしゃれたリゾートホテルで海水浴客が行き交っている。インドア・プールも完備している。宿泊手続きを始めると、宿泊者名簿が古いままで抜けている者が何人か有り、部屋割りも届いていない、練習も16:00までしかできないなど、問題が続出だ。フロントに担当者を残して練習に向かってもらう。14:00〜16:00せまい会議室で汗だくになりながら練習。コンクール曲のうちDolcissima、Abendlied、Sanctus、リリケX、リリケTを集中的に練習する。指揮者も本番が近づいてきたせいか力が入っている。結局ホテルの譲歩により16:30まで練習した。その後30分ほど屋外でマンボの振りを確認して本日の練習が終了となった。

 18:30〜19:30に1階のレストランでバイキング形式の夕食。多種多様のおかずが用意され、野菜・ハンバーグ・ハム・ピザ・肉類・スープ・飲物と豊富な品揃えだ。デザートもたくさん用意されている。屋外にも席が用意されており、気持ちよくいただいたが、ウェイターが空の皿をかたづける早さが尋常でない。空けるとすぐ持って行かれてしまう。食事後ホテルの周りを散策する。近くに「マンボ」という名前のスーパーマーケットがあったので、そこでブルガリアのお菓子と土産物を買った。

 20:30から1時間ほど部屋でパートミーティング。その後シャワーを浴びようとするとお湯が出ないではないか。アントンさんにフロントに連絡を取ってもらうと、一時にみんなが使うのでどうしようもないと素っ気ない返事だ。水シャワーを浴びて23:00に就寝。同じように水シャワーだったバルセロナを思い出す。


5月15日(土)

 
     ゴールデンサンズのビーチ           ESTのステージ        グランプリ受賞のスロベニアの男声合唱団

 6:30起床、7:00に朝食会場に行くがまだ開いていず、しばらくビーチを散歩することにする。ホテルから徒歩5分ほどでビーチに出られるが、ビーチいっぱいにパラソルとハンモックが広がり、リゾートらしい風景だ。遊園地やレストランもある。ホテルに戻り7:30から朝食。夕食同様バイキング形式でおかずも豊富だ。朝食後フロントで規定人数を超えた分の支払いをする。3人オーバーなので、1泊20ユーロ×2日×3人でマックが用意してくれた120ユーロを支払うと、支配人がこれでは足りないという。ツインは1泊20ユーロだが、シングルは25ユーロだというのだ。シングルが6人いたので60ユーロ余分に払えと言う。それでは約束が違うと主張するが支配人は主張を変えない。しかたがないのでとりあえず立て替えて払い、後で実行委員会と交渉することにする。

 9:00チャーターバスでコンクール会場へ向かう。途中バスの中で発声練習。9:50に会場に到着、10:00〜10:30にステージリハーサルを行う。ステージで歌ってみると思っていたよりは歌いにくくない。全曲は通さず、Dolcissimaをいろいろな場所で歌って響きを確かめた後、オンゴーのピアノ合わせとマンボの練習を行う。ピアノの音がひどい。ホールにはもっとまともなピアノを入れてほしいものだ。

 ゴールデンサンズに戻って練習するのは時間が無駄になるので、近くのチェルノモーレ・ホテルの会議室を借りることにし、アントンさんに連絡を取ってもらう。OKが出たので、全員でチェルノモーレに移動する。11:00〜12:00はピアノのある小会議室でオンゴーとマンボの練習をした。12:00から1時間の昼食休憩。私はK波さんらとマクドナルドですます。マックは世界中どこに行ってもある。味も同じだ。13:00からは場所を大会議室に移して練習再開。オンゴー以外のコンクール曲をつめていく。途中アントンさんがガンチョさんに電話をして、我々の出番が3番目であることを聞き出してくれた。また練習の合間にドズリンさんにブルガリアのお酒と陶器をいただいた。お酒は47度のとても強いものだ。D井ちゃんは55度のをもらったらしい。途中に着替えをはさんで17時過ぎまで練習を行い、夕食の休憩をとる。私は本番が近いので夕食は取らず心の準備をする。

 18:10チェルノモーレのロビーに集合しホールへ歩いて移動。今回のヨーロッパ・グランプリはヨーロッパ6大コンクールのグランプリ受賞団体といっても、ハンガリーのデブレツェンのコンクールが隔年開催で昨年は開催されない年だったので、5団体の出場だ。しかも直前になって、スペインのトロサ・コンクールの代表であるリガ大聖堂少女合唱団(ラトビア)が出場できなくなったということで、4団体の争いとなってしまった。その4団体のうち、《EST》を除く3団体がいずれもスロベニアの合唱団という変な構成になっている。演奏順は1.SALESKI AKADEMSKI PEVSKI ZBOR 2.KOMORNI ZBOR AVE、3.ヴォーカルアンサンブル《EST》、4.VOCALNA AKADEMIJA LJUBLJANAと決められた。我々の本番は19:00からだが時間が来ても前の団体が歌っている。1曲ごとに曲目紹介が入るので延びているのだろうか。最終曲はシェーンベルクの難曲「地上の平和」だ。直前に担当者が入場を前からか後ろからか選べと言ってきた。入り口など一つに決めておけばいいのに。19:15いよいよ我々《EST》の番だ。曲目は1.Dolcissima mia vita(C.Gesuald)2.Abendlied(J.Rheinberger)3.Mess sol-major よりSanctus (F.Poulenc)4.LIRICHE AMOROSE X(鈴木輝昭)5.LIRICHE AMOROSE T(鈴木輝昭)6.「詞華抄」よりU(鈴木輝昭)7.「オンゴー・オーニ」よりU(間宮芳生)8.Que rico e(G.Lopez-Gavilan)の8曲だ。1曲ごとに大きな拍手が来る。特にオンゴーの後には大きな拍手と歓声が上がった。こういう曲はヨーロッパでは新鮮に聞こえるのだろう。そして詞華抄も盛大な拍手をいただく。最後のマンボ(Que rico e)は女性はキャミソール・男性はカラーチーフで彩りを添え、踊りも決まって演奏後は鳴りやまぬ拍手とスタンディング・オーベイションとなった。所々にキズもあったが、全体としてまあまあの演奏ではなかったかと思う。しばらく休憩してから、最後の出場団体であるスロベニアの男声合唱団の演奏を途中から聴く。誰もよく鳴る声の持ち主ばかりだ。最後の曲はチェロ伴奏付きのシアターピース的な変わった曲だった。

 20:30ホールの外で全員で記念撮影し、しばらくフリータイム。S山先生やD井ちゃんたちと近くのカフェでブルガリア風の焼き鳥と待望のビールをいただく。D井ちゃんは思ったように歌えなかったらしく、ぼやきながら飲んでいた。

 21:30いよいよ結果発表と表彰式だ。団の代表としてプラカードを最年少のKくんに、国旗は日本人であることがよく分かるように、浴衣姿の和歌山ユースの女の子に頼んだ。まずステージに出場団体のプラカードと国旗を持った代表2人ずつが入場し、「メイ国際合唱コンクール」から結果発表と表彰が始まった。舞台下手のピアノの上に授与されるトロフィー類が所狭しと並べられている。ピアノの上に物を置くなんて・・・。カテゴリー別に結果が発表されていく。和歌山ユースは同声合唱部門の1位なしの2位になった。数々の特別賞が授与された後、いよいよヨーロッパ・グランプリの発表となった。まず我々ESTが呼ばれた。アントンさんに聞くと、参加賞の贈呈だという。masaokunが代表して受け取った。最初にすべての参加団体に参加賞が贈られるのかと思ったが、ピアノの上を見ると参加賞のトロフィーはあと二つしかない。そしてその横に一回り大きいグランプリのトロフィーが一つ置かれている。参加賞をもらった団体はグランプリではないのだ。張り詰めていた緊張がとけ、気力が抜けていく。我々に続いて2団体が参加賞を受け、残るはスロベニアの男声合唱団だけとなった。ステージ上では男声合唱団の代表がすでに万歳している。そして思った通り司会者が男声合唱団のグランプリを告げた。会場は歓喜の渦だ。何せ我々以外はスロベニヤの合唱団なのだから、スロベニアからグランプリ団体が出たので大喜びなのだ。最後は主催者の代表であるマリン・チョネフ氏の指揮で全員合唱(曲名不明)が行われ閉会となった。あっけない幕切れでむなしい気持ちを引きずりながらホールの階段に集合。指揮者・ヴォイストレーナーから感想を聞く。客席から聞いてくださったS山先生と小田原少年少女の指導者として著名なK原先生の娘さんである春子先生は、異口同音にスロベニアの男声合唱団のグランプリには納得できないと言って下さる。お二人は《EST》か2番目に演奏したスロベニアの混声合唱団のどちらかがグランプリだと思ったという。また春子先生は5月2日の津市主催コンサートも聴いて下さったのだが、その時より曲がさらに磨き上げられていて感心したと言って下さった。ありがたいことだ。冷静に考えれば、私達の演奏はまだまだ課題がある演奏なのだから「もっと精進しなさい」という結果なのかも知れない。簡単にヨーロッパ・グランプリが取れてしまえば次の目標が無くなってしまうので、今回グランプリが取れなかったのもかえって良かったのかも知れない。

 23:40バスでホテルに到着。ロビーではスロベニアの合唱団三つが入り乱れて大合唱をしている。彼らは私達と同じホテルなのだ。夕食がきちんと取れなかったのでホテル側がお弁当(サンドイッチと果物)を用意してくれたのだが、それを呼びかける声がスロベニア人の合唱で全く聞こえない。嬉しいのは分かるがもう少し何とかならないものか。そのまま寝てしまうのも何なので、M井くんの部屋でサンドイッチを食べながら今日の録音を聴く。やはりいろいろ課題はあるな。

 部屋に帰ってシャワーを浴びる。今夜はスロベニヤ人はロビーやホテル内のバー、インドアプールの周りで騒いでいるので、シャワーを使っているのは日本人だけらしくお湯が順調に出る。皮肉なことだ。それにしても外がうるさい。1:00就寝。


5月16日(日)

   
 
    セントラル・ハリの内部     ブルガリアホールでのコンサート      コンサート打ち上げ

 4:30起床、荷物をまとめ5:15ロビー集合。今日はソフィアで和歌山ユースとジョイント・コンサートの日だ。昨夜と同じようにホテルの作ってくれた弁当を受け取り、バスに乗り点呼。D井ちゃんがいなくて大騒ぎとなる。電話をかけてみると何とまだ寝ていた。昨夜3:00に5日間コースの5人を見送ってくれたのだが、その後寝たので起きられなかったのだ。私とmasaokunらが部屋へ行って荷物の整理を手伝う。今年の10大ニュース当確間違いなし。そういえば、マルクトオーバードルフのコンクールの時には、出発してからいないのに気づいた詩吟ちゃんの例もあったっけ。

 5:40ホテルを出発、6:20ヴァルナ空港着。和歌山ユースと合流する。搭乗手続きの最中にD井ちゃんが携帯の無いのに気づいた。どうもバスに忘れてきたらしい。8:05ブルガリア航空978便でヴァルナ発、機内で例の7daysクロワッサンが出た。9:00ソフィア着。荷物をピックアップ後バスでホテルへ向かう。アントンさんが電話で問い合わせたところ、D井ちゃんの携帯はやはりヴァルナのバスの中に忘れてあったとのことだ。9:50ベストウエスタン・シティホテルに到着、荷物を預ける。ここで6日間コースの4人とお別れだ。

 ロビーで、昨夜コンクール後に行われた審査員と指揮者の夕食会に参加したmasaokunから、審査員から聞いた話の伝達があった。審査員はみんなとてもほめて下さったという。しかしあえて足りない点を聞くと、日本やキューバの現代作品は素晴らしく言うことなし。ヨーロッパのルネサンスやロマン派の作品については、ESTは技術も高く表現力もあり、内容もよくわかるが、表現が少し硬いのではないか。ヨーロッパ・サウンドはもっと柔らかいものだ、とおっしゃったという。音楽様式的に課題があるのならわかるが、硬い柔らかいは好みの問題ではないか、と思ってしまう。またトゥールの時に「ヨーロッパ・グランプリで1位を取ったら、翌年フランスに招待したい」と言ってくれていたヴェゾン音楽祭の関係者が、「君たちは1位を取れなかったが、君たちを招待するかも知れない」と言っていたという。本当ならありがたい話だが。

 6日間コースのメンバーと別れ、歩いて今日のコンサート会場のブルガリア・ホールに向かう。10:30ホール到着。和歌山ユースがまだ到着していないので、先にホールで練習を始める。客席に同じホール内のギャラリーで絵画展をしている女性画家が聴きに来ておられたが、我々のTebe Poemの演奏に涙を流しておられたのが印象的だった。11:00に和歌山ユースが到着し、合同ステージのふるさとを一緒に練習。その後和歌山ユースに練習をゆずる。11:30にESTの練習を再開、コンサートの曲を一通りさらっていく。みんな疲れているようだ。13:00まで練習し終了、和歌山ユースと一緒にホール近くのレストラン「ビクトリア」で昼食となる。メニューは野菜サラダ、鱒のムニエル、シュークリームのチョコレートかけだ。

 昼食後歩いてホテルに帰りチェックイン。ホテル側の手違いでいくつかの男性の部屋の準備ができておらず、少し待ってもらうことになった。みんなかなり疲れているので、午後は練習を設定せず、17:45までフリータイムとする。私はお土産を何も買っていなかったので、歩いて旧共産党本部の地下にあるセルディカ遺跡を見学してから、ツムデパートとセントラル・ハリに出かけることにした。ツムデパートはソフィア唯一のデパートで専門店がたくさん入っている。2階にブルガリア特産のバラ製品専門店がある。セントラル・ハリはかつての中央市場をショッピングセンターに改装したもので、食料品や民芸品などの店舗が100以上も並ぶ。見て歩くだけでも楽しい。買い物をして17時過ぎにホテルに戻った。

 17:45ロビーに集合しホールに向かう。到着後女声は更衣し、18:30から女性の控え室で声だしをする。19:00いよいよコンサート開演だ。お客の入りはあまり良くない。和歌山ユースが浴衣のまま聞いてくれている。1ステはNe timeas Maria、Abendlied、Tebe Poem、O magnum、Sanctus、時々masaokunの解説をはさみながら進んでいく。休憩を取らず2ステはスコラーズのBonjour、全員でDolcissima、リリケX、リリケT、詞華抄U、Que rico eと進んでいく。お客はよく聴いて下さっているが、時々抜けて帰る人がある。マンボの後は盛大な拍手が返ってきた。2ステの後長い休憩を取る予定だっだが、このまま続けた方が良いと判断し休憩を取らず3ステへ。3ステは和歌山ユースのステージだ。かんかんかくれんぼ(信長貴富)、ことばあそびうた(松下耕)など4曲、さわやかな歌声だ。そして4ステはESTの日本の曲。女性は浴衣、男性は法被で日本をアピールする。さくら、赤とんぼ、みかんの花咲く丘を、しっとりと聞かせていく。ルパン三世を経て、最後は和歌山ユースと合同でふるさとを歌い、万雷の拍手をいただいた。人数は多くないが、たいへん温かいお客さんだったと思う。コンサートにはU田さんのワールドユースでの友人や昨日のヨーロッパ・グランプリで審査員を務めていた女性も聴きに来てくれていた。審査員の女性に昨日のコンクールのことを聞くと、S山先生と同じことを言って下さり、少しほっとした。


 ステージ上で全員で記念撮影をし、打ち上げ会場に向かう。ホール近くの中華料理店「九龍飯店」だ。N丸先生の司会で乾杯した後、ショプスカ・サラダ、クラゲの酢の物、白身魚の唐揚げ、焼きそば、炒飯、ビーフン、肉と野菜の五目炒めなどが次々と大皿で出て来る。飲物もビール2種、赤・白ワイン、ジュースなど用意されている。すべての演奏が終了した後なので、心おきなく飲ませてもらった。別のテーブルではD井ちゃんが和歌山ユースの女の子に囲まれて「D井ちゃんに遊ばれたーい」などと言われて相好を崩している。最後に「歌おう」ということになり、まずESTが「マンボ」を、続いてmasaokunの指揮で全員で「夢見たものは」を、次にN丸先生の指揮で「ミカンの花咲く丘」を、最後にD井ちゃんの指揮で「ふるさと」を合唱して打ち上げを終了した。

 和歌山ユースと別れ、歩いて11:30にホテルに戻る。疲れていたのでベットに横になったのが運の尽きで、そのまま寝てしまった。H山氏の部屋では2次会が遅くまで行われ、D井ちゃんのもらった55度のブルガリアの酒も飲まれたらしい。


5月17日(月)〜18日(火)

  
   
オベリスク前で記念撮影             ブルーモスク               グラン・バザール

 6:00起床、昨夜シャワーも浴びずに寝てしまったので、シャワーを浴びた後6:30朝食。いつものバイキング形式だが、野菜がいつもより少ない気がする。7:45ロビーに荷物を持って集合。しかしA木さんら何人かが来ていない。部屋に電話をしてみるとどうも寝坊らしい。みんな疲れているんだな。別便で帰るY地くん・H山くん・M下さん・N世古妹さんの4人と別れ、バスでソフィア空港に向かう。40分ほどで空港に到着し、搭乗手続きを行う。みんなかなりスーツケースが重かったが、団体なので問題なく通してくれた。ここで7日間お世話になったアントンさんともお別れだ。アントンさんには本当に何から何までお世話になった。みんなでお礼の意味を込めて「ふるさと」を歌ってプレゼントした。

 10:45トルコ航空1028便でイスタンブールに向かう。機内で昼食、メニューはハム・トマト・チーズのサンドイッチ、チーズと野菜のサラダ、コーヒームース、飲物。12:00にイスタンブール到着。ここでトランジットするのだが、関空行きの便まで9時間もあるので、市内をみんなで観光する予定だ。今までに何回もイスタンブールに来たことのあるS山先生を空港に残し、私達は地下鉄で旧市街に向かった。イスタンブールの地下鉄は均一料金で1.5トルコリラ(1リラは80円くらい)でプラスチック製のコインを買い、それが切符代わりだ。ゼイティンブルヌ駅でトラムに乗り換える。トラムも均一で1.5リラだ。街中にはいたる所にモスクがある。スルタンアフメット駅でトラムを降りると、眼前に壮大なブルー・モスクがそびえていた。モスク前の巨大なオベリスクの前で写真を撮った後、いよいよブルー・モスクの中へ。料金はただだが、靴を脱ぎ、肌を出している女性は肌を布で覆わなければならない。内部に入ると壮大な天井と彩色タイルやステンドグラスの美しさに目を見張る。オスマン帝国の技術力は素晴らしいの一言だ。続いてアヤソフィア寺院に向かう。ブルー・モスクと並ぶ巨大なモスクだが、元はコンスタンティヌス帝が再建したビザンチン様式の寺院で、後にイスラムのモスクとされたという。復元されたモザイク壁画が見たかったが、月曜休みで中には入れず残念だ。次に様々な建物が迷路のようにつながったトプカピ宮殿に向かう。全て見て歩くと3時間はかかるということなので、中庭を散策し、城門の前で写真を撮るだけでやめておいた。ギュルタ駅から再びトラムに乗り、ガラタ橋を渡って新市街へ。、カラキョイ駅で下車し、ガラタ塔に向かう。塔に向かう坂道でかなり疲れ、塔についたら登る気力が失せてしまった。他の人は登るというが、私は塔の下のカフェでビールを飲むことにした。登って帰ってきた人に聞くと内部にエレベーターがあり、とても見晴らしが良かったという。何だ、それなら登れば良かった。来た道を引き返し歩いてガラタ橋を渡る。橋からはイェニ・ジャーミーや丘の上のブルーモスクが美しく見えている。しかし風が強いのには閉口した。橋のたもとで名物の焼き鯖サンドイッチを買う。パンに焼いた鯖とは何ともミスマッチな感じだが、これがなかなかうまい。エミノニュ駅から再びトラムに乗り、グラン・バザールに向かう。ベヤズト駅で降りると正面がグラン・バザールだ。迷路のような入り組んだ道の周りに数え切れない店が並んでいる。売っているものも多種多様で見ているだけでおもしろい。ここで全体は解散となり、思い思いにバザールを見て歩く。日本人は金づると思っているらしく、通りを歩いていると店々から日本語の声がかかる。娘にトルコ石でも、と思って店に入ると、知っている日本語を駆使して何とか買わせようとする。値段も交渉次第でどんどん下げていく。また二つ買ったらさらに下げるとか言って、一つでも多く買わせようとする。いったい本当の値段はいくらなのだろうと思ってしまう。日本円もそのまま使えてしまうのだ。

 19:30にベヤズト駅に集合し、トラムと地下鉄を乗り継いで空港に戻る。セキュリティーを通った後、免税店でお土産の最後の買い物を済ませ、ゲートに22:50に集合。23:50発トルコ航空46便で日本への帰途に着いた。席はガラガラなので、4列シートに移りひたすら寝る。途中朝食が出たらしいが、寝ていて気づかず。15:30(日本時刻)の昼食はしっかりいただいた。メニューはチキン・カツレツのライス添え、チーズと野菜のサラダ、チョコレートムース、パン、飲物だ。

 17:10無事に関西空港に到着。マックの呉橋さんが出迎えに来ておられた。荷物をピックアップするが、ビビアンのスーツケースが出てこない。またN世古母のスーツケースが途中で開いたらしくテープで止めてあった。クレイムカウンターで申請の書類を書く。最後の最後に残念なトラブルだ。
 auカウンターにレンタル携帯を返し、18:46発の特急はるかで新大阪へ。そこから先はJRの在来線で近江八幡まで。妻に駅まで迎えに来てもらい、21:30頃無事家にたどり着くことができた。


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第22回ヨーロピアン・グランプリ・コンクール(2010.5.11〜5.18)