キイン、カキン!!
最早幾度目になるのかわからない。鋭く鋼線を描くような身を削ぎ落とす程の攻撃を、九尾の美女は微笑みを浮かべながらくい止めていた。
艶やかな、狂気にも似た笑みをその美しい顔に貼り付かせ、女は僅かな間合いで避け続ける。恐ろしい程の空間把握能力だった。
女の左手には血の滴る男の首。手首は赤く染まり、恐怖で歪んだ男の顔が克明に描き出されている。
やはり、強い!
恐らく数百年は生きているのだろうと想像し、刀を持った女性は舌打ちする。全然自分の力が通用しないのだ、焦りもするし泣きたくもなる。
本当に冗談じゃないわ! こんなに強い相手をどうしろっていうのよ!
イライラと愚痴ってしまいそうだった。だが、事態は待ってはくれない。今は遊んでいる女が、いつ本気で反撃してくるか知れたものではない。
なんとか、なんとかしなくちゃ。
女性は内心の焦りを抱えながらも平静を装い、女を攻撃し続けた。だがそれはどこか精彩さを欠いたものだった。
キンッ。
カキンと刀を弾かれる。手から滑り落とすのは何とか防いだが、右手が痺れて動かない。
「くっ」
僅かな隙が女性の側に生まれる。九尾の女はそれを見逃さなかった。
「もう終わり? なかなかの使い手だけれど、まだまだ甘いわ」
にい。三日月に釣り上げられた唇がおどろおどろしい笑みを作る。
とたん、女の細い指の爪がにょきっと伸びた。30cm余りものびた爪は、鋼鉄の様な冴えを見せる。
シャキン。
振り降ろされた爪は空間を薙ぎ、女性の体を捕らえる。
「ちっ」
倒れ込むように爪の軌跡から逃れ、転がるように女性は九尾の狐との距離をとる。
「ふふ。コマネズミの様だね」
鋭い爪を舌でなめ、女は笑う。妖艶な香がより一層、色濃く闇に染まる社に漂った。ねっとりとした熱と女の残虐な意志が女性を包み込む。
「残念ながらコマネズミなんて言われた事ないわよ」
「おや、そのていたらくでかえ?」
女はくすっと笑い、右手の長くのびた爪を振りかざす。
びゅん。
突風が吹くがごとく空気が裂ける。ざくっと女性の髪が斬られ、はらはらと舞いながら地面に落ちていった。
う、わっ。切れちゃった?
「なんてことをするのよ! 馬鹿狐!!」
ずっと伸ばしてきた髪をあっさり、こんな九尾の狐なんかに切られてしまったのだ。怒るなというのも無理なからぬ事だった。
「馬鹿狐? 妾の事かえ?」
「あんた意外にどこに狐がいるのよ」
スラリとした刀を正眼に構え、女性は九尾の狐をふてぶてしく挑発する。
とにかく今のままじゃだめだ。何とかこいつを油断させないと・・・。
どこかに隙があるはずだわ!
「おまえ妾を侮っているの?」
「だったらどうなのよ?」
その発言に九尾は笑う。
「ほほほ。愚かだね。お前」
「ふん」
女性は鼻先で笑いとばし、九尾の狐と斬り結ぶ。
「てやっ!」
キ、イイン。
女性の刀と長くのびた爪が当たり、互いに一歩も引かずに膠着する。
く、そっ。何て力だ・・・。こんな華奢な外見をしているくせに!!
思わず舌打ちし、眉を歪める。
「妾を今までお前が倒してきたものと、同じとは思わない事ね」
「く」
そっ!!
女性は九尾の狐を足で蹴り飛ばすと、懐から何枚かの紙を取り出す。
「何のまねだい?」
「知りたい?」
女性は紙を空中に滑らす。ひらひらと舞いながら、それは鴉に変化した。
「鴉?」
「そういう事」
女性は鴉達の知覚を支配すると、九尾の狐に差し向ける。鴉達は女に向かって突っ込んだ。
どこかに弱点があるはずだわ。きっと、どこかに! 見つけてみせる。そう簡単には諦めないわ。
女性は一瞬の賭けに出た。
□□□□
がさ、ごそ。境内の灯籠の影から二人の少年が覗き見をしていた。たらたらと脂汗が首筋を流れていく。
「これって夢か?」
「うんにゃ。現実だ。ここは家の近くのお社さんで、おれ達は帰宅途中だよ」
大樹と浩輔はお互いの顔を見合わせ、古典的ではあるが頬を抓ってみる。皮が引き攣れ物凄く痛かった。
「いってー」
「痛っ。・・・現実だな」
妙な納得をし、二人は呆然とその場に座り込む。持っていたスポーツバックを両腕で抱え、二人は現実を認識しようとやっきになった。
「何だよあれ」
「あれってどっちの? 尻尾の生えた美女? 鴉を従えてる女の人の方か?」
大樹は浩輔に小声で聞き返す。あまり大声を出すと、謎の二人に気付かれてしまいそうで、恐かったのだ。
「どっちもだよ。尻尾の美女は生首持ってたんだぞ! 異常だよ。まさか本物じゃないよな?」
きっと飾りだ! と、主張しながら浩輔はぶるぶると震える。
「飾りに決まってる」
「・・・」
「そうでなければ、あれは本物の・・・、そんな訳ない。絶対ない・・・はずだ」
力なく浩輔は呟く。言われる迄もなく、聞く迄もなくその生首が本物だと二人は感じていた。何故なら生暖かい血の匂いが、立ちこめていたからだ。
「気持ち悪い・・・」
浩輔は青い顔で、自分と同じく病人みたいに、蒼白な顔をした大樹に訴える。
「浩輔・・・」
「やばいって。これ絶対やばいって」
呟き、浩輔は大樹の袖を引く。
「逃げるぞ。そうだよ、さっさと逃げればいいんだよ」
「お、おう」
その言葉にはっとし、大樹は弾かれた様に動くと、両腕で抱えていた鞄を肩から斜にかけ直した。
「行こう」
急いで立ち去ろうとした二人の耳に、異音が届く。
ボキッ。
何か堅い物が無理矢理折られた音だった。
「何だ!?」
「ボキって・・・」
無視しようとしたがどうしても気になり慌てて振り向くと、二人の目はそれを捕らえてしまった。
そこには・・・。
腕を折られ倒れ込む女性の姿があったのだ。
彼女の周りには引き千切られた鴉の残骸が落ちている。刀を九尾の狐に向けながら、女性は無理矢理立ち上がる。
折られた左腕はぶらんと垂れ下がっていた。
そんな中、女性の周囲に散らばっていた鴉が、白い煙を吐き出しながら次々と紙に変化していく。
周囲を流れる夜風が、ぼろぼろに引き千切られた紙を、ひらひらと一つ残らず吹き飛ばしていった。
「か、鴉・・・。紙じゃん?」
「浩輔、パニくってるだろう?」
「お前はならないのかよ!」
動転しまくった浩輔は大樹の襟首を掴んで揺する。
「鴉が紙だぞ〜。紙。何だよあれ?」
「そんなことより、どうする? あの女の人やばいんじゃないか?」
大樹が妙に座った目で合図する先には、いつの間にか、九尾の狐に釣り上げられている女性があった。
首を片手で捕まれ宙釣りになっている。心なしか顔色が青くなっているような気がする。
「うわっ。首、首〜。酸欠になる〜。何とかしないと!」
浩輔は増々パニックに陥り、だらだらと脂汗を流す。
「そうなんだけどあの女の人って、正義の味方の方なんだろうか?」
大樹はそんな事を呟き、首を傾げる。どうやら余りの異常さに心がパニックを通り越し、フリーズしてしまったらしい。
人間腹を括ると、しょうもない事を延々考えたりするものだ。
「知るか。だけど生首持った尻尾の美女よりは、いいもんそうじゃないか」
そう答えつつ、うわわわわ。どうしよう!? と大樹は頭を抱え、目の前の光景を眺める。
空中で釣り上げられた女性は、苦しそうに口をパクパク動かしている。どうやら空気が足りないらしい。
「ち、窒息〜。ど、どうしよう」
「おれだってわかんないよ〜。おれ達にできる事って・・・」
大樹は呟き、ポンと浩輔の肩を叩く。
「あるじゃんか。黄金の右腕・・・」
「は?」
とうとうおかしくなったか? と、いぶかしる浩輔を尻目に、大樹は足下の握り拳程の石を拾い上げる。玉砂利が敷き詰められているので、石には事欠かない。
「石?」
「これ当たったら痛いと思わない?」
じっと大樹の手の中の石を凝視していた浩輔は、ニヤリと笑う。大樹の考えている事が実に単純な事が、ようやく理解出来たからだ。
「いい手かも。コントロールには自信あるしな」
「だろ〜。石も山のようにあるし」
二人はかなり座った、恐らくは恐怖の為感覚が麻痺した目で、尻尾の美女を見る。
「当てちゃえばいいんだよな〜」
「そうそう。遠慮はいらないみたいだし」
なんせ生首持っているんだから、と自己完結した二人は石を手にとり振りかぶる。
ビュン、ビュン。
二つの石が九尾の女に向かって飛んで行った。
□□□□
バシッ。バシッ。
九尾の狐は自分の顔に当てられた何かに驚き、思わず釣り上げていた女性を取り落とす。
「ご、ほっ。げほっ」
尻餅をつきつつ投げ出された女性は、新鮮な空気を求めて幾度も深呼吸をした。ゼイゼイと荒い音を出す喉を庇い、九尾の狐との距離をとる。
な、何があったの?
ちらりと九尾の狐を振り仰げば、どこからか飛んでくる石に身を庇っていた。
石? え? どうして?
飛んでくる方角はどうやら灯籠のある辺りから、らしい。石はかなりのスピードで狙い違わず九尾の狐にヒットしていた。かなりコントロールも良く、速度も出ているようだ。
灯籠の影になり、誰がいるのかは一切不明だ。けれどその誰かに自分が救われた事は理解出来た。
誰か知らないけど、ありがとう! 助かったわ。
呼吸を整えつつ女性は刀の切っ先を、九尾の狐の尻尾の一つに向ける。鴉と同調していた時に気付いたのだが、どうやら尻尾に触れられるのは嫌らしいのだ。
動物だって尻尾を触られたら、嫌がるんだもの。こいつだってきっと・・・。
神気を高め女性は刀を降り降ろす。
「でやーーーっ!」
高速の刃は石に気をとられていた女の、尻尾の一つを実に見事に跳ね飛ばした。
すぱーん。
派手な音がして尻尾の一つが空を舞う。ビクン、九尾の狐は身を強張らせ、悲鳴をあげた。
「ぎゃぁーーーっ」
余りの痛さに九尾の狐は思わず倒れ込む。恐らく自分の体が傷付く事など、考えもしなかったのだろう。自分の力に絶対の自信を持っていたはずだから。けれど・・・。
「観念しなさい!」
刀を持った女性は叫ぶや否、次の行動にうつる。素早く九尾の狐の背後に忍び寄り、女の首元を目指して刃を降り降ろす。
「!?」
悲鳴はなかった。血もなかった。
くるくると舞った首は、空中へ消えて行く。淡雪の様に闇の中にそれは溶けていった。九尾の狐の体も同じように消滅していく。シャボンが弾けるように消えていった。
ゴロン。
九尾の狐の持っていた男の首が床に落ちる。
見開かれた男の恐怖に満ちた目とかちあい、女性は小さな吐息を付いた。ざわめく悲しみを押え込めない。
「ごめん・・・。私、全然駄目だね。間に合わなかったんだね・・・」
どこの誰かは知らないけど、・・・辛いな。人を救えなかったのは・・・。
女性が来た時にはとうに殺されていた男。けれどそれでも、責任は感じてしまう。里の情報が遅かった訳でもない。あれでも精一杯だったのだ。だが、もしも。
もしも、あと僅か早かったら・・・。
「泣きたくなるな。こんな時は」
痛む腕を庇い、女性はうつむく。
「ごめんね」
女性は物言わぬ男に囁いた。
□□□□
九尾の狐の美女が消えた事を確認すると、大樹と浩輔はほっと安堵の息を付いた。
「やった・・・」
「すげえ、消えてしまったぞ」
二人は顔を見合わせ、パンと手を叩く。
「よし! やれば出来るじゃんか」
「あはは。そうだな〜。凄いぞ。たかが石を当てただけだけど、やったな!」
二人はくくくくっと笑い、スポーツバックを持ち歩き出す。ずっと補欠だった。だけど、野球をしていた時間は無駄ではなかった。
それを今実感したのだ。
落ち込む事はないのだ。いつかどこかで、何かの役に立つ。それが経験だから。
「あはは。なんか凄く自信がわいてきた」
「おれも〜。受験も何とかなりそうな気がしてきた〜」
浩輔は胸を張って答える。
「だよな〜。悩んだって、考え込んだって仕方ないじゃん。精一杯やればいいんだよ」
ニッコリ。二人は笑い合う。
「頑張って冬を乗り切るぞ〜!」
「おう」
大樹は浩輔のノリに応じ、拳を振り上げる。
「それじゃあ、もうそろそろ帰ろうぜ〜」
「そうだな。それにしても、腹へったな〜」
生首の事をすっかり忘れ、二人は意気揚々と歩き出す。あまりに奇異な体験をした為に、記憶が一部飛んでいるらしい。
もっとも思い出さない方がきっといいだろう。絶対悪夢を見る。
「今日の晩御飯は何かな?」
「おれの家はカレーらしいぞ」
甘党の浩輔はげ、と舌を出す。
大樹の家のカレーは激辛で有名なのだ。とてもじゃないが、浩輔には食べれない。
「お前のうちのカレーなんて嫌だ」
「浩輔はお子さまカレーが好きだもんな〜」
「甘口だ、甘口!」
あくまで浩輔はそう主張し、大樹の口を閉じさせる。いつしか二人はいつもの道に戻っていた。
歩きなれた通学路だ。それは日常への入り口に他ならなかった。
大樹は今歩いてきた社の方を振り返る。そこには鬱蒼としたいつもの社があった。見なれた、夜には通りたくない、いつもの社の姿だ。
「大樹〜?」
「あ、いや。何でもない」
大樹は浩輔の横に並ぶと歩き出す。そこにはいつもの夜の光景があった。
□□□□
インターネット上の掲示板。様々な人間が書き込みを行う、情報の共有板。
その書き込みはいつしかそこにあった。時が経ち、季節が巡ってもその書き込みが消える事はなかった。
消去もされずそれは残る。日々新たな情報がそこに書き込まれて、更新されていく。
それは一種の都市伝説。そして現実。
[尻尾の獣が人間を喰うらしい]
[S県で犠牲者が出たってさ]
[T県でも男が変死してるらしいよ]
[尻尾の獣は金色に輝いていて、物凄く綺麗なんだって]
[そいつを見た人間はあっという間に襲われて、喰われるらしいゾ]
獣の情報は途絶えない。
どこの誰かもわからない複数の人間の声は、記述していく。
だが・・・。
[獣は退治されたらしい]
[尻尾の獣は消えたって]
[狐だったらしいぞ]
[もうどこにもイナイ]
新たな記述はそこで止まる。それが最後になった。
□□□□
冬。
雪の降る寒い日、二人の少年は喜びに満ちた吉報を受けとる。それは二人の努力が報われた瞬間だった。