凍土の都-斎賀
作:MUTUMI イラスト:Shape DATA:2002.11.15

4000キリのひろさんからのリクエストです。
キリリク題材は『閉鎖都市-伽藍外伝(八雲主人公)』と
『花またはヒートフラワー』でした。


俺がまだ小さい頃、そこには都市があった。名は櫂慧(かいけい)。
それは都市と呼ぶには余りにも小さな、今にも砂に飲み込まれそうなまちだった。
都市を支える命の糧(かて)水は、10km程離れた水の都、斎賀(さいが)より賄われていた。砂漠化した大地の地下に掘られた、月世界文明期の遺産ともいうべきパイプラインが、水を都市に届け、生活の全てを支えていた。
パイプラインの管は錆び、都市の水はいつも赤茶けていた。それでもその赤い水が、都市を支える貴重な物であった事は疑いようもない。
水。
命よりも貴重な水。
その水を得るために都市は常に斎賀に忠誠を誓ってきた。斎賀の機嫌を損なえば、水を止められる。
もしそんな事態になれば、水を自給出来ないこの都市は、大地から消え失せるしかないのだ。
斎賀が直接都市を脅した事は一度もない。けれど、都市の住人の誰もがそれを実感していた。
斎賀に逆らってはならない事を・・・。


□□□□


ゴーーウウ。ゴゴーーーウウ。
ギシ。ギシギシ。ギシ。
吹き荒れる砂嵐の中、その建物は無気味な振動を続けていた。
今にも朽ちそうな造りの粗い、ただ単に風と砂を避けるのが目的かの様な建物の中には、数十人の人間達がいた。吹きあれる砂嵐の音に耳を澄ませ、黙りこくったまま蹲っている。
幼い子供は母親や父親に抱かれ、老人はがっくりと首をうなだらせ、若い夫婦はお互いを労りあいながらじっと待っていた。
外の準備が終わるのを・・・。
けれど建物の中にいる人々には、外の様子は何も伝わってはこない。外界の音は全て砂嵐が消してしまい、叩き付ける砂の音しかそこには響かないからだ。

「これが、・・・救いなのだろうか?」
一人の老人が呟く。
「・・・違うよ、おじいちゃん。終わりの始まりだよ」
応えるように、老人の傍らの少女が囁く。
「玻凪(はな)」
老人はしわがれた手で少女を抱き寄せ、名を呼ぶ。
「おじいちゃん。・・・私達どうなるの?」
「玻凪・・・」
よしよしと老人の手は少女の髪を優しく撫でていく。その目には限りない慈愛と、慈しみがあった。
二人の会話に触発されたのか、人々は生気のない声音でボソボソと会話を繋いでいく。そこには達観したかの様な、諦めにも似た感情が混じっていた。

「もう、どうする事もできないんだな・・・」
少年はそう呟き、うなだれる。少年をからかう者は誰もいない。いやかえって、その慟哭につられ涙ぐむ者がほとんどだった。
「村が、私達の村が・・・渇いていく。村が・・・。ぐすっ。・・・私の故郷が・・・」
擦れた女性の声が、啜り泣く気配を見せる。声を押し殺し、涙ぐむ気配が幾重にも重なった。
「こんな事になるなんて・・・。村が渇くなんて・・・」
今でも信じられないと女性は涙を拭った。
彼らの村が渇き始めた、つまり村から水が消えたのはわずか2日前だった。斎賀から水が届かなくなったのだ。
大都市、都とも呼ばれる斎賀の周辺には、衛星の様に点在する村や町が幾つも存在する。それらは全て斎賀から水の供給を受けていた。
斎賀の地下数百メートルに横たわる永久凍土から、抽出された水の供給を受ける事で、周辺の集落は生き延びていた。
バイオ技術で食物を増産する斎賀であっても、作りだせない食物は存在する。工場プラントで栽培不能なものは、周辺の村や町が斎賀にかわって生産していた。
そこには微妙な力関係が存在する。互いに補完し合う、それが斎賀と村の関係だった。
けれど今、村は渇きに呑まれ、消えようとしている。

「何か方法はないのだろうか? 村を救う方法はないのか?」
男がしゃがれた声で呟く。
そこに、
「ないな」
あっさりと否定の言葉を投げかける者がいた。疑問を呈した男よりは幾分か若い、張りのある低い声の男だった。
人々ははっとして、その男を見る。カーキ色の軍服を着た、筋肉質の体格の良い男だった。
男は腕を組み、柱にもたれたまま言う。
「方法なんかない。もうここには水が来ないんだ」
「!」
びくんと人々は息をのみ男を見つめる。分かっていた、知っていた。それでもこの男の口からだけは聞きたくなかった。

「斎賀から水を運ぶ地下のパイプラインが破損したんだ。斎賀に今残る技術だけでは、修復は不可能だ。斎賀には全てをなおす技術がない。地下数百メートルを這う、パイプラインの修復は誰にも出来ないんだ」
「わ、分かっている。破損したパイプラインが修復不能だという事は知っている! しかし・・・」
「しかし?」
男は視線を向け、問う。
「・・・村を、村を捨てなければならないなんて! 村が消滅するなんて・・・」
信じたくないんだ! そう言い涙ぐんだ。
「あんたにはどうせわからない! 斎賀が渇く事はないんだからな!」
斎賀とこの村は違うんだと、故郷をなくす事の恐怖を人々は訴える。この目の前のカーキ色の軍服を着た男に言っても、せんのないこと。意味などない。自分達の不安を、恐怖を誰かに聞いてもらいたかっただけだ。
口々に訴える人々にやや戸惑いながらも、男は悲しい眼差しを彼らに向けた。

「俺だって平気じゃない。これでも嘆いているんだ」
「・・・」
「確かにここは斎賀じゃない。斎賀が渇く事はありえないのかも知れない。だがどこであれ町や村が消滅するのを、指を加えて見ているだけなんて我慢ならない。どうにかしたいと俺も思う。・・・だが、どうする事も出来ないんだ。なあ、そうじゃないか? パイプラインの構造すらわからないのに、補修ができるのか? 無理だろう?」
「そ、それは・・・」
村人は押し黙る。
「斎賀がお前達を受け入れるだけでも、ありがたいと思ってくれ。昔ならいくら斎賀でも、乾いて滅ぶ村の住人全員を受け入れたりはしなかった」
男は微かに胸に痛みを覚える。斎賀の都としての、ある意味残酷な過去の行動を、執政を思い出したからだ。
カーキ色の軍服を着た男は痛みを押さえ、続ける。

「斎賀のように豊かな凍土を持つ都市でも、普通は見捨てる。余計な人口を増やしたくないからな」
それはある意味真実。冷酷な現実。数十人とはいえ斎賀の人口が増えれば、それは都市にとっての計画外になる。ギリギリの水準で保っていた都市のエネルギー消費にも影響する。
たかが数十人、されど数十人だ。西方の斎賀と同規模の都市では、それが元で暴動すらおきた事もある。
人の命は水よりも軽い。村人達はいまさらながら、それを思い出していた。
「どうして、どうして斎賀は私達を受け入れてくれるの?」
邪魔なんでしょう?
幼い少女玻凪(はな)が男に問う。
男は少女を優しく見つめながら、悪戯っぽく首を傾げた。
「今の市長が優しいからかな」
ギイイイ。
錆びた蝶番の音がし、扉が開かれる。男の言葉は風に吹き流された。
男と同じカーキ色の軍服を着た青年が、砂を払いながら入って来たためだ。青年は男を見つけ嬉しそうに声をあげる。

「あ〜っ! 八雲たいちょ、み〜っけ!」
「終わったのか?」
いやに軽いノリの青年の言葉を無視し、男は真面目くさった表情で尋ねる。
「もちろん。準備完了で〜す。いつでも出発出来ますよ!」
「そいつは御苦労さん」
男は青年を労うと、組んでいた腕を解きほぐし、村人に向かって言った。
「行こう。この村で死ぬ事はない。水の都斎賀が待っている」
男は、八雲は手を差しのべる。ノロノロと村人達は立ち上がり、その手をとった。
建物の外、砂嵐の中には大型のエアシップが数十台停泊している。砂に隠れ、埃にまみれながらそれは住人達を待っていた。
うっすらと慣れ親しんだ村の家々が目に入る。今はもうそこに住人達はいない。何もない。

そして、・・・村は放棄された。


□□□□


じっと手を見る。
ごつごつした節のある、お世辞にも綺麗とは言いがたい手だった。
あの頃のひ弱な小さな手が嘘のようだ。

「たいちょ。何じ〜っと手なんか見てるんですか〜?」
「あのな。何回も言うが、ちゃんと隊長って一度でいいから呼んでくれ」
お前のたいちょと呼ぶ言葉を聞いていると、気力が萎えてくるんだと八雲は頭を抱える。
「八雲たいちょは、たいちょでしょ」
これは方言なのか、悪意からなのか? しばし八雲は悩む。
「そういえば八雲たいちょって、この辺の出身でしたっけ?」
「ああ。あの山の向こうだ」
八雲は小さな丘の様に、なだらかな山を指差す。
懐かしい稜線に、どこかが疼く。押さえてきた、表に出してはならない感情が渦巻く。
懐かしい記憶。遠い昔の記憶だった。

「え? あの山の向こうなんですか? ええ? でもあそこには何もないですよ。砂に埋もれちゃった都市の残骸があるだけで・・・」
あれ? と首を傾げる青年に八雲は苦笑を向ける。
「いいから仕事をしろ。斎賀到着予定はいつだ?」
「だいたいあと20分です」
時計を見ながら青年は返す。八雲は軽く頷くと無線に手をのばした。

「こちら八雲部隊。村の住人は全員保護した。斎賀、そちらの受け入れ体制はどうか?」
ガ、ガガ。音がぶれる感じがし、微かな声が聞こえてくる。
『こちらは斎賀、都市管理センターの雫です。準備は整っています。いつでも帰ってきて下さって結構です』
少し若い感じの女性の声が、無線から返ってくる。八雲はその言葉に、微かに安堵の表情を浮かべ返事を返した。
「了解した。・・・村人達はかなりショックを受けているようだ。配慮してくれるとありがたい」
無線の主は、憂いのこもった声で素直に応じる。
『留意しておきます』
どこか哀れむような声音、村人達を心配し、案じる気配が八雲にも伝わってくる。
無線を切りながら、八雲は微かな記憶の波に沈み込んでいた。
懐かしい都市の面影が目の前に蘇る。砂の中に沈む前の、ありし日の生きていた頃の都市の情景だった。



持てる物なんて何もなかった。僅かな貯えと、日持ちのする食料、干した果物や芋を手に幼い俺は両親と別れた。
一人っ子の俺にとってそれは堪え難い苦痛だった。
どこに行くのかも知らされていない、どうなるのかもわからない。だが浮き足立った周囲の様子と、俺と同じくらいの年の子供ばかりが集められた現状に、俺はただならぬ異常さを感じていた。
何かが起こっている。想像も出来ない何かが起ころうとしていると。
「お父さん、お母さん・・・」
胸にかけてくれたポーチの中には、金色や赤、青の綺麗な石が入っていた。
困った事があればこれを売りなさいと、持たせてくれたものだ。
金や宝石を見たこともない俺が、その意味に気付くのはだいぶ後になってからの事だったが。

俺は両親に手を引かれ、ここに連れて来られた。
どこかの知らない大人達に預けられ、優しかった両親は去って行った。両親の横顔は涙に濡れていて、俺は胸がズキズキと疼いた。
捨てられる! お父さんやお母さんに捨てられるんだ!
その時はそう感じていた。だが、実際は違ったのだ。捨てられたのは両親の方で、俺は・・・。
俺は・・・。
かろうじて斎賀に拾われたのだ。
遠ざかるエアシップの窓から、小さくなっていく都市をずっと眺めた。両親の残る都市を必死で目で追った。
砂の海の中、それは霞んで消えていく。吹き流れ出した砂が、砂塵となって空へと巻き上がっていく。
俺の生まれた都市は砂塵の中に消えていった。

斎賀の衛星都市の一つ櫂慧(かいけい)が滅んだと知ったのは、俺が12歳の冬だった。
俺が斎賀に連れて来られた最初の冬のことだった。
俺の小さな手は何も出来なかった。何も生み出せなかった。
悲嘆する事も、泣き暮らす事も出来なくて、俺の感情は凍った様に冷めていた。いや、そうして押さえ込んでいたのだ。ずっと、ずっと・・・。



「たいちょ。元気ないですね? 村の人達は全員助かったんだから、少しは喜んで下さいよ」
「・・・そうだな。それよりお前な、たいちょじゃないだろう? 隊長だ」
「たいちょ」
「違うだろ。全然・・・」
どことなくそんな事で言い合うのが、馬鹿馬鹿しくなってくる。
もうどっちでもいい、好きに呼べと呟き八雲はシートにもたれ掛かる。窓の外を見ると砂海を覆う赤茶けたものが見えた。
ヒートフラワー、砂海唯一の花だった。砂の海はヒートフラワーの群生に包まれている。

「たいちょ。ヒートフラワーですよ」
「ああ、見える」
「凄いですよね〜。わああ、こんなに群生している! 砂ばっかりなのに、ちゃんと育つんですね!」
どこか感動した部下の声に、八雲は苦笑を浮かべる。
斎賀生まれの、斎賀からほとんど出た事のない部下には、ヒートフラワーはかなり珍しいようだ。
「ヒートフラワーは生命力が強いから、砂漠に適しているんだよ」
言いながら八雲は足を組む。窓の外のヒートフラワーは風になびき、揺れていた。
広大な見渡す限りの、ヒートフラワー。ここが砂漠だという事を忘れさせる程のものだった。
どこか幻想的なその光景に八雲は見入る。
それは冷酷で残酷な現実を一瞬でも忘れさせてくれる、風景だった。


□□□□


「お疲れさまっす〜、八雲たいちょ」
「おお。お疲れさん」
にこにこと手を振る部下に合図を返し、八雲はコートを手に街へとくり出す。
夜の斎賀の気温は驚く程低い。砂漠化現象の為、日中の高温度とは逆に恐ろしく冷え込むのだ。
夕方といえど、コートは手放せない。
「さてと、どこで飲むかな」
一杯やって帰ろうと心に決め、八雲は繁華街に向け歩き出す。
繁華街とはいってもネオンは限られた程しかない。限られた斎賀のエネルギーでは、なかなかそんな所まで電気をまわす余裕がないのだ。
ネオンもなく寂しいが、人込みだけは多い道を八雲は進んでいく。
肌寒い空気が凍ってくるような、そんな時間、八雲は小さな公園の片隅に人影を見つけた。スカートをはいた少女のようだった。長い髪が背中でまとめられ、括られている。
「おいおい。これから寒くなるってのに、親は何をしてるんだ? あんな小さい子を外に出すなよ。凍死するぞ」
誰に言うとでもなくぼやき、やれやれと短い髪をかく。職業柄かどうにもこうにも気になって仕方がない。
「ち。しゃーないな」
俺の仕事じゃないぞ、という言葉を呑み込み、八雲は少女に声をかけた。

「おい、お前何をしているんだ?」
そう問いかけ、八雲ははっとして言葉を呑み込む。つい最近、あまり目出たくもない、というかくじ運最悪の仕事で出会った少女と酷似していた。来ている服は違うがこの顔は間違いがないと思う。
廃棄された村の、老人の傍らに座っていた少女だった。俺にどうして斎賀が受け入れてくれるのかと、問うた幼い少女だ。
「あれ、おじさんは・・・。あの時、私達を連れに来た人?」
少女も八雲を見て吃驚したような表情を浮かべる。まさかこんな所で会うとは思わなかったのだろう。
「ああ、そうだよ。君は・・・?」
「あたしは玻凪(はな)だよ」
少女は泥にまみれた手の土を払いながら、にこっと笑う。
「玻凪ちゃん? いい名だね」
八雲はそう受け、おや? という表情で少女の足下の植物を摘まみ上げる。赤茶けた海藻のような植物だった。
これって、ヒートフラワーか?
ままごとをしているんだろうか? と、かなり間の抜けた事を考える中、玻凪はえへんと胸を張ると側の植木鉢を小さな手で指し示した。
灰色の植木鉢には、等間隔でヒートフラワーの苗木が植えてある。



「あのねあたしね、ヒートフラワーを育ててるの」
「ヒートフラワーを?」
何故またそんな事をと、八雲はいぶかしる。子供の考える事は突拍子もなくて、理解不能だった。
「あたしのいた村にね植えるの。あたしの村は砂海に消えてしまうだろうけど、ヒートフラワーの花畑を作るの。ヒートフラワーなら砂海でも育つんでしょう?」
キラキラと輝く目で見つめられ、八雲は柄にもなく狼狽してしまう。
「そ、そうだな。育つんじゃないか? ・・・たぶん」
誰も人工的に育てた事はないだろうけど。
些か心もとなくそんな事を思う。

「うふふ。きっと綺麗だよ。ヒートフラワーのお花畑! おじさんにも見せてあげるね!」
にこにこと少女は笑い、澄んだ瞳で八雲を見つめる。それが眩しくて、八雲は夕陽を見るふりをして目を細めた。
「玻凪ちゃんは優しいんだな」
「玻凪? ううん、そんな事ないよ。でもね、落ち込んでいるおじいちゃんに元気になって欲しいの。村がお花畑になったら、きっとおじいちゃんも元気になると思うんだ。だからあたし頑張るんだ」
玻凪はそう力説し、再び土を手で掴む。それを見、八雲は微笑むと傍らの小さなスコップを握った。
「おじさん?」
「手伝うよ。おじさんも見たいな。あの村にヒートフラワーが咲く所を」
八雲はそう言うと、さらさらの砂のような土をすくった。肥料のない、栄養の少ないこの土で、ヒートフラワーが根付くかどうかはわからないが、育てばいいと思う。
この子の優しい気持ちが報われればいいと思った。


□□□□


その星の砂海にはヒートフラワーが風に揺れ、小さな命を育んでいる。
砂漠に負けず生きていた。



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