8月24日(月)


       関西空港ゲート               機内食

 11時21分発のJRで貴生川を出発、大阪阿倍野の「阿倍野ベルタ」で14~18時まで渡欧前の最終練習を行う。終了後、地下鉄とJRを乗り継いで関空へ向かう。今回渡欧するのは指揮者・合唱団員33名と同伴家族4名(N田さんのお子さんと妹さん、S森さんのお母さんとお姉さん)だが、N田さんご家族はすでに渡欧されており、S森さんご家族とY地くん、K村さんとは現地合流なので、今日関空から出発するのは29名だ。関空内のスタバで軽食後、20時20分にCカウンターに集合。遅刻者はなし。トルコ航空TK47便で予定より1時間遅れの23時15分に離陸、約13時間の空の旅だ。せまいエコノミーシートでは身体を伸ばすこともできず、なかなか眠ることができない。座席備え付けの液晶テレビを見ることぐらいしか、時間をつぶす手立てがない。隣のM本くんの席はその液晶テレビも故障していて見られないようだ。映画のラインアップの中にはアレッツォを舞台にしたイタリア映画の名作「ライフ・イズ・ビューティフル」もあった。しかし私のテレビも途中でフリーズして使用不能になってしまい、後はひたすら寝て過ごすしかなかった。0時30分に機内食が出る。メニューは焼き鳥とバターライス、青梗菜のソテー、カニ・ブロッコリー・タロイモの煮物、野菜サラダ、あんみつ、パン、飲み物だ。


 
8月25日(火)
  
  
     アヤソフィア              ピサ行き便           ピサのドゥオーモと斜塔

 日付が変わっても、目的地のイスタンブールとは時差が6時間あるため、イスタンブール時間ではまだ前日の夜18時である。ただただ寝ようと努力する。イスタンブール時間で3時50分に朝食。メニューはスクランブルエッグ、マッシュルームのソテー、焼きトマト、野菜、チーズ、サンドイッチ、飲み物。フライトは順調に進み、1時間の遅れを取り戻し、予定より15分早い5時20分にイスタンブール・アタチュルク空港に到着した。

 トランジットまで7時間ほど時間があるので、空港の洗面所で身繕いをした後、観光組と空港休養組に分かれる。観光組は23人、私も観光組だ。円をトルコリラに換金し(100円=約2.4リラ)、7時に地下鉄とトラムを乗り継いでスルタンアフメット駅へ向かう。イスタンブールの地下鉄とトラムは切符の代わりにプラスチックのコインを4リラで購入する。片道がコイン1個の均一料金なのだ。目指すはアヤソフィア博物館。しかし開館は9時なので、先に8時30分から開いている近くのスルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)に行ってみるが、すでに長蛇の列で入場を断念、9時を待ってアヤソフィアを見学する。アヤソフィアは元は6世紀に東ローマ帝国のユスチニアヌス帝によって再建されたキリスト教の大聖堂であったが、15世紀にオスマン帝国の侵入によってモスク化され、モザイク画が全て漆喰で塗りつぶされたという。現在はモザイク画が復元されており、内部に入ると美しいビザンチンのモザイク画とイスラムのアラビア文字が渾然一体となって、独特の美しさを示していた(入場料は30リラ)。市内をもっと見学したいところだが、トランジットに間に合わないといけないので、トラムと地下鉄を乗り継いで11時に空港に戻る。空港に戻ってみると、出国審査ゲートが長蛇の列だ。その上出発ゲートが5回も変更になり、空港内をウロウロするはめに。結局思ったほどの余裕もなく、13時30分に50分遅れでイスタンブールを出発、TK1933便でイタリアのピサに向かった。

 14時15分に機内で昼食。メニューはサーモンのグリル、マッシュポテト、レンズ豆の煮物、ヨーグルトサラダ、チョコレートムース、パン、飲み物だ。イタリア時間の14時50分にイタリアのピサ・ガリレイ空港に到着する。トルコとの時差は1時間、日本時間より7時間遅い。空港ロビーで今回のベットーレでの練習とコンサートをコーディネートしていただくD.紗和子さんに迎えられる。16時にチャーターバスで空港を出発、ピサの斜塔に向かう。20分ほどで駐車場に到着。斜塔のある旧市街歴史地区にはバスが入れず、ここからはシャトルバスで送迎なのだ。シャトルバスと行っても機関車型の自動車が客車を引っ張るちゃちな仕組みである。そしてその運転が荒いので、乗り心地はジェットコースターのようだった。16時30分から1時間ほど斜塔周辺を散策する。ピサは斜塔とガリレイを生んだ大学都市として有名だが、かつて最盛期にはヴェネツィア・ジェノヴァ・アマルフィと並んで海洋王国として栄えていたという。ドゥオーモ広場には、洗礼堂やドゥオーモ、斜塔など12世紀のピサ様式と呼ばれる優美なロマネスク建築が立ち並ぶ。観光地だけあって観光客で賑わっているが、みんながみんな斜塔を支える格好をして写真を撮っているのにはあきれた。

 シャトルバスで駐車場に戻り、18時にチャーターバスでピサを出発、今日の宿泊地ベットーレに向かう。今日宿泊する「ポデーレ・ラ・チェッパ」はアグリツーリズモを提唱している施設だ。アグリツーリズモとは「気軽に健康的な田舎風の暮らしが体験ができる宿泊施設」だという。20時20分に施設に到着、先着のN田さんご家族・S森さんご家族、Y地くん、K村さんと合流して、めでたく全メンバーが一堂に会することとなった。早速みんなで夕食をとる。メニューはラザニアとチキンのトマトソース、シフォンケーキだ。夕食後、40分ほどパート練習を行い、各部屋へ。私の部屋は4人部屋で、同室はY地くん・M本くん・I藤くんだ。シャワーを浴び、23時45分に就寝。(指揮者夫妻とD井氏、I澤氏はホテルApogeoへ移動。)



 8月26日(水)


      ポデレ・ラ・チェッパ           宿舎での練習             公園でミニ・コンサート


 6時40分起床。宿舎の外を散策する。ベットーレはアレッツォから南へ30kmほど行った田園地帯で、周りは豊かな自然に囲まれている。「ポデーレ・ラ・チェッパ」は以前ワイン倉だった施設を改装して造られており、煉瓦造りの魅力的な佇まいだ。7時から朝食。ビュッフェ形式で、スクランブルエッグ、ハム、ソーセージ、生野菜、パン、ヨーグルト、ジュース、コーヒー等、盛りだくさんだ。8時30分から食堂と一部屋外も使って練習する。コンクールで取り上げる曲目は全部で14曲、その中からリークのWirindji、パレストリーナのSuper flumina、ウィテカーのAlleluia、フェラーリオのJubilate Deo、武満徹のさくら、柴田南雄の三重五章、松下耕の湯かむり唄を1曲1曲つめていく。昨日の観光が適度の疲れとなって昨晩はよく休めたらしく、みんな体調はすこぶる快調のようだ。13時前に練習を終了し昼食。外が雲一つない快晴なので、昼食は野外で頂くことにする。メニューは豚の香草焼き、生ハム、生野菜、パン、ヨーグルト、水だ。野外は暑いが、日陰に入ると涼しい。13時30分から午後の練習再開。14時まではローレのL'alto Signorを歌う少人数アンサンブルグループと他のメンバーに別れて練習し、その後は17時30分まで全体練習。山下祐加さんの「わくわく」、鷹羽弘晃氏の「解釈の試み」Ⅱ・Ⅳ、レーガーのNachtlied、プーランクのGloria、ブルックナーのChristus factus est、シェーンベルクのFried auf Erdenをさらっていく。

 さて今日は、「コンクールまでにコンクール曲の発表の場を持っておきたい」という意図の元、ベットーレの市街地の公園で野外コンサートを計画していた。コーディネイターの紗和子さんに市の公園使用許可も取ってもらっていたが、イタリアはバカンス期間中で市民の集客は望めないという。田園地帯を抜け歩いて公園に向かう。公園には10人くらいの若者グループが集っていたが、そのグループと通行人を合わせて15人くらいが聴衆である。18時10分よりコンサート開始。わくわく、Super flumina、鷹羽2曲、途中に少人数のL'alto Signorをはさんで、Nachtlied、Alleluiaと演奏していく。屋外なので周りの音が聞きにくい。演奏を聞きつけて周辺の住民が何人か聴衆に加わった。最後は大きな拍手に包まれてコンサートが終了した。一人のイタリア人の女性が「ブラビッシモ!(素晴らしいの最上級)」と言いながら話しかけてきた。N田さんに通訳してもらうと、その女性はローマの合唱団に所属しており、アレッツォの国内コンクールに出場したことがあるという。「アレッツォでは、ぜひ頑張ってね」と激励を受けた。英語のできる仲間達は前述の若者グループと親しく交流していた。

 歩いて宿舎に戻り、19時15分より夕食。今夜は野外でバーベキューだ。宿舎の外に専用のバーベキュー施設があり、そこでトスカーナ風ビフテキやソーセージを豪快に焼いて切り分けてくれる。生ハムメロンやズッキーニ、なす、各種カナッペなど、オードブルも豊富だ。地元のビール(4ユーロ)もいただく。食後、バーベキューの職人さんへお礼をこめてL'alto Signorを演奏し、ついでに発音もチェックしてもらった。20時45分より各部屋でパート練習・ミーティングをし、入浴後、23時30分就寝。


 8月27日(木)

  
   レストランでのコンサート         宿舎パークホテル          オープニング・セレモニー


 6時30分起床、7時30分より朝食。メニューは昨日と同じ。イタリア人は朝食で野菜は食べないというが、ここのオーナーの奥さんは日本人なので、朝から生野菜が豊富に出るのがありがたい。今日は午前の練習後、アレッツォに移動するので、荷物を整理してチェックアウトを済ませておく。8時30分より食堂で練習。今日は昼食時に市街地の高級レストランでコンサートを予定しているので、その曲目を中心に、Jubilate、Wirindji、Christus、Friede、Gloria、L'alto、三重五章、さくら、湯かむり唄、ふるさとのように、と練習が進んでいく。曲数が多いので1曲にかける時間はあまり取れないのだが、ハーモニーと声がきまるのに時間がかかり、指揮者もいらいらしている。11時45分に練習を終了し、スーツケースを積み込んでチャーターバスで市街地に出発する。コンサート会場はワイン・レストランとして有名な「リストランテ・ワルテル・レデッリ」だ。ただし店の営業時間中はだめとのことで、ランチ前の12時からレストランの屋外テラスでコンサートを行うのである。したがって聴衆はランチ待ちのお客何名かとN田さん・S森さんご家族だけだ。身内の拍手の中、まず少人数でL'alto、続いて全員でChristus、Friede、さくら、Gloria、Wirindji、Jubilate、湯かむり唄、ふるさとのように、と演奏した。後ろに壁があるので屋外の割には歌いやすい。演奏後聴衆から拍手をいただき、コンサートは無事終了した。そしてお目当てのコースランチ(50ユーロ)をいただく。まずワイン・レストランらしくスパークリングワインで乾杯し、前菜はなすのテリーヌとチーズとトマトのパスタ、メインは豚のローストとジャガイモ・なすの付け合わせ、デザートはジェラートだ。ワインレストランなので当然赤ワイン・白ワインは自由に飲める。多分今回の旅行で一番リッチな食事になるだろう。

 さて、ここでトラブルが一つ発覚した。指揮者のM氏がホテルに帽子を忘れたのだ。さすが忘れ物の名人である。幸いポデレ・ラ・チェッパのオーナーの奥さんがホテルに取りに行って車で届けて下さるという。近くの駐車場で帽子を受け取った後、15時15分にチャーターバスで今日の宿泊地カスティーリヨン・フィオレンティーノのホテルに向かう。今回のコンクール期間中の宿舎はコンクール事務局が斡旋してくれたのだが、アレッツォ市内ではなく、アレッツォから南に14kmくらいの街カスティーリヨン・フィオレンティーノにある。アレッツォ市街からは車で30分、鉄道で10数分といったところか。1時間ほどで目的のパークホテルに到着した。参加団体のほとんどがここに泊まっているらしい。明日がコンクールなので、部屋でゆっくりすることもなく、16時45分から男女別に部屋で練習。

 コンクール事務局との交渉で、夜コンクールを主催するグイド・ダレッツォ協会の練習場が借りられたので、オープニングセレモニーの参観もかねて、全員でアレッツォ市街へ出向くことになる。歩いて5分ほどのカスティーリヨン・フィオレンティーノ駅は無人駅だ。券売機で切符を買う。アレッツォまでは1等で3.5ユーロ、2等で2.5ユーロだ。もちろん2等を買う。18時32分発だが、多分時間通りには来ないだろうと高をくくっていると、5分遅れで列車がやって来た。イタリアの鉄道もわりあい頑張っているなと思った。しかし車内は冷房無しで暑かった。10分ほどでアレッツォ駅に到着。アレッツォはフィオレンティーノと違ってやはり大きな街だ。途中のスーパーで各自夕食を買い込み、歩いてグイド・ダレッツォ協会へ向かう。モナコ広場を右折し、また左折して旧市街のイタリア通りをまっすぐ進む。観光地だけあって人であふれている。イタリア通りに面した協会3階の音楽室で夕食後21時まで、Nachtlied、Alleluia、Gloria、L'altoを練習。その後オープニング・セレモニーを参観するためサンタ・マリア・デッラ・ピエーヴェ教会に向かう。ピェーヴェ教会はその後陣が映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を撮影したグランデ広場に面し、その3層のファサードはロマネスク・ピサ様式の傑作である。内部に入るとすでにオープニング・セレモニーは始まっており、主祭壇の前のステージに中世の衣装を着た若者4人が立ち、市長のあいさつが行われていた。客席は満席である。続いて主祭壇の後部2階に陣取る合唱団とオーケストラにより、デュリュフレのレクイエムが演奏された。天井の高い教会だけあって、ものすごくよく響く。天井から声が降ってくるようだ。しかし細かいパッセージは反響して聞き取りにくい。明日の演奏は教会ならではの注意が必要だろう。明日の本番に備え、21時50分に退出し歩いてカストロ川添いの駐車場へ。ここへ戻れば実行委員会のバスに乗れるのだ。そのバスでみんなはホテルに戻ったのだが、教会を出る時の点呼が不十分で、I澤さんを置いたまま出発してしまった。(一人でタクシーで帰られたという。)I澤さんにはたいへん申し訳ないことをした。23時入浴、23時45分就寝。


 8月28日(金)


       ピェーヴェ教会でのコンクール          旧市街の街並み      ドゥオーモ前での民族音楽祭


 6時20分起床。7時朝食、ビュッフェ方式。すぐに他団体も現れ、食堂は長蛇の列になる。メニューはパン、ケーキ、コーンフレーク、ヨーグルト、牛乳、ジュース、コーヒーで、おかずや野菜は全くなし。これが3日間続くと思うとうんざりする。今日はいよいよコンクール本選の日だ。アレッツォのコンクールは8つの部門に分かれており、そのうち三つ以上にエントリーしなければならない。我々《EST》は部門2の混声合唱団部門と部門6の音楽史区分別部門のC(ロマン派)とD(現代曲)、部門8の民族音楽部門にエントリーしている。その全てが今日1日で行われるので、忙しい1日になるだろう。また選曲にも制約があり、部門2ではルネサンス期の課題曲とルネサンス期以外の二つの音楽史区分の曲を選ばなければならない。部門6では他部門と異なる曲を含まなければならない。6のDではイタリア人作曲家の作品を含まなければならない。8部門では他の部門と異なる曲を含まなければならない。各部門は15分程度だが、結局トータルで1時間程度のレパートリーを用意しなければならないのだ。今日は練習と本番が交互にあるため、効率よく練習できるようにアレッツォの市街地にあるコンチネンタル・ホテルの会議室を借りている。昼食に宿舎に帰ってくる暇はないので、ホテルにお弁当を作ってもらうことになっている。

 8時30分からホテルの部屋でL'alto組・男声・女声に分かれて練習し、9時15分に実行委員会のバスでコンチネンタル・ホテルへ。10時からホテルの会議室で2部門最後の練習を行う。といってもホテルの都合で10時30分からしか声を出せないので、それまでは打ち合わせ。結局声を出せたのは20分ほどで、曲の最低限の確認に終わる。着替えは宿舎で済ませてあるので、そのまま歩いてピェーヴェ教会へ向かい控室に待機。2部門は10時開会で我々は当初7番目出場の予定だった。しかしコンクール直前にキューバの団体が出場辞退し1団体繰り上がって6番目となった。一団体15分とすると我々の出演時間は11時15分といったところか。しかしそこはイタリア時間だ。本番は20分は遅れただろうか。演奏曲目は課題曲のL'alto Signor、レーガーのNachtlied、ウィテカーのAlleluiaだ。L'altoは各パートの線がよく見える演奏だったが、教会の残響のせいでそれがどれだけ伝わったかどうか。NachtliedとAlleluiaは音がなかなか決まり切らない。最後は音が少し下がったか。審査員席は目の前だが、時々音叉で音を確かめる審査員や、腕組みをして終始難しい顔をして聞いている審査員など、気になった。演奏後の拍手も万雷というほどではない。

 そのまま歩いてコンチネンタル・ホテルに戻る。会議室で着替えと昼食。ホテルの弁当はサンドイッチ二つとりんご1個、そして水だけだ。その後先ほどの演奏の反省会をする。十分な演奏ができなかった悔しさがにじむ。周りの音が聞こえにくかった反省を生かして、弧を描くような並び方に修正することとなった。13時から6部門の練習再開。6部門のCはブルックナーのChristus factus est、シェーンベルクのFriede auf Erden、DはプーランクのGloria、フェラーリオのJubilate Deo、リークのWirindji、松下耕の湯かむり唄だ。2部門の反省を生かして6部門は絶対に演奏を成功させようと、みんな気合いが入っている。14時40分まで練習し、再び歩いてピェーヴェ教会に向かう。15時からA区分3団体の演奏があり、それに続いてC区分の《EST》が出演する。15時50分に本番。2部門の反省を生かしてChristusも長いFriedeも緊張感のある渾身の演奏だ。審査員も聞き入っている様子。そして演奏が終わると2部門の時とは較べものにならないような万雷の拍手と歓声が沸き起こった。聴衆に思いが伝わったようで本当にうれしかった。(やはり《EST》は追い込まれると強い?)D部門までは時間があまりないので、教会近くの公園で湯かむり唄の並びと振り付けを確認し、他の曲も少し練習する。そのまま教会の控室に戻り待機。D区分は3番目の出場だ。16時50分に本番。Gloria、Wirindji、Jubilateと演奏は順調に進み、最後の湯かむり唄の最後の振り付けが決まると、会場から大きな歓声と拍手がわき起こった。会場を出ると何人もの外国人が「ブラボー」と声をかけてくれた。

 演奏後、歩いてコンチネンタル・ホテルに戻り、ホテルから実行委員会のバスで18時にパークホテルに戻った。8部門は21時からなので少しゆったりできる。初めてパークホテルでの夕食をいただく。メニューはトマトソースのパスタと角切りビーフのジャガイモ添え、ジャムケーキだ。少し休憩した後、三重五章のお伊勢参りの衣装に着替えて19時40分にバスでホテルを出発する。コンチネンタル・ホテルからは歩いて旧市街の北にあるドゥオーモ前広場に向かう。8部門の民族音楽祭はアレッツォのシンボルであるドゥオーモ前の屋外の階段で行われ、聴衆の投票で1位が決まる。《EST》はシアターピースの三重五章、さくら、湯かむり唄を演奏する。時間が少しあったので、ドゥオーモ近くの「ペトラルカの家」の前庭で最後の練習をする。会場では8部門の開会に先立って、中世の扮装をした若者達の一団が入場し、太鼓の演奏に合わせて色とりどりの旗を振るパフォーマンスが行われていた。これは毎年9月にグランデ広場で行われるイベント「サラセン人の馬上槍試合」の際、行われるものらしい。そしていよいよ我々の出番(我々の出演は1番)である。Y地くんの客席でのソロからシアターピースの三重五章が始まるが、屋外のため声がなかなか届かない。それに較べ舞台にはマイクが立っているため、N島さんのソロは拡声されて響く。シアターピースとしては最悪の環境だ。さくらと湯かむり唄もステージ上の4本のマイクを気にしながらの演奏となった。さくらで日本の風情を感じてもらえただろうか。しかし湯かむり唄の後は万雷の拍手をいただいた。やはりこの唄はうける。その後は他団体の演奏をゆっくり聴かせてもらった。どの団体も民族衣装をまとい、民族の踊りを取り入れた民族色あふれる演奏を繰り広げている。特に印象的だったのはフィリピンのイムジカペラの演奏だ。一人一人がソロができる力量の持ち主で、フィリピンの民謡を豊かな声と完璧な振り付け付きで演じきっている。全ての演奏が終了した後、司会者が昼間のコンクールの結果を発表した。イタリア語だが内容はだいたいわかった。結果は、2部門はフィリピンのイムジカペラと《EST》が同率1位、6部門は《EST》が200点満点中180点以上を獲得しCとD両区分で1位特別賞に輝いた。また明日のグランプリ・コンクールには《EST》とイムジカペラ、ハンガリーのラティティア混声ユース合唱団、スペインのオニャティコ室内合唱団の四つが選ばれた。我々が大歓声を上げたのは言うまでもない。周りの聴衆の皆さん、他の合唱団からも「ブラビッシモ!」「コングラッチュレイション!」と声をかけていただいた。高揚した気分のまま歩いてカストロ川沿いの駐車場に戻り、実行委員会のバスでホテルに戻る。ホテルに着いたのは23時30分。入浴後、1時就寝。


 8月29日(土)


    グランプリ・コンクール         サンテ・フローラ・ルチッラ教会前で      閉会セレモニー


 6時30分起床、7時30分朝食。昨日と同じでおかずや野菜は無し。出発まで少し時間があったので、近くのスーパーに買い物に行くことにする。ホテルに隣接する住宅街の一角にコープのスーパーがあるのだ。品揃えは豊富で値段もお手頃である。特に本場だけあってパスタやワインの種類の多さと安さには驚いた。家族や職場への土産になりそうなものをいくつか買う。ホテル帰着後、弁当(昨日と同じサンドイッチ・りんご・水)を受け取って、9時15分に実行委員会のバスでモナコ広場に向かう。今日はグランプリ・コンクールに向けて、グイド・ダレッツォ協会の音楽室が練習に使えるのだ。モナコ広場から歩いて協会に行き、10時30分から12時まで音楽室で練習する。途中で指揮者のM氏と英語の堪能なY地くんが練習を抜けることに。グランプリで演奏する曲目を申請しに、協会まで足を運ばなければならないのだ。グランプリの演奏曲は当初の計画では、三重五章・Super・鷹羽ⅡとⅣ・湯かむり唄だったが、変更も可能である。昨日の本選の後、聴衆や審査員の方々のロマン派、特にシェーンベルクの演奏を高く評価する声が多かったこと、審査員の一人ロレンツォ・ドナティ氏から「15分の規定だが、20分くらい歌っても大丈夫」と言われたことも考え合わせ、みんなで選曲を検討した。最も評価された「地上の平和」をもう一度という意見もあったが、声に疲れが出ているメンバーもあり、「Alleluiaでリベンジしたい」という意見を取り入れて、三重五章・Super・鷹羽Ⅱ・Alleluia・湯かむり唄というラインアップとし、M氏らに申請に行ってもらったのだが、15分を超えることにドナティ氏以外の審査員からクレームが付き、最終的に湯かむり唄は外すことになった。

 12時に練習を終了し、歩いてモナコ広場に行きお弁当を食べる。日陰に入らないと日差しが熱い。なぜか公園にナスが植えてある。食後コンチネンタル・ホテルに移動し、着替えの後15時まで練習する。Alleluiaのリベンジをしようと気合いが入るが、声に少し疲れが見える。《EST》担当の現地ボランティアのマルコが時間が来たら呼びに来てくれるはずなのだが、いっこうに現れない。しびれを切らしてこちらから歩いて会場に向かう。今日の会場はピェーヴェ教会ではなく、市街地中心部のサンテ・フローラ・ルチッラ修道教会だ。この教会はピェーヴェよりは少し小さく、外はロマネスク様式の建物だが、中は明らかにバロック時代のもので、床の市松模様や色鮮やかな祭壇画がとても美しい。グランプリの出演順は、EST、イムジカペラ(フィリピン)、オニャティコ室内合唱団(スペイン)、ラウティティア混声ユース合唱団(ハンガリー)の順番だ。1曲目がシアターピースなので、会場が歩けるか下見をしてみる。真ん中の通路は一番前を審査員席がふさいでおり通行不能だ。残るのは客席横の左右の通路のみだが、満席のせいでにわかに左側の通路に臨時の椅子を入れ始めたではないか。これではとても左の通路は使えない。男性はすべて右側の通路を使うしかなさそうだ。開会行事が終了し、15時45分よりいよいよ《EST》の演奏開始だ。昨日は野外で効果が上がらなかった三重五章も教会中に声がよく共鳴している。Superはパートの線がよく見え、鷹羽Ⅱはその構造の面白さがうまく伝わり、そしてAlleluiaは昨日の反省を生かしたよくまとまった演奏だったのではないか。大歓声と拍手の中ステージを降り、他団体の演奏を聴く。他団体の演奏をしっかり聴くのは今日が初めてだ。イムジカペラはやはり個人の声の力と表現力が圧倒的だ。ルネサンスも現代曲もよく歌っている。ただロマン派の解釈には少し疑問が残ったが。ラウティティア・ユースはきれいに統一された声で一糸乱れぬハーモニーを聴かせてくれる。幼い頃からのコダーイ・システムによる音楽教育のたまものか。オニャティコはウィテカーのWater nightやクベルノのAve Maris Stellaを演奏しており、たいへん懐かしかった。閉会後外に出るとたくさんの人から称賛の声をかけていただいた。

 教会前で記念撮影をし、歩いてカストロ川添いの駐車場へ戻る。バスでホテルに着いたのは18時。夕食はクリームソースのペンネ、生ハムとチーズの盛り合わせだ。少し休憩した後、21時からの閉会セレモニーに参加するため、またバスでアレッツォの駐車場に向かう。閉会セレモニーは昨日の会場ピェーヴェ教会だ。歩いて教会に着くと、ステージは万国旗で飾られていた。まずコンクールの最後に残った部門7(フリー部門)のイムジカペラの演奏を聴く。ポピュラー曲を圧倒的な声と完璧な振り付けで歌っている。続いていよいよ閉会式だ。セレモニーの中ではグランプリ出場4団体がそれぞれ10分ずつ紹介を兼ねて演奏することになっている。我々はラウティティア・ユースに続く2番目だ。開会のあいさつの後、ラウティティア・ユースの演奏をステージ袖で聴く。相変わらず美しいハーモニーだ。続いて《EST》の演奏。1曲目のさくらを演奏した後、指揮者が今回団員として参加しておられる作曲家の山下先生を紹介、拍手の中彼女の作品「ふるさとのように」を演奏する。最後は湯かむり唄のパフォーマンスで締めくくり、大喝采を受けた。そのまま舞台横に着席し、スペインとフィリピンの団体を聴く。全ての演奏が終了したら表彰式。まず昨日の各部門の1位団体が表彰された。《EST》は部門2の1位と、部門6Cと6Dの1位特別賞を授与された。続いて指揮者賞はオニャティコ室内合唱団の指揮者に、昨夜の部門8の1位聴衆賞はフィリピンのイムジカペラに授与された。賞品はワイン。さて最後はいよいよグランプリの発表だ。一瞬の沈黙の後呼ばれたのはハンガリーのラウティティア・ユースだった。正直グランプリはうちかフィリピンと思っていたので、ユースの名が発表された時には一瞬何が起きたのか分からなかった。ラウティティア・ユースの面々は大歓声を上げている。記念にハンガリーの国歌が演奏され、壇上に上がった彼ら彼女らは、演奏を促されてハンガリーの曲を1曲披露したのだが、急に舞台に上がったにもかかわらず、完璧のハーモニーだ。やはりこの合唱団の力は本物だ。閉会後他の合唱団とお互いに写真を取り合った後、審査員と話をする。ドナティ氏は「グランプリを逃して残念だろうが、3部門を制したことは素晴らしいことだ。自信を持っていい。グランプリは選曲が大事。地上の平和ではなくAlleluiaを持ってきたが、Alleluiaは簡単な曲とみられたのではないか」とおっしゃった。また他の審査員は「ESTとフィリピンのイムジカペラ、ハンガリーのラウティティアはどれも素晴らしいが、求めている音楽の方向が3者3様で、本来優劣はつけられない」ともおっしゃっていた。会場の内外では聴衆の何人かが「私にとってはあなた方が1位だ」などとうれしい言葉をかけて下さった。ありがたいことだ。閉会式の余韻さめやらぬまま、歩いて駐車場に戻り、バスでホテルに帰る。24時ホテル到着。入浴後、1時20分就寝。


  8月30日(日)


  
モナコ広場のモナコ像   「サラセン人の馬上槍試合」のパレード       ピェーヴェ教会の内部


 7時起床、同室のY地くんはセントレア経由で帰るのですでに朝5時に出発してすでにいない。7時30分朝食。メニューは昨日と同じ。おかずや野菜のない朝食も今日が最後か。コンクールの日程は昨日で終了しているが、今日はコンクールのあったピェーヴェ教会で開かれる日曜ミサに、聖歌隊として参加する予定になっている。希望団体が参加できるのだが、希望した団体が我々だけだっのだ。朝食後荷物の整理をし、スーツケースをフロント横に預ける。8時30分から男女に分かれ部屋で練習し、9時20分にホテルを出て歩いてカスティリヨン・フィオレンティーノ駅に向かう。列車は20分遅れで出発、10時10分にアレッツォ着。歩いてピェーヴェ教会へ向かう。いつものイタリア通りを歩いていると、前方から太鼓をたたいて行進してくる中世の扮装をした集団の隊列に遭遇した。太鼓隊の次にはラッパ隊、その後ろには槍隊と騎馬隊、所々に色とりどりの旗を持った旗手も配されている。9月6日にピェーヴェ教会裏のグランデ広場で繰り広げられる、伝統行事「サラセン人の馬上槍試合」に向けてのプレイベントと思われる。

 さて今日演奏する曲目は司祭さんとの打ち合わせで、Jubilate、Super、Christus、Alleluiaと決まっている。主祭壇後方の2階聖歌隊席に着席し、開会を待つ。11時ミサ開会。まず開会の音楽として、Jubilate Deoを演奏する。キリスト教の本場ヨーロッパの信者さん達の前で宗教曲を歌うわけなので、緊張を禁じ得ない。なかなかこんな経験はできないだろう。ミサは司祭さんのリードで式次第に従って進んでいく。途中に幾度も挟まれる先唱者と会衆の聖歌斉唱は決してうまくはないが、高い天井に響いて美しい。聖体拝領の後、SuperとChristusを演奏する。地元イタリアのパレストリーナの祈りとロマン派の正統ブルックナーの祈りは信者の心に伝わっただろうか。1時間のミサが終了し退場の場面でAlleluiaを歌う。すると退場しかけた信者さん達が席に戻り始めるではないか。結局ほとんどの信者さんが長いAlleluiaを最後まで聴いてくださり、大きな拍手を送ってくださった。言葉を超えて伝わるものを感じ、大変感動した。終了後司祭さんからお礼の言葉と教会のキーホルダーをいただき、教会を出る。表では信者さんから「とても感動した」「Christus factus estがとてもよかった」などとうれしい感想をいただく。さて今日まで通訳としてだけでなく旅行のあらゆる面でお世話になったN田さんご家族、現地実行委員会のボランティアとして《EST》を担当してくれたキアーラとマルコのお二人と、ここでお別れである。改めて心からお礼を言いたい。

 今日は昼食弁当がないので、イタリア通り添いのBarに入り昼食を買う。サーモンサンドイッチ・トマトとモッツァレラチーズのサンドイッチ・コーヒーで7ユーロだ。モナコ広場で昼食をとり、実行委員会のバスで13時20分にパークホテルに戻る。スーツケースをピックアップし、乗ってきたバスでボローニャ空港に向かう。15時40分にボローニャ空港到着。小さな空港だ。チェックインのためCカウンターに並ぶが。仕事がゆっくりでなかなか列が進まない。私たちはイスタンブールでトランジットするので、航空券を2枚もらえるはずなのだが1枚しかくれず、もう一枚はeチケットがそのまま使えると言う。半信半疑だが信じるしかない。出国審査も長蛇の列だ。G18ゲートから40分遅れの19時25分にTK1326便でイスタンブールに向け出発する。イタリアともここでお別れだ。機内で夕食が出る。メニューはチキンソテーのトマトとズッキーニ添え・バターライス・野菜サラダ、アプリコットムース、パン、水だ。イスタンブールのアタチュルク空港にトルコ時間23時10分(イタリア時間22時10分)に到着。乗り継ぎのTK46便は1時間遅れの1時50分にイスタンブールを出発し、関西空港に向かった。


 8月31日(月)


         機内食


 今日31日は時差のため実質17時間しかない。この飛行機に乗った時刻は日本時間に直すと午前7時50分のはずである。しかし身体はまだ夜のままだ。離陸2時間後に食事が出る。これは朝食なのだろうか。メニューはビーフ包み焼きのグリーンペッパー添え・野菜サラダ・アプリコットムース・パン・水・飲み物。お腹が減っていないので、あまり食べられない。時間をつぶすため、液晶テレビで映画(「シンデレラ」「アベンジャーズ」「X-men」)を見て過ごす。冷房が効きすぎて寒い。16時30分に昼食or夕食?が出る。メニューはチキン香草焼きのトマトとパプリカ添え・バターライス・モッツァレラチーズと野菜のサラダ・豆のトマトソース煮・マンゴームース・パン・水だ。飛行機は遅れを取り戻し、予定より少し早く18時40分に関西空港に到着した。スーツケースをピックアップするとスーツケースの破損している人が二人あり、クレイムカウンターに出向く。旅行団はここで解散となり、空港駅から特急はるかと新快速・草津線を乗り継いで貴生川22時14分着のはずが、草津線で居眠りをして1駅乗り越してしまい、妻に甲南駅に迎えに来てもらった。23時帰宅。明日から仕事だと思うとぞっとする。

 今回のアレッツォのコンクールに参加してみて感じたことは、まず「コンクールの選曲は大事」ということだ。今回部門別では三つも1位を取れたのに、最後のグランプリで1位を取れなかったのは、選曲が少なからず影響していると思う。部門別の結果に関係なく、グランプリはグランプリの演奏だけで採点されるのだが、我々は部門別で最も評価された大曲「地上の平和」をもう一度演奏する気力と体力を持ち得なかったのだ。私を含め歌いきる基礎力が不足していたと言えるだろう。もちろん部門別で三つも1位を取れたことは今までの努力の賜物だし、誇るべきことだとは思っているが。とは言っても今回のコンクール参加は私たちに多くの貴重な体験を残してくれたことは間違いない。いい演奏には万雷の拍手と大歓声で答え、演奏後気さくに声をかけてくれるイタリアの聴衆、カトリック本場の歴史的な教会で信者さんを前に宗教曲を歌わせていただいた感動、ベットーレの自然に囲まれたアグリツーリスモ体験とぶっつけの屋外コンサート、素晴らしくそして個性的な他の外国合唱団の演奏など、心に残っていることは多い。

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第63回国際ポリフォニック・コンペティション
イン・アレッツォ

2015.8.24~8.31                 アレッツォ周辺の地図はこちら